食堂に入ってきたシンビオスを見て、その場にいた者達は一様にどよめいた。
 いつもは歯切れよく歩くのが、今朝はふらふらと頼りなげだ。
 白い頬が紅く上気している。
 そして、凛々しく輝いているはずの緑の瞳が、気怠げにとろんとして、おまけに扇情的に潤んでいる。
 皆がどよめいたのは、普段はきっちりかっきりしたシンビオスが妙に色っぽくて動揺したのと、明らかに具合が悪く見えるので心配したから、に分けられる。
 忠臣ダンタレスは、勿論後者だった。慌てて駆け寄って、
「シンビオス様! 大丈夫ですか?」
 抱きかかえるようにして、椅子に座らせる。
「ああ…、ありがとう、ダンタレス…」
 シンビオスは大儀そうな口調で言って、文字通りダンタレスを『熱い』瞳で見つめる。
 アスピニア共和国一と自他共に認める忠義者は、一瞬にして挙動不審になった。熱で紅くなっているであろうシンビオスよりも、もっと顔を真っ赤にして、
「いえ、そんな、何を、仰い、ます、やら!」
 と、あたふたする。
「ああ、やっぱり…」
 マスキュリンが口の中で呟いて、
「ダンタレス様、ちょっと失礼します」
 ダンタレスを押しのけると、シンビオスの前に回り込んで、彼の額に手を当てた。
「----あらあら、やっぱりお熱がありますね」
「ん…」
 シンビオスが吐息混じりに頷く----というより、頭をがっくりと垂れた。
「あ、大丈夫ですか?」
 シンビオスの顔を覗き込んだマスキュリンの頬が、見る見るうちに染まっていく。彼女は素早く立ち上がると、
「しょ、消化のいいもの作ってもらいますね!」
 厨房に突っ走っていく。彼女の進む先に(運悪く)立っていた者は、跳ね飛ばされる前に自ら急いで避けた。
「なんなんだ?」
 ジュリアンが、不可解、という様子で肩を竦めた。
 今度はグレイスが、ぐったりしているシンビオスの肩に手を乗せ、優しく声をかけている。先の二人ほどではないが、やはり少しぎこちない感じだ。
「----お待たせしました、シンビオス様!」
 厨房から、マスキュリンが出てきた。手にした盆に、湯気を立てたお粥が乗っている。シンビオスの前のテーブルにそれを置いて、
「さ、これを召し上がって、あとはゆっくりおやすみください」
「…うん…、ありがとう…」
 掠れた声で、シンビオスは応えた。スプーンを手に取る。が、力が入らないのだろう、すぐに、盆の上に落としてしまった。
「ああ…」
 グレイスが悲痛に息を吐いた。
「…マスキュリン、食べさせてお上げなさいな」
「え? …グレイスがしてあげてよ」
 真っ赤な顔で、マスキュリンが頭を振る。振りすぎてめまいを起こし、手近な椅子に崩れた。
「…では、ダンタレス様…」
「い、いや、俺は不器用だから…」
「----おまえら、いい加減にしろよ」
 ジュリアンが、呆れて口を挟んだ。
「何が嫌なんだ? 大事な主だろうが」
「嫌、じゃなくて…」
 三人の従者達は、お互いにちらちらと目を交わしている。
「----じゃあ、ジュリアンが食べさせてあげて?」
 マスキュリンが言った。
「…『じゃあ』ってなんだよ、『じゃあ』って」
 俺はこいつの従者じゃねえぞ、とジュリアンは口を尖らせた。
「あ、私でよければ…」
 グラシアがそっと言った。
「このまま放置では、シンビオス殿がお気の毒です」
「よし、やってやれ、グラシア」
「はい!」
 必要があるのかどうか、グラシアはやけに気合いの入った返事をした。
 無駄なやりとりの間ずっと、椅子にがっくりと座っていたシンビオスに、グラシアは近づいた。スプーンを手に取って、まだ冷めていない粥を掬う。ふー、と息を吹きかけてから、
「…あの、シンビオス殿…、どうぞ」
 シンビオスはだるそうに顔を上げて、グラシアの差し出すスプーンをぱく、と銜え込んだ。
「----!」
 グラシアは思わず固まってしまった。理由は自分でも解らない。ただ、何とも恥ずかしい気分に襲われたのだ。
「…わー、わ私にはやはり荷が重すぎます」
 スプーンを離して、ジュリアンの後ろに逃げ込む。
「荷が重いって、おまえ…」
 ジュリアンは頭を巡らせてグラシアを見、それからシンビオスに目を移した。
 シンビオスはスプーンを銜えたまま、口をもごもごさせている。いくら小さいスプーンだとはいえ食べにくいだろうし、何よりお行儀も宜しくない。
 だが、そんなことは吹き飛んでしまうほど、その姿は扇情的で妖しげだった。
 何しろ、熱があるから目はうつろで、しかも緑の瞳は必要以上に潤んでいて、クリームのように滑らかな肌は上気していて、体全体から熱を放っていて、吐息も苦しげ----とくれば、普段そういう状態からもっとも遠い存在のシンビオスであるが故に、危険なムードは倍増する。
 純真な子供であるグラシアさえもときめかせる。では、経験豊富なジュリアンはどうか。
