シンビオスが目を覚ますと、隣に寝ているはずのメディオンがいなかった。
 戸惑いながら、体を起こす。まだぼーっとしている頭を振っていると、
「シンビオス、おはよう」
 少し離れたところから、メディオンの声がした。
 メディオンはまだ寝間着姿のまま、窓の外を眺めている。
「おはようございます、メディオン王子」
 シンビオスは欠伸混じりにそう言って、
「何か、面白いものでも見えるんですか?」
「うん。雪が積もってるよ」
 メディオンは嬉しそうに答えた。
 そういえば、王子は雪かきをしたがっていた、と、シンビオスは寝ぼけた頭で思い出す。ベッドから出て、メディオンの隣に行くと、一緒に外を眺めた。
 大地を薄く白く覆い隠した雪は、今は止んでいる。
「この程度なら、すぐに融けちゃいますよ」
 シンビオスの言葉に、メディオンは残念そうな顔をした。
「そうかい?」
「ええ。----でも、そんなにがっかりすることもないですよ。どうせ、今に嫌というほど降って、どんどん積もりますから」
「それを聴いて安心したよ」
 メディオンはもう一度、目を細めて外を見てから、
「----じゃあ、もう着替えて朝食にしようか」
「そうしましょう」
 シンビオスは応じて、一つくしゃみをする。メディオンは笑いながらシンビオスの肩を抱くと、柔らかい頬にキスした。

 シンビオスの言う通り、その雪は昼には融けてしまった。
 それから数日は、雪が降っては融ける、を繰り返し、メディオンをがっかりさせた。
 ところが、ある朝起きてみると、ちょっとやそっとじゃ融けないくらい雪が積もっており、しかもまだ降り続いている。
 朝食後、メディオンは喜び勇んで外に飛び出していった。
 シンビオスは、彼を見守っていたい気分だったが、領主としての仕事があるから、渋々執務室に向かった。
 どのくらい経ったろう。シンビオスが書類と奮闘していると、背後の窓がこん、と鳴った。
 振り向くと、メディオンが外から覗いている。窓に雪がこびりついているので、どうやら先ほどの音は、雪玉をぶつけたものだったようだ。
 シンビオスは今日も少し開けていた窓を、内窓外窓共にもっと開けた。冷たい空気と雪が舞い込んでくる。
「なんですか?」
「仕事中にごめん」
 メディオンはまずそう言って、
「城門から玄関までの雪かきは終わったよ。でも、この分だと、30分おきぐらいにしなきゃいけないかもね」
 雪は止むどころか、ますます激しくなっている。
「お疲れさまです、メディオン王子。後は誰かやりますから、王子は休んでください」
 雪かきなんて初めてであろうメディオンを気遣って、シンビオスは言ったのだが、
「とんでもない。こんな面白いこと、他の誰にもさせたくないな。いい運動にもなるし」
 メディオンは楽しげに笑った。
「面白いですか?」
 シンビオスは訊いた。ひょっとして、王子は気を遣ってるんじゃないか、と思ったのだ。最初に雪かきしたがったのはメディオンだ。実際やってみて、つまらない作業だと思っても、言い出せないんじゃなかろうか。
 シンビオスの表情から気持ちを察したのか、メディオンの笑みが深くなった。
「面白いよ。雪って、こんなにふわふわしてるものだったんだね。スコップで掬ってるときに風が吹くと、こっちに飛んでくるんだよ。もう、何度雪を被ったか」
 メディオンが雪まみれなのは、今降ってるからだけではないらしい。ただ、彼自身はそれを楽しんでいるようだ。薪割りのときと同じ表情をしている。
 と、なると、もうシンビオスに言うことはなかった。
「あまり無理しないでくださいね。今日だけじゃなく、これからも雪は降るんですから」
「うん。解ってる」
 メディオンは、シンビオスの方に顔を寄せて、
「元気づけてくれないか、シンビオス」
 シンビオスはメディオンに口付けた。ひんやりしている。
「…一度中に入って、暖かいお茶でもどうですか? ぼくも、ちょっと休憩しようと思ったところなんで」
「うん。そうしようかな」
「じゃあ、お茶を淹れてこの部屋で待ってます」
「すぐに行くよ」
 メディオンは頷いて、窓から離れた。

 二人でのんびりお茶を飲んでいる間にも、雪はどんどん空から落ちてきていた。メディオンは飲み終わったらすぐにでも再び外に行きたい様子だったが、
「20分やそこらで、雪かきするほど積もらないですよ」
 とシンビオスが言ったので、取り敢えず、冷えた体を温めるべく、暖炉にへばりついていた。雪かきしている最中は、体を動かしていたから暖かかったのだが、今になってそのときの熱が去ったのだ。
 シンビオスはもう一杯紅茶を淹れて、自分は仕事に戻った。上半期の収支表を眺めていたのだが、視線を感じて顔を上げた。
 メディオンがじっと見つめている。
「な、なんですか? 王子」
 ちょっと照れくさくて、シンビオスは訊いてみた。
「うん。真剣な顔も素敵だね」
 生真面目な表情で、メディオンが答える。
 シンビオスはちょっと咳払いして、
「そういう台詞は、仕事が終わってから伺います」
 と言った。

