フラガルド城は、ここ数日寝不足だった。
 正確には、領主以下彼の恋人、従者、恋人の従者から兵士、料理長に至る男性のみが、である。
 夏だから寝苦しくて、というわけでは勿論ない。それならば、女性達も皆寝不足になるはずだ。
 最初に異変に気が付いたのはシンビオスだった。最近寝付きが悪くて調子が優れずにいたところ、メディオンも同じように、どこかげんなりした様子だったのだ。
 で、二人で話をしてみたところ、夢見が悪くて眠った気がしない、というのが共通していた。
 シンビオスは、更にダンタレスやキャンベルの顔色も悪いのを見て取った。
 聞いてみると、全く同じ話をした。
 それだけではない。城内の様子に目を配ってみて、男性だけが憔悴しているのに気付いたのだ。やはり、妙な夢を見るという。
 マスキュリンやグレイス、他の侍女達はいつも通りである。
 男性だけが見る夢とはこうだ。
 体中を、白い糸のようなものでぐるぐる巻きにされている。ちょうど、棺に入ったミイラのような感じだ。
 足先から5mほど離れたところに、黒くて大きいものがうずくまっている気配がある。何かは不明だが、よくないもののような気がして、逃げようと藻掻くのだが、前述の通り全身が拘束されているからまったく動けない。
 その物は何もせずにじっとしているのだが、それが却って、いつ襲われるかという恐怖を呼ぶ。朝目が覚めたときには、心労でぐったりして、眠った気が全然しないのだ。
 毎晩見るうちに、妙なことに気付いた。
 黒くて大きいものが、近寄ってきている気がするのだ。
 最初のうちは、気のせいだと、半ば自分に言い聞かせるように思いこんでいたのだが、5mの距離が1mになり、足元になり、膝までくると、さすがにまずいと思えてきた。
 もしそれが頭まで来たらどうなるのか。
 いや、その前に、男性達は寝不足で参ってしまうだろう。
 職務に忙しいシンビオス(とそれを手伝っているメディオン)に代わって、ダンタレスとキャンベルが、神父に相談に出かけた。
 黒くて大きいものの禍々しさに、この世の物ならぬ雰囲気を感じ取ったのだ。
 そういう話が苦手なダンタレスは、他の誰よりも真っ青になっていたが、自分どころか大事な主人までもを含めた城の危機に、尻込みしている場合ではないと思ったようだ。キャンベルと共に、神父に詳しい事情を説明した。
「ふむ…」
 神父は、難しい顔で腕を組んで、
「はっきりとは判りませんが、恐らく妖魔の類でしょう。----少々お待ちを」
 と言い置いて、祭壇の後ろに屈み込んだ。
 ダンタレスとキャンベルは、顔を見合わせる。
 すぐに、神父は姿を現した。一枚の護符を手にしている。
「これを持って、城の中を歩いてみなさい。怪しい場所で反応するはずです。そこに、妖魔が潜んでいます」
「反応とはどのような…?」
 キャンベルが訊く。
「それはその場に行けば解ります」
 神父は淡々と言って、
「----それと、妖魔退治には女性も連れて行くといいでしょう」
 女性は悪夢の影響を受けていないから、妖魔の影響外なのだろう。確かに、退治する際には心強い存在になるはずだ。
 神父に礼を言って教会を出たキャンベルとダンタレスは、マスキュリンとグレイスに手を貸してもらうことにした。
 城に戻って、早速二人に話す。
「そういうことなら、喜んでお手伝いしますわ」
 グレイスが穏やかに微笑む。
「当然ですよ! シンビオス様まで酷い目に遭わせるなんて、許せませんもの」
 マスキュリンも強く頷いて、
「じゃあ、早速見つけだして、さっさと倒しちゃいましょう」
「そうだな。日の沈まぬうちに決着をつけてしまおう」
 ということで、四人は城の中を歩き出した。
 玄関から廊下、応接室、シンビオスの自室、そして、
「シンビオス様、失礼します」
 執務室のドアをノックして、ダンタレスが声をかける。
「揃って、どうしたんだ?」
