ヴァレンタインデー。
 老いも若きも男も女も、日頃裡に秘めた胸の想いを相手に伝える日である。

 マスキュリンは、指先をせっせと動かして、長いマフラーを編んでいた。傍らには既に編み上がった帽子が置いてある。グラデーションの毛糸を使った丸い帽子は、一段ごとに色が変わって美しい仕上がりを見せている。
 マフラーの方は、その帽子の中から一色だけを選んで、単色の毛糸で模様編みをしていた。
 もともと器用なマスキュリンは、特に編み物が得意で、帽子も一日で編み上げたほどだ。マフラーも、もう編み終わりの処理をするだけになっている。
 編み目の中に毛糸の端を編み込んで、プルシャンブルーのマフラーが出来上がった。
 マスキュリンは長々と息を吐いた。それから肩を少し廻す。そうして完成したマフラーを広げてみて、満足げに微笑む。丁寧に畳んで帽子の横に置き、自分は机の前に腰掛けた。
 上品な透かし模様の入った小さなカードに、ペンを走らせる。

 ----ジュリアン
   調子はどう? 風邪なんてひいてない?
   そっちは寒いでしょう。よかったら、この帽子とマフラー、使って。
 
 ここまで書いてから、手を休めてカードを眺める。まだ余白が残っている。少し考えた末、マスキュリンは続きを書いた。

   ----こちらでは、みんな相変わらずです。
   そのうち遊びに来てね。
                         マスキュリン----

「…なんて素っ気無い文章だろ」
 マスキュリンは呟いた。
「『相変わらず』、か…。嘘ばっかり」
 ジュリアンがいない。それは以前の生活に戻ったともいえる。だが、彼のことを知った今では、いつもの生活がどうしても味気なく感じてしまう。
 その辺りの気持ちを、もっとはっきりと書いた方がよかったか。いざとなると恥ずかしさが先行してしまったのだ。それに、今はまだ、ジェーンのことがある。彼女があんなことになって、ジュリアンはひどく落ち込んでいた。そんな状態の彼に告白するのは付け込んでいるようで嫌だった。どうせなら、ジュリアンの心が回復してから、堂々と想いを告げたい。
 ----でも、『ヴァレンタインデー』にプレゼントを贈るってことの意味は一つしかないから、結局は同じことなんだけどね。
 マスキュリンはちょっと笑った。
 席を立って、帽子をマフラーの上に重ね、その上にカードを置く。ここで、ラッピングのための材料をまったく用意していなかったのに気付いた。とにかく、編み上げることに集中していたからだ。
 ヴァレンタインデー当日にジュリアンの所に届くようにするには、今日発送してしまわないと。
 マスキュリンはコートを着込み、ポーチの中に財布が入っているのを確認して、部屋を出た。

