「では、そなたらがパールを助けてくれたのじゃな」 見るからにお人好しの、どこもかしこも丸い父王、ガルード14世が言った。 「いや、別に大したことじゃーーーー」 デイヴィが言いかけたのを、 「そうよ、お父様! この方がいなかったら、あたしは今頃どうなっていたか!」 王の隣の玉座に座っていたパールが遮った。 「おお、まったくじゃ。ーーーー早速褒美を取らせようぞ!」 「いえ、お構いなく」 晶がのんびりと応じる。 「しかし、それではわしの気が済まん」 王は暫く考え込んでいたが、 「ーーーーそうじゃ!!」 顔を輝かせながら大声で叫んだ。 「またこのようなことが起こるやもしれん。このお2人に、ボディガードを頼もうではないか。倍の料金でな!」 『倍の料金』というのが、この王の考える『褒美』らしい。だが、デイヴィにとっては、報酬などはどうでも良かった。そんなことより気になるのがーーーー 「ボディガード? ーーーー誰の」 答は分かりきっていたが、一応デイヴィは訊いてみた。 「勿論、娘のじゃ!」 ーーーーああ、やっぱりかよ! デイヴィは心の中で呻いた。まったく困った事態に陥ったものだ。 というのも、彼としては勿論女の子が危険な目に遭っているのを見過ごせないが、襲われたのがあのとき限りかもしれない、というのが問題だった。いつ来るか解らない暴漢を待っていたんじゃ、いつまでたってもこの国から出られなくなってしまう。 ついでに言えば、パールのような『子供』とも『大人』とも言えない年頃の女の子が、デイヴィは苦手だった。彼女達は怖いもの知らずで、引くことを知らず押しまくってくる。怒るわけにはいかないし、かといって甘やかすと止まらないし、無視しても気にせず迫ってくるし、こっちの気力がごっそり持って行かれるのである。 デイヴィは断ろうと口を開いたが、その前に晶が、 「承知しました」 と言ってしまった。 「おい! 晶…!」 デイヴィは小声で晶に呼びかけた。晶はデイヴィを見て、 「女の子が危険に曝されてるんだ。放っておけない」 痛いところを突いてくる。デイヴィは呻いた。 「いや、そうだよ。そうなんだけど…、…たまたまかもしれないだろ」 「そんなの解らないじゃないか。せめて2・3日くらい様子を見ても…」 「…解ったよ」 デイヴィは溜息をついた。こうなると、晶は梃子でも動かない。 「おまえが面倒見るんだぞ。俺は知らねえからな」 「彼女がそれで納得するかな」 「怖いこと言うな!」 2人がひそひそやっているのを、パールはつまらなそうに見ていたが、やがていらいらと、 「で、どうするの? あたしを護ってくれるの、くれないの? ----はっきりしてよ!」 さすがにこれにはデイヴィも一言言いたくなった。だが、またしても晶が先に、 「喜んでお受けします」 穏やかな笑顔と共に答えた。 「そうか、そうか! これで一安心じゃ!」 王は大きいお腹をゆすって喜んでいる。 「あー、一ついいですか」 肝心なところをはっきりさせなければ、との思いで、デイヴィは口を開いた。 「3日間何もなければ、俺達は失礼しますよ。旅の途中ですし」 「3日とな?! 短すぎるじゃろ! ーーーーせめて一週間頼む!」 王は打って変わってがっかりした口調で叫ぶ。実は彼には思惑があった。パールがデイヴィに夢中になっているのを見て、可愛い我が娘の望みを叶えてやりたいと考えていたのだ。 デイヴィが『婿』として相応しい男だということは、彼についてのニューズから充分に知れる。この城にいる間にパールと『抜き差しならない関係』になってしまえばいい。それには、3日では短すぎる、というのだった。 「…いや、先を急いでいるので。ーーーーせいぜい5日ですね」 デイヴィは無慈悲に応じた。余り滞在をしない方がいい、と、彼の勘が告げている。そしてその勘は外れたことがなかった。 「5日か…」 王は呟いて、パールを見つめた。そこは親子だけに、眼と眼があった瞬間、お互いが考えていることが通じ合った。 「パール、よいか? よいな?」 「ええ、お父様」 パールが頷く。このときこの親子はまったく同じことを考えていた。ーーーー5日もあれば充分デイヴィを手に入れられる、と。 勿論、そんな考えはおくびにも出さず、 「では、頼んだぞ」 王は重々しく頷いて見せ、 「取り敢えず、長旅で疲れておろう。部屋を用意するから、夕食までゆっくり休むがよい」 そつなく労をねぎらい、気遣いを見せる。 比べて、パールはやはり素直で一直線だった。 「だめよ! デイヴィはずっとあたしの傍にいるの! ボディガードでしょ!」 口を尖らせて文句を言う。 「城の中だったら、他に兵士もいるし、知らねえ顔がいたらすぐ判る。危険はねえよ」 デイヴィが、それでも辛抱強く言い聞かせるのに、 「デイヴィ殿の言う通りですよ、姫。お2人ともお疲れなんですから、少しは休ませてあげないと。いざという時困りますからね」 じいが口添えした。彼は、王と姫が恐ろしい計画を胸に秘めていることにまったく気付いていなかったので、実に常識的な助け船を出したわけだ。 「解ったわよ。少しぐらいは仕方ないわね」 少々引っかかる言い方だが、とにかくパールはふくれっ面のまま、渋々頷いた。 「では、リューク。お2人を部屋へ」 王がじいに向かって命じる。 「ささ、こちらへ」 じいーーーーリュークは2人を促して、王の間を出て行った。 「すみませんねえ。姫はあの通りわがままで」 部屋に向かいながら、リュークがすまなそうに話しかけてきた。 「いや、別に…」 この寂しげな老人に言われるとさすがに『はい』とは言えず、デイヴィは適当に語尾を濁した。 「やはり、母上を早くに亡くされたため、周りの者が不憫がって”ちょっと”甘やかし過ぎたようで…。わたしも教育係として、恥ずかしい限りです」 「教育係…。それじゃあ、ご苦労が絶えないでしょうね」 なんということはない一般的な感想だが、晶の口調が春の如くほのぼのとしているので、リュークは縋りたくなったらしく、普段の愚痴をぶちまけ始めた。 「そりゃあ、もう! いつもハラハラし通しで。胃は痛くなるわ、血圧は上がるわーーーー、おまけに、こんなに禿げてしまいました」 自分の頭をぺちぺちと叩いて、ため息をついた。 「あのわがままさえなけりゃあ、可愛いんですが」 「何か実例が?」 晶が水を向ける。リュークはそれに乗って、饒舌に語り出した。 「以前、真冬に『ひまわりが見たい』と駄々をこねられましてな。