----何がクリスマスだ。馬鹿馬鹿しいにも程がある。 自室のテラスから城下町を眺めて、ドミネートは忌々しげに舌打ちした。 町は派手に飾り付けられ、イヴの賑わいがここまで聞こえてくるようだ。 ----愚民どもが…。共和国を取り戻すことができなかったというのに、何をそんなに浮かれておるのか。 所詮、誰も今の自分の気持ちなど判らぬのだ、とドミネートは思っていたが、彼もまた、民衆の気持ちを知らなかった。 今回の、共和国との不毛な開戦を、一般国民達は冷めた目で見ていた。彼らは共和国の併合など望んでいなかった。階級意識の強い帝国での生活に我慢できなくなったとき、逃げ込める場所が必要だったからだ。共和国も貧しい国だが、帝国よりは数倍ましだ、というのが、帝国庶民の考えだった。 だから、今回の戦いが、いつの間にか対ブルザム戦になっていたのを、彼らは喜んでいた。そのために、皇帝の野望が失敗に終わったことも。 そして、この戦いで尊い命を落とした者達を祀るため、今年のクリスマスには特別礼拝が執り行われることになっている。よほどの事情がない限り、人々は教会に足を運ぶ予定だった。 ドミネートは、共和国を取り戻し損ねたことで、いつにも増して不機嫌だった。いいところまでいったのだ。あのとき、グラシアが出しゃばってこなければ。アロガントが、あのコムラードの息子に倒されなければ。 デストニアがグラシア達の力で救われた恩も、そもそも、ブルザムが復活すれば野望どころではなかったということも、今のドミネートの頭にはなかった。 彼は、まだ諦めていなかった。 ドミネートは部屋に入ると、大きな机に着いた。ペンを取って、紙に書き込んでいく。 1.失った兵力を増強するために、徴兵制度を用いる 2.増税をする 3.レジスタンスの拠点であった、デストニア港町の教会を閉鎖 4.2・3の貴族を取りつぶし、財産を没収する 取り敢えず思いついた案を箇条書きにして、ドミネートはペンを置いた。時計を見ると、もう日付が変わろうとしている。クリスマスがそこまで来ている。 ドミネートはガウンを脱いで、明かりを消してベッドに入った。クリスマスなど来なければいいと願いながら。 どれだけ眠っただろう。 奇妙な音で、ドミネートは目を覚ました。 部屋は暗く、重苦しい空気に包まれている。臆病者なら失神しそうだが、ドミネートはそれほど繊細ではなかった。それでも、胸騒ぎを覚えて、上体を起こす。 この音…、なんの音だろう? じゃら、じゃら、と、耳障りな金属音、ずずず…、という、何かを引きずるような音。ごぉぉ…、と、風が渦巻くような音。 じゃらじゃら…、ず…ずず… だんだん、音が近づいてくる。 さすがのドミネートも、ベッドから飛び出した。テーブルの上の燭台に、震える手で火を点けようとする。途中でマッチが何本も消えてしまって、最後の1本でやっと点けることができた。 その間にも、件の音は大きくなっている。耳を塞ぎたくなるほどだ。 ドミネートは燭台を手に取って、高く掲げた。部屋のあちこちを照らす。 “----う…え…、ち…ち…うえ…” エコーのかかった暗い声が、部屋の中に響いた。 「…『ちちうえ』だと? 私をそう呼ぶおまえは誰だ?!」 皇帝としての威厳を保ちながら、ドミネートは声の主を怒鳴りつけた。手はせわしなく動き、闇に紛れた者の姿を照らし出そうとしている。 “私をお忘れですか? この世ならぬ者で、あなたをそう呼ぶ者の存在を” 「この世ならぬ…者? …まさか、おまえは!」 ドミネートの前に、やっと姿を現した。その身を鎖に何重にも巻かれ、両手足に重い鉄球を付けられたその人物は---- 「…アロガント! おお、なんという姿に!」 野望半ばにして倒れた息子の、変わり果てた姿。ドミネートは一瞬ただの父親に戻っていた。 “父上。私は間違っておりました” 蒼ざめた顔で、無表情のまま、アロガントは言った。 “死んだらそれまでだと。