デイヴィと晶ーーーーここからは便宜上、『フレディ』と『名人(なひと)』にするーーーーはロビーに現れた。吟遊詩人を名乗っている以上、武装はしていない。 「もう大丈夫なの? 名人」 偽者の『晶』が声を掛けてくる。こちらは《ガーディアンエンジェルス》を騙っているだけに、隙のない鎧姿で剣を携えている。 「ええ。お陰様で。どうもありがとうございます」 『名人』は頭を下げた。 「じゃあ、行こうか」 偽『デイヴィ』が言って、一同はレストランへと向かった。 席について、早速いつも通りの量をーーーーと思ったが、奢ってもらうのにそれほどずうずうしくは出来ないので、相手の注文を待ってから同じくらいの量に抑える。 「それで足りるの? ーーーーもしかして、遠慮してない?」 『晶』が気遣わしげに尋ねる。 「いえ、全然。大きい割に小食だって、よく驚かれるんですよ」 『フレディ』が説明する。 「そう? ならいいけど…」 あまり納得していない様子だったが、『晶』はそれ以上何も言わなかった。 暫くして料理が運ばれてくる。4人は当たり障りのない話をしながら食べ始めた。本当は互いに相手の正体を探りたいはずなのだが、いいきっかけが得られずにいた。 「ーーーー…だろ? 今この国に来てるって」 ふと、隣のテーブルの会話が耳に入ってきた。 「《ガーディアンエンジェルス》な。陛下はすっかりその気らしいぜ」 「失礼。ーーーー《ガーディアンエンジェルス》に何かあるんですか?」 『名人』が割って入った。正体をバラす気は勿論ないが、どういう訳で自分達の名前が出たのかは気になった。 「はい?」 隣の2人ーーーー茶髪の男性と眼鏡の男性は最初訝しげにこちらを見たが、声をかけてきた人物の可愛らしさに気付き、かつ同じテーブルに着いている他の3人も美形揃いなのを見て、すっかりぽーっとなってしまった。 「な、なにかありましたか?」 上擦った声で訊いてくる。 「あ、いえ、《ガーディアンエンジェルス》がどうしたのかな、と」 「あ、ああ、そうそう。彼らのことね。ーーーーバルヴァリウス陛下が、彼らにボディガードを頼むって話ですよ」 「ボディガードを? それはまたどうして」 今度は『フレディ』が尋ねる。茶髪の男性の方が、まず周りを見回して近くに他に誰もいないのを確認してから、 「いえね、ーーーーこの国の王、バルヴァリウス陛下は、10年ほど前にクーデターを起こしてこの国を乗っ取ったんですよ」 声を潜めて説明しだした。 前王と王妃はそのとき処刑されたが、その娘である姫は処刑される寸前に姿を消したという。以来ずっと行方不明、生死も不明で、彼女のことが人々の口に上ることもなかったのだが…。 「ここ1ヶ月ぐらいかな。姫がバルヴァリウス陛下に復讐するために戻ってくる、って噂が流れ始めて…」 王は警戒し、身辺を固めることにしようとした矢先、この国に《ガーディアンエンジェルス》が来た、と耳にした。渡りに船とばかり、彼らにボディガードを依頼しようとしている、というわけだった。 「ああ、なるほど。ーーーーどうもありがとう」 『名人』がにこやかに礼を言う。 「い、いえ。どう致しまして」 茶髪の男が嬉しそうに応じる。すると、今まで黙っていたもう1人の眼鏡の男が、自分も役に立ちたいと思ったのか、 「でも、幾ら《ガーディアンエンジェルス》でも城には行かない方がいいと思うんですよね」 と言い出した。 「それはまたどうしてです?」 『フレディ』が早速食いつく。 「いえね。ーーーー例の噂が出たとき、ピリピリしてる陛下を慰めるために、側近達が芸人を呼び集めたんですよ。で、報酬につられて旅芸人やら吟遊詩人やら、色んなのが城に行ってるんですけど…」 眼鏡の男はここで言い淀み、少し恐ろしげに首を振った。重苦しい空気が流れる。 「ーーーーけど?」 そんな空気をものともせず、『名人』が茫洋と小首を傾げる。その可愛らしさに、暗い雰囲気が一瞬にして和んだ。 眼鏡の男も少し気が楽になった様子で、しかし、とても気軽に聞き流せないことを言った。 「入って行ったはいいけど、出てきた奴らはいないんです」 「…え?」 ここで、『フレディ』達のテーブルに、食器を下げるためにウェイターがやって来た。