可愛い娘の言うこと、陛下はあちこちの国に遣いをやって、やっとの思いで手に入れたのが10日後。ーーーーところが、そのとき姫は感謝するどころか、ーーーー『今頃持ってきたって遅いわよ! グズ! もうひまわりなんていらないの。あたしは真っ赤な薔薇が欲しいのよ!』ーーーーと、こうです。しかも、その遣いの者は、遅くなった罪で追放されてしまいました」 「酷い話だな」 デイヴィは眉を顰めた。もし自分の妹がそんなことを言ったら、間違いなくお仕置きしている。 「しかし、城の者は、その男を羨ましがっていましたよ」 「どうして?」 リュークは声を落として、 「『もう、姫のわがままに付き合わなくてすむ』とね!」 「なるほど」 「確かに」 「…っと、行き過ぎてしまうところでしたな。ーーーーどうぞ、このお部屋に」 リュークは、階段を上がってすぐのドアの鍵を開けた。 「晶殿は隣にーーーー」 「いや、同じ部屋でいいぜ」 「は、そ、そうですか」 リュークはデイヴィに鍵を渡すと、汗でますます光る頭を拭いて、 「では、夕食の時間にお呼びします。ーーーーごゆっくり」 背後でドアが閉まるやいなや、デイヴィは、大人が10人は寝れそうなベッドに、勢い良く倒れ込んだ。 「ーーーー参ったな、あのガキ!」 「まあまあ。一直線で可愛いじゃない」 晶は笑いながら、デイヴィの隣に座る。 「冗談じゃねえ。俺はガキは範囲じゃねえんだ」 デイヴィはうんざりと天を仰いだ。 晶はそんなデイヴィを不思議そうに見つめて、 「あんたがそんなふうに言うのも珍しいね。女の子なら必ず助けてあげるかと思ってたけど」 「まあな。俺もそのつもりだったさ。でも、昔それで酷い目に遭ってな」 「酷い目? ってどんな?」 デイヴィは語り出した。3年くらい前、パールと同じくらいの年頃の娘にさんざん迫られ、勿論範囲じゃないから適当にあしらっていたところ、業を煮やしたその娘がいきなりデイヴィの前で自分の服を自分で破りだしたのだ。更に、そこにタイミング良く彼女の父親が現れて、その状況に憤慨し、責任を取れと責めてきたのである。 「うわ。大変だったね。ーーーーで、どうやって解決したの?」 晶もいつもの茫洋とした様子で訊いた。茫洋としているが、やはりそれなりに気になるらしい。少し身を乗り出している。 「ああ。ーーーー父親の登場が余りにタイミングが良すぎたんでそこを追及しつつ、こんなマネをするなら仕事もキャンセルだ、って言ったら、慌てて白状したよ。俺を娘婿にしたかったんだってさ」 「うーん、気持ちはわかるけど、そんな卑怯なことしちゃ駄目だよね」 晶はしみじみと、至極真っ当な意見を述べた。 「だよな。ーーーーおまけに、その娘、バレた途端に今度は、俺のことが好きでどうしても結婚したかった、悪気はなかった、って泣き出しちまってさ。俺の方が悪人みたいな気がして後味悪かったよ」 結局、もやもやした気分のまま仕事はこなしたが、今でも一番最悪な仕事としてデイヴィの記憶に残っている。 「それは大変だったね」 晶は優しく言って、デイヴィの頭を撫でた。 「だから解るだろ? 俺が渋ってる気持ちが」 デイヴィは晶を訴えるように見上げて、ため息をついて見せる。 晶はデイヴィの方に身を屈めて、宥めるように彼の額に口付けた。 「うん。よく解った。ごめんね、事情を知らなかったとはいえ、勝手に引き受けちゃって」 晶の優しい言葉に、デイヴィはふっと気が軽くなった。 「いや、いいさ。確かにおまえが言うのも解るんだ。とにかく5日間、面倒見るさ」 そう。やはりデイヴィは困っている人を放っておけないのだ。たとえ、その人物が厄介な相手であっても。 晶も、そんなデイヴィのことが解っているから、嬉しげに彼の瞳を覗き込んで、 「うん。姫ってことで色々狙われてるかも知れないし。可哀相だよ。しっかり護ってあげなきゃ」 今度は唇に軽くキスして身を起こそうとした晶の頭を、デイヴィは腕を伸ばして自分の胸に押しつけた。 「それにしても、おまえはお人好しだな。あの娘、おまえのこと無視してるだろ。それも腹が立つんだよな」 「ぼくは別に気にしてない」 「俺が気になるんだよ」 デイヴィは秀麗な顔を顰めた。 「それに、これから俺にかなりくっついてくるだろうけど、おまえーーーー」 「大丈夫。あんたを信じてるから」 デイヴィの言葉を遮るように晶は言って、可愛らしい笑顔で彼を見上げる。 「……………」 これには、デイヴィも何も言えなくなってしまった。そこで、自分の気持ちを態度で示すことにした。ーーーーくるっと半回転して、晶に、優しいが激しいキスをしてーーーー しかし、いつもと違って、ここで邪魔が入ってしまった。 ーーーードン! ドン! ドン! ドンドンドンドンドン! 誰かがノックしている。デイヴィは舌打ちして起き上がると、ドアの前まで行き、 「下品だなあ。ーーーー誰だ?」 素っ気なく誰何した。もっとも、誰かは判りきっていた。こんなことをするのは一人しかいない。わざと訊いたのだ。 案の定、語尾にハートマークが見えそうな、脳天気で甘えたパールの声が、 「あ・た・し、よ」 「…この部屋には、今誰もいませんよ」 「ちょっと! ふざけてないで、入れてよ!」 「今いいとこなんだ。邪魔すんな」 「いいとこ?」 「子供は知らなくていいことさ」 「馬鹿にしないで! 子供じゃないわ! 16歳なんだから!」 「…俺の妹と同い年じゃねえか。やっぱりガキだな」 「ーーーー体はもう大人よ?」 「そんなこと言ってるようじゃ、まだまだ子供だ」 「ーーーーもういい!」 耳をすませると、ずんずんと凄い足音が遠ざかっていく。 デイヴィは晶を振り向いて、肩を竦めた。 「いいの? 危険じゃない?」 「さっきも言ったろ。城の中なら、そうそう危ないことも起きやしねえって」 デイヴィは晶の所に戻ると、その肩を抱いて、 「それに、邪魔だし」 晶は、しょうがないなー、というふうに笑って、デイヴィを見た。デイヴィは晶の頬に手を置いて、優しく唇を… しかし、どうあっても2人の仲を邪魔したい者がいるらしかった。 2人の唇が触れようとした瞬間、今度は慎ましいノックが響き、 「ディナーの用意が整いましてございます」 という、リュークの声がした。 細長いテーブルの上に、料理が所狭しと並んでいる。 「どうしたの? これ! ーーーーいつもの10倍はあるじゃない」 パールが眼を丸くする。 