だからこそ、野望に生き、あなたや神すら欺いた。----しかし、違うのです。私は死んだ今になって、こうして罰を受けているのです” 「……………」 ドミネートは、いつもの冷静な瞳で息子を見つめた。 「…それで、こうして出てきたのか? こうなったのは総て私のせいだと? 後継者を早く公表していれば、おまえはあんな謀をしなかった----」 “いいえ。今更あなたに恨み言を言って、なんになりましょう。この苦しみが薄らぐわけでもないのに” 「…では、何しに来たのだ」 “父上に助言を。このままでは、あなたはこの私のように…、いえ、それ以上の責めを受けるでしょう。永遠に安らぐことなく” ドミネートは恐らく、生まれて初めて恐怖を覚えた。アロガントの表情が総てを語っている。自分もこんな風に、いや、これ以上に苦しい目に遭うというのか? 「…どうすればよいのだ…」 強張る喉から、声を絞り出す。 “今ならまだ間に合います。----これからあなたの許に、3人の精霊が現れるでしょう。彼らの導くままに任せなさい” 「3人の精霊…? 彼らが救ってくれるのか?」 アロガントは首を振った。虚脱した表情のまま。 “彼らは導くだけです、父上。あなたが私と同じところにくるか、それとも違う場所に行けるのか、それはあなた次第です” アロガントは、一歩足を踏み出した。鎖がじゃらん、と鳴る。 “もう行かなくては。…さようなら、父上。二度と会わないことを祈ります” 「…アロガント…!」 ふ、と姿を消した息子の名を、ドミネートは呼んだ。 鎖の音と、鉄の球を引きずる音、そして別の世界から流れ込んでくる風の音が徐々に小さくなり、やがて消えた。 「……………」 ドミネートは、薄暗い部屋の真ん中に立ちつくしていた。重かった雰囲気が消え去り、衝撃が薄らいでくる。何度も深呼吸しているうちに、彼はいつもの調子を取り戻した。 「…今のは本当のことか? それとも、寝ぼけて夢でも見たのか? なんと取り留めのない夢だ」 半ば、自分に言い聞かせるように、 「そうだ、夢だ。幽霊だの精霊だの、非現実すぎる。----馬鹿馬鹿しい!」 燭台の明かりを吹き消して、ドミネートはベッドに戻った。 「そんなものを信じていては、戦争のような血生臭いことなどできんわ」 ぶつぶつと呟きながら眼を閉じる。 さほど経たないうちに、 「----もしもし、起きてください」 のんびりした声と共に、肩を揺すられた。 「…ん? ん、なんだ?」 眠たい眼を開ける。目の前にいたのはドミネートがよく知った、だがここにいるはずのない人物だった。 「おまえは! コムラードの息子!」 がば、と起きあがって、つかみかかろうとしたが、体が動かない。 「何をした! 呪術か?」 「ただの魔法ですよ。初対面の相手にいきなりつかみかかろうなんて、どういう教育を受けたんですか?」 目の前の少年は、呑気に言った。とても、ドミネートを抑え込んでいるとは思えない調子だ。 「初対面だと? 惚けているのか? おまえは憎きコムラードの息子ではないか!」 呪縛を解こうと藻掻きながら、ドミネートは叫ぶ。 「誰ですか、それは。人違いですよ」 少年はちょっと顔を顰めて、 「私は、『過去のクリスマスの精霊』です。聴いてませんか?」 「そ、そういえば、さっきアロガントが…。夢ではなかったのか…」 「信じたくない気持ちは判りますが」 過去のクリスマスの精霊は、重々しく頭を垂れてみせる。 「それにしても、おまえは私が一番恨んでいる者とそっくりだ。まったく、忌々しい」 唯一動かせる首を、ドミネートは横に向けた。そっぽを向いた格好だ。 「その件につきましても、私に文句を言われても困ります。気にくわないでしょうが、少しの間付き合って頂かないと」 「付き合う? おまえに? どこに連れ出す気だ? 私をどうする?」 「…あなた、よっぽど、その私にそっくりな人が嫌いなんですね」 「さっきから、そう言っておるだろう!」 