第三者の乱入に、皆口を噤む。 隣の男達は、自分達ももう食べ終わっていたこともあって、 「じゃ、じゃあ、俺達はこれで…」 そそくさと立ち上がる。 「ああ、色々ありがとうございました」 『フレディ』がもう一度とびきりの笑顔で礼を言うと、2人顔を真っ赤にし、夢見心地な足取りで去っていった。 「ーーーーこの国の王が我々をボディガードに、か」 『デイヴィ』が呟くと、『晶』の方を向いて、 「光栄だな。ーーーーなんなら、今から城に行ってみようか」 さりげなさく言ったつもりだろうが、どこか緊張したものが含まれる口調だ。 「そうだね。そうしよう」 応える『晶』の表情も硬く、少々蒼ざめていた。 『フレディ』と『名人』に向かって、 「ーーーーそういうわけだから、申し訳ないけど僕達はお城に行くよ。今夜は楽しかった。ありがとう」 少々ぎこちなく告げ、立ち上がりかける。 『フレディ』と『名人』は素早く目を合わせた。 「こちらこそ、ありがとうございました。ーーーーところで、私達もご一緒していいですか?」 『フレディ』が穏やかな声をかける。 「…え?」 『デイヴィ』と『晶』は、中腰の体勢のまま止まってしまった。 「な、なんで?」 「いえ、ほら、城で芸人を集めてるって言ってたじゃないですか。結構報酬もいいみたいですし」 今度は『名人』がのんびり言いだす。その口調に心配になったらしく、 「いや、しかし、『出てきた奴らはいない』とも言っていただろう」 『デイヴィ』が肝心なことを思い出させようとする。 しかし、『名人』は呑気に笑って、 「だからあなた達と行くんです。《ガーディアンエンジェルス》が一緒なら変なこともできないでしょう?」 「……………」 「……………」 これには『デイヴィ』も『晶』も二の句が継げなかった。 「ーーーー決まりですね」 『フレディ』が楽しそうに言って立ち上がった。 「じゃあ、行きましょう」 返事を待たずに会計へと向かう。『名人』もすぐに続いた。 『デイヴィ』と『晶』は顔を見合わせ、同時にため息をついたあと、観念したように先に行く2人の後を追った。 会計を済ませ、城へと向かいながら、 「2人ともなるべく我々から離れないようにな」 『デイヴィ』が少し苦い顔で言う。 「はい」 「勿論です」 『フレディ』と『名人』は殊勝な様子で頷いた。 その後、4人は無言で歩いた。城が近付くにつれ、『《ガーディアンエンジェルス》』がどんどん緊張していくのが感じられる。 やがて城門に到着した。 「ーーーー何者だ!」 門兵が2人、槍を重ねて道を塞ぎ、4人に声を掛ける。 『デイヴィ』は優雅に腰を曲げて、 「我々は《ガーディアンエンジェルス》です。陛下が我々に警護を任せて下さるおつもりだ、とお伺いしましたので、こちらから参上した次第です」 慇懃な態度と上品なムードに、どうやら門兵は信じたらしい。 「ほう! そなた達が、噂に聴く《ガーディアンエンジェルス》か! そなた達が力になってくれれば、陛下も安心だ!」 門兵は顔を明るくした。 もう1人の門兵が、今度は後ろの『フレディ』と『名人』に向かって、 「して、こちらは?」 『フレディ』が進み出て、 「我々は旅の吟遊詩人です。陛下の疲れた心を少しでも癒して差し上げられましたなら、この身にとって、このうえない光栄でございます」 「おお、おお! その美しい顔と麗しい声で、是非とも陛下を慰めてくれ」 門兵は槍を持ち上げて、4人を通した。早速王の側近が飛んできて4人を案内する。 「ーーーーおお、よく来た」 バルヴァリウス王は、玉座に座っていなければどこの殺人犯かと思うほど、凶悪な顔をしていた。 「《ガーディアンエンジェルス》か。話は聴いている。世界最強だそうだな。おまえ達に護られるとは心強い」 「恐れ入ります」 『《ガーディアンエンジェルス》』はお辞儀をした。 「そして、美しき吟遊詩人達。早速、おまえ達の歌が聴きたい」 「喜んで」 『フレディ』が微笑む。 バルヴァリウス王は、傍にいた兵士に何か耳打ちしてから、 「では、広間の方へ」 と玉座から立ち上がる。 『デイヴィ』と『晶』が王を挟んで歩き、『フレディ』と『名人』は後ろを歩いた。他に付いてくるのは、武装していない側近だけである。 