サヴィナから山を下って、《ガーディアンエンジェルス》の2人は、同じ大陸の港町、ランシュークに着いた。世界を巡る船の中継地点として各国からひっきりなしに船が出入りしてくる。それゆえかなり発展し、商店の品揃えも豊富である。
「今日も賑やかだね」
 晶が感心したように言うと、デイヴィがからかうように、
「そんなことねえさ。これが普通の町なんだ。サヴィナが田舎なだけだよ」
「悪かったね、田舎者で」
「悪いとは言ってねえだろ。そもそも俺だってーーーー」
 と、この時、デイヴィに女がぶつかってきた。
「あら、ごめんなさい」
 さらりと謝って行き過ぎようとする女の手を、デイヴィが捉えた。
「ちょっと、謝ったでしょ」
 デイヴィを睨むその顔はなかなか色っぽい。ショートカットだが耳を隠していて、その代わり、頭の上に猫の耳が付いている。良く見ると、太股の半ばまであるノースリーブの上着の裾から、ご丁寧に尻尾まで見えている。
「今掏り取った物、返してもらおうか」
 女の文句を無視して、デイヴィが冷たく言った。
「何よ。それじゃあまるで、あたしがスリみたいじゃない」
「そうだろうが」
「なんですって?!」
 女が大声を出す。只でさえデイヴィと晶は目立つのに、この騒ぎが加わって、野次馬達が彼らを2重3重に取り巻いた。
「この町、相変わらず人が多いなあ」
 晶が呑気なことを呟く。
「あたしがスリだって言うの?!」
 その間にも、女は話を進めている。
「いいわ。じゃあ、ここで脱いで見せてやろうじゃないの! それで、もし何も出てこなかったらどうするつもり?!」
 そう言うと、上着に手を掛けた。その下は、タンクトップとショートパンツだ。とても何か隠しているようには見えない。
 さすがの晶も、あ、ヤバいなーと思ってデイヴィのマントを引っ張ったが、デイヴィは全く動じず、静かに口を開いた。
「そうだな、この髪をやるよ」
 自分の見事な黒髪に手をやる。
「髪を」
 女も周りの者も、予想もしなかったデイヴィの反応に呆気に取られた。
「俺も《黒髪の天使》と言われる男だ。レディのおまえが人前で肌を曝すって言うなら、俺もこの髪を切って坊主にでもなってやるさ」
 野次馬の間から、ーーーー黒髪の天使? 彼が? ーーーーと言う囁きが聞こえ、やがて彼の機知を讃える拍手が起こった。
 デイヴィは片手でそれを静めると、優しく女を見つめた。
「事を荒立てるつもりはねえんだ。素直に返しな」
 女はデイヴィを睨んでいたが、その美しさに怒りも消えたのか、フッと笑って、
「《黒髪の天使》か…。こりゃあ、相手が悪かったようね」
 デイヴィの脇を通って歩きだしたが、今はもう疎らになった野次馬達の前で足を止め、
「確かに返したよ。ーーーーあたしはキャット。またね、天使さん!」
 そう言うと、正に風のように駆け出して、あっと言う間に人込みに紛れた。
「大したもんだ」
 財布がちゃんとポケットに戻ってきているのを確認して、デイヴィが呟いた。
「やるね」
 晶も感心した様子。
「なに、あんたに比べりゃ、大したことないさ」
 後ろから声がして、2人は振り向いた。頭にバンダナを巻き、左眼に黒い眼帯をした25・6の男が、にやにやと2人を見ている。
「あんたは?」
 晶が声を掛けると、その男は大げさに礼をして、
「船乗りラルゴと申します。以後、お見知り置きを」
「船乗りねえ」
 デイヴィは、その男の頭の上から足の先まで眺め回した。
「どっちかっていやあ、海賊みてえだがな」
 海賊、という言葉に、晶がピクンと反応したが、他の2人は気付かない。
 ラルゴは豪快に笑って、
「さっすがぁ! 良く判ったな。俺様こそ、世界の海を股に掛けた、偉大なる海ぞ…」
 自信満々の言葉も、不意に途切れた。晶が突然刀を抜いて、ラルゴの喉元に突きつけたのだ。
「おい、晶。冗談はよせよ」
 真っ蒼になって声も出ないラルゴの代わりに、デイヴィが口を開いた。
「今すぐ、ぼくの前から消えて。さもないと、斬る」
どう見ても晶は真剣だ。冗談で刀を突きつけられるのは嫌だが、本気となるともっと堪らない。
「ななななななななななな」
 ラルゴが何か言おうとしたが、とても言葉にならない。デイヴィが代わって、
「一体、どうしたんだ?」
 と尋ねる。意味もなくこんなことをする晶ではないのだ。
 晶はラルゴから目も刀も離さず、静かに話し出した。
「サヴィナは、ぼくが生まれた頃から不作続きだった。7年前、ぼくが13の時、とうとう二進も三進も行かなくなってしまった」
 そこで、最終手段として外国から食物を輸入することになった。元々貧乏な国だからそんなには出せなかったが、人口も少なかったので、充分間に合うほどの食料を買うことができた。ところが、国に帰ってくる途中で、その船が海賊に襲われ、総て奪われてしまったのだ。
「ぼくの父はその船に乗っていてーーーー、海賊に殺されてしまった。国では食料が届かないから、大人達は食べ物を子供達に与えて自分達は我慢していた。そして、次々倒れていった。母もその時にーーーー」
 晶は顔を伏せた。デイヴィは辛そうに聴いている。ラルゴもまた、刀を突きつけられたショックよりも数倍大きな衝撃を受けたようだ。
 それから間もなく、食物がやっと実るようになり、国は救われた。しかし、希望を砕かれ親を失った子供達の傷は、そう簡単には癒えるものではなかった。
「それから、ぼくは誓ったんだ。海賊を総て殺す」
 晶の眼が光りだした。あどけない顔の面影はもはやなく、恐ろしいほど美しい。こんな時ながら、デイヴィは見とれてしまった。
「ちょ、ちょ、ちょっと、待ってくれ!」
 ラルゴが悲痛な声を上げた。それはそうだろう。首を斬られては死ぬしかない(当たり前か)。そんなのは、誰だって御免だ。
「俺は確かに海賊だった! でも、5年も前の話だよ! サヴィナの《キラーパンサー》に手下を皆殺しにされて、俺も重傷を負ったんだ。ーーーーほら、それがその時の傷だ」
 眼帯を震える手で外すと、切りつけられた傷が眼を潰している。
「そんなことがあって、もう今は真面目な船乗りなんだ! だから…」
 晶はスッと刀を引いた。ラルゴは安心の余り尻餅をつく。
「あんたへの報復は、もう済んでたらしい」
「へ?」
 喉をしきりに撫でながら、ラルゴが訊き返した。
「晶こそが、おまえがさっき言ってた《キラーパンサー》だ」
 デイヴィが教えてやると、ラルゴは立ち上がって、
「そうだ、その紅茶色の瞳…、確かにそうだ。それにしても…」
 晶の顔をまじまじと見つめる。
「ーーーーおまえ、全然変わってないな」
「大きなお世話」
 憤然と言うと、晶は刀を鞘に納めた。
「ーーーーしかし、そんな事情があったなんてな」
 デイヴィが呟いた。サヴィナが不作続きだったのは知っていた。ランシュークに食料を輸出しなくなった、という話を耳にしたことがあるからだ。だが、そこまで酷い状況だったとは思わなかった。なにせ陸の孤島なので情報が入ってこないのだ。
 ラルゴは晶に対して深く頭を下げた。
「確かに、俺達海賊は世界中の色んな人達を傷つけた。本当に悪かったよ。----おまえの国の船を襲ったのは俺じゃないけど、でもおまえにしてみれば結局同じ穴の狢だもんな。本当に申し訳なかった」
 晶は驚いてラルゴを見た。まさか、謝られるなんて思わなかったからだ。
「ーーーーぼくの方こそ、…ごめん。今思えば、海賊がみんな悪だったわけじゃない。中にはきちんとした倫理観を持った人達もいたんだ。なのに、ぼくはーーーー」
 海賊は取り締まられるべき存在であり、捕まれば縛り首になるのが法の定めである。彼らを取り締まるのが海上警備隊だった。晶は彼らと行動を共にして、海賊達を片っ端から捕らえていった。抵抗する者達は容赦なくその場で倒した。
 ただ、中には『義賊』ともいえる海賊もいた。ほんの一握りではあったが。彼らは盗られて困るような所からは決して盗まず、血を流すこともせず、逆にあくどい海賊達を制裁したりもした。
 そんな彼らも海賊には違いない。晶は彼らのことも見逃さなかった。よって『義賊』達は裁きの場に引き出され、全員が処刑されてしまった。
 このとき、海上警備隊の中にさえ、晶に対してやりすぎと意見する者がいたし、外部からも海上警備隊に対して同じ批判が、一部の人々の間で起こったりした。だが晶はーーーー
「海賊は海賊だ。そう思ってた。だから誰彼構わなかった。…そんなのはただの八つ当たりだし、ただの自己満足だ。ーーーー解ってたんだ、そんなことは…」
 晶の円らな瞳から、真珠のような涙が落ちた。
「でも、海賊達を許せなかった。どうしても…」
 泣いている晶を抱きしめてやろうと思って、デイヴィは動こうとした。しかし、それより先に、ラルゴが素早くハンカチを出して、
「泣くなよ…。なあ」
 などと言っている。デイヴィはむっとした。
 晶がハンカチで目を拭う。長い睫毛が濡れ、瞳は潤んで、言いようもなく魅力的だ。ラルゴは、思わずその頬に触れようとした。その時、
「わっ!」
 フッと目の前を銀色の光がかすめて、ラルゴはまた尻餅をついた。デイヴィが、ラルゴの目の前に剣を振り下ろしたのだ。見ると、凄まじい眼で彼を睨んでいる。
 ラルゴは、デイヴィのもう1つの呼び名を思い出した。ーーーー《黒い悪魔》の名を。
「大丈夫?」
 晶が起こそうとする。ラルゴは蒼くなった。これ以上デイヴィを刺激しては、折角助かったのも無駄になってしまう。慌てて起き上がって、愛想笑いをして見せた。
「大丈夫さ。ーーーーそれより、晩飯でも一緒にどうだい?」
 ラルゴの言葉にも、デイヴィは依然としてむっつりしている。それにしても美人だが。
「実は、伝説の剣が眠る洞窟を知ってるんだ。家に地図があるから、それを持ってくる。ーーーーどうかな?」
「面白そう」
 晶が無邪気に言う。涙はもう乾いている。
 ラルゴは時計を見ると、
「今4時だから、ーーーー6時にこの場所でってことで」
 そそくさと立ち去った。
「伝説の剣か…。ぼくは刀専門だから、デイヴィの方に用がありそうだね」
 晶はデイヴィを見上げた。そして、その顔がむすっとしているのに気付いて、
「ーーーーどうしたの?」
「なんでもねえよ」
 不機嫌な声でそう言うと、デイヴィは宿屋の方にすたすたと歩きだした。晶は首を傾げると、その後を追った。