「お2人が大層な食欲の持ち主、と聞きましてな」 リュークが言った。実にもてなしを心得た人物である。 「ありがたい。ーーーーゆうべから、ろくに喰ってねえんだ」 デイヴィが頷いて、給仕の案内で席に着こうとするのを、 「駄目! あたしの隣!」 パールがすかさず駆け寄り、彼の腕を取って自分の隣に引っ張っていく。晶はその向かいに座るように案内され、リュークはその隣に腰掛ける。 その向かいに、目つきが悪く、頭の薄くなった、脂ぎった中年が座ったのを見て、晶は王に目を移した。 王は頷くと、 「わしの右腕、大臣のモーリスじゃ」 と紹介した。 「よろしくお願いいたします」 モーリスは慇懃にお辞儀をした。普段から厭味っぽい顔つきをしていて、その細い眼はどこか油断がない。 「こちらこそ宜しく」 「少しの間お世話になります」 デイヴィと晶も頭を下げた。 給仕が、全員のワイングラスに飲み物を注ぎ終わった。 「では、《ガーディアンエンジェルス》の為に乾杯しようではないか!」 王がグラスを持って発声する。 「ーーーー乾杯!!」 グラスの触れ合う慎ましい音が響き、全員がグラスを飲み干す。晶はアルコールが苦手なため、また、パールは未成年なので、この2人はアイスティを飲んでいる。他の者はワインだ。 デイヴィと晶は、早速その若い食欲を発揮し始めた。パールがデイヴィに食べさせてあげようとするのだが、デイヴィは腹が減っているのだ。そんなもどかしいことに付き合ってはいられない。 晶は目の前の麻姿豆腐から食べ始めたが、思ったより辛かったので中和しようと、アイスティではなく、あらかじめテーブルにセッティングされていた水のコップを取り上げた。 ーーーー? 一口飲んで首を傾げる。なんだか変な味がしたような… そう思った途端、くらっとして、そのコップを取り落とした。 ガッシャーン! と音が響いて、他の者が目をやった時には、晶は椅子から倒れ落ちていた。 「晶!」 デイヴィは、パールの手を振りほどいて駆け寄ると、その体を抱き起こした。 「これは一体…」 隣のリュークも椅子から立って、晶の顔を眺める。紙のように真っ白だ。 デイヴィは、どこからか小さな薬ビンを取り出した。蓋を外すとスポイト状になっている。それを、割れたコップがテーブルに作った水たまりに垂らした。水が赤黒く染まっていく。 「ーーーー毒だ。この反応はミストロキアか…」 「なんじゃと!」 王は真っ蒼になって、パールを抱き寄せた。 「早く、食べた物を吐き出させませんと…」 リュークが努めて冷静な意見を言う。 「………………」 モーリスはじっと晶を見つめたままだ。 「いや、この毒は吸収されるのが早い」 デイヴィは、今度は小型の試験管を取り出し蓋を抜いた。中身を口に含み、晶の鼻をつまんで、自分の唇を彼の唇に押しつけた。暫くして晶の喉が動く。デイヴィは唇を離して息をつくと、 「ここは、そのままにしといてくれ」 と言い置いて、晶を抱き上げて出ていった。 その後ろ姿を、パールはじっと見つめていたーーーー 「気分はどうだ?」 やっと気が付いた晶に、デイヴィは優しく声を掛けた。 「なんだか…気持ち悪い」 かすれた声で晶は答える。 デイヴィは晶の頬を撫でながら、 「もう少しの我慢だ。解毒剤が効いてくる」 「解毒剤…」 晶は茫洋と呟いて、 「毒が入ってたの? ーーーー他の人は大丈夫?」 自分がこんな目に遭いながら、他人のことを心配している。こういう少年なのだ。デイヴィは胸が熱くなった。 「みんなは大丈夫だ」 晶を1度ここに寝かしてから、デイヴィは再びダイニングに戻り、料理から水から、全部確認してみた。その結果、毒が入っていたのは晶の水だけだったのだ。 「おまえの前には、麻姿豆腐の皿があった。当然、それに最初に手が伸びるだろう。あれだけ辛い物を喰ったら喉が渇くから、冷たい水が欲しくなる。犯人はそこに毒を…」 「ーーーーじゃあ、ぼくを狙って?」 晶はまだぼんやりとした頭を振って、 「どうして?」 デイヴィは晶を抱き締めた。 「それはこっちが訊きたいよ。そんなに強い毒じゃなかったのが不幸中の幸いだ。一晩ぐっすり眠れば、明日には気分も良くなってるはずさ」 軽くキスし、デイヴィはその腕に力を込めた。 床に倒れている晶の姿を見たとき、デイヴィは内心激しく動揺した。自分でも、こんなにショックを受けるとは思ってもいなかった。まだ出会って間もないにも関わらず、自分の中で晶の存在がこれほど大きく、また重要になっていることを、デイヴィは初めて思い知らされた。 「誰にせよ、犯人を必ず見つけ出して細切れにしてやる! ーーーー大事なおまえにこんなふざけた真似しやがって!」 「デイヴィ…。ありがとう。でも…」 「おまえ、こんなことされて平気なのか?」 「違う。ーーーー自分でやるからいいって言いたかったんだ」 茫洋とした晶の言葉に、デイヴィは思わず笑ってしまった。 「それでこそ晶だ。ーーーーさあ、もう眠りな。こうしててやるから」 「ありがとう。ーーーーねえ、デイヴィ」 「んー? なんだ?」 「子守歌、歌って」 晶はデイヴィの胸に頬を擦り寄せて、 「あんたがあんなに歌が巧いなんて、知らなかった」 「俺の親父は吟遊詩人だったのさ」 デイヴィはそう言って笑うと、静かに歌い始めた。 その美しい声を聞きながら、晶は深い眠りに落ちていった。 次の朝。 ぐっすり眠って、デイヴィの言う通り、晶はすっかり元気になった。 「もう大丈夫だ」 デイヴィが安心して言う。 「気分はすっかりいいんだけど…、…お腹が減って、お腹が減って…」 晶は情けない声でお腹を擦った。なにせ、一昨日の晩から碌に食べていないのだ。特に晶は、子供の頃の経験から『飢え』がトラウマになっている。食べられるときに大量に食べるのはそのせいもあった。 「そうだろうな。でも、また昨日みたいなことが起こるかもしれねえから、俺が毒見した物から喰えよ」 試薬は食べ物の味に悪影響なのだ。毒が入っていなかった場合、かなり切ない思いをする事になってしまう。 「そんなことして、デイヴィは大丈夫?」 「俺は、毒には慣らしてるからな」 この世界では誰かに危害を加える方法といえば魔法と毒薬だ。そのため、国の要人や将校以上の軍人、フリーランサーなど狙われる危険のある者達は、耐魔法と耐毒のスキルを学んでいる。デイヴィもその一人だ。 そんなデイヴィが試薬や解毒薬を所持しているのは、自分以外の人達のためだ。