もう初夏の花も咲きそろい、フラガルドにもあと一月ほどで、本格的な夏が訪れようとしている。 それなのに、ここ数日は肌寒い日が続いている。風が、早春の頃のように冷たい。 それでも、まだ陽が射せば、冬の頃とは比べ物にならないくらいの力強い熱で空気を暖め、冷たい風も心地よく感じられるだろう。 だが、空は陰気な厚い雲に覆われていた。 人々は、チェストの奥深くにしまい込んだ上着を出し、身に纏った。 シンビオスは、机に向かって論文を書いていた。 領主になる前から、シンビオスは書簡にてパルシスに学問を教わっていた。パルシスは週に2〜3度、テスト問題や論文のテーマを送ってよこす。それに対して答を送り返すと、一両日中に添削されて戻ってくる。この度は思いもかけず父の跡を継いで領主になったので、まだまだ至らない点が山ほどある。しばらくは、こうして勉強を続けていくつもりだった。 今回の論文のテーマは、複雑かつ難解なものだった。 それでもシンビオスは、文献などを参考にして理論を進めていったが、だんだんと頭が巧く働かなくなってきた。 適切な単語を選ぶのに何分もかかったり、助詞までもを迷うようになってきた。前に展開したのとは矛盾する記述をしたり、果ては何を論旨とするかさえ解らなくなってきた。 シンビオスは額に手を当てて、息を吐いた。 そこに、メディオンが戻ってきた。彼は、買うものがあって城下に出ていたのである。いくら涼しいとはいえ大袈裟なほど厚着をしていて、手にはティーポットとカップが二つ乗ったトレイを持っている。これは、キッチンに寄って自ら淹れてきたものだ。 シンビオスが難しい顔をしているのを見て、メディオンはトレイをテーブルに置くと、いきなりシンビオスの背後から腕を廻し、肩に顎を乗せて抱きついた。 「…なんですか?」 いつもなら素直に受け入れるシンビオスだが、今はかなり煮詰まっている。自然と硬い声になっている。 メディオンは気付いているのかいないのか、穏やかな調子で、 「今日は寒いね」 と耳許で囁く。 「そうですか」 「うん。また冬に逆戻りしそうだ。----ああ、でも、君は温かいね」 「…重いですよ」 シンビオスはつれなく応えてから、自分の声の冷たさにはっとした。論文が進まないのは頭を使い過ぎて疲れているからだ。それを、メディオンに八つ当たりしている。 「あ、ごめんね、シンビオス」 しかし、メディオンはそんなシンビオスを怒るでも諌めるでもなく、すまなそうに謝ってきた。 ----本当に、この人はなんて優しいんだろう。 シンビオスは、メディオンが外そうとした腕を、上から押さえた。 「…重いけど、あったかいです」 ぽつりと呟く。 「でも、邪魔しちゃったんじゃないか?」 「いえ。ちょうど、少し休もうかと思ってたところですから」 シンビオスはメディオンの方に顔を向けて、瞼を閉じた。 すぐに、メディオンの唇が触れる。シンビオスを内部から昂らせるように、深く口付ける。 茫、と見上げるシンビオスに、 「取り敢えず、お茶を飲もうか」 メディオンはふわりと微笑みかけた。 ちょうどいい濃さになった熱い紅茶を飲んで、シンビオスは少し頭がすっきりした。それでも、論文の続きを書くほど回復したわけでもなく、それに、先程のキスの熱がまだ残っている。 紅茶を飲み干した後、シンビオスはメディオンと共に寝室に行った。 シンビオスは、火照った頬をメディオンの裸の胸に預けた。心も体も軽くなった気がする。 メディオンの方も、 「ああ、凄く暖まったよ」 と言いながら、シンビオスの体を抱き締める。 「----ところで、論文の締め切りはいつなんだい?」 「嫌なことを思い出させないでくださいよ」 シンビオスはちょっと顔を顰めてみせて、 「明日の朝一で送らないと」 「間に合うのかい?」 他人事のようにのんびり訊いてくるメディオンを、シンビオスは身を起こして見た。 「一人じゃ無理でしょうけど、二人なら大丈夫です」 「私は勿論、喜んで手伝わせてもらうけど、パルシス様が良しとするかな」 「いいんですよ。みなで意見を出し合っていくのが、共和の理念なんですから」 などと理屈を言って、シンビオスはメディオンに被さるように口付けた。 結局、論文はシンビオスとメディオンの連名で提出されたが、これについてパルシスは何も言わなかった。 ただ、送られてくる宿題の量が倍に増えて、二人は大いに苦笑したのだった。 |