案内されたのは、ちょっとした演奏会を行うための部屋だった。入り口を入ると、奥に一段高くなっているステージがある。そこにピアノが置かれ、弦楽器や打楽器がステージ奥の壁に沿って並べられていた。入り口側の壁には椅子が重ねて置かれてた。 側近がその椅子を一つ運んできて、ピアノの真ん前に置いた。バルヴァリウス王が腰を下ろす。『デイヴィ』と『晶』は王を挟んで横に立った。 『名人』はピアノにつき、『フレディ』はその横に立つ。短く言葉を交わしてから、『名人』の指が鍵盤に落ちた。 穏やかな海の如く澄んだ滑らかな響き。やがて、静かな海から魅惑の声を持つセイレーンが現れ、人々を海の底へと誘う。 うっとりと聴き惚れる王を横目で窺いながら、『デイヴィ』と『晶』はそろりと手を剣の柄に掛けるーーーー 「ーーーーそこまでだ!」 海の誘惑は、鋭い声によって破られた。 後ろのドアから、50人強の兵士達がどやどやと入り込んできたのだ。彼らはあっという間に『デイヴィ』と『晶』を囲み込み、2人を取り押さえた。ステージ上の『フレディ』と『名人』にも為す術がないほどの早業だった。 「ふ、かかったな、ガーネットよ」 バルヴァリウス王がにやりと笑う。言われて、『晶』ーーーーいや、ガーネットは悔しげに顔を歪めた。 「この私が気付かぬとでも思ったか! そのチェーザレの生意気そうな顔、あの頃は子供だったとはいえ、すぐに判ったわ!」 そう。バルヴァリウス王は、《ガーディアンエンジェルス》を名乗る2人の正体を端から見破っていた。まさに、10年前自分が処刑した王と王妃の忘れ形見とその側近であると。それでこの部屋に来る前兵士に声をかけ、この部屋に来るよう命じておいたのだ。 「姫!」 『デイヴィ』ーーーーチェーザレが、兵士の腕を解こうともがく。 「く…っ!」 ガーネットが唇を噛んだ。自分達が甘かったことを悟った。ここまであっさりと事が進んだものだから、彼女はすっかり安心し、もう成功するものだとばかり思っていたのだ。狡猾なバルヴァリウス王の前には、彼女など赤ん坊のようなものだった。 「両親の敵討ちにきたのだろうが、生憎だったな。ーーーー安心しろ、今ここでは殺さん。明日、国民の前で処刑してくれる」 バルヴァリウス王は立ち上がり、ピアノの方に腕を差し伸ばした。 「ーーーーさて、吟遊詩人達よ。この状況で生きて帰れるとは思ってなかろうな? 悪いが地獄への道連れになってもらおう」 その命に従って、兵士が2人ステージに向かう。 「彼らは関係ないわ!」 ガーネットが叫ぶ。彼女は後悔していた。やはり、彼らが一緒に来ると行ったときに断るべきだった。もしかしたら彼らが『本物』かも知れないと思い、それなら心強いと思っていたがーーーー彼らの力を当てにするなんて自分勝手な行いだった。そのせいで今彼らまで危険に晒している。もし本物だとしてもそうじゃないとしても、無関係な彼らを巻き込むべきではなかったのだ。 「ここに居合わせたのが不幸と思って諦めるんだな」 王は残忍な笑みを浮かべた。 兵士達がじりじりと、『フレディ』と『名人』に近づく。2人は動かない。それを、皆は恐怖で動けないものと判断した。ガーネットとチェーザレは蒼ざめ、バルヴァリウス王と兵士達は優越感を抱いた。 「美しい吟遊詩人よ。殺すのは惜しいが…。ーーーー素晴らしい音楽だったぞ」 バルヴァリウス王が餞の言葉を2人に送った。これはまったくの本心からでたものだった。 兵士が剣を振り上げる。 「やめてーー!」 ガーネットが目を閉じて叫んだ。 「他人のことより、自分のことをーーーー」 王の声は、『名人』が起こした音によって遮られた。 ガーーーーーン!!! 凄い勢いで鍵盤を叩いたのだ。 虚を突かれた兵士達に2人は飛び掛かり、あっさり気絶させると、その剣を奪った。 「さっきから黙って聴いてりゃ、勝手なことばかりぬかしやがって」 『フレディ』のエメラルドの瞳が、妖しい輝きを放ち始めた。 「このまま殺されるわけにはいかない」 『名人』の剣先から、凄まじい殺気が迸る。 「ーーーーお、おまえ達、一体…」 バルヴァリウス王は息を呑んだ。今や、彼らがただの吟遊詩人ではないことは明白だ。