 雑貨屋はなかなかの混雑ぶりだった。
 誰かに想いを伝えたい人が、老若男女問わず大勢いるということだ。
 このうち、何人の想いが相手に届くんだろう、などど、マスキュリンは少々寂しいことを考えてしまった。
 とにかく、ラッピングの材料だ。
 マスキュリンは人をかき分けつつ、ラッピングコーナーに向かった。途中、一番混雑しているカードのコーナーを、
「すいません、ちょっと通して」
 と言いながら進む。
「----っと、ごめんなさい」
 正面から来た人に、思いっきりぶつかってしまう。
「こちらこそ」
 のんびり応じたその声に、マスキュリンは聞き覚えがあった。
「あ、マスキュリン」
 相手の方から、名前を呼んでくる。
「シ、シンビオス様…」
 マスキュリンは目を瞬かせた。
 とにかく、ここでは邪魔になる。二人は人の比較的少ない場所に移動した。
「----お買い物ですか?」
 思わず当たり前のことを、マスキュリンは訊いてしまった。店に来て他に何をするというのだろう。思いがけない場所で会ったので、混乱してしまったのだ。
「うん。ちょっとね」
 シンビオスは恥ずかしそうに答えた。
 やっとマスキュリンは理解した。----そうそう、ヴァレンタインデーだった。
「----メディオン王子にですか」
 マスキュリンが尋ねるともなく言うと、シンビオスは顔を紅くした。----あの戦いの最中に色々な経験をして、ひと回りもふた回りも成長したシンビオスだが、こういうところは子供の頃とちっとも変わっていない。ふっくらしたほっぺを真っ赤にして、自分の姉とグレイスとマスキュリン、それにダンタレスにまで、お小遣いからちょっとした小物をプレゼントしてくれたことを、マスキュリンは懐かしく思い出した。
 ----そうそう、あのとき、『好きな人は誰か一人だけにしないと』とマーガレット様に言われて、泣きそうな顔で、『みんな同じぐらい好き』って仰ってたっけ。
 そのシンビオスが、本当に好きなたった一人のために贈り物を選んでいる。心血を注いでお育てした甲斐があったというものだ。
「何を選んだんですか?」
「宮殿で、王子はいつも来客用のカップを使ってお茶を飲んでるんだって。それがなんとなく、根無し草の気分だって前に言ってたから」
 メディオンは北への遠征が終わったあと帝国に戻らずに、すぐにアスピアで暮らすことになった。一足先に帰っていたレリアンス将軍が、王子が宮殿で使っていたものを送ってくれたのだが、皇帝の目を盗んでのことだったので、たとえばズボンがあってもベルトがない、といった事態になった。そのため、なくては困るものはこちらで購入したり貰ったりしたのだが、カップなどはさほど重要視されなかったらしい。
 マスキュリンは頷いた。
「やっぱり、自分専用のカップ、って嬉しいですよね。居場所があるって感じで」
「うん。だから、メリンダ様やイザベラ殿、キャンベル殿達と一緒にお茶が飲めるように、ティーセットを一式買ったよ」
 シンビオスは、手に持っていた紙袋をちょっと上げてみせて、
「それに、ここに来たとき用のも一つね。ちょうど14日に来ることになってるから、そのときにこのカップでお茶を出してあげるんだ」
 シンビオスらしい細やかな気の使い方に、マスキュリンは感心した。
「----マスキュリンは、ジュリアンにあげるの?」
 シンビオスからの質問に、マスキュリンは自分の用事を思い出した。シンビオスの成長ぶりに感激して、頭から抜け去っていたのだ。
「あ、そうそう。ラッピング用のものを買いに来たんでした」
「じゃあ、外で待ってるから、一緒に戻ろう?」
「はい、すぐ済ませますから」
「焦らなくていいよ」
 シンビオスは笑って、ますます混んで来た店内を、人に声をかけつつ進んでいった。あまりの腰の低さに、領主だと気付いた者もいなかったようだ。
 マスキュリンは多種多様な包装紙を眺めた。冬の最中だから、防水加工してある方がいいだろう。その中から、セーターと帽子の色に合ったものを選ぶ。----これだ、というものは、大体がその商品の方から『呼んで』くるものだ。ほとんど悩むことなく、包装紙と、リボンも決めた。
 レジにはちょうど人がいなかった。
 会計を済ませて外に出ると、ドアの脇にシンビオスが立っていた。上を向いている。
 マスキュリンもつられて上を見て、細かい雪がちらちらと降っているのを知った。
「シンビオス様、お待たせしました」
「お疲れ。じゃあ、帰ろうか」
 シンビオスはごく自然に、マスキュリンの手から荷物を取った。そう躾けられている。----勿論、マスキュリンに、である。
「----14日、楽しみでしょう?」
 マスキュリンは我がことのように楽しそうに、
「メディオン王子、シンビオス様に何をくださるでしょうね」
「うーん、そういえば、お茶菓子は用意しなくていい、って言ってたな」
「あら。じゃあ、王子が作ってくるんでしょうか」
「そうなのかな」
 シンビオスも微笑んだ。
「いいな、シンビオス様。ちゃんと受け止めてくださる方がいて。----ねえ、ジュリアンなんて、『ヴァレンタインデー』なんて日知らないか、知ってても忘れてるんじゃないかしら?」
 なるべく深刻っぽくならないように注意しながら、マスキュリンはそう言った。
 そんな彼女の心の機微を感じたのか、
「ジュリアンから届くといいね」
 シンビオスは優しく応じた。

 ヴァレンタインデー当日。
 昼前に、メディオンがキャンベルを伴ってやって来た。
「いらっしゃい、メディオン王子」
 シンビオスもこの日ばかりは領主の立場を休んで、普通の少年になっている。
「キャンベル殿も、よくいらしてくださいました」
「お邪魔する気はありませんよ」
 キャンベルは目配せして応える。
「----ところで、マスキュリン殿はいらっしゃいますか?」
「え? …ええ、今呼んで来ます」
 シンビオスは不思議そうに駆けて行って、程なくマスキュリンと一緒に部屋に戻って来た。
「何かご用ですか?」
 マスキュリンも、戸惑いながら尋ねた。
「城の入り口で、配達人に会ってね。----君宛のお届けものだよ」
 そう言って、メディオンは手にしていた小さな包みをマスキュリンに渡した。
 受け取って差出人を確認したマスキュリンは、目を丸くした。ジュリアンからだ。頬が熱くなるのが判る。
「あ、ありがとうございます、メディオン王子」
 そう言って頭を下げて----いつ、どうやって自分の部屋に戻って来たのかさえ定かではなかった。気がつくと、包みを手にベッドの上に腰掛けていた。そういえば、「よかったね」とシンビオスに声をかけられたような気もする。
 マスキュリンは包みを撫でた。開けてしまったら消えてしまいそうで恐かった。まだ信じられない。大体、今日届いたということは、ジュリアンも今日が何の日か解っている上で送ってきたのだ。これが2・3日後なら、マスキュリンのプレゼントのお返しということも考えられるが…。
 ----あ、でも、どうってことのないものが、たまたま今日届いたって可能性もあるかも…。
 そう思い付いてしまったマスキュリンは、いたたまれなくなって急いで包みを開けた。
 中には、カードと、パンジーをかたどった陶器のブローチが入っていた。
 マスキュリンは恐る恐るカードに目を通した。

 ----マスキュリン
   この地に来てから、俺は色々と考えた。

   今はまだ、気持ちの整理がついてねえ。
   だけど、もう少し落ち着いたら、必ず…。

               ジュリアン----

 マスキュリンは何度も読み返した。
「…『必ず』なんなのよ」
 笑いながら呟く。なんてジュリアンらしいんだろう。
 手の上でブローチを転がしながら、マスキュリンは思った。以前、『花の中ではパンジーが一番好き』だと言ったのを、彼は覚えていたのだ。
 それなのに、マスキュリンの方は、曖昧なことしか書けなかった。いつの間にか臆病になっていたようだ。
 マスキュリンは慌てて机に向かうと、便箋に想いを綴りはじめた。


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