暦の上では秋であるが、フラガルドではここ数日、寒い日が続いている。 寒さに強いシンビオスでさえ音を上げるほどだから、寒さに弱いメディオンがどういう状態かは言わずもがなだろう。 火をいれられた暖炉の前から、メディオンはなかなか動けずにいた。 古代文明の技術によって暖房施設が整っていたレモテストとは違い、フラガルド城は、暖炉のある部屋以外の所----たとえば、廊下などがうっすらと寒い。どこかに移動するのも辛いのだ。 暖炉に薪を追加しようとしたメディオンは、薪の残りが少なくなっているのを見て取った。こんな気温の低い状態はすぐに回復するとばかり思っていたから、倉庫からあまり持ってきていなかったのだ。 倉庫は裏庭にある。 取りに行くのは寒いが、このまま火が消えてはもっと寒い。それに、そろそろシンビオスが執務を終えて、戻ってくる時間である。仕事をして帰ってきた部屋が寒かった、なんて、さぞかしがっかりするだろう。 メディオンは自分と恋人のため、裏庭の倉庫まで行くことにした。 少し厚着をして、廊下に出る。服装のためか、予想ほど寒くはなかった。だが、外はどうだろう? メディオンは意を決して、裏庭への扉を開けた。 シンビオスは机に向かって、書類に決裁の判を押していた。 暖炉も勿論燃えていたが、窓も僅かに開いていた。----閉め切ると息苦しい気分のなるので、どんなに寒い日でも、ほんの少しだけ開けておく習慣なのだ。そのことで、メディオンとの話し合いはついていた。話し合い、といっても、 「シンビオス、どうして窓を開けておくんだい?」 「閉め切ると、なんだか息苦しくて」 「そう」 「…あ、寒いなら閉めますよ?」 「いや、大丈夫だよ。我慢できないほどでもないし」 「じゃあ、もしメディオン王子が我慢できないほど寒くなったら、ぼくが暖めてあげます」 と、いつもの調子だったのだが。 その、5ミリほど開いた窓から、冷たい風が吹き込んでくる。その音に紛れて、別の音が微かに聞こえる。 シンビオスは耳を澄ませた。これはなんの音だっただろう? ドアがノックされた。 応じると、ダンタレスが血相を変えて駆け込んでくる。シンビオスは思わず立ち上がって、 「何かあったのか?」 緊張した声で訊いた。 「シンビオス様! メディオン王子を止めてください。ついでに、キャンベルも」 ダンタレスは、悲愴な面持ちで訴えてきた。 「私じゃ、全然聴いてくださらないんです」 「王子? 王子が何をしたんだ?」 シンビオスの更なる問いにダンタレスが答えようとしたとき、 ----カーーン! さっきの音が、一段と大きく響いてきた。 「あれですよ、シンビオス様!」 ダンタレスが言う。 その音の正体を、シンビオスはやっと思い出した。 急いで裏庭に駆けて行くと、メディオンがちょうど斧を振り上げたところだった。 「メディオン王子!」 「やあ、シンビオス。仕事は終わったのかい?」 メディオンは呑気に言って、斧を振り下ろした。さっきからの小気味のよい音が、冷たい空気の中で大きく響き渡る。 「…何してるんですか」 茫洋としたシンビオスの問いに、 「何って、薪割り」 メディオンは短く応じて、また斧を振り下ろす。----太い丸太は、一撃で真っ二つになった。 「それは見れば判ります」 シンビオスは溜め息をついて、 「なんで王子がそんなことを?」 「寒かったから、体を動かせば暖まるかと思ってね」 メディオンは笑って、今半分に割った薪を切り株に乗せる。 「それはそうでしょうけど…。何も、薪割りじゃなくても…」 シンビオスの呟きに、薪割りの乾いた音が重なる。 「キャンベル殿も、止めてくださいよ」 キャンベルはメディオンが割った薪を纏めて、紐で括っているのだ。 メディオンはやっと手を休めて、 「気にしなくていいよ、シンビオス。一度やってみたかったんだ。----子供の頃、近所のおじさんが、家の分と祖父母の分と、薪割りをしてくれてね。軽々と丸太を割っていくおじさんを見て、自分もあんな風に逞しくなりたい、と思ったものだよ」 「はあ」 「あのときは子供過ぎてできなかったし、その後は王宮に行ったから、させてもらえなかった。今、やっと誰に憚ることなく薪割りができるようになったんだから、もうちょっとさせてくれないか」 メディオンの思いも寄らぬ告白に、シンビオスはダンタレスと顔を見合わせた。 