勿論、そんなことで慌てるデイヴィではない。 自分を押さえている相手の肘のあたりを、デイヴィは加減なく掴んだ。 「うおぉ!」 男がぱっと手を離し、肘を押さえる。ここを掴まれると手が痺れてしまうのだ。 デイヴィは待ったなしで、男の腹に拳をめり込ませた。さっき晶が突いた場所だ。 さすがに効いたのか、男はそのまま倒れた。途端に、コロシアムから担架を持った男達が出てきて、5人がかりで男を運び込んでいった。中の救護室で手当てしてやるのだろう。 「さっすが、《黒い悪魔》!」 晶の後ろの男が、晶の思いを声にした。もう1人が苦い声で、 「おまえ、呑気だな。武闘会じゃあいつと当たるかも知れねーんだぜ」 「…そうか…。しかし、あいつにやられるなら恥にはならねえぜ」 「まあ、確かに」 「それに、万が一ってこともある」 「まさか! ーーーーおまえってば、ほんっとの馬鹿だな」 「いいから聴け。いいか? あいつが当日調子が悪くならねえって保証が、どこにある」 「なに?」 「だからよ、当日、腹が痛くなるとか、風邪をひくとか、二日酔いになるとか…」 「なーる! それなら、俺達にもチャンスがあるわけだ」 「おうよ! もしかすっと、《黒い悪魔》をやっつけられるかもしんねーぞ」 ーーーーおめでたい奴ら。 晶は、聴いていて吹き出しそうになるのを、辛うじて堪えた。 「しかし、こう見たところじゃ、あいつの他には大した奴がいなそうだな」 「《キラーパンサー》はどうだ?」 「あいつも噂じゃ無敵だが、案外弱っちいかもよ」 晶は黙っていた。自分がそうだと名乗り、噂通り強いと言ったところで、きっと信じやしないだろうから。 「…ま、《キラーパンサー》は別として、デイヴィ以外は一山10ギニーって感じだな。ーーーーこのにーちゃんもさ」 いきなり背中をばし、っと叩かれて、晶は振り向いた。 2人の男は驚いて晶の顔を眺めていたが、やがて意地悪くにやりと笑うと、 「おっと、失礼! にーちゃんじゃなくて、ねーちゃんだったか」 「お嬢ちゃん。ここは武闘会場で、ダンスの会場じゃないのよ」 勝手なことを言って、自分達だけが勝手にウケている。晶はいつものことなので気にせず、黙って2人を見ていた。 「次の方、どうぞ」 受付から声が掛かって振り向くと、丁度晶の番だった。 「お待たせしました」 晶が窓口に立った気配に、係員が顔を伏せたまま言った。それから顔を上げて、ーーーーそのまま、ぽかんと彼の顔を見つめている。 晶もきょとんとして、 「何か」 「い、いえ…。ーーーー武闘会にご出場になる?」 「はい」 「…念の為確認させて頂きますが、武闘会ですよ。闘う方の。踊る方の舞踏会じゃありませんよ」 「判ってます」 「本当に、ご出場なさるんですね」 係員が念を押す。男達の馬鹿笑いを後ろに聞きながら、晶は、 「いけませんか?」 「いえ、その…。…悪いことは言いません。お止めになった方が…」 「はあ?」 「本人が出たいって言ってんだ! 出さしてやんな!」 笑いを含んだ声で、後ろの男が言った。 「そうそう。俺達がたっぷり可愛がってやるんだからよ!」 「はあ。そうですか」 係員は汗を拭いて、更に咳払いすると、 「では、お名前と血液型を」 口調を事務的なものに改めた。 「聖晶。O型です」 「ひじりあきら…。O型、と。ーーーーで、本名で出場なさいます? それとも、なにかコードネームを…」 「《キラーパンサー》だ」 晶が答えるより先に、美しくセクシーな声がして、その場の人々を恍惚とさせた。 「デイヴィ」 いつの間にか、デイヴィが晶の横に立っている。 「なんかもめてるみたいだったけど、問題でもあったのか? 晶」 「いや、まあ、いろいろ」 「あの、ちょっとご確認したいんですが」 係員が上擦った声で口を挟んだ。 「《キラーパンサー》とおっしゃいました?」 「ああ。ーーーーそれが?」 「い、いえ。確認しただけです」 デイヴィに見つめられて、妙齢の女性の係員は真っ赤になった。それでどうやら落ち着いたらしい。 後ろの2人は黙り込んでしまっている。 「では、この札を持って中に。第1次予選を行いますので…」 「はい」 晶は札を受け取って、後ろの2人を振り返り、 「お先に」 「あ、ああ…」 決まり悪そうな2人に向かって、無邪気に笑いかけると、 「じゃあ、試合ではたっぷり可愛がってもらおうかな」 2人は蒼くなって顔を見合わせた。 「なんだ? さっきの台詞は」 中の廊下を予選会場に向かって歩きながら、デイヴィが尋ねてきたので、晶は先程のことを説明した。 「なるほど。確かに、おまえは顔を知られてねえもんな」 あの2人の心中を想像して、デイヴィは同情しつつも楽しそうに言う。 「その点、デイヴィは有名だね。みんな顔を知ってる」 「あっちこっち彷徨ったからな。ーーーーお、ここだ」 『第1次予選会場』と書かれたドアを開けると、中には、数人の男達が木刀を手に立っていた。