恐ろしい顔で怒鳴りつけるドミネートに怯むことなく、むしろ、興味深げに彼を眺めて、 「百聞は一見に如かず、といいますし、時間もないですから、すぐに行きましょう」 過去のクリスマスの精霊は、右腕をすい、と上に挙げた。ドミネートの体も立ち上がる。 「お、おい!」 操られるのはいい気分ではない。ドミネートは過去のクリスマスの精霊を睨んで、 「私は自分で歩ける。魔法を解いてもらおうか」 「了解しました」 過去のクリスマスの精霊は、指を一回鳴らした。糸が切られたような感覚がして、ドミネートはベッドに崩れた。今度は自分の意志で、慌てて立ち上がる。 「掴まってください」 と言って、過去のクリスマスの精霊は、片手を差し出した。 「放したら迷子になりますから、気を付けて。生身のまま、時間の中を彷徨うことになってしまいますからね」 そんな事態はごめんだ。ドミネートは渋々精霊の手を掴んだ。気にくわない奴というのは、この際おいておく。 部屋を出ると、そこは吹き抜けのホールだった。大人の背丈ほどもあるツリーが置かれてある。その周りに4人の子供達が集まっていて、先を争うように、飾り付けをしている。 “星はぼくがつける!” 一番幼い子が叫ぶように言う。 「…あれは…、私だ」 ドミネートが呻くように呟いた。 「ここにいるのは、私と兄達…」 「そうですね。何となく面影があります。----もっとも、今のあなたほどひねくれた瞳ではないですが」 「大きなお世話だ」 ドミネートは顔を顰めた。よくよく見ると、確かにコムラードの息子とは違うところがある。それでも、コムラードの息子本人に馬鹿にされた気分だ。 過去のクリスマスの精霊は、笑いながら肩を竦めた。もしコムラードの息子なら、ドミネートの怒りに身を硬くするところだ。やはり、精霊だけあって、人間の怒りなど気にも留めないのだろう。 一番年長の子供が、幼いドミネートを肩車した。 幼いドミネートは手を一杯に伸ばして、ツリーの天辺に星を飾る。 “うん、上手につけられたな” “偉いぞ、ドミネート” 肩車から降ろされた幼いドミネートに、他の二人の兄達が口々に言う。 ドアが開いて、上品な女性が入ってきた。 “母様!” 幼いドミネートが、真っ先に彼女に駆け寄って、勢いよく抱きつく。 “ツリー、きれいでしょう? 星はぼくがつけたんですよ!” “ええ、上手に飾ったわね” 母親は、幼いドミネートに頬を寄せながら、優しく応じた。 「……………」 ドミネートは遠い目で、目の前に広がる光景を見ていた。彼は忘れていた。こんな風に、兄弟の仲のよい時代があったことを。 「懐かしいですね」 のんびりと言う過去のクリスマスの精霊を、ドミネートは見て、 「知っているのか?」 と訊いた。 「勿論です。私は『過去のクリスマスの精霊』ですから」 過去のクリスマスの精霊は重々しく答えて、ドミネートの手を引いた。 「名残惜しいですが、次の思い出に行きましょう。時間も限られていますし」 先ほど出てきた部屋に戻る。どこか違っていた。調度品や本棚の本、机の上のもの、そしてなにより、テラスに佇む人物が加わっている。 まだあどけなさを残した、金髪の人物。少年というには大人びていて、青年というにはまだ早い。曖昧な年代の頃。 彼は、テラスの手すりに肘をついて、顎を載せていた。退屈そうな横顔が、1階から漏れる灯りに照らされている。賑やかな音楽も微かに流れていた。 「----これも私だ」 過去のクリスマスの精霊は頷いて、 「あなたは覚えていますか? こんな所で何をしているのでしょう」 「私は…」 ドミネートは過去の思い出の抽斗を、めまぐるしく漁った。クリスマスということは、階下ではパーティが開かれているのだろう。先ほどから聞こえる音楽がその証拠だ。今のドミネートはともかく、この頃の彼はクリスマスが好きだった。そうだ。はっきりと覚えている。皆と騒がず、一人で2階のテラスにいたのは---- 若いドミネートが、頬杖の体勢から顔を上げた。