 晶がシャワーを浴びている間に、先に上がったデイヴィは、ベッドに座って湯上がりのビールを飲んでいた。さっきより気分は落ち着いている。ーーーーむしろ、さっきの、ラルゴに対する黒い感情について考えていた。
 ラルゴが晶に触れようとしたとき、考えるよりも早く手が動いていた。勿論、本気で彼を斬る気では無かったーーーーと思うが、あんなにいらついたのは初めてだ。
 どうやら、あれが「ヤキモチ」というやつらしい、とデイヴィは思い当たった。今まで生じたことのない感情だ。それもこれも、晶の存在があってこそだろう。
「あー、さっぱりした」
 その晶がバスローブを羽織って出てきた。そのままデイヴィの隣にちょこんと腰掛けると、
「1つ訊きたいんだけど」
「ん? なんだ?」
「なんで、ラルゴを斬ろうとしたの?」
「んー? …ああ、さっきのか。勝手に手が動いちまったけど、さすがに本気で斬るつもりはなかったよ。やり過ぎだったかと思ってるけどな。後で謝っとくよ」
 デイヴィが肩を竦める。
「それがいいよ。…って、質問の答えになってない」
 晶は真面目な顔でデイヴィを見つめて、
「ぼくの方は、さっき言った通りだけど、あんたに彼を斬る理由なんてあるの?」
 まだ何となくもやもやした気分だったので、デイヴィは自分の今の気持ちを晶にはっきり開示しようと思った。
「あるぜ」
「え? なんで?」
「おまえにべたべたしたからだ」
「…そんなことで?」
「そんなことじゃねえよ。大事なことだ」
 そう言って、晶を抱き寄せた。晶も素直に彼の胸に寄り掛かってくる。
 デイヴィは晶の頬に手を置いて、彼の顔を上に向けた。紅茶色の瞳に、自分の姿が映っている。長い睫毛、大きな瞳、薄桃に色づいた唇…。
 今更ながら、やっぱり可愛いよな、とデイヴィは考えた。
 ーーーーラルゴがクラッとするのも、無理ねえか。…いや、でも、やっぱり駄目だ。
「…おまえに触れていいのは、俺だけなんだからな」
 デイヴィは晶にキスして、そのままベッドに押し倒した。