剣を構える様子から、兵士や傭兵だろうというのも判る。だが、その辺に転がっているような、有象無象の類では断じてない。まさか彼らはーーーー 「俺達はーーーー本物だ!」 『フレディ』と『名人』ーーーー本物のデイヴィと晶は、兵士達に斬りかかった。あっと言う間に次々倒していく。この不意打ちに、チェーザレとガーネットを捕らえていた兵士の気がそがれ、力が一瞬抜けた。その隙に2人は束縛を解き、兵士を返り討ちにした。そのまま闘いに参加する。 「ええい、不甲斐ない! さっさと全員倒してしまえ!」 バルヴァリウス王は吠えたが、実力の差は如何ともしがたい。デイヴィと晶は言うに及ばず、チェーザレもガーネットもかなり腕が立った。50人の兵士は次々と倒されていき、遂に残るは王だけとなった。 「く…っ、おのれ」 王は剣を構えた。構えに隙がない。口だけかと思いきや、こちらもかなりの遣い手のようだ。 「姫、下がっていてください」 チェーザレが一歩前に出る。 「ほう、私に勝てるつもりか、チェーザレ。ーーーーおまえに剣を教えたのは誰だったかな?」 嘲笑を浮かべて、バルヴァリウス王はいきなり斬り込んできた。激しい攻撃を、チェーザレは右に左に払っていく。2人の腕はほぼ互角のようだ。ただ、若いだけにチェーザレの方が速さがある。 「ーーーー息が上がっていますね」 チェーザレが、皮肉な笑みを見せた。 「ぬくぬくと王座に治まって、稽古などしていなかったのでは?」 「黙れ! 若造!」 逆上したバルヴァリウス王が剣を振りかぶる。チェーザレは身を沈めて、王の胴を剣で払った。 「ぐ…っ!」 王が剣を落としてよろける。 「姫! 今です!」 チェーザレの言葉に、ガーネットが剣を構えて踊り出た。 「悪しき王、バルヴァリウス! 今こそ両親の仇を!」 ガーネットは、涙を流しながらバルヴァリウス王の胸に剣を呑み込ませた。王は暫く痙攣し、そのままがっくりと頭を落とした。 「姫」 チェーザレは泣いているガーネットを抱きしめて、暫く泣くに任せていた。 ガーネットは涙を拭いて、 「終わったわ…。ありがとう、チェーザレ」 「姫」 チェーザレは膝をついた。 「ごめんなさい。2人とも…。あなた達まで巻き込んで」 ガーネットはデイヴィと晶の方を向いて頭を下げた。 「いや、全然構わないよ。巧くいって良かった」 晶が優しく言う。何となく事情は察していたので、この2人に協力できたのを素直に喜んでいた。 ガーネットはバルヴァリウスを見下ろして、静かに話しだした。 「…10年前、父と母がこの男に殺され、王の座を奪われた…。当時9歳だった私は、処刑寸前に大臣の息子のチェーザレに助け出され、それ以来復讐を誓って生きてきたの」 「例の噂を流したのも我々だ。そうやってバルヴァリウスを不安にさせ、自分達がボディガードになり、油断したところで仕掛ける、という計画だったのだ。そのためには、《ガーディアンエンジェルス》の名が必要だった。そのくらい有名でないと、奴は食いついてこないからな」 チェーザレはふっと笑った。人生は何と皮肉に満ちていることか。 「まさか、本物がこの国に来ているとはな」 ガーネットは感謝のこもった瞳でデイヴィと晶を見上げて、 「あなた達は解っていたのね? だから、一緒にここまで来てくれたんでしょう?」 「困ってるレディを助けるのが俺の信条だからな」 デイヴィはわざと軽い調子で言ってウィンクした。 「そう言ってもらえると…。ありがとう。あなた達っていい人ね」 ガーネットが心からの笑顔になった。それを見てデイヴィは、 「思った通りだ。ーーーー笑うと、もっと可愛いよ」 艶やかに微笑する。 「え? …そんな」 ガーネットは頬を染めた。 「本当にさ。ーーーーこれからこの国を建て直すのは大変だろうが、どんな時でもその笑顔を忘れずにな」 「…はい」 「チェーザレ、しっかり彼女を支えるんだぜ」 「この命を懸けても」 チェーザレが力強く答えて、ガーネットの肩を抱いた。 先般倒した50人の兵士はバルヴァリウスの親衛隊であった。その他の兵士達の中には、前王時代の者達も残っていた。彼等は剣を棄てて、ガーネットの前に跪いた。 「ガーネット姫、お帰りなさいませ」 「よくぞ御無事で!」 