フリーランサーとして他人と組むことが多いからである。 「さあ、行こうぜ」 リュークの計らいにより、昨日よりも更に沢山の料理が用意されている。 「晶殿! 大丈夫なのですか?」 2人の姿を見て、リュークが声を掛ける。 「おかげさまで。心配をお懸けして…」 晶が頭を下げていると、パールが入ってきた。 「あら、もう良くなったの」 まるで、良くなって残念とでも言いたげな口調だ。 デイヴィが文句をつけようとしたのを抑えて、晶はにっこり笑うと、 「デイヴィが一晩中看病してくれたから」 とは、結構人が悪い。 パールは妬き餅と怒りで真っ赤になって、 「そう! それは良かったこと! ーーーーでも、それも、今のうちだけなんだから!」 と、デイヴィにしがみつく。晶はそれ以上何も言わず、ただ肩を竦めた。 「おお、晶! もう治ったのか。ーーーー良かった良かった」 王が腹を揺すって、 「しかし、誰があんな真似をしたのやら」 「そのことについて、調べてみたのですが…」 モーリスが進言した。 「あの水はミネラルウォーターでして、冷蔵庫から出し、全員のグラスに同じボトルから注ぎ、すぐテーブルに出したと、給仕が言っております」 「じゃあ、毒を入れたのは、テーブルに出してからってことか」 デイヴィが腕を組んで、 「その給仕は何も言ってねえのか? 誰か見たとか」 「それが…」 モーリスは汗を拭いて、言いにくそうに口篭もった。 「…水を置いてから1度キッチンに戻って、すぐ最後の料理を運んでみると、ダイニングにはもう王が来ていたということで」 「確かに、部屋に入った時、キッチンに入る給仕の後ろ姿が見えていたわい」 王が頷く。自分の言葉がどういう意味を持つのか自覚していないらしい。天然なのか、間が抜けているのか。どちらにしろ、一国の王らしくない王様ではある。 「って事は、他に入った者はいねえのか」 デイヴィは顎に手を当てて暫し考えた。 「ーーーー王様の仕業ですか?」 王は蒼くなって、 「なななななんでわわわわしが…!」 慌てて弁解する。気が小さいのか、疑われているというだけでびくびくしてしまうタイプらしい。 デイヴィは品良くにやにや笑って、 「その慌てぶり、怪しいですねぇ」 なんのことはない。からかっているのだ。 「デイヴィってば。王様がそんなことするわけない。姫ならともかく」 晶がのんびりと、なかなかキツイことを平然と言う。余りに穏やかな口調なので、皆暫くはその言葉の持つ意味に気付かなかったほどだ。 「ーーーーちょっと! 何よ、それは!」 やっと気付いたパールが叫んだ。 「いくらなんでも、そこまではしないわよ!」 「そうだよね」 晶はケロリとしている。 「ーーーーとにかく、朝食にしようぜ」 デイヴィが提案して、皆昨日と同じ席に着いた。 「この料理は大丈夫じゃろうな」 王が不安げに言う。 「ちゃんと毒味をさせております」 リュークが頼もしく頷いた。 デイヴィは料理を皿に盛って一口食べると、晶にその皿を回してやった。 昨日の今日なのに、晶は勢い良くその皿を片づけていく。よっぽどお腹が減っているのか、呑気すぎるのだろうか。 「ーーーー今日はいい天気ですな」 不意に、モーリスが口を開いた。 「姫、お客人を森に案内してはどうでしょう?」 「森?」 デイヴィが訊き返す。 「城の裏に広がる、王家の森です。清々しいですよ」 「いいわね」 パールがにこにこしながら頷いて、 「食事が終わったら行きましょ、ボディガードさん♪」 で、結局、モーリス以外の全員で、ぞろぞろと森を散歩する。 パールは早速デイヴィを引っ張って、2人だけで少し先を歩いていた。 「仕事はいいんですか?」 そんな様子をぼんやり眺めながら、晶が王様に尋ねる。 王は笑いながら腹を叩いて、 「あのモーリスに任しておけば安心じゃ!」 呑気に答えた。いい加減な王である。 「しかし、毒を入れたのは誰なんでしょうな」 リュークが言いだした。 「わしが一番に入って、その後すぐモーリスが来おった。暫く国政の報告を受けて…」 王が、さっき叩いた腹を今度はさすりながら考え込んだ。 「ーーーー待てよ」 「どうなさいました?」 リュークが訊くと、 「その後、わしはちょっとトイレに行ったのじゃったぞ」 「トイレに」 「奴は暫く1人だったはずじゃ。わしが戻った時、丁度パールが来たんじゃからな」 「ーーーーということは、大臣が晶殿のグラスに毒を? しかし、何故…」 リュークは首を傾げて、 「晶殿、何か心当たりは?」 「さあ」 晶は呑気に呟いた。モーリスは晶を知っているのかもしれない。だが、晶は彼を知らない。だから彼が何を考えているか解ろうはずもない。今の晶にできるのは、降りかかる火の粉を払うだけである。 その時、 「キャーーーーー!」 パールの悲鳴が響き渡った。 まず最初に反応したのは晶だった。カモシカのように駆けだす。リュークは歳なので余り速くない。王も体型が体型なので、ドスドスという感じで後を追う。 パールがデイヴィの後ろに隠れ、デイヴィは剣を構えている。地面に、昨日の黒ずくめが30人ほど倒れている。 晶が駆けつけた時、こんな状況だった。 「晶。遅かったじゃねえか。全部片づけちまったぜ」 デイヴィが穏やかに言った。 「こいつら、昨日の…。こんな所まで」 晶は30人に目をやって、 「内部の者が手引きしたのかな?」 2人は考え込んだ。そうしていても、怪しい気配や殺気は敏感に感じる。しかし、その人物は殺気を感じさせなかった。それで、彼が何をしようとしているかに、まったく気付かなかったのだ。 「ーーーー命が惜しければ、動かないことじゃ」 ハッと晶が振り向くと、なんと、王が猟銃を彼に向けている。 「おい!」 デイヴィが蒼ざめた。 「陛下! 何をなさいます!」 後から来たリュークも慌てて叫ぶ。 「どうしてです?」 晶だけが、いつもと変わらない。 「娘のためじゃ」 王は静かに言った。 「パールが、どうしてもデイヴィが欲しいと泣くのでな。それにはそなたが邪魔なのじゃ」 デイヴィはパールを見た。パールは勝ち誇った表情をしている。その目には、甘やかされて増大し、なんでも自分の思い通りになる、と思い込んでいる傲慢さが宿っていた。 デイヴィはパールの前に膝を折り、彼女と目線を合わせた。 「な、なによ」 デイヴィの視線の鋭さに、さすがにパールが怯む。 「君は、自分のしてることが解ってるのか? わがままも大概にしろ!」 