 6時。待ち合わせ場所。
 心地よい疲れについまどろんでしまって、2人は危なく遅れてしまうところだった。
「や、時間ぴったし」
 ラルゴが手を挙げる。
「よお、さっきは悪かったな」
 晶と愛を確かめ合ったので、すっかり機嫌がよくなったデイヴィが、にこやかにラルゴに謝る。
「い、いや、そんな…」
 余りの豹変ぶりに面食らって、ラルゴはしどろもどろだ。
「と、とにかく、この先に、美味い料理を喰わせるレストランがあるんだ」
「いいわね。あたしも連れてってよ」
 3人の前に現れた人影が言った。長いフレアスカートにタートルネックにベスト。ブーツを履いた、なかなかの美人だ。
「キャット?!」
 ラルゴが驚きの声を上げる。すっかりドレスアップして、別人のように変身した、盗賊キャットだったのだ。
「なによ、その驚きようは」
 キャットはラルゴを睨んで、それからデイヴィに、
「ねえ、あたしもご一緒していいでしょ?」
 と軽くしなを作った。
 当然、デイヴィの答は一つである。
「勿論さ。美女がいた方がいいに決まってる」
「嬉しい♪」
 キャットはデイヴィの腕にしがみつき、体をすり寄せた。
 ラルゴは晶の様子を窺った。別に嫉妬している様子もなければ、不安そうでもない。ーーーー一体、どうなってるんだ?
「俺、考えたんだけどさ」
 チャンス、とばかりに、ラルゴは早速晶に話しかけた。
「なに?」
「おまえが俺を殺さなかったのは、きっと、今日という日を迎えるためだったんだよ」
 ラルゴは晶を見つめて、
「きっと、俺達がこうして再会できたのは、運命なんじゃ…」
 前を歩いていたデイヴィがゆっくりと振り向いたので、ラルゴは言葉を止めた。ついでに、晶の肩を抱こうとしていた手を、自分の頭に当てて、
「いや、う運命なんじゃ…ないよな、うん。そんなこと、あるわけないか。ハハハ…」
 慌ててごまかして、咳払いなんかしたりして…。そんなラルゴの様子に、晶は訳が解らず首を傾げた。
 ーーーーなんだよ、自分はキャットと楽しそうに話してるくせに。
 口に出してはとても言えないので、ラルゴは心の中でデイヴィに文句をつけた。
 ーーーーまったく、油断も隙もあったもんじゃねえな。
 剣の柄にかけていた手を離して、デイヴィも心の中で呟いた。