彼らを倒せばまずは第1次予選通過となる。 勿論、2人は難なく第1次予選を通過した。係の女性が出場者用のパスを持って来て、 「第2次予選は明日の朝9時からです。8時半迄にはいらしてください。ーーーーご健闘を」 最後の言葉には心が籠もっていた。尤も、他の者には機械的に言うのだろうが。 「ありがとう」 デイヴィがにっこり笑うと、係の女性は湯気を出してその場に倒れるのでは、というほど真っ赤になった。 コロシアムを出ると、もう12時になろうとしていた。 当然、2人はレストランに向かった。 「楽しみだなあ、明日から」 デザートの杏仁フルーツを食べながら、晶が呟いた。 「その前にもう1つあるだろ。今夜の、マミラのステージだ」 デイヴィが言うと、晶はぽん、と手を叩いた。 「あ、そうだっけ」 「花より団子だな」 デイヴィは苦笑しながらチーズーケーキを口に入れて、 「今夜8時からだぜ」 「じゃあ、それまで、この街を散歩しよう」 散歩の途中で入ったカジノで馬鹿勝ちしている間に時間もつぶれ、2人は劇場へと向かった。 入口で名前を言うと、支配人らしい男が飛んできて、真ん中の1番前に2人を案内してくれた。休憩時間なのか、幕は閉じている。 運ばれてきたディナーを食べていると、幕が開き、妖しい音楽とともに、マミラが妖艶な踊りを踊り始めた。 「ピー、ピー! サイコー!!」 「マミラちゃん、感じるぅ!」 「いいぞー! 脱げ脱げー!!」 ステージの踊りよりも、後ろから聞こえる下品な言葉に、晶は呆気に取られた。 様々な音楽に乗って小1時間ほど踊って、マミラは引っ込んだ。 再び支配人風の男が来て、2人を控室まで連れていった。 「どうだった? あたしの踊り」 汗を流したのだろう。マミラは濡れた髪をバスタオルで拭きながら出てきた。漂う湯上がりの色気に、普通の男ならどうにかなってしまいそうだが、デイヴィも晶も普通じゃないので平然としている。 「相変わらず、よかったぜ」 デイヴィは優しく答えてから、晶の方に、 「な?」 「え? あ、うん」 晶が茫洋と頷く。これが他の男なら、自分の魅力に参ったからぽーっと逆上せている、と考えるところだが、晶だけは例外だとマミラも承知しているから、 「怪しいわねえ。ちゃんと見てたの? 寝てたんじゃない?」 苦笑いしながらからかう。 「起きてた。ーーーーただ、あの歓声が」 「ああ、あれね。いつものことよ」 マミラはあっさり言って肩を竦めた。むしろ、あの歓声こそがマミラを掻き立てるのだ。ああいう男達のために、彼女は踊っているのである。 「さあ、折角きたんだから、お茶でも飲んでって」 「じゃあ、お言葉に甘えようか」 デイヴィと晶は椅子に座って、マミラが手ずから入れてくれた紅茶を飲む。ローズティだ。それを味わいながら、3人の話は西へ東へ飛んでいたが、そのうち武闘会の話になった。 「ーーーーやっぱり出るのね。あたしも、ベストエイトバトルでは1番いい席を買ってあるの。しっかり応援するわ」 マミラは楽しそうだ。強い男も好きな彼女にとっては、武闘会は相手探しにうってつけなのだろう。 「そりゃ、頼もしいな」 デイヴィは微笑んで、紅茶を飲み干すと、 「じゃあ、ご馳走様、マミラ」 と立ち上がった。 「どう致しまして。…頑張ってね、2人とも」 マミラは、2人の頬にキスした。 「素晴らしいダンスをありがとう」 晶はにっこり笑って、 「お疲れでしょう。ぼく達はこれで」 「優しいのね。ーーーーじゃあ、おやすみなさい」 「いい夢を」 2人は部屋を出た。 劇場でのディナーとマミラのお茶では足りなかった為、2人はレストランに寄ってから宿屋に戻った。 「明日8時半だから、7時に起きればいい」 晶は目覚ましを合わせた。 「そんなに早く起きたことねえな」 デイヴィがぼやく。 「今から寝れば7時間寝られる。充分すぎるね」 「今から眠ればな」 デイヴィは晶を抱きしめた。 「駄目だよ、デイヴィ。寝不足になっちゃう」 と口では言いつつも、晶は勿論抵抗しなかった。 武闘会はジョサイアシティの名物である。年に1度、最強の戦士を決めるため、世界中から兵達が老若男女問わず集まってくる。更に、それを楽しみにやってくる観光客達がこの街にお金を落としていく。すると、必然的に娯楽施設が増えていく。国家でないこの街がこれほど繁栄したのは武闘会のお蔭だといえよう。 第1次予選を勝ち抜いた者達には、更に第2次予選が待っている。出場者同士で戦い、ベストエイトを選び出すのだ。これは武闘会開催委員会が掌握していて、優勝候補同士が当たらないようなシステムになっている。客を呼ぶのは、その本選ーーーー「ベストエイトバトル」のときだ。しかし、希望者はギニーを払えば第2次予選も見学できることになっており、コロシアム中の武闘室で行われる熱い戦いに魅了される武闘ファンも多い。 ところでこの第2次予選、歴代の本選優勝者は免除されることになっているので、一昨年の優勝者であるデイヴィは、晶の応援に専念していた。 