パールの目を見据えたまま、デイヴィは厳しく叱りつけた。 パールは生まれて初めて叱られ、しかも、それがよりによってデイヴィからだった、というショックで逆上した。恨みがましい眼でデイヴィを睨んで、 「なによ、偉そうに! ーーーーお父様だってあたしを怒鳴ったことはないのよ!」 「じゃあ、この際まとめてお仕置きしてやる」 デイヴィはパールの腰を抱えると、お尻をペンペンと叩き始めた。歳の離れた妹や弟が悪さをしたときにはいつもこうしていたのだ。 王が蒼くなって、 「やめるのじゃ!」 と叫んだのを、リュークが止めた。 「陛下! いま姫に必要なのは、ああやって間違いを正してくれる者ですぞ!」 「しかし…」 「それに、陛下! 陛下まで姫のわがままに付き合って人まで殺そうとするなど、もっての外です!」 「……………」 王は黙って俯いた。その力なく下がった手から、リュークは銃を取り上げた。 適当なところで、デイヴィは手を止めた。パールは座り込んで、 「あーん! ごめんなさーい!」 と、ひたすら泣いている。 「結局、晶に毒を盛ったのもあんたなのか」 返答次第では斬る、と言わんばかりの迫力で、デイヴィは王に迫った。 その迫力に王は真っ青になった。今の今まで忘れていた。デイヴィにはもう一つ呼び名があったのだ。《黒い悪魔》という呼び名が。 「ち、違う! ーーーーモーリスにこのことを相談して、奴に巧いことやってもらうように頼んだのじゃ!」 「…その通りですよ」 モーリスが森の奥から出てきた。1人ではない。後ろに、例の黒ずくめを50人ほど連れている。 「モーリス!」 目を恐怖に見開いて、王が叫んだ。 パールも泣き止んで、恐ろしそうにその集団を見つめている。デイヴィは彼女の腕を引っ張って晶の隣に移ると、他の3人を自分達の後ろに隠した。 モーリスは倒れている30人の黒ずくめを見つめて、 「さすがに、《黒い悪魔》には敵わないか」 「こいつらは、あんたが?」 晶が訊くと、厭味ったらしく唇の端を上げた。笑っているのだろう。 「晶が王に狙われていては、さすがにデイヴィも手が出せない。そこでまず目障りな《ガーディアンエンジェルス》を殺し、その後で残りを皆殺しにする。ーーーーこういう筋書きだったんですよ」 「な、なぜわしまで!」 王の顔面が蒼白になる。 「役立たずを生かしておいても、なんにもなりますまい。あなたは名ばかりの王で、実際政治を執っていたのはこの私。…ならば、名実共に本物の王になってもいいのでは?」 モーリスはしゃくにさわる笑い声をたてた。 「そして、そうなった暁には、アリステア帝国に迎え入れられることになっていましてねえ。この国はいわば、その為の手土産といったところですか。おまけに《ガーディアンエンジェルス》の首もつければ、かなり上の地位までいけるでしょうな」 「帝国…」 晶は茫洋と呟いた。その名には、彼の心を突き刺す苦いものがある。デイヴィもそれを知っているから、気遣わしげな視線を一瞬晶に送った。 モーリスは手を叩いた。その途端、倒れていた30人がバネ仕掛けの人形のように立ち上がる。 「さあ! 仲良くあの世に行ってもらいますかな」 じりじりと80人の黒ずくめが近寄ってくる。王とパールは抱き合って震え、リュークは天に祈り始めた。 「くだらねえことのために、晶を散々苦しめやがって」 デイヴィが剣を構えた。 「あの世に行くのはそちら」 晶も刀を抜く。 黒ずくめが飛び掛かってきて、デイヴィは剣で斬りつけた。確かに手応えを感じたのに、倒れもしないどころか血も出ない。 「そいつらを殺すことができないようですな」 モーリスがにやにやと笑う。 黒ずくめの裂けた服から、土気色の皮膚が覗いている。 ーーーーまさか? ある疑念を抱いて、晶は相手の顔のあたりを斬ってみた。すっぽりと顔を覆う布が2つに切れ、中から覗いた顔はーーーー 「やっぱり。ーーーーデイヴィ、こいつらゾンビーだ」 「ゾンビー? ーーーー話には聴いてたが、実物を見るのは初めてだ」 ゾンビー。生ける屍。崩れかけた顔に嵌まった虚ろな目、土色の乾いた肌。 幾ら斬っても死なないわけだ。何しろ、もう死んでいるのだから。 「首を斬り落として。それ以外に方法はない」 「O.K.」 襲いかかってくるゾンビーどもの首を、2人は片っ端から斬り飛ばしていった。しかしーーーー 「駄目だ、死なねえ! 一体、どうなってやがる!」 デイヴィが叫んだ。 頭を切り離されても死なないどころか、ゾンビー達は両手を伸ばしてゆっくりと向かってくる。頭の方は、斬られた拍子に頭巾が飛んでその気味の悪い顔を露にしていたが、その目が恨みがましく2人を睨み、あー、だの、うー、だの、鳥肌が立つようなおぞましい声を上げている。 そんな様子を、王は気絶しそうになりながらもじっと見ていた。目が離せなくなってしまったのだ。それでも、パールだけには見せないようにとしっかり抱きしめて目隠ししている。パールは耳を押さえて小鳥のように震え、リュークはというと腰を抜かして座り込み、ひたすら神に祈っている。 「無駄、無駄。私のゾンビーは特別製です。首を斬られたぐらいじゃ死にませんよ」 モーリスは憎々しげに笑った。 首のないゾンビーが2人を取り囲んだ。 「おやおや、相当あなた達を恨んでいるようですな。首を斬り落とされたんだ、仕方あるまい。お聴きなさい、その恨みのこもった呪詛を」 首なしゾンビー達が近づいてくる。デイヴィと晶はじりじりと退って、お互い背中合わせになった。 「困った」 晶が、この期に及んでのんびりと言った。 「他に方法はねえのか?」 「ゾンビーは塩に弱い。それから、聖なる力にも」 「聖なる力…」 デイヴィは何事か考えていたが、 「そうだ!」 晶がどうしたのかと訊く間もなく、デイヴィは雷神の剣を高く掲げた。 「偉大なる大神ゼウスよ! その力で、邪悪なる者達を滅ぼしたまえ!」 その言葉が終わるやいなや、剣から凄まじい光が溢れ、皆目を逸らした。 数秒後やっと目を開けると、そこにはゾンビーの姿はなく、ただ黒衣が花のように広がっているだけだった。 「ふう。ーーーーどうやら巧く行ったな」 デイヴィが剣を下ろす。 「さすが、デイヴィ。ーーーーゼウス様も」 晶が微笑んだ。 王達は、ただただ呆然と座り込んでいる。 「…馬鹿な…。完璧な私のゾンビーが…。…私の野望が…」 へたり込で1人ぶつぶつと呟いているモーリスに、デイヴィと晶は目を移した。 