 レストランに着き、少し広めのテーブルに案内される。デイヴィと晶が向かい合って座り、キャットとラルゴがその隣に着く。
「さて、何を喰うかな」
 ラルゴがメニューを開いて言った。
「あんた、結構大食いだものね」
 キャットがからかう。
「うるせえな」
 ラルゴはちょっと彼女を睨んで、
「ーーーーよし、これにしよう」
 他の3人も決まったようだ。ラルゴが手を挙げると、さっきからデイヴィと晶を見ていたウェイトレスが、待ってましたとばかりに飛んできた。
「俺は、このステーキセット。300gのやつね。焼き具合はレアで、ライスは大盛り」
 ラルゴが注文すると、キャットが続けて、
「あたし、蟹ピラフ。少なめに」
「そんなんで足りるのか?」
 デイヴィが尋ねる。
 キャットは忌々しげに自分のウエストに手をやった。
「ダイエットしてるの。キャットが太っちゃ、身軽に動けないでしょ」
「別に、そのままで丁度いいと思うけど」
 慰めではなく本心から晶が言うと、デイヴィも同意した。
「ちゃんと喰わねえと、却って体に悪いんだぜ」
 それから、ウェイトレスの方を見て、
「俺も、300gのステーキセット。それと、ナポリタン、子牛とチーズのピラフ、鱸のムニエル、鴨のソテー、ビーフシチュー、野菜サラダ。それからデザートに、ティープリンのヴァニラアイス添え。って、とこかな」
 ウェイトレスは、さすがに呆気に取られていたが、
「ステーキの焼き具合と、ライスの量は…」
 と訊いたところは、さすがにプロである。
「ミディアム・レアで頼むよ。ライスは、勿論大盛りだ」
 あっさりと、デイヴィは答えた。
「か、畏まりました。ーーーーそ、そちらのお客様は」
 晶に向かって、ウェイトレスが尋ねる。
「ぼくは、チーズハンバーグセット。あと、茸のドリアとタラコスパゲティとサーモンマリネとボルシチとチンジャオロース。デザートは、ストロベリーパフェをお願いします」
「は、はい、畏まりました。ーーーーで、ライスは大盛りですね?」
「そう」
 晶がにこやかに頷く。
「畏まりました。ーーーーお待ちください」
 驚きを通り越してすっかり麻痺状態に陥っているウェイトレスは、伝票を置いてふらふらと立ち去っていった。
「ーーーーあんたら、そんなに喰えるのか?」
 やっと驚愕から立ち直ったラルゴが、息も絶え絶えに訊いた。
「戦士たるもの、普段から食べて体力をつけておかなきゃな」
 デイヴィが講釈するのに、
「さっき運動したから、おなか減っちゃって」
 晶が付け加える。
「普段から、そんなに食べてるの? なのに、なんで太らないの?!」
 キャットが羨ましそうに叫ぶ。まさに、総ての女性と一部男性を代表する叫びである。
「喰った分だけ、エネルギーを消費するからさ。ーーーー君も戦士になれば、すぐ痩せられるぜ」
「え、遠慮しとくわ」
 キャットは慌てて首と手を振った。
「ーーーーそれより、さっき言ってた、宝の地図っていうのは?」
 晶が本題に入る。ラルゴは懐から古ぼけた紙を出して、テーブルに広げた。
「これさ。…ここがランシュークだろ? で、この×印がその洞窟だ。この山の中腹」
「あら、結構近いのね」
 キャットの言葉に、ラルゴは首を振りながら、
「地図の上じゃ、確かにあっと言う間に着きそうだが、実際、ここは切り立った崖になってて、洞窟まで行くには、山の反対側から回り込まなきゃなんねえ」
 フォークの柄でぐるっと道をなぞった。
「勿論、モンスターや山賊がうろうろしてる、危険な道だ。おまけに、この洞窟に入って、生きて帰って来た者はいねえときてる。洞窟の中も、モンスターだらけなんだ」
「で、その宝っていうのは?」
 デイヴィは、ラルゴの話にも全く臆していない。さすが、《黒い悪魔》だ。
「いや、本当のとこは俺も知らないんだが、噂じゃ、雷神の剣らしい」
 雷神の剣といえば、今では伝説となった遙か昔に、その名を知られた神の王が使っていたとされる、世界最強の剣だ。
「正に、鬼に金棒。みんな怖がっちゃうよ。デイヴィがそんな剣を手に入れたとあっちゃ」
 晶がのんびり笑う。
「違いねえ」
 デイヴィも頷いて、皆笑った。
 料理が運ばれてくる。さすがに凄い量で、テーブルをもう1つくっつけなくてはならなかった。その様子を、今入ってきたばかりの上品そうな中年夫婦が、眼を丸くして眺めている。
 皆暫くは食べる方に専念した。デイヴィと晶は、凄い勢いながら、それでいて上品に料理を片づけていって、他のテーブルからも注目されている。
「ーーーーで、やっぱり行くんだろうな」
 デザートになったところで、ラルゴが口を開いた。
「勿論」
 美味しそうにパフェを食べながら、晶が答える。しかし、どこにそれだけはいるのだろう。
「この2人なら、怖いものなしだろうけど、どうだろう。俺も一緒に行っていいかな?」
 ラルゴはデイヴィの方を窺いつつ言い出した。
「なんでだ?」
 デイヴィも余裕でティープリンを食べている。ひょとして、腹の中がブラックホールになっているのでは。
「実は、俺の兄貴があそこに行ったきり、戻ってこねえんだ」
 ラルゴは、追加注文したチョコレートパフェをーーーーデイヴィと晶の食べっぷりを見ていると、ついつい自分も何か食べたくなってしまうのだーーーー攻撃しながら、
「勿論、1年も前のことだし、とても生きてるとは思わねえが、俺の兄貴は結構強かったんだ。その兄貴が手こずるような洞窟に興味があるしさ。それにーーーー」
 不意に、ラルゴは真面目な顔になった。
「洞窟を見返してやりてえんだ。無事にクリアして、『なんだ、大したことねえじゃねえか』って言って…。そうすりゃあ、兄貴も浮かばれるってもんだ」
「しかしな…」
 デイヴィが渋っているのに気付いて、ラルゴはにやりと笑った。
「足手まといにはならねえよ。あんた達ほどじゃねえが、これでも俺は強いんだ。海の男の腕力を、甘く見てもらっちゃ困るな」
「そうか? ーーーーまあ、せいぜい気をつけるんだな」
「へへ、サンキュー。そうこなくっちゃ」
「あら、狡いわ。だったら、あたしも一緒に行く」
 同じ理由でプリンアラモードを食べていたキャットが、口を挟んだ。
「おまえこそ、足手まといだよ」
 ラルゴが言うと、キャットはフフッと笑ってウィンクしてみせた。
「あーら。あたしは大丈夫。魔法が使えるんだもの。見せたげる。ーーーーイフルス!」
 ボッと音がして、テーブルクロスが燃え上がった。
「あ、あら、大変! ーーーーネ、ネイレス!」
 ジューッという音と、焦げ臭い匂いと共に、火は鎮火した。しかし、クロスには大きな穴が開いてしまった。
「危ねえな」
 デイヴィが苦笑する。キャットは頭を掻いて、
「と、とにかく、そこの腕力馬鹿よりは役に立つはずよ」
「腕力馬鹿とはなんだよ」
 ラルゴが憤然として腕を組んだ。
「まあまあ、2人とも」
 晶が取りなして、
「いいんじゃない? デイヴィ。魔法を使える人がいたら、何かと心強い」
「そうよ、心強いわよ」
 そう言って、キャットはデイヴィにしなだれかかる。デイヴィはため息をついた。
「どいつもこいつも、死にてえんなら勝手にしろ」
「あら、あたしは死なないわ。ーーーーあなたに護ってもらうんだもの」
 キャットはデイヴィに抱きついて頬にキスした。いい気なものだ。
 本来なら焼き餅を妬く立場の晶は、しかし、そんな様子は全く見せないどころか、
「そうだよ、デイヴィ。ラルゴもキャットも民間人なんだから。ぼく達には、2人を護る義務がある」
 こう見えてなかなか頑固者なのだ。
「解ったよ」
 デイヴィもそのことに薄々気付いてきていたので、半ば自棄気味に言い捨てた。
「じゃあ、早速準備をしようぜ」
 デザートの残りを胃に納めて、レジに行くと、支配人が待ち構えていた。
「沢山お召し上がり頂き、誠にありがとうございます」
 そう言って頭を下げる。
「あ、そうだ。テーブルクロスが…」
 晶が言いかけると、支配人はそれを遮って、
「構いませんよ。ーーーーお客様の見事な食欲を見て、他のお客様も沢山注文して下さいました。ですから、テーブルクロスの件はなかったことに…」
「そうか? 悪いな」
 デイヴィは財布を出して、
「いくらだ?」
「は。しめて、4万5千ギニーでございます」
 デイヴィは5万ギニー出すと、
「釣りはいらねえ。ーーーー美味かったぜ」
「御馳走さま」
 4人がぞろぞろと出ていく間中、支配人はずっと頭を下げていた。
「悪いな、俺まで御馳走になっちゃって」
 ラルゴが恐縮して言うと、
「なに、構わねえよ」
 デイヴィはにっこり笑った。その笑顔に、ラルゴは思わず見とれてしまった。
 ーーーー思ったより、いい奴じゃん。それに、やっぱり綺麗だし。
「なに、ぼーっとしちゃって」
 キャットに脇腹をつつかれて、ハッと我に返る。
「とにかく、2人の装備を充実させなきゃ」
 晶が提案して、皆で武器防具屋に向かう。入口は別々だが、中は一緒になっていて、右側のカウンターが武器屋、左が防具屋だ。
 デイヴィがドアを開けたのと同じタイミングで、いきなり向こうから誰かが飛び出してきた。不意打ちだったので、さしもの彼も避け切れなかった。思い切りぶつかって弾き飛ばされる。それでも尻餅をついたりせずに、バランスを崩しただけで堪えたのは流石といえよう。
 その、デイヴィにぶつかった人物は、止まりも謝りもせずに凄いスピードで街の中心部へと駆けて行ってしまった。
「な、なに?」
 晶が目を真ん丸くして、その後姿を目で追う。
 店の中の親父が、カウンターを飛び越えてやってきた。
「い、今の奴を捕まえてくれ!」
 よく見ると、腕から血を流している。
「おい、大丈夫か? 強盗か?」
 デイヴィが訊く。親父は頷いて、
「ヤバい刀を持って逃げやがった! 早く止めないと…!」
「解った。ーーーーおまえたちはここにいろ」
 ラルゴとキャットにそう言い置いて、デイヴィと晶は逃げた男の後を追った。
「ーーーー父さん、大丈夫?」
 カウンターの奥から若い女性が出てきた。手に薬箱を持っている。彼女はこの武器屋の娘で、防具の方を担当していたのだが、この騒ぎが起きたときに父親に言われて、直ぐに奥に逃げ込んだそうだ。
「大丈夫だ。ーーーーそれより、あの人達が心配だ」
「彼等なら大丈夫よ」
 キャットが、父親の手当をする娘を手伝いながら、努めて明るく言った。
「なんてったって、《ガーディアンエンジェルス》だもの」
「《ガーディアンエンジェルス》…、そうか、彼等がーーーー、…だが、問題はあの刀の方だ…」
「どういうことだ?」
 ラルゴが尋ねた。
 