晶はといえば、勿論第2次予選ごときで負けるわけもない。あっさり本選出場を決めた。 ちなみに、受付のときに晶をからかった男達は、晶に散々「可愛が」られて、口は災いの元という諺の意味を身をもって証明したようである。 そして、「ベストエイトバトル」当日。 隙のない鎧姿に武器を携え、2人は会場に現れた。 客席は満員だ。デイヴィの出場を目当てにしていた観客達は、彼の隣にいる少年の正体に気付き、水を打ったように静まり返った。あまりに晶が可愛すぎて、《キラーパンサー》のイメージから程遠かったからだ。それでも、2次予選を見学していた者達は、その強さを知っている。 「はーい! では、出場者を紹介いたしまーす!」 司会者が声を張り上げた。 「《暁の戦士》さん! 《キラーパンサー》さん! 《切り裂き魔》さん! 《黒い悪魔》さん! 《死神紳士》さん! 《地獄の魔女》さん! 《ナイトメア》さん! 《ミラージュ》さん!」 いずれも、世界中にその名を轟かせている兵(つわもの)のフリーランサーばかりだ。会場が沸き上がる。 「では、くじを引いてください!」 対戦表に名前が入っていく。 「第1回戦! 第1試合、《ナイトメア》V.S.《キラーパンサー》!」 歓声が上がった。このあどけない少年が本当に強いのかと、皆内心思っていた。それが早速判明するのだ。 「第2試合、《ミラージュ》V.S.《暁の戦士》! 第3試合、《切り裂き魔》V.S.《地獄の魔女》! そして、第4試合は! 前回の優勝者、《死神紳士》V.S.前々回の優勝者、《黒い悪魔》!!」 沸き上がる歓声の中、戦士達は、それぞれの対戦者と握手を交わした。 「では、早速! 第1試合! 《ナイトメア》V.S.《キラーパンサー》!」 「いきなりだな。頑張れよ、晶」 デイヴィは晶に軽くキスした。その様子に観客が再び沸く。その中には、信じられないものを見たという驚きの声や、2人の仲に当てられた者達の冷やかしや、デイヴィファンの女の子達の悲鳴などが混ざっていた。 「任せといて」 晶は可愛らしく笑った。とても強そうには見えない。 晶と《ナイトメア》を残して、出場者達は奥に引っ込んだ。 「晶ー! 頑張ってーー!」 声が掛かったのでそちらを向くと、1番前のボックスシートにマミラが座って、盛んに手を振っている。晶も笑って振り返した。呑気である。 「FIGHT!」 レフェリーが手を振り上げて、2人は向かい合った。 《ナイトメア》は、はっきりいって余裕だった。《キラーパンサー》だというが、とてもとても、そうは見えない。こんなお子様、どうにでもなるさ。 晶が刀を抜く。すう、とその顔が引き締まった。 会場中が息を呑む。そこには、あどけない少年の面影は、もはやなかった。 迸る殺気を感じながら、《ナイトメア》は自分が間違っていたことに気付いた。冷や汗が背中を伝う。 晶が寄った。《ナイトメア》は動けなかった。蛇に睨まれた蛙の気持ちが良く解った気がした。 晶が目の前に刀を突きつけた。それだけで、《ナイトメア》は尻餅をついてしまった。 「ギ、ギ、ギ、ギブアップ!」 やっとの思いでそれだけ叫ぶと、《ナイトメア》は一目散に逃げだした。観客のブーイングも気にならない。命を取られることに比べれば、それがなんだというのか。 晶が刀を納めてレフェリーを見る。彼はその視線で我に返って、 「…キ、《キラーパンサー》!」 と、晶の方に手を振った。 狐につままれたような表情で拍手している観客達にお辞儀して、晶は奥の方へと歩いていった。もう普段の顔に戻っている。 「おめでとう」 呆気に取られている他の出場者を尻目に、デイヴィは晶を優しく迎えた。 「楽だった」 晶はデイヴィにキスしながら、 「でも、つまらない」 とぼやく。 「なに、次があるさ」 デイヴィは晶の頭を撫でて、慰めるように額にキスした。 「巧い具合に決勝まで当たんねえからな、俺達。途中でやられんなよ」 「お互いさま」 晶は悪戯っぽく微笑んだ。 さくさくと試合は消化されていって、デイヴィの出番になった。 「さあ、いきなり優勝候補同士の対戦です!」 司会者が興奮気味に叫んだ。 「前回の優勝者、《死神紳士》V.S.前々回の覇者、《黒い悪魔》!!」 ウォーー! と観客が沸いた。 晶は、キスとともにデイヴィを送りだした。 「デイヴィ!」 マミラを始め、観客席のあちらこちらから黄色い声が上がる。デイヴィは投げキスを送った。余裕である。 「FIGHT!」 早速、剣のぶつかり合う音が響く。デイヴィの激しい攻撃に、《死神紳士》は押され気味だ。 キィン! デイヴィが《死神紳士》の剣をはじき飛ばして、勝負がついた。やはり、前回の優勝者とはいえ、《黒い悪魔》には敵わない。なにしろ、彼は前回出ていなかったのだから。 歓声を送る観客にもう1度キスとウィンクを投げて、デイヴィは晶の所に戻った。 