「ヒッ!」 2人の鋭い視線に気付き、四つんばいになって慌てて逃げだそうとするモーリスの襟を、デイヴィの逞しく美しい手が捉えた。 「ヒ、ヒィイイイイ!」 モーリスは恐怖の余り失禁している。デイヴィはそのまま王の前まで彼を引きずって行った。 「さあ、どうする? 王様。反逆罪は死刑か?」 「ギロチンの刑じゃ!」 王がモーリスを睨みつける。普段の人の良さが嘘のような威厳だ。極限の恐怖を味わって、彼の中で何かが変わったのかもしれない。 「た、助けてくれー!」 こちらも、さっきまでの威勢のよさはどこへやら、モーリスは涙を流して叫んだ。 先程の光を見て、城の兵士が駆けつけてきた。 「陛下! 何事ですか? 今の光は一体…」 「話は後じゃ! ーーーーモーリスを地下牢にぶち込んでおけ! 明日処刑じゃ!」 泣き叫ぶモーリスを兵隊が連れていくのを見送って、デイヴィと晶は王達を立たせてやった。 「晶よ、すまんかったのう。娘可愛さとはいえ、そなたを殺そうとするなど…」 王がしんみりと頭を下げる。 晶は何も言わず、王に笑いかけた。その紅茶色の澄んだ瞳に見つめられる内、王の心は軽くなっていった。 パールが晶の前におずおずと出てきた。 「ありがとう。助けてくれて。…あなたに酷いことしたのに」 俯いたまま、小さく呟く。 晶はその頭を撫でて、 「何ともなくて良かった」 と優しく言った。 そんなふうに気にかけてくれていたなんて全く予想外だったのと、更にその口調があまりに優しかったので、パールはやっと顔を上げて晶を見た。今まではデイヴィのことしか目に入らず、このとき初めて晶をーーーー晶の瞳をまともに見たのだった。 パールは軽い目眩を覚えた。今までの自分の愚かしい行いが総て、晶の瞳に映写されているように思われた。彼女は晶の瞳を通して自分を見つめた。なんて我が儘で愚かだったのだろう! パールは自分のことが無性に恥ずかしくなったが、晶の、何もかもを受け止め、かつ総てを許す者の持つ深さと穏やかさに満ちた瞳を見ているうちに、段々と落ち着いてきた。 パールは深々と頭を下げた。 「本当にごめんなさい」 「いいんだよ」 晶は微笑みながら応えた。 そんな様子を、デイヴィは暖かい眼で見守っている。 「ささ、とにかく、城に戻って休みましょう」 リュークが明るく言った。 「年寄りには、何しろきつすぎる出来事でしたわい」 足元がふらふらする3人を支えながら、デイヴィと晶は城に向かって歩きだした。 翌日、王の間。 「そうか、行ってしまうのじゃな」 寂しげに言った後、王はデイヴィと晶を真っ直ぐに見つめた。 「そなた達には本当に色々世話になった。元はといえば、わしの不甲斐なさが原因。これからは心を入れかえて、立派に王としての務めを果たすつもりじゃ」 「あれから、お父様といろいろ話し合ったの」 パールがさっぱりとした表情で、 「あたし、なんてわがままだったのかしら。デイヴィに叱られて、やっとそれに気付いたわ。今まで、あたしを叱ってくれる人なんていなかったから。それに、晶。あなたの澄んだ瞳に、自分の醜さを教えられたの。ーーーー本当にありがとう。それから、ごめんなさい」 デイヴィと晶は優しく頷いた。 「これからは、王や私がびしびしと躾けますぞ!」 リュークが胸を叩いた。 「そして、優しいレディに育て上げてみせますわい! ーーーー晶殿のような人間にな」 言われて、晶はきょとんとした。 デイヴィは楽しそう晶の肩を叩いて、 「そりゃあいい。ーーーー晶は世界一いい奴だからな」 「いや、そんな…」 晶は茫洋と呟いた。彼自身にとっては別にそこまで言われるようなことをしたつもりはないので、あまり褒められると困惑してしまうのだった。 「これからは、この国もどんどん良くなっていくじゃろう。総て2人のおかげじゃ!」 王は懐から、小さいが重そうな袋を取り出した。 「これは、そのお礼じゃ! 受け取ってくれい!」 しかし、晶は首を振って、 「ぼく達には必要ない物です。ーーーーどうか、この国の貧しい人達のために役立ててください」 この言葉に、王はいたく感動したようだった。 「そうか。そうじゃな。----まったく、そなたは立派な人間じゃ! 重ね重ね礼を言うぞ」 パールもおっとりと微笑んで、 「今度あなた達がこの国に来る時まで、あたし、晶のように素晴らしい人間になって、デイヴィみたいな素敵な人を見つけてみせるわ」 「期待してるぜ」 デイヴィはパールの額にキスした。 「頑張ってくだされ」 リュークの励ましを背に、2人は城を後にした。 暫く歩いてから振り向くと、ベランダから、城中の者が2人に手を振っている。2人も振り返してやった。 ムーンベクトを出て、今度は北のジョサイアシティに向かう。世界最大の町で、カジノや劇場、コロシアムなどの施設が充実している。半日歩いて到着した時には、もう夕方になっていた。 「ジョサイアシティは、昼も夜も楽しみが多い町だ」 デイヴィが晶に教えてやる。晶は、きらびやかなネオンに圧倒されて、お上りさん宜しくきょろきょろとあたりを見回していたが、 「立て札がある」 と言って歩きだした。デイヴィも続く。 「『武闘会開催! 出場希望者はこの角を右へ!』ーーーーもうそんな時期か」 デイヴィが呟く。 「出たことあるの?」 「一昨年な。世界中から強い奴が集まって、結構面白かったぜ。優勝景品も豪華だし」 それを知っているのは、やはり彼がそれを手に入れたからだろう。 「へえ。どんなの?」 デイヴィが答えようとした時、3軒先の家から女が出てきた。セクシーな顔だちに長い赤髪。ナイスバディを包むのがシースルーの服の下の、申し訳程度の布だけとあっては、道行く男達が注目するのも当然だろう。 「あら、デイヴィ。お久しぶりね」 女が2人に気付いて声を掛けてくる。周りの男達の嫉妬の視線が一斉に彼らに向けられーーーーすぐに溶けた。そして今度は、その美貌に目を離せなくなっている。 「元気そうだな」 デイヴィもにこやかに応じる。 「おかげさまで。ーーーー随分と可愛いボーヤ、連れてるじゃない」 「だろ? 晶だ」 「初めまして。ダンサーのマミラよ。よろしくね」 にっこりと笑って挨拶するマミラに対して、晶は黙って彼女を見ているだけだった。 「おい、晶、どうしたんだ?」 いつもと違う反応に驚いて、デイヴィが声を掛ける。 「……………」 「見とれてんのか?」 デイヴィが重ねて訊く。その口調には、注意していなければ判らないほどの、僅かな嫉妬の響きがあった。 