大きなデスクの前に座り、コムラードは難しい顔をしていた。
 帝国より独立して以来、アスピニア共和国国王としてこの机の前に一日も欠かさず座ってきたわけだが、初日より、コムラードの眉間には深い縦皺が刻まれた。それほど重圧のある役目だったのだ。
 コムラードには、帝国時代に産まれた娘と、共和国が独立して数年経ってから産まれた息子とがいた。二人を産んだ妻は既に亡くなっていた。
 貴族だった帝国時代には、娘と頻繁に遊ぶ時間があった。
 だが、共和国建国の立役者の一人としてのコムラードには、まだ幼い息子と遊んでやる時間などまったくなかった。
 既に母もない息子には、歳の離れた姉が母代わりを勤めているし、世話係もついている。とはいえ、姉は姉であり母にはなれない。世話係に至っては尚更だ。幼い息子がどれほど寂しい思いをしているかと胸が痛む。国王という立場と、子供達への不憫さの板挟みになって苦しむコムラードであった。
 我知らずコムラードが溜め息を漏らしたとき、執務室のドアがノックされた。
「コムラード様、今、宜しいですか?」
 ドア越しの声----それが、息子シンビオスの付き人の一人であるグレイスのものだとすぐに気付いて、コムラードは不安になった。シンビオスに何かあったのだろうか。
「入れ」
 コムラードは短く応じた。部屋に入ってきたグレイスは、いつもと同じ落ち着いた様子だ。その後をマスキュリンが続く。
 その後ろから娘のマーガレットと、更には当のシンビオスまで入ってきたのには、さすがのコムラードも目を瞠った。
「おまえ達…、どうしたのだ?」
「あら、お父様。今日が何の日かお忘れですか?」
 マーガレットが、亡き母そっくりの表情で微笑む。後ろ手に隠していた黄色い薔薇の花束を差し出して、
「父の日、おめでとうございます、お父様」
「父の日…?」
 忙しさのあまり、コムラードはすっかり失念していた。
「あ、やっぱり忘れてらっしゃいました?」
 マスキュリンが悪戯っぽく笑う。
「コムラード様、最近週末にさえフラガルドに戻ってらっしゃらないんですもの。休日にも仕事なさってるのかな、って、シンビオス様が心配なさってたんですよ。父の日にも戻ってこなかったらどうしようって。だから、私達の方から会いに参りました」
「そうか…。それはすまなかった」
 茫洋と呟きながら花束を受け取るコムラードの頬に、マーガレットは小さくキスした。
「あまり無理なさらないでくださいね、お父様」
「ありがとう、マーガレット」
 コムラードは、マーガレットの頭を優しく撫でた。
 小さなシンビオスが恥ずかしそうにコムラードの傍に寄った。
「父さま、これ…」
 リボンの巻かれた、筒状に丸められた紙を、シンビオスは差し出す。
 花束をグレイスに託して、コムラードはリボンを解いた。
「----これは私かい? シンビオス」
 シンビオスが頷く。
「そうか。よく描けているよ。上手だね」
 コムラードはしみじみと、そのクレヨン画を眺めた。
 シンビオスはコムラードを見上げて、何度か躊躇した後、
「----あのね、父さま」
 やっと口を開いた。
「うん?」
 絵から息子に、コムラードが目線を移す。
「父さまがお休みの日にもお仕事なのは、アスピアにいるからなんでしょう? だから、お休みの日にはフラガルドに帰ってきてください。ぼく、遊んでなんて言いませんから…」
「シンビオス…」
「シンビオス様は、コムラード様のお体を心配なさっているんですわ」
 花瓶に黄色い薔薇を生けてきたグレイスが、それをコムラードの机に飾りながら言葉を添えた。
「せめてお休みの日ぐらい、フラガルドでのんびりなさってくださいな」
「そうか。----そうか…」
 コムラードは膝を折って、シンビオスを強く抱きしめた。産まれたときから碌に構ってやれなかった息子。寂しいだろうに不満も我が儘も言わず、ただ父のことを心配してくれている。
「シンビオス、ありがとう。休みの日には、おまえとマーガレットの顔を見に行くよ。----だから、もう少し辛抱しておくれ」
 このとき、コムラードが心の中で以前から漠然と思い描いていた考えが、はっきりと固まっていった。
 つまり、----それから間もなくコムラードは国王の座をベネトレイムに譲り、自らはそれまで兼務していたフラガルド領主として、かの地に腰を落ち着けたのであった。

父の日



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