「さすが、デイヴィ!」 微笑む晶にキスして、デイヴィは飲み物を受け取ると、 「さあ、次に勝てば決勝だ」 と呟いた。 第2回戦。 晶は《ミラージュ》と対戦だ。 レフェリーの合図とともに、2人は向かい合った。 《ミラージュ》は隙だらけだ。晶は早速斬りかかってーーーー突き抜けてしまった。 「?!」 きょとんとしている晶に、後ろから声が掛かる。 「おいおい、どっちを見ているんだ? 俺はこっちだぜ」 振り向いた晶の目に映ったのは、2人の《ミラージュ》だった。 「???」 ぼーっとしている間にも《ミラージュ》はどんどん増えて、遂には晶をぐるりと取り囲んでしまった。 「どうした? 小僧」 「俺はここだ」 「どれが本物か、お前には判るかな?」 幻が次々と話すのを、晶はうるさそうに見ていたが、 「なるほど。ミラージューーーー蜃気楼ーーーーか」 そう呟くと、刀を構えたまま静かに瞳を閉じた。 「…なんのつもりだ」 《ミラージュ》は少なからず緊張した。晶は何を考えているのか計り知れない、何かとんでもないことをしそうな雰囲気の少年なのだ。 「知りたかったら、かかっておいで」 晶が目を瞑ったまま笑う。その悩ましさ。《ミラージュ》が応じたのは、その美貌に魅せられたせいかもしれない。 15人の《ミラージュ》が一斉に晶に飛び掛かる。晶は動かない。 会場中が静まり返った。このままではーーーー すっと晶が体ごと振り返り、真後ろの《ミラージュ》の腹に刀を振った。 「ぐっ…」 《ミラージュ》は呻き、1人になり、そして崩折れた。 開いた晶の目に、担架を持った男達が入ってきた。 担架に乗せられた《ミラージュ》が、呻きつつ気が付く。 「安心して。峰打ちだから」 晶は優しく言った。 「い、今のは…」 「心眼剣。心で見切る技」 「心で…」 《ミラージュ》は呟き、それから微笑んだ。苦しげではあったが、爽やかな笑みで。 「負けたよ、お前には。ーーーー悔いはねえ。お前になら」 晶も微笑んだ。 観客の拍手に送られて去っていく《ミラージュ》を見送って、晶もデイヴィの所に戻った。 「やるな。おまえと対戦できると思うとわくわくするぜ」 デイヴィが嬉しそうに言う。 「その前に、あんたが勝たなきゃ」 晶は尤もなことを言って、デイヴィに勝利のキスをした。 次のデイヴィの相手は《地獄の魔女》だ。 彼女は数少ない『魔導師』の一人だ。魔法の詠唱時間が殆ど皆無で、強力な魔法を次々唱えることができる。殆どの者は、反撃のチャンスを得る間もなく力尽きてしまうほどだ。 早速、《地獄の魔女》は火炎魔法の最上級である「イフレイ」を唱えた。紅蓮の炎が渦を巻いてデイヴィに襲いかかる。 観客席から悲鳴が上がった。デイヴィの身体が、あっけなく炎に包まれてしまったからだ。 晶は目を丸くしてこの事態を視ていた。不思議と不安や焦りはない。あのぐらいの炎、デイヴィなら喰らう前に避けているはずだ。晶の目には、デイヴィが炎を避けられなかったのではなく“わざと”避けなかったように見えた。 《地獄の魔女》は得意げな笑みを見せた。デイヴィのあの美貌を焦がすのは惜しい気もしたが、負けが決まったらすぐに回復されるのだ。あの《黒い悪魔》に勝利したという事実こそが、何よりの価値になる。 しかし、彼女の笑みはすぐに訝しげな表情に取って代わられた。これだけの炎に包まれながら、デイヴィはまったく微動だにしない。片膝さえつかないのだ。 ーーーー不意に、炎が消えた。 会場中がざわめく。そこには元のままのデイヴィの姿がーーーー髪の毛一本すら焦げていない、美しい姿があった。 「ーーーーやっぱり」 晶が呟く。口調に安堵が含まれているのは、やはり人が火だるまになっているのを見るのはいい気分ではないからだ。それが愛する人なら尚更である。 「な、何故…?」 呆然と立ちすくむ《地獄の魔女》に、 「悪いな、レディ。ーーーー俺に魔法は効かねえんだ」 デイヴィは微笑みかけた。 「魔法が…って、あなた、まさかーーーー『ゼロ』?!」 《地獄の魔女》は驚愕を込めて叫んだ。 そもそも魔法防御力は、その人の持つ魔力に比例する。魔力が高ければ高いほど、攻撃魔法は効きにくい。 ただ、魔力10の『フル』と魔力0の『ゼロ』だけには、攻撃魔法はまったく通用しない。前者はあまりに高い魔力のため、後者は、ゼロにはいくら掛けてもゼロ故に、である。有り難いことに、両者共に回復魔法はちゃんと効く。あれは魔法防御力の影響を受けない魔法だからだ。『フル』も『ゼロ』も100年に1人と言われるほどの希人なのは、こういう特異性によるものだ。 《地獄の魔女》がデイヴィを『ゼロ』の方と推測したのは、今まで彼が魔法を使ったという話を聞いたことがなかったためである。 デイヴィは頷いた。悪魔さえほだされそうなほど優しい口調で、 「そういうことさ。ーーーー君を傷つけるのは忍びねえ。ギブアップしてくれないか?」 