 幸い、男はまだ刀を鞘から抜いていなかった。大事そうに胸に抱え込んで走っている。ぶつぶつと何かを呟いているーーーーどうやら、「俺のものだ、俺のものだ」と呪文の如く繰り返しているようだ。
 人が少ないのも幸運だった。これがもう少し遅い時間になると、呑みに繰り出した船乗り達で溢れかえる。早いところ取り押さえなくてはならない。
「晶、ここにいてくれ。俺があいつの前に廻る」
「了解」
 晶は男の後ろにぴたりと付いた。
 誰かが通報したらしく、ランシュークの自警団も到着したようだ。自らが盾になるように人々を誘導している。
 デイヴィが間合いを置いて男の前に廻り込む。
 男がデイヴィに気付いた。血走った眼で睨みつけてくる。どうやらこれは一時的な錯乱によるものだ、とデイヴィは看破した。ならば殺さず、戦闘不能の状態にしたほうがいい。
 男がとうとう刀を抜いた。鞘を投げ捨て、両手で刀を握って上段に振りかぶる。
「おわああぁあぁぁぁっ!」
 男が叫んでデイヴィに襲いかかってきた。その動きはどう見ても素人で、隙だらけである。剣を抜き合わせる必要もなさそうだ。
 振り下ろしてきた一撃を軽くかわして、デイヴィは男の腕を手刀で叩いた。
 男の腕から刀が落ちる。
 更に鳩尾に膝を当てると、男はその場に崩れ落ちた。
 気を緩めて、晶はデイヴィに近寄っていった。
「お疲れ様」
「ああ。…暫くは眼を覚まさねえと思うけど、念の為縛っておいた方がいいな。ーーーー誰か、ロープを持ってきてくれ」
 自警団のメンバーが駆けて来た。慣れた手際で男を縛る。
 他のメンバーに訊かれて、デイヴィが事情を説明している。その間に、晶は男が持っていた刀に手を伸ばした。このまま放置しておくわけにもいかない。
「触るな!」
 遠くから声がかかる。
「ーーーーえ?」
 晶がそちらを見ると、ラルゴが必死に駆けつけてくるところだった。しかし、時既に遅し。晶の手は刀に触れてしまっていた。
 その途端、まぶしい光が刀身から発せられた。
「晶!」
 デイヴィとラルゴが同時に叫ぶ。
「その刀は呪われてる! 早く離せ! さっきの男みたいになるぞ!」
 ラルゴは更に言葉をつないだ。街の人々、自警団の間に動揺が走る。
「くそっ! ーーーー離れてろ!」
 自警団を遠ざけておいて、デイヴィはすばやく剣を構えた。さっきの男は素人だったので余裕だったが、晶が同じ状態になるとなると、こちらも本気で止めなくてはならない。下手をすると相討ちだ。晶と死ぬのは本望だが、それは正気のときの話であって、あんな錯乱状態の相手とはごめんである。
 光が薄まり、晶がす、と立ち上がった。刀は構えず、引っさげたままだ。
「…晶」
 気を抜かず、デイヴィは声を掛けてみた。
「大丈夫」
 晶が、いつも通りのんびりと言った。
 デイヴィは暫く晶を見ていた。晶もデイヴィを見返している。その紅茶色の瞳にはまったく邪気がない。いつもと同じく純粋だ。デイヴィは息を吐いて剣を納めた。本当に何ともないと確信したからだ。
 ラルゴ恐る恐る、といった足取りで近づいてきた。
「本当に大丈夫なのか? 晶」
「うん。全然平気」
「そうか。ーーーー念の為、これ渡しとくよ」
 ラルゴが細長い紙を差し出す。
「? なに?」
「お札だとよ。武器屋の親父が言うには、これが剥がれてあんなことになったらしいぜ」
「へえ。ーーーーじゃあ、念の為」
 晶は屈託なくお札を受け取った。晶自身にも刀にも、特に変わったことは起きない。
「ーーーー本当に大丈夫みたいだな」
 ラルゴがやっと納得した。
 武器屋の親父、その娘、キャットも揃ってやって来た。
 詳しい話を聞いて、
「ーーーー刀が光った?」
 武器屋の親父が首を傾げた。未だ気を失って縛られている男の方に顎をしゃくって、
「おかしいな。さっきこいつが触ったときには、刀身から黒い霧みたいなものが噴き出してきたんだ。それで、こんなことになったんだが」
「へえ」
 晶は刀をしみじみ眺めた。既に光は消えていたが、まだなんとなく輝きを放っている。
「その刀は『陸奥守』っていって、はるか昔に栄えていた国の、名のある武将が使っていたものだそうだ。そのころから呪われていたらしく、その国が栄華を誇っていながら結局滅びたのもその刀のせいだといわれてる」
 さすが武器屋だけに、親父はそういうことに精通している。彼の説明を聴いて、晶はぽん、と手を打った。
「その話、ぼくの国ーーーーサヴィナの遠い祖先の話だ」
「そうなのか?」
 デイヴィが興味深げに訊く。
「うん。その国が滅んだとき、逃げ延びた人達が建国したのがサヴィナなんだ」
「へえー、面白い偶然ねぇ」
 キャットが目を丸くして言った。
 武器屋の親父は暫く考えていたが、
「なあ、どうだろう。あんた、その刀を貰ってくれないか」
「え?」
「その刀なあ、いつからか店にあったんだが、俺も親父も爺さんも、誰も仕入れた覚えがないんだ。しかも、今回のようなことも稀にあって、その度に処分したはずなんだが、いつの間にか戻ってきてる」
「はあ。…それは厄介ですね」
 晶が茫洋と合いの手を入れた。どうやら同情しているらしい。それを感じ取ったものか、親父は勢いづいて、
「厄介なんだ! ーーーーなあ、あんたはその刀が平気な唯一の人間みたいだし、その刀を使ってた武将の子孫だっていうし、きっと何か縁があるに違いないさ! …さ、これがその刀の鞘だ。納めてくれ」
 言いながら、晶の手に鞘を押し付けてくる。
 右手に刀、左手に鞘を持った晶は、再び『陸奥守』を眺めた。厭な感じはまったくしない。それどころか手にしっくりと馴染んで、刀が体の一部になったような一体感がある。だからといって、人を斬りまくりたいとか物騒な気は起きない。むしろ心が落ち着いてくる。鞘を置いて、刀を構えてみた。
「なんだか、凄い波動を感じる」
「どうやら、この刀はおまえを選んだみたいだな」
 デイヴィが彼の肩を叩く。
「そうか…。じゃあ、おじさん、これは遠慮なく頂きます。ありがとうございます」
 晶は刀を鞘に納めると、武器屋の親父に礼を言った。
「ーーーーそういえば、そんな物騒な刀を、どうして誰かの手に届く所に置いといたんだ?」
 尤もなことをデイヴィが訊くと、親父は凄い勢いで首をぶんぶんと振った。
「とんでもない! いつもは鍵付きの倉庫の金庫の中に厳重に保管してあるんだ! なのに、いつの間にか店頭に、他の武器と一緒に並んでやがる。で、俺が気付く前に客が手に取っちまう、ってわけで」
「益々厄介ですね」
 晶が呟いた。