手すりから身を乗り出して、遠くに向かって大きく手を振る。 “コムラード!” そう、叫んだ。 “待ってた! ----今そっちに行く” 嬉しそうに部屋を駆け出て行く。 「そうだ。この日はコムラードがパーティに遅れて…。私は、見晴らしのいい2階のテラスで、彼の来るのを待っていた。いち早く見つけられるように…」 この頃のドミネートは無邪気だった。仲間が傍にいれば、それだけで幸せだった。いつまでもこのまま----大人になったときのことなど考えず、ただ今の時を楽しんでいた。 「いつから…、いつから変わってしまったのだろうな」 寂しげに呟くドミネートの手を、過去のクリスマスの精霊はそっと引いた。再び部屋を出る。今度は礼拝堂に変わっていた。 そこにいる者達は、みな黒い服を着ていた。 祭壇に置かれているのは、黒塗りの棺だった。一目で、身分の高い人のものだと判る。 その棺に縋って、女の人が身を裂かれるような声で泣いていた。 彼女の肩を、堂々たる体躯の男性が抱いていた。 皆はその様子を涙ぐみながら見守り、その一方で、ひそひそと囁きあっていた。 “----お二人に続いて、またしても…” “馬から落ち……首の骨……。乗馬名人だった……様が” “…手綱に細工……じゃないか…” “まさか、ドミ……ト様…?” 皆の疑惑の視線に晒されても、ドミネートは怯むことなく立っていた。先ほどのクリスマスの頃よりもずっと大人びて、暗い雰囲気を全身に纏っている。 「兄の葬儀だ」 今のドミネートが言った。 「よりによってクリスマスの日に亡くなった。既に二人の兄も亡くなっていて、母は大層悲しんでいた。ほら、棺の前にいるのが母だ。肩を抱いているのが父。----覚えている。そろそろ父が振り向くのだ」 言葉通り、女性の肩を抱いていた男性が、顔だけを若いドミネートに向けた。怒りに支配された視線だった。 「父はこう言ったのだ。『おまえの仕業だろう』と。3人の兄を手にかけたのだろう、と」 若いドミネートは目を逸らさず、父親を見つめ返した。酷く冷たい瞳だった。 「私はこう答えた。『もし私がしたのだとしたら、それはあなたのせいです、父上。年功序列などという古くさい考えに縛られて、本当に相応しい者をないがしろにしたから』」 過去のクリスマスの精霊は、父と子の冷えた空気を見つめたまま、 「実際、あなたがやったんですか?」 静かに尋ねた。 今のドミネートは首をゆっくり振った。 「覚えていない」 過去のクリスマスの精霊は、今のドミネートに目を移した。 「----忘れてしまいたかったんですね」 「そうかもしれんな」 兄達を憎んでいたことも、この世ならぬ悲しみに泣き崩れる母の姿も、父が、真っ先に自分を疑ったことも。総ては忌まわしい思い出だ。 手を引かれて、ドミネートは歩き出した。 礼拝堂を出ると、そこは別の部屋だった。すっかり大人の男になったドミネートと、もう一人の男が向かい合っている。 “皇帝陛下。これ以上の重税をかけるのはおやめください” 誠実そうな男が言った。 “民衆は苦しんでいます。日々の暮らしもできないほどです。----金なら、我々貴族の金庫に、うなるほどあるではないですか” ドミネート皇帝は、しかし、冷たく言い放った。 “苦しむだと? クリスマスを祝う余裕があるではないか” “クリスマスは特別な日です。みな、貧しいながらも精一杯祝っているのです。この日だけは、苦しみも悲しみも忘れようとしているのです” “民衆に、貴族と同じ楽しみはいらぬ” “皇帝! それはあんまりではございませんか!” “黙れ、コムラード! それ以上私に意見するつもりなら、おまえの家も取り潰すぞ!” コムラードは、真っ直ぐな瞳で皇帝を見つめた。 “----判りました” 踵を返して去っていく。 その後ろ姿を、ドミネートは、若い皇帝と一緒に見送った。 「この後すぐだ。コムラードが私に反旗を翻したのは。