《地獄の魔女》はふ、と肩を落とした。魔力以外に力を持たない彼女は、自分の負けを悟ったのである。 「いいわ。ーーーー私の負け」 「サンキュー」 デイヴィは優雅に腰を屈めると、《地獄の魔女》の手を取って口付けた。たちまち、《地獄の魔女》の頬が染まる。彼女は自分からデイヴィに抱き付いて、 「あなたの顔ーーーー、焼けちゃわないで良かったわ!」 頬にキスした。 結局、大方の予想どおり、決勝戦は《黒い悪魔》V.S.《キラーパンサー》の大勝負。 「つまんねえな。ぜんぜん強い奴がいねえ」 デイヴィがぼやく。晶は呆れた顔で、 「そりゃあ、あんた相手じゃ、誰だって弱いよ」 「それもそうか」 とはいい気なものだ。 「期待してるぜ、晶」 「任せといて」 2人は微笑み合った。 「決勝戦は午後からです! 今から1時間、昼の休憩にしまーす!」 司会者が観客に叫んでいる。 「お2人はこちらへ。昼食を用意致しております」 係の後について、2人は食堂に向かった。 こんなに食べて大丈夫なのか、と他の者達を心配させていると、男達の視線と共にマミラがやって来た。 「ハァイ! いよいよ対決ね」 「どっちを応援してくれるんだ?」 デイヴィの言葉に、マミラは真面目くさった顔で、 「言葉に出してはデイヴィを、心の中では晶のために祈ってるわ」 「巧く逃げたな」 デイヴィは笑ってしまった。 「ーーーーそれにしても、そんなに食べて大丈夫なの?」 「決戦に備えて、力を付けとかなくちゃ」 「それにしたって」 「普段から、このぐらいは食べるから」 晶は事も無げに言う。マミラもやっと納得したように頷いて、 「確かに、体力使うものね。ダンサーも体が資本だから、結構食べるのよ」 と言った後、 「勿論、これほどではないけどね」 と付け加えた。 「もう昼は済んだのか? ーーーーまだなら、一緒にどうだ」 デイヴィが誘って、マミラも食卓に加わる。 30分で食事会も終わり、3人は四方山話で盛り上がった。 「10分後、決勝戦を行います。出場者は控室においでください」 アナウンスが流れて、3人は立ち上がった。 「じゃあ、しっかり応援するわね。ーーーーご武運を」 2人にキスを投げると、マミラは観客席に戻っていった。 戻りながら、あの2人、真剣に闘えるのかしら、と訝しんだ。 「さあ! いよいよ、本日のメインイベント! 武闘会決勝戦! 《黒い悪魔》V.S.《キラーパンサー》!」 観客が吠えた。《黒い悪魔》V.S.《キラーパンサー》。この2人の対決を、武闘ファンならずとも夢に見ていたことだろう。 2人が中央に進み出る。例によって握手を、と思ったら、手ではなく唇を合わせた。 観客が沸き上がる。口笛、歓声、黄色い声が上がった。 レフェリーが汗を拭き拭き叫んだ。 「FIGHT!」 暫くはお見合いが続くだろうという大方の予想を裏切って、いきなり晶が斬りかかった。デイヴィはマントを翻し、黒鳥のように跳びずさる。その美しさに、観客席からため息が漏れた。 マミラは自分の考えが甘いことを認めた。確かに、この2人は愛し合っている。始まりの様子でそれはよく解った。だから、真剣にやり合えないかと思っていたら、ーーーー間違いだった。あの、2人の表情。いかにも嬉しそうだ。そう。今まさに、真剣に、彼らは愛を確かめあっているところなのだ。 マミラだけではない。観客も、係の者も、他の出場者達も、確かにそれを認めた。 ーーーーこの2人は、最高に愛し合っている、と。 誘い、誘われ、2人は優雅に踊っているようにさえ見える。軽いステップ。武器の触れ合う音さえ上品な調べに変わる。 デイヴィのマントが裂け、晶の肩当てが飛んだ。それでも2人は踊り続ける。その顔に微笑みを刻んで。 剣と刀がぶつかって火花を散らした。そのまま暫く押し合っていたが、とうとうお互いの力に弾かれる。体勢を整えるため、2人は間合いを取った。コロシアムの端と端に。そのまま構えて見つめ合っている。どちらの顔にも至福の表情が浮かんでいる。 誰もが感じた。いよいよクライマックスだ。 デイヴィが駆けだした。晶もまた。 デイヴィの体が沈んだ。 晶が跳んだ。 下と上から、2人は剣と刀を振ってーーーー 観客が息を呑んだ。悲鳴が上がって、ーーーー不意に途切れた。 2人の体は止まっている。 互いの剣と刀もまた、互いの喉元の寸前で止められていた。 その姿。まるで、完成された彫刻のような美しさだ。 暫しの沈黙。 やがて、誰かが拍手しはじめ、観客全体に怒濤のように広がった。 「ブラヴォー!」 津波の如き歓声と拍手の中で、デイヴィと晶はそれぞれの武器を引くと、微笑み合い、立ち上がってキスを交わす。 観客は総立ちだ。勝敗など問題ではない。ただ純粋に2人の勝負に魅せられたのだ。 「素晴らしい! なんという素晴らしい勝負だったのでしょう!」 司会者は涙を流さんばかりだ。この大げささも、武闘会ならではである。 「もう、勝ち負けなど構いません! 