 それから、一同は武器屋に戻った。かねてからの目的を果たすためだ。キャットには炎の弓と魔導士のローブと三角帽子を、ラルゴにはヌークー銀の武器防具を揃える。丈夫だが水にも浮くほど軽い金属で、今や総ての武器防具に使用されている。デイヴィと晶の鎧もこれだ。
 それから、一同は閉店間際の道具屋にも押しかけて、テントや非常食や薬草を買うと、待ち合わせた場所まで戻ってきた。
「じゃあ、明日の朝9時に、またこの場所で」
 ラルゴが家に帰っていく。
「お休みなさい」
 キャットも軽やかな足取りで去っていった。
 
「いい物貰っちゃった」
 宿に戻ると、晶は陸奥守を抜いて眺めた。
「ーーーーいい輝きだ」
 後ろからデイヴィが覗き込む。
「明日が楽しみ。ーーーー今夜は眠れそうにないな」
「そういう時は、無理して眠ろうとしない方がいいんだぜ」
 晶は刀を置くと、デイヴィに抱きついた。デイヴィもしっかりと抱き返す。
「無理しなくても、起きてられるよ」
 2人の唇が重なった。
 
 朝の9時。同じ場所。
 ゆうべの寝不足もなんのその、デイヴィと晶は楽しそうにやって来た。
「おはよう! ーーーーじゃあ、行こうか」
「元気ねえ。あたしなんか、ゆうべ怖くて眠れなかったわよ」
 キャットが盛大に欠伸をする。
「俺も眠れなかったけど、それは興奮したからさ」
 ラルゴは不敵に笑った。今は平凡な船員だが、以前は荒波をものともせずに海を渡り歩いた海賊だ。久しぶりの冒険に血が騒いでいる。
「あんた達はどうだ?」
「ぼく達も眠ってないけど、ちょっと意味が違うかな」
「はあ?」
「ーーーーそんなことより、早く行こうぜ」
 デイヴィが歩きだして、皆も続いた。

 キャットを護りながら、一同はだらだらと続く山道を登っていった。途中、モンスターや山賊が現れたが、勿論デイヴィと晶の敵ではない。ラルゴもキャットも、このレベルの敵には楽勝だった。
 しばらく行くと、山の外側をぐるっと廻る道に出た。一方は切り立った山肌で、反対側は何もない。つまり、崖っぷちってことだ。ただ、道幅が割と広いーーーー4人横に並んで歩ける程度なのが救いだった。
「下を見ねえようにな」
 ラルゴが有り難い忠告をする。そんなことをわざわざ言われたら、つい見てしまう!
「こんな所で襲われたら大変ね」
 キャットが言った。意外に普通の口調である。子供と猫は高い所が好き、というのは本当らしい。
 それが引き金となったかのように、空からカグラチョウが襲い掛かってくる。大して強くはないが、数が多いので鬱陶しいことこの上ない。
「次から次へと鬱陶しいな!」
 デイヴィが舌打ちする。大概気が短いのだ。
「任せて!」
 キャットが、火炎の全体魔法を唱えた。黒焦げになったカグラチョウがぼとぼとと落ちてくる。
「おお、凄いな!」
 ラルゴが感心して声を上げた。
「連れてきて正解だったでしょ?」
 キャットがウィンクして微笑んだ。
 
 そんなことを何度か繰り返しつつ山を登って、やっと宝が眠っている洞窟の入り口についた。
「いよいよ…」
 晶が唇をなめる。すっかり戦士の表情になっている。
 洞窟からはひんやりとした空気が流れてくる。中はさすがに薄暗いが、見えないほどではない。
 皆は頷き合って、ゆっくりと足を踏み入れた。途端に、モンスターが襲いかかってくる。その強さはさすがに半端じゃない。それにやたらと複雑な迷路で、しかも、宝箱にまでモンスターが潜んでいることもあった。
 デイヴィと晶じゃなければ、何回死んでもおかしくなかっただろう。
 途中でテント(耐魔物仕様)を張って休みながら、やっと最上階にやって来た。
「あれか…」
 一番奥の部屋にポツンと置かれた宝箱に、デイヴィが近づく。
「気を付けて。またモンスターが潜んでるかも」
 晶がのんびりと声を掛ける。
 4人は宝箱を取り囲んだ。デイヴィがゆっくりと蓋を開ける。
「キャッ!」
 キャットが尻餅をついた。真っ白な煙とまばゆい光が溢れ出てきたのだ。
 ラルゴがキャットを助け起こしている内に、その煙と光が、何やら人の形になっていった。
「来るぞ!」
 デイヴィの掛け声とともに、戦闘態勢に入る。
 腰まであるまぶしい金髪に、アクアブルーの瞳。長い前髪で顔の左半分を隠している半透明の人物は、今までのモンスターと違い、どことなく高貴な雰囲気を漂わせていた。戦っていても憎しみは感じられない。それどころか、見守るような優しい気持ちが伝わってくる。
 それに、雷の魔法で攻撃してくる。ひょっとしたら、とデイヴィは考えた。
 ーーーーひょっとしたら、この方は…ーーーー
 デイヴィの一撃が決まって、相手はゆっくりと霧散していった。
「た、倒したのね」
 キャットが息も絶え絶えに言う。
「どうかな」
 晶の言葉を裏付けるように、霧散した煙と光が再び集まって、その高貴な姿を作りだした。
「くそ、まだか!」
 剣を構えるラルゴをデイヴィが制した。
「よく、私を倒した」
 優しい声がした。見ると、微笑んでいる。
「恐れ入りますーーーーゼウス様」
 デイヴィが恭しく跪き、頭を下げる。ラルゴとキャットは驚いた。
 晶は平然として、
「やっぱり」
 などと呟いている。
「ゼウス様って、あの? ーーーーそれにしちゃあ、若すぎない?」
 キャットの言葉に彼は微笑んで、
「私はおまえ達が知っているゼウスの、何代目かの子孫に当たる。ーーーーさらに言えば、これは本体ではない。魂の一部だ」
「大神ゼウスの子孫の魂の一部…」
 呆然と、ラルゴが呟いた。
「何故、こんな洞窟の宝箱に?」
 晶が尋ねる。この事態に平然としているのは、戦士としての訓練の賜物か、それとも生まれつきか。ーーーーたぶん、いや、きっと後者だろう。
 ゼウスは一振りの剣を手にとって、
「この剣は我が先祖が使っていた物。心正しき者が使えば正義の剣となるが、邪悪な者の手に堕ちると、総てを滅ぼす呪われた剣となる。だからこうして私の魂の一部が宿り、相応しい者に渡るように監視していたわけだ。ーーーーそして私に勝つ者こそ、この剣を手にするに相応しい」
 ゼウスは剣をデイヴィに差し出した。
「光栄です」
 デイヴィが頭を下げて受け取る。
「おまえは美しい。顔も、…心も」
 ゼウスはデイヴィの頬に手を触れて、
「私はこのままこの剣に留まり、おまえの力になろう。何かあったらいつでも呼ぶといい。ーーーー私のガニュメデス」
 そう言うと、ゼウスは剣に吸い込まれるように消えた。
「やっぱり、それ、雷神の剣だったんだ」
 晶が呑気に言った。
「これで怖いものなしだぜ」
 デイヴィが剣を構えて頷く。
「元々怖いもんなんてねえだろ」
 ラルゴがからかう。
「ゼウス様ってハンサムね」
 これはキャットだ。
「さて、早速切れ味を試すか。ーーーー町に戻ろうぜ」