----このときの私は、コムラードがおとなしく引き下がったものだとばかり思っていた。所詮は、奴も自分の身が可愛いのだと。だが、そうではなかった。奴は私を裏切ったのだ!」 過去のクリスマスの精霊は何も言わず、ドミネートの手を引いて部屋を出た。教会の中だった。神父の姿はなく、ただ一人コムラードが祭壇の前に、頭を垂れて跪いていた。 “神よ。これから私がしようとしていることは、皇帝の心をますます傷つけてしまうでしょう。ですが、やらずにはいられないのです。彼以上に苦しんでいる民衆のためにも。そして、皇帝自身の目を覚ますためにも” コムラードは顔を上げた。救いを求めるように天を仰ぐ。 “どうか、お導きを。皇帝も民衆も、私にとっては同じくらいに大切なのです。民衆には自由を、皇帝には光をお与えください。これ以上、道に迷わないように。正しい道を歩んでいけるように…” 十字を切って、コムラードは立ち上がった。真っ直ぐに、教会の扉へと歩いていく。立ちつくすドミネートの横を、す、と通り過ぎる。 「…コムラード…」 すれ違うときにドミネートは声をかけたが、コムラードの耳には届かない。 扉を開けたコムラードは、 “申し訳ありませんでした、神父様。我が儘を言ってしまって” 外にいた神父に頭を下げている。 “いいえ。あなたほどの立場のお方なら、誰にも聴かれたくない告白もあるでしょう。そのときには、またいつでも仰ってください” “ありがとうございます” コムラードはもう一度お辞儀をして、去っていった。 「…コムラード…」 皇帝は呻くように声を出した。 「…私の…ためか? 何度進言しても聞き入れなかった私に、言葉ではなく行動で解らせようとしたと?」 「…そのようですね。あなたは彼が裏切ったと思っていたようですが、彼にはそんなつもりは微塵もなかった。----ただ、あなたに『裏切り者』と呼ばれることは予想していたでしょうね」 淡々と話す過去のクリスマスの精霊を、ドミネートは凄まじい眼で睨んだ。 「今更それが解ったところでどうなる? おまえは一体、私にどうしろというのだ!」 「それは、あなた自身が考えることです」 過去のクリスマスの精霊は、優しく微笑んだ。『コムラードの息子』と同じ顔で。 「……………」 ドミネートは、疲れた顔で頭を振った。 「解らぬ。私には解らぬ」 「まだ、時間は残っています。私の時間は終わりですがね。----後は二人の精霊に任せて、私は帰るとします」 過去のクリスマスの精霊は、ドミネートの手を引いて教会を出た。 ドミネートが周りを見回すと、そこは元の彼の部屋で、過去のクリスマスの精霊の姿はどこにも見当たらなかった。 「行ってしまったか。…後二人と言っていたが…」 「----一人はここに来てるぜ」 男らしい声がした。 「おまえは! 遠征軍のリーダーだった…」 アスピアに現れて、メディオンとコムラードの息子の戦いを阻止した者だ。ドミネートは名前も思い出した。 「そうだ、ジュリアンだったか。おまえには、どうしても言ってやりたいことが----」 「…おいおい、一人で盛り上がるなよ」 若者は、精悍な眉を寄せた。 「俺は、ジュリアンなんてもんじゃねえ。『現在のクリスマスの精霊』だ」 「『現在の』? …過去のといい、どうしてこう私の気にくわない者にそっくりなのだ」 「俺に言われてもな。----とにかく、今度は俺に付き合ってもらうぜ」 現在のクリスマスの精霊は、ドミネートの手首をぐい、と掴んだ。 「どこへ連れて行くのだ?」 引っ張られるように、ドミネートも歩き出す。 「うん? …今どうしてるか知りたい奴ぐらい、あんたにもいるだろ」 すたすたと部屋を出る。 「さ、着いたぜ」 皇帝の部屋とは打って変わって、質素な部屋だった。だが、賑やかだ。そして、暖かい空気に満たされている。明るい笑いが響く。 部屋には、皆がいた。メリンダも、イザベラも、メディオンも。コムラードの息子や共和国の者達と、楽しげに談笑している。 “こんなに楽しいクリスマスは、何年振りでしょう” メリンダが言った。ドミネートも見たことのない、華やかな笑顔だった。 “帝国では、パーティは見栄で開いていましたからね” メディオンが言葉を繋ぐ。 “父はクリスマスなんて大嫌いだと常々言ってましたから” “クリスマスが嫌いですって?” コムラードの息子が、驚いた声を上げた。 “なんてお気の毒なんでしょう” 「おまえに憐れみを受ける謂われはない!」 思わず、ドミネートは怒鳴った。 “クリスマスは一年で一番楽しくて、幸せな思い出に彩られているものなのに。クリスマスが嫌いってことは、そんな思い出がないってことでしょう? あまりにも哀しすぎます” 寂しげに肩を落とすコムラードの息子に、メディオンは微笑みかけた。 “君は優しいね、シンビオス。共和国をあんな目に遭わせた父を、可哀想だと思ってくれるなんて” 「メディオン! 何を誑かされておるのだ!」 ドミネートの叫びは、勿論彼らには聞こえない。 “宮殿は華やかですけど、寂しいところでした。私は、あそこでの豪華なパーティよりも、両親やメディオンとささやかに祝ったクリスマスの方が、何倍も楽しかったですわ” メリンダが眼を細めて言う。 イザベラの隣で、ブリジットが頷いた。 “今日のパーティだって、あっちのよりもかなり質素だけど、ずっと楽しいわ! 帝国でのパーティは、クリスマスっていうよりも荘厳なお葬式みたいですもの” “まあ、ブリジットったら” イザベラが鈴のように笑う。 “こちらの人々は、みなさんお心がお優しいんですわ。それが、今日のパーティに現れていますもの” ドミネートも感じていた。この和気藹々とした雰囲気は、宮殿のパーティには決して無かったものだ。食べ物などは帝国の方がずっと上等だ。飾り付けも、比べればこちらの方は全然ぱっとしない。 なのに、この明るさはどうだ。部屋に漂う、親しみ深い空気はどうだ。 「メリンダ…。イザベラまでそんなことを…」 無理もないと思いつつも、ドミネートは溜め息をついた。つかずにいられなかった。 「そんなに、帝国が嫌だったのか? 私の傍にいるのが?」 現在のクリスマスの精霊は、ドミネートの肩をぽん、と叩いて、 「さ、次行くぞ、次」 早足で歩き出す。 目の前に現れたのは、どこあろう、エルベセムの大聖堂だった。帝国からも共和国からも、今日のために沢山の巡礼者がやってきている。先の戦争で命を落とした者達の慰霊もかねているため、例年よりも人が多い。 高い所に設えられた祭壇に、グラシアの小柄な姿があった。 “----祈りましょう。彼らの魂に安らぎがあるように。そして祈りましょう。汝の敵のために。彼らが武器で攻めてくるなら、我々は愛を持って迎え入れましょう。力を力で返しては、先の過ちを再び繰り返すことになります。----祈りましょう。ドミネート皇帝のために。彼の心に、常に光があるように。彼の胸に、愛が灯るように” ドミネートは呆然と見つめた。全員が声を合わせて、彼のために祈るのを。帝国にも共和国にも、そしてエルベセムにも、ドミネートは非道な仕打ちをしてきた。みな、彼を恨んでいると思っていた。なのに、彼らは祈っている。ドミネートのために。 「…何故だ…。何故そんなことができる…」 ドミネートは、打ちのめされた気分だった。 「…あんたが真人間になれば、もう苦しめられずに済むからだろ」 現在のクリスマスの精霊は言った。言葉とは裏腹に、生真面目な声であり口調だった。 「あと、純粋に、あんたのことを思ってる、ってのもある。一つだけじゃない。色んな想いが混ざってるんだ。人の心は複雑だからな」 人の心の、裏の裏まで見てきたドミネートは、説明されるまでもなく知っている。ただ、彼が見てきたのは、心の暗黒面ばかりだった。みな、調子よく近づいてくるが、腹の底では陰謀や裏切りが渦巻いている。誰でもそんなものだと思っていた。ドミネートは、自分の物差しで他人を測るタイプだった。