真剣な、かつ、美しい試合を見せてくれた2人に、惜しみない拍手を!」 デイヴィと晶は繋いだ手を上に挙げてみせ、降ろしながら優雅にお辞儀をした。観客が沸きに沸いた。 ーーーー結局、勝負がつかなかったということで、規定により優勝者なし。2人は揃って準優勝扱いとなった。それぞれ賞金50万ギニーとカジノのコイン5百枚、副賞として高級薬草(2千ギニー相当)5個を手にした。 翌日、マミラのキスに送られ、2人はジョーリンサン村に向かった。 ジョサイアシティ〜クリストファーム間の中継所として利用されるだけの、普通の村だ。ここで1泊して、クリストファームまで3時間。着いた時には丁度昼だった。 王国とはいえ、クリストファームは、ジョサイアシティに比べると大して広くない。武器防具屋、道具屋は勿論、宿屋までも1軒だけだ。特に、10年前のクーデターで政権が交代し、軍事国家になってからは半ば鎖国状態で、あまり立ち寄る旅人もなく外からの情報も得られない。自然と寂れていく。更にいたる所で偉そうな兵士が睨みを効かせている雰囲気は、あまり面白いものではない。デイヴィも、ジョサイアシティには立ち寄るが、この国に入ったことはなかった。 そんな物騒な国に何故今回は来たかというと、ここから、デイヴィの故郷ファルーヤ行きの船が出ているからだった。ここから帰るのが一番近いのである。 唯一の宿屋に向かいながら、晶はふと思い出したことがあった。 「そういえば、ラルゴがここに来るような話をしてた」 「あ? そうだったっけ? ーーーーでも、俺はレディなら会いたいけど、わざわざヤローには会いたかねえがな」 「まったく、もう」 デイヴィらしい台詞に、晶は明るく笑った。 角を曲がると、宿屋の前に人だかりがしている。 「何かあったんですか?」 壮年の婦人を捕まえて、晶が尋ねた。 「あら、あなた達旅の人? ーーーー今日は美形に縁のある日ねえ!」 2人をうっとりと眺める。 「どうも。ーーーーで、いったい何が…」 「ああ、そうそう。いえね、この宿屋にさっき、《ガーディアンエンジェルス》が入ってったのよ」 デイヴィと晶は顔を見合わせた。 「噂でしか聞いたことなかったけど、すぐに彼らだって判ったわ。きりっとした顔立ちしてたもの!」 2人の困惑をよそに、婦人は興奮気味に話し続けている。 この国の新聞にも《ガーディアンエンジェルス》のことは掲載された。同じ世界征服の野望を抱くアリステア帝国を警戒しているこの国は、デイヴィと晶がそれぞれ帝国を退けたときも、《ガーディアンエンジェルス》結成時にも、少し贔屓するような記事を載せた。だが、2人の姿絵までは載っていなかった。それは、この国の新聞絵師が2人の顔を知らなかったせいだった。 その場合、他国の新聞社から姿絵を送ってもらうのが普通だが、今回はそれもなかった。この国の新聞社は政府の支配下に置かれ、規制と検閲を受けている。国民が知る必要のない情報だと政府が判断したものは載らない。帝国を退けた戦士がどんな顔をしているか、などはその最たるものだからだ。 「そうですか。ありがとうございます」 そう言って去ろうとした2人に、更に婦人は声を掛けた。 「ああ、あなた達、宿屋には泊まれないわよ」 「どうしてですか?」 晶が小首を傾げる。 「《ガーディアンエンジェルス》の2人が、貸切にしちゃったのよ。煩わされたくないんですって」 「なるほど。ーーーー情報、ありがとうございます。」 ひとまず、デイヴィと晶は人気のない路地に入った。 「今着いたのに、もう宿屋にいるーーーーつまり、偽者ってこと?」 「そうなるな。…ふざけやがって! 懲らしめてやる」 「ちょっと待って。ーーーーどういう目的があるのか確かめてみて、それからでもいいんじゃない? なにか事情があるのかも知れないし」 「まあ、確かに、俺達の名前を騙るなんて、よっぽどの事情があるのかもな。大抵の奴はバレた時の結果を考えて、そんな馬鹿な真似はしねえ」 「デイヴィ、怖いから」 「おまえだって、結構なもんだ」 「ーーーーとにかく、なんとか宿屋に入り込もう」 「よし、こんなのはどうだ?」 そのままひそひそと密談して後、2人は路地を出た。 デイヴィが晶を抱えるようにしながら、 「大丈夫かい? しっかりするんだ、もう少しだからね」 といつもとは違う言葉遣いで声を掛け、晶の方はといえば、顔を伏せて具合が悪そうな様子である。 宿屋の前の人ごみを、 「すみません、ごめんなさい、病人です、通して下さい」 と言いつつ掻き分けていく。幸い、先程2人に色々情報をくれた婦人はいなくなっていた。 デイヴィは宿屋の中に入った。カウンターに立っている親父に、 「すみません。ここのソファをお借りします」 と声を掛けて、デイヴィは晶をソファに寝かせた。晶は胸を押さえて丸まって、時折苦しそうな声を漏らしている。 様子を見て、親父は慌ててカウンターから出てきた。 「お、おい、大丈夫か? 