 さすが、ゼウスの魂が宿った剣は強い。行きほどの苦労もなく、一同はランシュークに戻ってこれた。
 4人があの洞窟から無事に帰ってきたという話は、あっと言う間に町中に広まり、すっかり英雄扱いで、酒場では朝まで引っ張りだこだった。

 そして、次の朝。港。
 ムーンベクト行きの船に乗るため、デイヴィと晶はやって来た。見送りに、ラルゴとキャットも一緒だ。
「いろいろ世話になったな。兄貴も喜んでると思う」
 ラルゴが、デイヴィと晶に手を差し出しながら言った。
「お役に立てて嬉しいよ」
 晶がその手を取って答える。
「寂しいわ。もうお別れなのね」
 キャットは少し眉を寄せたが、すぐに気を取り直して明るい表情に変わった。
「でも、とても楽しかった! 一生忘れないわ。旅の途中にでも、またこの町に寄ってね」
「ああ。勿論だ」
 デイヴィはキャットの手を取って、その甲にキスした。
「俺も、短い間だったけど、面白い体験をさせてもらったよ」
 ラルゴが笑って、
「《黒髪の天使》と《キラーパンサー》に斬られそうになったなんて、滅多にねえもんな。しかも、生きてる」
「自慢していいよ」
 晶がのんびり言った。
「俺はこれから、仕事でクリストファームに行く。2・3ヶ月はいるつもりだから、機会があったら寄ってくれ」
 タラップを登っていた2人は、ラルゴの言葉に振り向いて手を挙げた。
 キャットとラルゴは、2人の乗った船が見えなくなるまで見送っていた。

「今度はムーンベクトか…。どんな町なの?」
 夕食後、船室で寛ぎながら、晶が訊いた。
「サヴィナと同じ王国だが、不安定な国だ。妃を亡くした王は、忘れ形見の姫ばかりを可愛がって、国政は大臣任せ。おまけに、貴族達は贅沢のし放題だけど、国民は重い税金に喘いでる」
「ひどい話。うちの王様とは大違いだ」
 晶は可愛い顔を顰めた。
「サヴィナの王様ほど、お人好しな王はいねえよ」
「それもそうか」
「それに、サヴィナの姫はとても気立てがよくて素直で優しい娘だろ? ムーンベクトの姫は正反対なんだ。甘やかされて育ったもんだから、凄いわがままだとか」
「それも困ったもんだね」
「そうだな。ーーーーま、俺達には関係ねえけどな」
 デイヴィは晶を抱きしめた。晶も素直に寄り添って、自分からデイヴィにキスする。
 見つめ合い、キスをし、また見つめ合い…、と何度も繰り返しているうちに、2人の頭からはムーンベクト王家のことも何もかも消え失せた。ただお互いのことにのみ夢中になっていく。
 ーーーー『関係ない』はずの彼らと、これから深く関わる羽目になるのも知らずに…。
 
 翌日。
 さすがに睡眠不足で、昼までぐっすり眠ってしまった。
 ムーンベクトにはあと小1時間で着く。
 食堂でブランチを取ってーーーー船の食料には限りがあるから、遠慮して人並みに食べただけだったーーーー甲板に出ると、丁度ムーンベクト港に入港するところだった。
「ほら、あの丘の上の一際立派なのが、ムーンベクト王の城だ」
 デイヴィが指差す方に晶が目をやると、常緑樹の森をバックに、真っ白な城が建っているのだが、余りの豪華さに、ふんぞり返っているかのように見える。
「なんだか、威張りくさった城」
「まったくだ。ーーーーあっちを見ろよ」
 デイヴィは、今度は港から続く道沿いを指した。台風が来たら崩れそうな家々が立ち並んでいる。
「酷い。国王っていうのは国民の生活を護るものじゃないの?」
 晶は哀しげな眼になった。
「普通はな。しかし、そうは思わない奴もいるってことだ」
 デイヴィは晶の肩を抱いて、
「やり切れねえよな」
「うん」
 船が汽笛を鳴らして、ゆっくりと止まった。
 