神子と称されるグラシアだって、内心では何を考えているか知れたものじゃないと考えていたのだ。 だが、実際に目の当たりにして、ドミネートは判った。理屈ではなく感じたのだ。グラシアが、そしてこの場にいる全員が、心の底からドミネートのために祈っていると。 自分の信じてきたものが、がらがらと崩れ去る音をドミネートは聞いた。足元がぐらつく思いだ。我知らずよろける。 「…っと、しっかりしろよ」 現在のクリスマスの精霊が、ドミネートの体を腕一本で支えた。 「すまん」 自然と、口から言葉がこぼれる。今まで口にしたことも、しようと思ったこともない言葉だ。 「そんなにショックか? 誰かが自分のために祈ってくれるのが?」 現在のクリスマス精霊の声には、微かな同情が混ざっていた。 「あんた、よっぽど寂しい人生を送ってきたんだな」 「……………」 少し前のドミネートなら、同情されたこと、『寂しい人生』なんて言われたことに立腹しただろう。相手が誰であれ、容赦しなかったに違いない。少なくとも、 「…そうかもしれんな」 と応えることなどなかっただろうし、 「…もうたくさんだ。私を戻してくれ。これ以上は…、見たくない」 命令こそすれ、こんな風に懇願などしなかったろう。 ドミネートは恐れていた。自分の変化を。そして、先ほどから感じている胸の痛みを。 「逃げるのか?」 現在のクリスマスの精霊は、先ほどまでとは打って変わった冷たい口調で言った。 「胸が痛むのがどうしてなのか、考えてみろ。じゃなきゃ、ずっとこのままだぜ?」 ドミネートは首を振った。胸が痛む理由など、とうに思い当たっている。認めたくないだけだ。今までの自分の人生を、総て否定することになってしまう。自分の過ちを認めることになってしまう。 「…そうか。まあ、好きにするんだな。俺はもう行くが----、あと一人だ。その間によく考えてみろ。どうしたらいいのかをな」 「待ってくれ!」 だが、現在のクリスマスの精霊は、ふ、と消えた。 「どうしたらいいのだ、私は…」 ドミネートは膝をついて、呟いた。 「最後の精霊は、私を導いてくれるのか?」 「…あなたが望むなら」 涼やかな声がした。 ドミネートは顔を上げた。自分が捨てた息子にそっくりな人物が立っていたが、もう惑わされなかった。 「メディオン…ではない…な? おまえが最後の…」 「そう。私は『未来のクリスマスの精霊』です。あなたを未来のクリスマスにお連れしましょう」 「未来だと? 私に未来はあるのか?」 未来のクリスマスの精霊は、静かに頷いた。 「未来は誰にでもあります」 ドミネートの手を取り、立ち上がらせる。 歩き始めたとき、ドミネートは小さな笑いを漏らした。虚無的で寂しげな笑いだった。 「…どうかしましたか?」 未来のクリスマスの精霊が、訝しげに尋ねる。 「いや。…息子本人とも、こんな風に歩いたことはなかった。父親として、私は何をしてきたのだろうと思ってな」 「そうですか」 少し辛そうな顔で、未来のクリスマスの精霊は、ドミネートの言葉を受けた。 部屋を出ると、賑やかな街角だった。人々はグラスを掲げ、乾杯している。 「城下のクリスマスとは、随分派手やかなものなのだな」 貴族達の、澄ましたパーティとは大違いだ。 浮かれている者達は、口々にめでたい、めでたい、と言っている。確かにクリスマスはめでたいが、ここまで祝わなくても、とドミネートが思ったとき、ちょっと違う会話が耳に入ってきた。 “おう、今日はとことん呑もう! クリスマスに、もう一つ記念日が重なった” “まったくだ。ドミネートも、いい日に死んだもんだ” 「死んだ! 私がか!」 ドミネートは衝撃を受けた。私が死んだ。しかも、それを喜ばれている。 “それにしても、死んだことがお祝いになるなんて、ドミネートも気の毒っちゃあ、気の毒だよな” “そりゃそうだけどよ、俺はあんまり同情できないな。なにせ、それだけのことをしてきたんだよ、奴は” “確かに。