「----王子がしたいっていうなら…」 シンビオスは引き下がった。薪を割っている王子の表情が、本当に楽しそうだったからだ。 「ありがとう」 メディオンは大袈裟なくらい喜んだ。表情だけ見れば、もっと重大なことを許されたかのようだ。 「でも、無理はしないでくださいね」 シンビオスの言葉に、 「その点は、私にお任せください」 キャンベルが頷く。 「お願いします、キャンベル殿。----じゃあ、私は仕事に戻りますので」 「うん。シンビオス、頑張ってね」 「王子も」 シンビオスは、ダンタレスを促して、城の中に戻っていった。 「----いいんですか? シンビオス様。仮にも帝国王子に薪割りなど…」 ダンタレスが、苦い顔で言う。 「本人がやりたいって言うんだから、仕方ないだろう」 シンビオスは苦笑した。 「どのみち、薪は必要なんだし」 「それはそうですけど…」 「それに、王子の顔を見ただろう? 凄く嬉しそうだったじゃないか。あの顔が見られるなら、私は多少のことは目を瞑るよ」 「……………」 ダンタレスは大仰に息を吐いて、 「まったく、シンビオス様は王子に甘いんだから。----はいはい、好きなだけ惚気てくださいよ」 外から、再び軽快な音が響いてきた。 メディオンがさっきシンビオスに言ったことは、実は本心の2/3でしかない。 残りの1/3は何か。 この城で一番薪を使うのは寒がりな自分だから、その分を埋め合わせようというのである。 こんなことをシンビオスに言ったら、却って気を遣わせてしまうので、言わずにおいたのだ。 「----メディオン様、取り敢えず、このぐらいでいいのでは」 キャンベルが言った。 「うん。そうだね。足りなくなったらまたやろう」 メディオンは斧を置いて、 「付き合わせて済まなかったな、キャンベル」 「なんの。メディオン様お一人に、このようなことをさせるわけには参りませんからな」 キャンベルは笑った。 「しかし、グランタック殿に知れたら、私どもにだけでなくシンビオス殿にも、強烈な雷が落ちるかもしれませんね」 常々、メディオンを帝国王子たらしめんと教育してきたグランタックだ。メディオンが薪割りをした、などと知ったら、卒倒----は大袈裟だろうが、少なくとも、お小言は食らうだろう。 「まあ、私もそのうち王子じゃなくなるかもしれない。そうしたら、薪割りしても誰も咎めないだろう」 メディオンは、むしろそれを期待していた。そもそも、好きで王宮に上がったわけじゃない。継承騒動にしても、もし自分が皇帝になったら、母の立場がよくなるだろうと思ってのことだ。 だが、父に殺されかけ、亡命した身となっては、可能性は全くなくなっただろう。 むしろ、愛するシンビオスの傍にいられて、彼のために、どんな些細なことでもできるのが、メディオンは嬉しかった。 斧と、束にした薪を倉庫にしまう。これから使う分は、キャンベルが両手に持ってくれる。汗をかいた体に、北風が冷たく吹きつける。風邪をひかないようにと、メディオンとキャンベルは急いで城の中に入った。 部屋の前でキャンベルから薪を受け取り、中に入る。 「あ、メディオン王子、お疲れさまでした」 シンビオスがもう戻っていて、疲れが吹き飛ぶような笑顔を向けてくれる。 「君も、お疲れさま」 メディオンは薪を暖炉脇に置いた。それから改めて、シンビオスに口付ける。 「薪割り、楽しかったですか?」 メディオンに抱きつきながら、シンビオスは訊いた。 「うん。堪能したよ。----今、私が何を考えているか、シンビオス、判るかい?」 愛しい人の柔らかい髪を撫でながら、今度はメディオンが訊く。 シンビオスは悪戯っぽくメディオンを見上げて、 「『冬になったら雪かきしたい』でしょう?」 「大当たり」 メディオンは笑って、今度はシンビオスの頬にキスした。 「----さて、汗をかいたから、シャワーを浴びるよ」 「シャワーじゃなくて、湯を入れてありますよ」 「ありがとう。…君も、一緒に入る?」 「そのつもりで待ってました。もう支度もしてあります」 シンビオスは澄ました顔で応じる。 ----そう、いつも通りの、甘い甘い二人だけの時間が始まったのだった。 |