「何か喋ってよ」 マミラにしてみれば、男達のこんな反応は日常茶飯事だし、デイヴィの口調の苦みに気付いたので、わざと悩ましげに言ってみた。 晶は茫洋と彼女を眺めていたが、やがて一言、 「……そんな恰好で、風邪ひきませんか?」 ーーーーデイヴィとマミラはずっこけてしまった。 この言葉が聞こえた周りの者達も思わず笑ってしまったが、馬鹿にしているのではなく、大人には思いも寄らないことを言った子供に対するような、愛情のある笑いだった。 「ーーーーあれ? どうしたの?」 「…おまえ、それが、20歳にもなった男の言うことか!」 デイヴィは、笑って笑って苦しい息の下から言いながら、内心ホッとしていた。 「手強いボーヤだこと」 マミラも苦笑するしかなかった。晶の雰囲気があまりに純粋で、さすがの彼女もどう扱ったものかすぐには判断できずにいた。それでも、デイヴィと晶の間に漂う“ある種の空気”は敏感に感じ取っていた。そして内心驚いていた。ーーーーまさか、“あの”デイヴィが男の子に、なんて。 早速からかってやろう、と、 「ーーーーそれとも、デイヴィの前じゃ、あたしの魅力も霞んじゃうのかしら?」 少しばかり皮肉めいた、冷やかすような口調で言ってみた。 しかし、それをまともに受けるようなデイヴィではなかった。 「ああ、それはあるな」 ぬけぬけと答える。 「…もう、相変わらずね」 マミラは拗ねたような目でデイヴィを睨んでから、フッと息を吐き、 「ーーーーまあ、いいわ。今夜、ステージ見にきてちょうだいね」 「勿論だ」 「絶対よ。ーーーーこちらのボーヤも」 そう言うと、晶の頬に軽くキスする。 「あ! こら!」 デイヴィが慌てて叫ぶ。今度は巧くいったどころか、予想以上の効果だったので、マミラは愉快になった。 「なあに? そんなに慌てちゃって。あなたらしくもない」 「い、いいだろ、別に」 決まり悪そうなデイヴィの様子に、マミラはくすっ、と笑って、 「そうね。いい感じね。ーーーーじゃあ、後でね」 と言い置いて、セクシーに腰を振りながら劇場に向かって去っていった。 その姿を見送ってから、2人は宿屋に足を向けた。 「しかし、おまえ、よく平気だったな」 シャワーで汗をさっぱりと流して、ゆっくり寛ぎながら、デイヴィは晶に言った。 「平気って?」 「だから、マミラに何も感じなかったのかって」 「感じるって、何を?」 無邪気に訊かれて、デイヴィは却って照れてしまった。真っ赤になって、 「いや、だから…。ーーーーなんだ、…その…」 しどろもどろの様子に、晶は思わず吹き出した。 「冗談だよ、冗談。ちゃんと解ってる」 「まったく、人が悪いな」 デイヴィはちょっと彼を睨んだ。 「ごめん」 晶は笑って謝った。この笑顔にデイヴィは弱い。ーーーーいや、デイヴィでなくても、誰でも怒りを忘れてしまうだろう。更に、 「でも、デイヴィって、照れると可愛いんだね」 と、こられては、もう笑う他ない。従って、デイヴィもそうした。 「ーーーーそれより、あのセックスアピールの塊相手に、よく平気だったな」 「マミラさんのこと?」 「あいつは、男を誘惑するために生まれてきたような女だからな。どんな男でもーーーーいや、顔がいいか、頭がいいか、金持ちか、それか強い男か。どれかを持ってりゃあ、あいつは構わねえんだ。そして、男達もそれを望んでる」 「ふーん。でも、ぼくには関係ないな」 「そこが知りたいんだ。どうしてなんだ?」 「だって、彼女を愛してるわけじゃないし」 この答えを聴いて、デイヴィは暫し考えた。 「じゃあ、なにか? おまえは、美女が裸で迫ってきても、彼女を愛してなきゃ何も感じねえのか?」 「うん。本当に愛してる人とじゃなきゃ、そんなことできない」 晶は真面目な顔で答えた。 デイヴィは再び考え込んだ。 「…じゃあ、俺を愛してるんだな」 「ーーーー何を今更」 晶はデイヴィを肘で軽く小突いた。デイヴィは妖しく微笑んで、 「確かめたんだよ。最近確認してねえからな」 「…なら、今から確認する?」 可愛らしく自分を見上げる晶を、デイヴィは抱き寄せた。 ふと、晶は目覚めた。隣でデイヴィがすやすやと眠っているのを確認して、頭を巡らせて時計を見る。 8時。 ーーーーマミラさんのステージは、何時からなんだろう。 こう考えてから、部屋の中が妙に明るいのに気付いた。夜にしては。 ーーーー夜。…夜? 月の光? 晶はガウンを羽織って窓辺に行き、カーテンを勢い良く開けた。南向きの窓の左側から、まぶしい光が入ってくる。その光の主は、どう見ても月ではない。 「朝なのか」 晶は茫洋と呟いて、ベッドの方を振り向いた。もぞもぞと動いている。直射日光に照らされて、低血圧のデイヴィもさすがに目を覚ましたらしい。 「おはよう、デイヴィ」 「おはよう、晶。ーーーー…なんだ、もう朝か…」 まだぼんやりとした頭を振っているデイヴィにキスしてやって、晶は、 「マミラさんのステージ、行けなかったね」 「仕方ねえさ。まあ、毎晩あるから」 デイヴィは猫のように伸びをした。 「しかし、朝まで寝ちまったとはな。さすがに疲れが溜まってたのか」 「夕飯も食べ損ねた」 晶がお腹に手を当ててぼやく。 「よし、じゃあ、飯を喰いに行こうぜ」 シャワーでさっぱりしてから、2人は宿屋の向かいのレストランに入った。 2分の入りだったが、2人が窓際の席に座ると、外からその美貌を見た通行人達が先を争って押し寄せてきて忽ち満席になった。2人を案内したベテランウェイターは、計算通りとほくそ笑んでいる。 例の如く、山のように料理を注文して周りの者を驚かせ、その料理をあっと言う間に平らげて皆に眼を剥かせた2人は、食後の紅茶を飲みながら、窓の外を眺めた。 「あれがコロシアムか。武闘会はいつからだろう」 宿屋の後ろにそびえ立つ円形状の建物を見て、晶が呟いた。 外を歩いている女の子達が2人を見てはしゃぎ、手を振ってくる。それに対してにこやかに振り返しながら、 「折角だから、出場するか」 デイヴィは言った。 「勿論」 晶が頷いて、2人はコロシアムに行ってみることにした。 コロシアムの前で、聞き覚えのある声が聞こえてきた。 「だから、あたしと一晩過ごしたいなら、それなりの男じゃなきゃね」 間違いなく、マミラだ。2人は声の方に急いだ。 「どうすりゃいいんだ? 俺様の気持ちは手紙に書いただろ? まだ何か必要なのかよ?」 