 下船した2人はまずレストランを探すことにした。船での食事は、大喰いの2人には腹2分目ってところだったからだ。
 ムーンベクトの特徴は、港から城まで、下・中・上の階級にはっきり別れて住んでいることだ。貧しいが活気のある港町を抜けると、少し値の張る物を売っている商人達の住む街に入り、さらにそこを過ぎれば、貴族達の高級住宅街に出る。
 とにかく商人の街に出ようと、さっき船から見た道を歩く。2人はさすがに注目の的だ。痩せた子供も、その手を引いている父親や母親も、質素な服を着た娘や若者も、ぽーっとした目で追っている。なにしろ身なりはいいし、なにより美しい。
 露天商も、いつもより威勢のいい声で呼びかける。
「綺麗なお2人さん! ジョサイアシティから輸入した、最新の服はいかが?」
「その身を飾る、色とりどりの宝石!」
「その美貌を、この鏡に映してごらん! 目で見るより更に綺麗に見えるよ」
「さあさあ、美味しいフルーツはどうだい! ほっぺが落ちても知らないよ!」
 2人は足を止めた。今の彼らには色気より食い気である。
 結局、よく熟れたリンゴとバナナと桃を1袋づつ買って、再び歩きだす。
 ふと周りを見ると、たくさんの子供達が指をくわえて2人を眺めている。
 デイヴィと晶は顔を見合わせた。そして、フルーツの袋を開けてその場に座ると、子供達に手招きしてやった。
 子供達は躊躇っていたが、2人がにっこり笑うと、わっと駆け寄ってきた。忽ち囲まれて、身動きができなくなってしまう。
 フルーツを美味しそうに食べている子供達の頭を撫でてやって、デイヴィは澄んだ美しい声で歌を歌いはじめた。
 その声ーーーーなんという美しさ。天上まで響き、神さえも感動させるのではないか。
 その歌を聞きつけて、家々から人々が顔を出す。ちょっとしたリサイタルだ。
 しかし、観客達はその歌を最後まで聴くことはできなかった。突如、女の悲鳴が聞こえてきたのである。
 デイヴィは歌を止めると、声のした方に駆けだした。晶も続く。町の人達は面倒を恐れて、慌てて子供の手を引き、家に閉じこもってしまった。
「キャァアアアアアアアアアアアッ!!」
 商人の街の広場の噴水の前で、1人の可愛い乙女が、黒頭巾をかぶった数人の男達に拉致されそうになっている。白昼堂々大胆だが、その場にいた者達は手も足も出ず、ただ遠巻きに見守るばかり。
「その娘を放しな」
 デイヴィが声を掛けると、黒衣の集団は娘を後ろに隠して剣を構える。その数11人。
「無駄なことはしない方がいい」
 晶がのんびり言ったが、その眠たげな声に大した相手ではないと感じたのか、11対2の余裕からか、敵はじりじりと近づいてくる。
「しょうがねえな」
 デイヴィは雷神の剣を抜いた。
「どうしてもやる気?」
 晶も陸奥守を構える。
 娘をしっかり捕まえていた1人が手を挙げると、それを合図に一斉にかかってくる。どうやらボスはそいつらしい。
 黒頭巾の1人が剣を振る。なかなかいい太刀筋だ。首など簡単に刎ね飛ばされてしまうだろう。ーーーーデイヴィと晶以外の首なら。
 やはりこの2人の相手ではない。瞬きする間もなく6人が地に伏せる。
 敗色濃し、と見たか、ボスはさっと手を後ろに振った。他の無傷の4人は勿論、倒れていた6人もぱっと立ち上がり、娘を置いて一目散に逃げ出してしまった。
 追いかけようと思ったが、娘がその場にへなへなとしゃがみ込んでしまったので、2人は取り敢えずそっちに向かった。
「大丈夫か?」
 デイヴィが屈み込んで、優しく声を掛ける。なかなか可愛い娘で、目が大きくて童顔だが、プロポーションは抜群だ。着ているのも豪華なドレス。貴族の娘に間違いない。
 娘は暫く放心していたが、やがてデイヴィの方に顔を向けた。と、その顔が忽ち恍惚となるや、いきなりデイヴィに飛び掛かったーーーーいや、勢い良く抱きついた。
 突然のことなので、デイヴィはバランスを崩し、その場に尻餅をついてしまった。勿論、娘と一緒にだ。
 慌てて立ち上がろうとしたが、娘が膝に乗っかっていて無理だった。引き剥がそうとしたが、どうやっても離れようとしない。それどころか、豊かなバストをぐいぐいとデイヴィに押しつけてくる。
「ああ! ありがとう! 危なくさらわれてしまうところだったわ!」
 顔に似合った可愛らしいソプラノで、娘は叫んだ。
「耳元で大声を出さねえでくれ」
 超音波のような声にくらくらしたデイヴィは、頭をしきりに振った。
「さっさとどいてくれよ」
「あら、ごめんなさい」
 もろ残念そうに言って、娘は立ち上がった。デイヴィも後から続く。
「大丈夫?」
 晶が甲斐甲斐しく埃を払ってやる。
 その様子を、娘は面白くなさそうに見ていた。女の直感で、2人の関係が判ったらしい。晶を凄い目で睨んだ。対して、晶はきょとんとしている。
 娘はデイヴィに対しては可愛らしく微笑んで、
「あなたは命の恩人だわ! ーーーーお名前は?」
「デイヴィだ。こっちが晶」
「デイヴィ…。いい名前ね」
 晶のことはまるで無視している。
「是非、家に来てちょうだい」
 有無を言わせぬ勢いで腕を引っ張る。デイヴィはおとなしく従うことにした。こういうタイプには逆らうだけ無駄だ、と経験上知っていたからだ。
「あたしはパールっていうの。よろしくね」
 
「ここが、あたしん家よ」
 15分ほど歩いてーーーーその間にもパールはデイヴィにべったりだったーーーー到着したパールの家は、
「城じゃないか」
 晶が茫洋と呟く。
「ここが君ん家か?」
 デイヴィが訊くと、パールはその腕をつねって、
「いやん、『君』なんて他人行儀な。ーーーー『おまえ』って呼んで」
 ーーーー駄目だこりゃ。
 デイヴィは頭が痛くなってきた。
 そんなデイヴィの反応を見て、晶は吹き出しそうになるのを辛うじて堪えた。
「姫様ーーー!」
 突然声がして、見ると、見事にはげ上がった頭も眩しい、初老の男が城の中から駆け出してきた。
「じい!」
「姫様! どこへいらしてたんです?! 陛下ーーーーお父上様が心配なさってましたぞ!」
「社会勉強よ」
 パールは平然と言ったが、じいは蒼くなった。
「また街に?! ーーーーお父上様にあれほど止められていたではございませんか!」
「うるっさいわねえ! どこに行こうと、あたしの勝手でしょ!」
 さっき誘拐されそうになって腰を抜かしたくせに、やたらと強気なことを言って、パールはそっぽを向いた。
 じいは諦めて溜息をついた。それから、やっと2人に気付いて、
「姫、この方達は?」
 パールはデイヴィの腕を取って、
「デイヴィよ。ーーーーあたしの命の恩人なの」
 さっきの事件を説明する。
「デイヴィ…」
 じいは顎に手を当てて何やら考え込んでいたが、晶の方を向き、
「では、あなたは晶さんですかな?」
「はい」
 晶がのんびり頷く。
「なによ、じい、知ってるの?」
 パールがいぶかしげに訊くと、じいは勢い良く頷いた。すっかり興奮の体だ。
「知ってるも何も! 《黒髪の天使》と《キラーパンサー》、2人で《ガーディアンエンジェルス》ですよ!」
「《ガーディアンエンジェルス》?! ーーーーキャーッ!!! 感激!!!!」
 パールがけたたましい声を上げて跳び上がる。デイヴィと晶は耳が痛くなった。
「姫! はしたないですぞ」
 じいはパールを窘めてから、つくづくと2人を眺めて、
「あなた方が、姫の命を…。ありがとうございます」
 丁寧に頭を下げた。
「そうよ。だから、何か褒美を取らせなきゃ」
 パールがデイヴィに抱きついて、
「あなたには、あたしをあげる」
 デイヴィが口を開く前に、じいが凄い勢いで、
「姫! なんということをおっしゃいます!」
 その剣幕に、さすがのパールも慌ててデイヴィから離れた。
「冗談よ、冗談」
「それは陛下がお決めになることです。ーーーーささ、姫、お父様が心配なさってますよ。お2人もご一緒に」
 じいは3人を促して、城の中へと入っていった。


HOME/MENU