 大きな机の向こうから、書類に署名していたシンビオスが顔を上げた。メディオンの方は、壁側に設置された本棚の前に立っている。
 ダンタレスは簡単に事情を説明して、
「…というわけですので、ちょっと確認させてください」
「うん。そういうことなら頼むよ」
 シンビオスはちょっと笑顔になって、
「すまないね。君達に全部やらせてしまって」
「とんでもない! シンビオス様が安心して職務に励めるようにするのが、我々の仕事ですから」
 ダンタレスが、ちょっと照れくさそうに言うと、
「そうですよ。職務以外の面倒は、私達にお任せください。巧く計らいますから」
 マスキュリンも、一緒になって売り込む。
「ありがとう」
 シンビオスはこぼれるような笑みを見せた。
 惚けているダンタレスの手から護符を取って、キャンベルは執務室を一周した。護符に変化はない。
「ここではないようですな。どうも、失礼しました」
「キャンベル、みんなも、充分気をつけてくれ」
 メディオンの言葉に頷いて見せて、一同は執務室を出た。
 その後、図書室を覗いて確認して、今度は食堂にやってきた。ここも、格別反応はない。しかし、その奥にある、食料貯蔵庫に足を踏み入れたとき、
「うわっ?!」
 キャンベルは驚いて、護符を放した。
「どうしました?」
 グレイスが訊く。
「いや、護符が凄く熱く…、----?」
 地面に落ちるはずの護符は、その場で浮いたままになっている。
「これが、神父さんの言ってた『反応』?」
 マスキュリンが目を丸くして言った、その言葉に呼応するように、護符は燃え上がった。同時に、
「ぐぉぉ…っ」
 苦しそうな声が響く。
「ん? 奥の壁から聞こえたぞ?」
 キャンベルが言って、皆は貯蔵庫の奥まで進んだ。大きな樽が並べてあるのだが、何故かその前に、この場所には不釣り合いとしか言いようのない女性が、俯せに倒れている。
 これが妖魔か、と警戒しつつ近づいていくと、その女性が顔を上げた。
 美しい。
 そうとしか言いようのない容貌だった。キャンベルとダンタレスが、思わず息を呑む。勿論、フラガルド城内では見かけたことのない顔だった。
 二人が立ち竦んでいるのを見て取ったその女性は、ふ、と微笑んでゆっくりと立ち上がった。空気が動いて、甘い香りを漂わせる。
 全身を覆う黒いボディスーツはぴったりと体に張り付いて、彼女の見事なプロポーションを余すところなく見せつけている。まるで服を着ていないようだ。
「----ダンタレス様、キャンベル様! どうなさったんですか? 妖魔ですよ!」
 後ろから、グレイスが叫んだ。
「妖魔…。いや、そうなんだが…」
「うん。女性を攻撃するのはちょっと…」
「女性って…」
 マスキュリンが呆れたように呟いて、グレイスと目線を交わす。
「----仕方ないわね」
 ケンタウロス達の前に出て、レベル4のブレイズを唱えた。
「きゃあぁぁぁっ!」
 鈴のような高い悲鳴を上げて、美女が身悶える。苦悶に歪む美貌と、乳房が重そうに揺れる様は、扇情的ですらあった。
「マ、マスキュリン! 女性になんてことを!」
 慌てて美女に駆け寄ろうとする男達を制して、
「お二人とも、よくご覧ください」
 グレイスが、少し厳しい声を出した。
「なに?」
 ダンタレスとキャンベルは、何度も目を瞬かせた。
 火に巻かれてうずくまっている黒服の美女、と見えたのは、全身を剛毛に覆われた、巨大で醜悪な蜘蛛であった。
「----!」
 ケンタウロス達は驚愕した。
「こ、これがさっきの美女か?」
「…最初から、この姿でしたわ」
 グレイスが冷静に言った。
 彼女とマスキュリン、女達の目には、最初から不気味な大蜘蛛だったのだ。男達が感じた甘い香りも、彼女達には獣のような臭いだったし、絹を裂いたような可憐な悲鳴は、蛙のような潰れた声にしか聞こえなかった。
 ブレイズの火が消えて、大蜘蛛は後ろ足で立ち上がるように身を起こした。残りの6本の足を大きく広げ、威嚇する。八つの赤い目が光り、ブレイズによって燃えた全身から煙が立ちこめて、なんとも不気味だ。