 ----正直、ちょっとくらっときた。
 シンビオスは、なんとか自分でスプーンを口から外したが、膝の上にその手をだらんと下げて、持て余すようにしている。
 皆はその様子を黙って見ているだけであった。どう対応していいか解らない、というのが本音だ。普段と違うシンビオスに対しても、病人に対して変な気分になってしまった自分に対しても、どう接していいのか戸惑うばかりなのだ。
「----皆で集まって、どうしたのだ」
 男らしい声が、食堂の入り口からかけられた。
 皆がはっと見やると、声の主であるキャンベルと、メディオンが入ってくるところだった。
 シンビオスを囲んでいた輪が開いて、二人を招き入れる。
「----シンビオス! どうしたんだ?」
 尋常でないシンビオスの様子に気付いて、メディオンは一気に彼に近寄った。
 シンビオスがぼう、とメディオンを見る。
 メディオンはシンビオスの体を抱くように支えて、
「熱いな。熱があるんじゃないか? すぐ休んだ方が…」
「…お腹が…」
 シンビオスが、力無く呟く。
「ん?」
「…お腹が空いて…」
 メディオンは、シンビオスと、テーブルの上の粥を見比べた。それから、シンビオスの手にスプーンがあるのを認めて、
「そうか。----貸してごらん」
 優しくスプーンを自分の手に引き取って、粥を掬った。軽く吹いて、
「はい、あーん」
 シンビオスは素直に口を開ける。
「熱くない?」
 シンビオスが頷く。
 粥を軽く混ぜながら、メディオンはシンビオスに食べさせていく。
「……………」
 そこだけがまるで別世界のようだ。バカップル過ぎて冷やかす気もおきず、それどころか、救いの手が現れたことに安堵して、皆は妙にほのぼのと、二人を見守ってしまった。
 粥を半分少々食べた時点で、
「もう、いいです…」
 シンビオスは言った。
「メディオン王子、ありがとうございます」
「いいんだよ、そんなことは」
 メディオンは目を細めて、シンビオスの髪を撫でた。
「さあ、部屋に戻って、ゆっくりお休み」
「はい…」
 メディオンに手を貸されて、シンビオスは椅子から立ち上がったが、すぐに膝が崩れてしまった。
「…っと、大丈夫?」
「あ…、すいません…」
 メディオンを見上げるシンビオスの瞳は激しく濡れていて、吐息は火のように熱い。こんな目で見つめられたら、自分ならどうなるだろう、と周りで見守っていた者達は----ジュリアンでさえ思った。グラシアはもう耳まで真っ赤で、ジュリアンの背中に縋り付くように顔を伏せている。
 さて、当のメディオンはといえば、シンビオスの体を横抱きに抱き上げた。色香迷ったかといえば決してそうではなく、メディオンはあくまでも冷静な表情を崩さなかった。
「部屋まで運んでいこう」
 口調も普段通りである。
「すいません、メディオン王子」
 いつもなら照れまくるはずのシンビオスも、今日はさすがに辛いとみえて、おとなしくされるがままだ。
 メディオンとシンビオスが食堂を出ていったあと、残された皆は一斉に息をついた。
「なんだか、不謹慎なんだが…萌えたな…」
「可愛かったわねぇ…」
「ああ…、シンビオス殿があんなに…とは…」
「これって、母性本能? それとも、別のものかしら…」
 皆好き好きに、口々に言い募る。
「まいった…。シンビオス様って、風邪をひくと昔からああなのよね…」
 マスキュリンがしみじみ言う。お世話をしなければ、と勢い込むものの、あの色気に圧倒されて立ち竦んでしまうのだ。それが歯がゆくて仕方ない。
「いつまでも慣れんな…」
 ダンタレスが、手で顔を仰ぎながら呟く。
「そうですわねぇ…」
 グレイスが目を閉じ、頷いた。
「----確かにあれは…驚いたぞ」
 キャンベルも呆然としている。
「それにしても、メディオン王子はよく平気でしたね」
 グラシアは、いまだ顔が紅い。まだまだ修行が足りないな、と内省していた。
「それは、やはり理性でしょうな」
 キャンベルが顎髭を撫でながら、
「あのお方は、人一倍理性的でありますから」
「理性…で抑えられるものか?」
 ダンタレスが眉を寄せる。
「現にそうだったではないか。あんなシンビオス殿を前にして、あの紳士的な態度はどうだ。さすが、メディオン様の理性は並みでは----」
 自慢げなキャンベルの言葉を遮って、
「いや、それだけでもないだろうぜ」
 ジュリアンはにやりと笑った。
「あいつ、ああいうシンビオスに慣れてるんだろ。だって、あいつら『バカップル』だしな」
 そのあとは、ジュリアンの言葉に納得した者と、あくまで『理性』派とに別れて侃々諤々だった。果たして真相は? ----それはメディオンだけが知っている。


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