医者に行った方がいいんじゃないか?」 「いえ。いつもの発作です。薬がありますから…、水を頂けますか?」 「お、おう」 親父は奥に駆けていって、すぐに駆け戻ってきた。 「ありがとうございます。ーーーーほら、水だよ」 デイヴィは晶を抱き起こし、何かの錠剤を口に入れ、更に水を含ませた。 「ありがとう…」 弱々しく礼を言う晶に優しく微笑みかけて再び寝かせてやってから、デイヴィは親父の方を向いた。 「すみません。今夜泊まりたいんですが…」 親父は困った顔をした。 「俺もそうしてやりたいのは山々なんだがな…」 「満室なんですか?」 「いや、部屋は空いてるんだが、《ガーディアンエンジェルス》が自分達以外は誰も泊めるな、と…」 「そんな! 一軒しかない宿屋なのに! なんて理不尽な!」 デイヴィが詰め寄る。その気迫と共に増幅された美しさに圧倒されて、親父は少し身を引いた。 「い、いや、俺もそう思うんだが、金も相場の倍貰ったし…。ーーーーそれに、逆らうとどんな目に遭わされるか判らんし…」 しどろもどろで弁解する。 デイヴィは溜息をついて、 「解りました。じゃあ、その《ガーディアンエンジェルス》とやらを呼んでください。直接交渉しますから」 親父は、目の前の美しい男の望みを叶えてやりたい、という親切心と、《ガーディアンエンジェルス》への義理立ての気持ちで板挟みになる、という、誰もが敬遠する状況に困窮した様子で、 「い、いや、それも…。…『用があるときはこちらから声を掛けるから構うな』、って言われててね…」 「なんですか、それ」 さすがにデイヴィも、演技じゃなく本当に呆れ果てた。ーーーー俺達『本物』のイメージが丸潰れじゃねえか。 デイヴィは思い切り息を吸って、 「一体、何様のつもりなんだか!」 轟くような大声を出した。何しろよく通る声質である。晶も病気の演技を忘れてソファから跳び上がってしまった。 親父も蒼くなって、 「お、おいーーーー」 と止めようとするも、それを遮って、 「《ガーディアンエンジェルス》だかなんだか知しらないけど、随分了見が狭いじゃないですか! 大体、自分達で『守護天使』なんて名乗ってるなら、他人にも気を遣えってぇの!」 最後の方は怒りの余り、素に戻ってしまった。 「ちょっと、ちょっと!」 親父が紙のように白い顔で、デイヴィの腕を掴んで、 「き、聞こえたら、えらいことに…」 「聞こえるように言ってるんですよ」 「ちょ、お客さん、面倒は困るよぉ…!」 泣き出さんばかりの親父に、デイヴィは慰めるが如く微笑みかけた。その時、 「ーーーー随分と、言いたい放題だな」 カウンターの後ろの階段から、1人の男が降りてきた。晶が慌てて、再びソファに倒れ込む。 腰まである素直な黒髪。凛々しい眉、鋭い眼、きりっと結ばれた唇。男らしい精悍な顔をしている。 「あなたが《黒い悪魔》ですか?」 デイヴィは男をじろじろと見つめた。男は目を逸らさず、 「その名はやめてもらおう」 「それは失礼しました。ーーーー《天使》様」 デイヴィの刺のある言い方に、男の眉がぴくりと動いた。 「本当に失礼な奴だ。ーーーーその悪意のある言葉の数々、それなりの覚悟があって言ったのだろうな」 男の手が剣の柄に掛かっている。 デイヴィは馬鹿にした笑いを見せて、 「私はただ、本当のことを言っただけですよ」 男の青い眼が光った。柄を掴む手に力が入る。と、その時、 「落ち着いて!」 階段を駆け降りてきた人物が、後ろから男の手を押さえた。 「『晶』」 男がその名を呼ぶ。本物の晶は思わず返事をしそうになって、急いで口を押さえた。 思いっきり切った黒髪、しなやかな眉、長い睫毛、紅い唇。大きな目にはめ込まれた黒い瞳は、水晶のように輝いている。 ーーーーなるほど。 デイヴィは目の前の『晶』を眺めて、これなら、と納得した。 「落ち着いて、『デイヴィ』。この人の言う通りだよ。1軒しかなくて、しかもこんな広い宿屋を2人だけで使うなんて、確かに了見が狭いよ」 「しかし…」 渋る『デイヴィ』を抑えて、『晶』は宿屋の親父に、 「この人の言う通りです。どうぞ、自由に誰でも泊めてください」 輝く瞳で見つめられて、親父は鼻の下を伸ばした。 「そうかい? こっちも、その方が助かる。商売だからな」 『デイヴィ』は苦い顔をしていたが、柄から手を離して、 「済まぬことをしたな」 と本物のデイヴィに謝った。 「いえ、こっちも言いすぎました。連れが具合が悪くてね。早く休ませてあげたかったものだから」 デイヴィも素直に謝って、晶の方を向く。晶は、いかにも大儀そうにソファから起き上がって、軽く頭を下げた。 「それは大変じゃないか!」 『晶』が晶に駆け寄って、 「大丈夫?」 優しく声を掛ける。 「ええ、薬を飲みましたから…。少し眠れば夜には良くなります」 「そう、良かった」 心底ほっとしたように、『晶』が微笑む。どうやら、そう悪い人物でもないらしい。 