 こんなのを美女と見間違え、しかも誑かされたのか、と思うと何とも腹立たしい。ダンタレスは槍を扱いて、大蜘蛛に突進した。目に見えず実体のない物には弱い彼だが、モンスター相手だと容赦はない。怒りが全身を支配して、考える前に体が動く。槍を突き刺し、返す手でもう一突き食らわす。
 恐ろしげな声を上げて、大蜘蛛がのけぞる。
 続いてキャンベルが動いた。ダンタレスと同じように2度突いた後、止めとばかりに後ろ足で蹴り上げる。
 大蜘蛛は天井に勢いよくぶつかって、べちゃ、と床に叩きつけられた。
 仕上げに、マスキュリンが再びブレイズレベル4を放って、大蜘蛛は完全に塵と化した。
「割とあっけなかったですね」
 マスキュリンが息を吐く。
 確かに、夢の中でさんざん男性達を苦しめていた割には、やけにあっさりと倒されたものだ。
「きっと、直接攻撃を仕掛けてくるには弱すぎたんでしょう。それで、夢の中で、なんて方法を取ったんじゃないかしら」
 このグレイスの推理が、どうやら正解のようだ。
「それにしても…。グレイスとマスキュリンがいなければ、大変なことになっていたな」
 ダンタレスが呟いた。本来、彼はああいう露出の激しいタイプは好みではなく、どちらかというと清楚な感じの女性が好きであった。にもかかわらず、あの大蜘蛛が化けていた美女にくらくらときてしまった。
 それはキャンベルも同じで、どうしてあれほど心惹かれたのか、しきりに首を傾げている。
「神父さんの助言が効きましたね」
 無邪気に笑うマスキュリンに、
「このことは、シンビオス様には内緒にしてくれ」
「勿論、メディオン王子にもだ」
 ダンタレスとキャンベルは口々に、苦い顔で言った。
「もとより、そのつもりですわ」
 グレイスがおっとりと微笑んだ。

 主のいる執務室に戻った一同は、美女の件は省略して、大蜘蛛との戦闘部分だけを報告した。
「お疲れさま。よくやってくれたね」
 嬉しそうなシンビオスの笑顔に、いささか恐縮する。
「しかし、蜘蛛なんてぞっとしないな」
 と顔を顰めているメディオンに、
「メディオン様は蜘蛛がお嫌いでしたな」
 キャンベルが言った。
「ああ。毎晩蜘蛛の糸に絡められてたなんてね」
 メディオンはシンビオスの方を見て、
「同じ絡まれるなら、君の方がいいな」
「またそんなことを」
 シンビオスが苦笑する。
 これ以上いるとお邪魔になりそうなので、一同は慌てて執務室を出た。その足で、教会に向かう。
「----神父様、ありがとうございました。お陰で、妖魔を無事退治できました」
「それはなによりです」
 神父は穏やかに頷いて、
「それで、どんな妖魔でしたかな?」
 今度は何も隠さずに、あったままのことを報告した。
「…というわけでして。まさか、蜘蛛に誑かされるとは思いませんでした」
 キャンベルの言葉を、神父はじっと聴いていたが、
「それは恐らく、サキュバスの一種でしょうな」
「サキュバス?」
 マスキュリンが目を見開く。
「左様。雌の大蜘蛛が、子供を成すために、男性の精を吸い取ろうとしたのでしょう」
 神父はあくまで淡々とした口調だったが、内容は実に生々しい。実際、蜘蛛の子がわらわらと散らばっていく様を想像してしまって、皆身震いした。
 その様子に気付いて、
「まあ、大事になる前に始末できて、よかったですな」
 と神父は繕ったが、あまりフォローにはならなかった。

 その晩から、城の男性達は安眠できるようになった。それを不思議に思う声もあったが、原因は語られず、ただ、領主の「総て解決した」という一言で、皆納得した。彼の言うことに、間違いはないからだ。
 ちなみに、その領主は相変わらず寝不足だったが、それは勿論蜘蛛の仕業ではなく、彼の恋人もやはり寝不足であった。


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