 その週はずっと雪で、メディオンも毎日毎日雪かきしていた。それについて本人はなんの文句も不満も言っていなかったのだが、周りが気を揉んでいた。
 そんなある日、マニュピルがシンビオスの許にやってきた。新しい発明品を見てほしいという。
 そこで、シンビオスとメディオンに、ダンタレスとキャンベルも付いて、玄関に向かった。なんでも、外で使う物だという。
「除雪機、なんですよ」
 マニュピルは得意そうに言った。
「じょせつき?」
「はい。動力は蒸気です。つまりは、パワードスーツと同じ原理なわけでして。----まあ、百聞は一見に如かず、といいますし、実際に動かしてみましょう。もう燃料は燃やしてありますから」
 マニュピルは、本体の横に付いている紐を引いた。低い稼働音がして機械が震える。上に突き立った細いパイプから、蒸気が噴き出す。
「で、このハンドルを持って…」
 両側に突き出したハンドルを握って、雪の上を押していく。下部にあるローラーが雪を巻き上げ、太い方のパイプから勢いよく出て、遠くに飛ばしていく。
「へえ! 凄いね」
 あれだけ積もっていた雪が見る見る減っていく。あっという間に道ができたのを見て、シンビオスは声を上げた。
「これは便利だな。マニュピル、よくやった」
 ダンタレスも、感心しきりだ。
「メディオン様、これで雪かきが楽になりますな」
 キャンベルが主を見て頷く。
「そうだね」
 とメディオンは応じたが、あまり気が入っていない声だったのには、除雪機の音が大きいせいもあって、その場にいた誰も気が付かなかった。

 マニュピルの除雪機は、設計図がすぐさま工場に渡され、大量生産された。値段も安かったので、フラガルドのみならず、共和国の降雪地帯の町にも普及した。みな、雪かきの煩わしさから解放され、大層喜んだ。
 ただ一人を除いて。

 雪は小降りになっていたが、昨夜から降った分がかなり積もっている。
 執務室で仕事に励んでいたシンビオスは、ふと気になって、雪かき中のメディオンの様子を見に行った。
 玄関に近づくにつれ、シンビオスは首を傾げた。あの騒々しい除雪機の音が聞こえないのだ。
 駆けるように玄関に急いだシンビオスが目にしたのは、予想外の光景だった。
 メディオンは、相変わらずスコップで雪かきしているのだ。
「メディオン王子!」
 シンビオスは思わず声をかけて、駆け寄った。
「え? あ、シンビオス」
 メディオンは手を止めて、決まり悪そうな顔をした。
「なんで、除雪機を使わないんですか?」
 シンビオスは単刀直入に訊いた。
「あー、えーっと…」
 メディオンはシンビオスを見つめて、
「呆れたりしないかい?」
「それは、実際に聴いてみないと解りません」
 シンビオスの答えは明快だ。
 メディオンは暫く考えている様子だったが、シンビオスが目線で促すと、やっと重い口を開いた。
「…やっぱり、除雪機じゃつまらなくてね」
「----はあ?」
 シンビオスは訊き返した。呆れたわけではなく、ただ意味が呑み込めなかったのだ。
「勿論、除雪機は素晴らしい発明だと思うし、マニュピル殿にも感謝してるんだ。ただ、今は自分の手で雪かきするのが楽しくてね」
 メディオンはちょっと笑って、
「そのうち雪かきに飽きたら、除雪機を使わせてもらうつもりだよ。それと、マニュピル殿にも話してあるんだ。気を悪くしちゃいけないと思って」
 確かに、何も知らずに現場を目撃したり、他の誰かから知らされたりすれば、あまりいい気分はしないだろう。その点、メディオンはよく気が廻る。----だったら、黙って除雪機を使ってあげたら、という意見は、シンビオスは言わないことにした。メディオンが他人の好意を無視することはほとんどない、と知っているからだ。つまり、それほどまでに雪かきがしたいのだろう。それに、飽きたら使うと言うのだ。それがいつになるか不明だとしても。
「マニュピルはなんて?」
 気になったので、シンビオスは尋ねてみた。
 メディオンは軽く肩を竦めて、
「『メディオン王子に使って頂けないのは残念だが、他に沢山使ってくれる人がいるからいいでしょう。----それにしても、王子は変わったお方ですなあ』って」
 最後の一言は、シンビオスも同意だった。
「で、ぼくに黙ってたのはなんでですか?」
 シンビオスがそう質問すると、
「うん。…さっきも言ったけど、君に呆れられるんじゃないかと思って」
 メディオンはしんみりと答える。
 シンビオスは、半ばメディオンを睨むように見つめた。
「見損なわないでくださいよ。そんなことで、王子に呆れるわけないでしょう?」
 少し雪を被ったメディオンに抱きついて、
「多分ぼくは、あなたが考えている以上に、あなたのことが好きなんですから」
「うん」
 軽く、唇を合わせる。
「----ごめん、シンビオス。濡れちゃったね」
 メディオンの体に付いた雪が二人の体温で融けて、少し濡れてしまったのだ。
「大丈夫です。----仕事中ですし、ぼくはもう戻って着替えます」
 シンビオスはメディオンの頬に手を当てた。冷え切っている。
「王子も、あまり無理しないでくださいね」
「ありがとう」
 メディオンはシンビオスの手を取って、口付ける。
 シンビオスは笑いながら手を引っ込めて、
「これ以上は、勤務時間外に、です」
 と、悪戯っぽく言った。


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