「それにしても、こんな田舎町で《ガーディアンエンジェルス》に会えるとは思いませんでした。光栄です」 デイヴィがにこやかに言った。 「実は、あなた達を称える歌を作りたいと思っていましてね。…構いませんか?」 『晶』が振り向いた。 「僕達を称える歌? ーーーーあなた達、吟遊詩人?」 「ええ、そうです」 「吟遊詩人…」 『デイヴィ』が、はっとしたように呟く。その口調には何か妙な響きがあった。 晶は不思議に思って、 「なにか?」 と訊いた。 「いや…。別に…」 『デイヴィ』が首を振る。 デイヴィは静かに『偽者達』を眺めていたが、 「もし宜しければ、一緒に夕飯をどうでしょう? あなた達のことをもっと知りたい」 『デイヴィ』が『晶』を見る。『晶』は軽く頷いて、 「いや、それは…、ーーーーお連れさんの具合も悪いのに…」 「ぼくなら大丈夫です。夜には元気になります。ーーーーいつもそうなんです」 晶がすかさず説明する。 『晶』は少し考えていたが、 「そうだね。これも何かの縁だろうしね」 『デイヴィ』がぎょっとした顔で、 「おい、『晶』!」 「いいじゃないか。迷惑かけたんだしさ。ーーーーねえ、お詫びに僕達に奢らせてよ」 『晶』が屈託なく言う。 デイヴィは上品に首を振って、 「いえ。こちらこそ、失礼なことを言いましたし、あなた達に曲のモデルになって頂くのに御礼もしたいですし…」 「そう? 気にしなくていいのに」 「あの」 晶が口を挟んだ。 「じゃあ、お互いがお互いに奢るというのは?」 「なるほど! ーーーー君、頭いいねえ!」 『晶』が手を打った。 「…おい、『晶』ーーーー」 何か言いた気な『デイヴィ』を無視して、 「それで決まりですね」 デイヴィが言った(ややこしい)。 「じゃあ、7時にここに集合ってことでいい?」 「ええ」 『晶』の言葉にデイヴィは頷いて、晶の許に行った。手を貸して立たせる。 「大丈夫? 手を貸そうか?」 『晶』が気遣わしげに訊ねてきた。 「いや、大丈夫です。ありがとう」 デイヴィは答えて、晶を軽々と抱き上げた。 親父がフロントから鍵を持ってきて、2人を案内する。彼について階段を昇りかけた『本物』に、『晶』は、 「そういえば、名前も訊いてないね。ーーーー僕は『晶』。こっちが『デイヴィ』だよ」 「----私は…、…フレディです」 「…名人(なひと)です」 「フレディになひと、か。ーーーーどうぞゆっくり休んでね」 「ありがとう」 「フレディって、お父さん?」 シャワーを浴び終えて出てきた晶が、デイヴィに訊いた。 「ああ。おまえのもそうだろ?」 先に上がっていたデイヴィが、濡れてストレートになった髪を拭きつつ答えた。 「うん」 晶が頷く。 「それにしても、慣れない言葉遣いで口が疲れたぜ」 デイヴィの言葉に、晶は彼の頬をふにふにとマッサージする。 「お疲れ様。新鮮で素敵だった」 「サンキュー」 晶のその感想に思わず笑いつつ、その手を取ってデイヴィはキスした。 「それにしても」 と、晶は悪戯っぽくデイヴィを見つめて、 「ぼくの偽者を、あんた随分じっくり見てたね。そんなに気に入った? あの美少年」 「いや。ーーーーあのおまえの偽者…、れっきとしたレディだよ」 これには晶もびっくりした。 「本当?」 「ああ。あんな鎧を付けて男のふりをしてても、香りで判る」 「さすが、プレイボーイ」 「おまえ、褒めてるつもりか」 デイヴィは苦笑した。 晶は宥めるようにデイヴィの頬にキスしてから、ふと真顔になって、 「…でも、女の子の恰好を捨ててまでぼくの名を騙るなんて、よっぽどの理由があるんだ」 「だろうな。ーーーーそれに、俺達が吟遊詩人だと言った時の、あの態度も気になるな」 「食事の時に、さり気なくそれを探ろう」 「ああ。多分、向こうもそのつもりだろうよ」 デイヴィの言葉に、晶は目を瞬かせた。 「それって、ぼく達が本物じゃないかって疑ってるってこと?」 「そうだ」 そもそもあの2人は、宿屋を貸切にしたうえ、ここの親父とも顔を合わさないように手を打っていた。他人との接触を避けているのだ。これは『偽者』だから必要以上に目立ちたくない、という当然の心理である。 だが、本物らしく見せるには、売られた喧嘩は買わないわけにいかないわけで、ーーーーデイヴィと晶があんな芝居を打ったのも、2人をおびき出すためだった。それは見事に図に当たった。 問題はその後だ。前述の通り、『偽者』が他人の目を避けたいのなら、食事の誘いなど断るはずだ。それを受けたのは、やはりこちらのことを疑っていると見て間違いないだろう。 「なるほど」 晶が納得気にしみじみと頷く。 「いいか、あくまでも、俺達は吟遊詩人だぜ」 「デイヴィが歌で、ぼくが伴奏」 「楽器、出来んのか?」 「母さんはピアニストだった」 「ふーん」 それきり会話が止んだ。激しいキスを始めたからである。 夜までまだ、長い時間があった |