いやらしい声で訊いているのは、2mを優に超す大男。しかも、体重も百キロ以上あろうかという幅の広さ。 「あのねえ、ーーーーあんたの手紙? あれ脅迫状じゃないの? 『もし俺様とヤッてくれないならどうなるか解るだろ?』って」 穏やかではない話に、デイヴィと晶は顔を見合わせた。心配になって近づいていくと、 「あら、デイヴィに晶じゃない」 マミラが気づいて、明るく声を掛けてくる。 「なんだあ? おまえら」 大男も振り向いた。かの有名な人造人間とブルドックをたして割ったような顔に、スキンヘッド。2人を見る眼も血走っている。美への憧れより、それを憎み破壊するのを極上の楽しみとしているタイプだ。 そいつは暫く2人を眺めていたが、やがて本能を取り戻し、 「脅迫じゃねえよ、マミラ! おまえとヤリてえんだよ! つべこべ言わずにヤラせろよぉ!」 とマミラに迫り始めた。 さすがにマミラは少しだけ身を引いたが、そこは経験豊富な彼女のこと、こういう男を怒らせたら大変なことになると知っていた。こういう場合、か弱い自分は被害を受けるだけだ。ならば、強い人になんとかしてもらおう、というわけで、 「そうねえ。あんたがそこのボーヤに勝てたら、今夜付き合ってあげる」 妖艶に微笑み、ゆっくりと晶を指さした。 皆の視線が晶に集中する。晶はぼんやりと後ろを振り返ってみた。勿論、誰かいるはずもない。 「この”お嬢ちゃん”に、か?」 男はにやにやと下品に笑うと、指をぼきぼきと鳴らした。 「ちょっと」 晶は慌ててのんびりと、 「勝手に話を進めないでよ」 デイヴィは無責任にも、面白そうな顔で事の成り行きを見守っている。 「覚悟しな!」 ぶおん! という風圧と共に、男は拳を振った。 「仕方ないなあ」 ぼやきつつ、晶は横に跳んでかわし、男のがら空きの腹に一発、パンチを食らわす。前のめりになった顎に膝蹴りして、組んだ両手を頸の後ろに落とすと、凄まじい地響きをたてて男は倒れた。 「顔に似合わず、強いじゃない」 マミラが眼を丸くする。 デイヴィが苦笑しながら、 「しらじらしい芝居はよせよ。知っててけしかけたくせに」 デイヴィと晶が《ガーディアンエンジェルス》として組んだのを、強い男が好きなマミラが知らないはずがない。デイヴィはそこを突っ込んだのだ。 図星だったらしく、マミラは肩を竦めた。 「さすが、お見通しね。ーーーーあなた達、ゆうべ来なかったでしょ。そのお仕置きと、あとは本当に自分の手に余ると思ったから」 倒れている男を恐ろしそうに見つめ、 「こういう人が一番やっかいなのよ。下手な断り方して恨まれても後が怖いし…。ーーーー本当に助かったわ。ありがとう」 マミラは丁寧に頭を下げた。 こうなると、元々レディには優しいデイヴィであるから、 「気にすんなよ。確かに、こっちは恨まれても対処できるしな」 と応じてから、晶の方にウィンクして、 「まあ、俺じゃなくて実際は晶がしたことだけどな」 「うん。ぼくも別に気にしてないし、むしろ役に立てたんならよかった」 晶も、いつものように穏やかに頷いてから、 「それより、ゆうべ行けなくてごめんなさい。つい眠っちゃって」 決まり悪そうに頭を掻く。その様子があまりにも可愛らしいので、マミラは恐ろしさも腹立ちも忘れてしまった。それに、晶は確かに、彼女が厄介ごとを押しつけたことよりも、約束を果たせなかったことの方を気にしている。こんな純粋な人物はーーーー男でも女でもーーーー初めてだ。ーーーーこれはデイヴィもまいっちゃうわけだわ。 「いいのよ。今晩は必ず来てね。ーーーーそれから、その後たっぷり埋め合わせしてもらおうかしら」 お陰でいつもの自分を取り戻したマミラは、晶の首に腕を回しながら、悩ましげに囁く。対して晶は、訳が解らないといった調子で、 「埋め合わせ?」 「ーーーー自信をなくさせるボーヤねえ。そんなに魅力ないかしら、あたし」 マミラは苦笑しつつ離れた。思春期真っ只中な少年から引退したはずの年配まで、『男』だったらマミラに反応しない者はいなかった。こんなことは初めてだ。だが、腹は立たなかった。晶はどこか違う次元にいるような雰囲気を持っているからだ。 「充分魅力的だよ」 デイヴィは優しく保証した。それからちょっと嬉しそうな口調で、 「ただ、晶の目には、俺しか見えてねえのさ」 「よく言うわよ」 悪戯っぽくデイヴィを睨んでから、マミラは大きく伸びをすると、 「さぁて! 今夜に備えて眠っておかなきゃ。ーーーーじゃあ、きっと来てよ」 「了解」 マミラはデイヴィに軽くキスし、それから晶に手を振って、家へと去っていった。 「さあ、俺達も行こうぜ」 デイヴィが晶の背中を押して歩きだす。 角を曲がるとコロシアムの入口が見えてきた。受付に10人弱並んでいる。開催日を確認して、 「丁度、明日からだ」 「いいタイミング」 2人は列の最後尾に並んだ。しかし、 「ーーーー悪い。晶、並んでてくれ。すぐ戻る」 デイヴィは列を離れ、道を歩いている女性に近づき、声を掛けた。そしてそのまま談笑する。知り合いらしい。 のんびりとその様子を眺める晶の後ろに、ごつい男2人連れがつく。背は晶とさほど変わらないが、幅は1.5倍はあるだろう。晶とて戦士なので華奢ではないが、鞭のように引き締まった身体をしている。対して後ろの2人は岩のようだ。 その2人の会話を、晶はなんとはなしに聴いていた。 「しかし、丁度いい時にこの町にきたなあ」 「まったくだ。年に1度の武闘会だもんな」 「結構強そうなのがいるぜ」 「ーーーーおい、あそこにいる奴、デイヴィ・キーンじゃねーか?!」 「げっ! 本当だ! ーーーー出るつもりかな、やっぱり」 「冗談じゃねーぞ! あいつに出られたら…」 「更に今なら、あいつにはサヴィナの《キラーパンサー》が付いてるはずだ」 人を”おまけ”みたいに、と晶は内心文句をつけた。 「ど、どこにいるんだろう」 「さあ。あいつの顔は、あまり知られてねーからな」 「あ、あいつかな。デイヴィに近づいてった」 晶も勿論見ていた。そして、いくらなんでもそれは酷い、と落胆した。 そこには、さっき彼にやっつけられた奴が立っていたのである。 「まさか、それはねーんじゃねーか?」 「しかし、デイヴィと何か話してるぜ」 話しているというよりは、男が何やら一方的に文句をつけている感じだ。 「お、見ろよ。ーーーーやっぱ、違うんじゃねーか?」 男がデイヴィの胸ぐらを掴んで、拳を固めて振りかぶったのだ。 |