----いくら金があったって、地位が高くたって死んじまったらお終いだよな。天国に金は持ってけないし” “ああ。俺は貧乏人でよかったよ。少なくとも、俺が死んだら悲しんでくれる奴は結構いるだろうし。そういう意味じゃ、俺達の方があいつよりもよっぽど幸せだなあ” “まったくだ” “----ところで、おまえ、一つ間違ってるぜ” “あん?” “ドミネートが天国に行けるわけないだろ!” “あはは、違いねえ!” 二人の酔っぱらいはひとしきり笑ったあと、通りすがりの者を巻き込んで、再び乾杯した。 未来のクリスマスの精霊に引かれるに任せて、ドミネートは城下を歩いた。みなが、さっきの男達と同じような会話を交わしている。 “やっとくたばった” “嗤って送ってやる” “せいせいした” “もう二度と会わなくて済む。自分達とは違うところに行っちまったんだから” あざ笑う民衆達の言葉を、ドミネートは空虚な心で聞いていた。目の前を、鎖に縛られたアロガントの姿が掠めた。永遠に彷徨わなくてはならない息子。今のままでは、自分も同じ運命に遭うと言った。 「どう…すればいい…、私は…」 何度目か判らない言葉を口にする。 「あなたはもう解っているはずですよ」 未来のクリスマスの精霊が、穏やかに囁いた。 「今ならまだ間に合います。----未来は、いくらでも変わっていく。あなた自身が変えていくのです」 「変えられるものなら変えたい。だが…」 「----恐れていては何もできませんよ。過ちは、正さなければ過ちのままです」 未来のクリスマスの精霊の台詞に、ドミネートははっと顔を上げた。 「過ちを償えば…、受け入れてもらえるだろうか?」 「勿論です。中にはあなたをあざ笑う、ひねくれた人達もいるかも知れません。彼らは過去のあなたです。受け入れなさい。そして、祈るのです。彼らの目の曇りが早く晴れますように、と」 「昔コムラードが…、そして今グラシアや皆が、私のために祈ってくれたように?」 「そうです」 「そうか。…そうか…!」 心の霧が晴れていくのを、ドミネートは感じた。無邪気な子供に戻ったかのようだ。空だって飛べそうな気がする。 「おお、精霊達よ、感謝する。私の元に訪れてくれたことを。そうだ、アロガントにもだ。これからは、毎日彼のために祈ろう。彼の魂に安らぎがあるように。あの苦しみから、彼が解き放たれんことを!」 未来のクリスマスの精霊は、柔らかく微笑んだ。そのまま、姿が薄くなっていく。 ドミネートは、元の自室にいた。窓の外には薄明の空が広がっている。クリスマスの朝だ。 まず何をすべきか、ドミネートは知っていた。机に乗っていたメモを手に取り、二つに引き裂く。それを重ねて、更に裂く。何度も繰り返し、とうとう細かい紙片になったそれを手に握ったまま、テラスに駆け出た。 いつもの見慣れた風景が、まるっきり新しいものに見える。彼の世界は生まれ変わったのだ。 「メリークリスマス!」 ドミネートはあらん限りの大声で叫び、手の中の紙片を空高くばらまいた。 その後、ドミネートは共和国に和解を申し入れた。 今回の戦争で帝国を去った者達を許し、帝国でも共和国でも、彼らが望む所で自由に暮らせるようにした。 帝国内で裏切り者とされたコムラードの名誉を回復させた。 民衆の声をよく聴き、政治を執っていった。 より豊かな者から多く税金を取り、貧しい者は軽減した。更に貧しい者は免除し、それ以上貧しい者には、惜しみなく金を分け与えた。 エルベセムにも、今回の戦争で命を落とした人達への慰霊と鎮魂を含めた、あらゆる支援を行った。 また、自らも礼拝堂で毎日祈りを捧げた。 最初のうちは半信半疑だった人々も、やがて本当にドミネートが改心したと知り、喜んで彼を受け入れた。 それでも、特に貴族達の中には、皇帝を悪く言う者もいた。 だが、ドミネートは気に留めなかった。 今や、彼の心は光と愛で満たされているのだから。 |