「チェーザレ、よく姫を護ったな」 「早速、このことを国民に知らせねば」 兵士が1人、城の外へ飛び出していく。 少し年嵩の兵士が前に進み出て、 「まだ、バルヴァリウスに与していた兵士達が残っています。それに地下牢にも、奴に故なくして捕らえられた人々がいます」 「解りました。ーーーー皆さんはその兵士達の捕獲をお願いします。私達は、地下牢の方に行ってきます」 ここまできびきびと指示した後、ガーネットは微笑んだ。 「バルド、そして皆さん、よくこの城を護っていてくれました」 年嵩の兵士ーーーーバルドを始め、兵士達は感極まった顔になり、一斉に最敬礼した。そしてすぐに城内外へと散って行く。 それを見送って、4人はじめじめした地下牢に向かった。 階段を下りてすぐ目の前の牢部屋には、格好からして旅芸人の一座が放り込まれているらしい。 「ーーーーローズ! ローズね!」 その中の初老の婦人に目を止め、ガーネットは駆け寄った。 「ーーーーまさか…、ガーネット様? 姫様ですか?」 格子の隙間から弱々しく差し出される手を、ガーネットはしっかりと握って、 「そうよ! 私よ!」 「ああ! 大きくなられて…。嬉しゅうございます。ーーーーチェーザレも、立派になったわね」 ローズは涙を流した。 「私の母の乳母だったの」 ガーネットはデイヴィと晶に説明して、 「ーーーーローズ、いつからここに?」 「3日前です。ーーーーなんとかお妃様の仇を討ちたいと、そればかり考えて…。10年経って子供も自立し、夫にも先立たれ、独りきりになったので、やっと思い立つことが出来ました。そこで、旅芸人の一座に紛れ込んで、王を殺そうと…」 「なんてことを! ーーーーで、それがバレて?」 チェーザレが訊くと、ローズは照れたような決まり悪そうな笑みを見せた。 「いえ…。ばれる前に、つまらん芝居を見せたと咎められて、ここに…」 眼鏡の男性が言っていた、「出てきた者はいない」という理由が正にこれだった。バルヴァリウスは気短で、些細なことで怒りを露わにする暴君だった。そんな男が、どれだけ芸や技を観たところで慰められようはずがない。むしろ、罪のない芸人達を手当たり次第に捕らえて牢に送ることで鬱憤晴らしをしていたのだ。 「なんという男だ! そういうところは全く変わってなかったんだな」 チェーザレが苦々しく言い捨てた後、ローズに向かっては優しい口調になって、 「だが、却ってそれがよかったのかも知れん。暗殺に失敗していたら、命がなかっただろう」 ローズは寂しげに目を伏せた。 「もう老い先短いこの命、大して惜しくもなかったのです。ただ、お妃様のーーーー私が子供のように可愛がっていたあの子のーーーー仇が討てれば、と…」 呟くようにこう言ってから、しっかり目を上げてガーネットを見つめた。 「でも、こうして姫様の元気なお姿を見られて、また生きる希望が湧きました」 「そうよ、生きるのよ。チェーザレと私の子供が生まれたら、面倒見てもらわなきゃ」 ガーネットが悪戯っぽく笑う。チェーザレは真っ赤になった。 そんな様子を嬉しそうに見ていたローズは、何かを思い出したようにはっと口に手を当てて、 「チェーザレ! そうよ! お父様を救い出さなくては!」 と叫ぶように言う。チェーザレは勢い良く身を乗り出した。 「父上? 私の父がまだ生きているのか?」 「ええ。この先、更に階段を降りた特別牢に入れられていると」 「そうか! ーーーー姫、姫はここの人達をひとまず広間へ連れていって下さい! 私は父を…!」 と言い残し、チェーザレはあっと言う間に走り去った。 「…ベクトが生きていたのね。よかったわ。チェーザレも嬉しそう」 その後ろ姿を自分も嬉しそうに見送って、ガーネットが呟く。ローズは優しい眼になって、 「母親を早くに亡くして、父1人子1人で育ったから」 「ーーーーでも、奴の親父って、ガーネットの父親に仕えてた大臣だったんだろ?」 今まで黙っていたデイヴィが口を挟んだ。 「どうして殺されずに済んだんだ?」 「《ガーディアンエンジェルス》よ。力になってもらったの」 不思議そうにデイヴィと晶を見ているローズに、ガーネットは手早く説明した。 「まあ、あなた達が…。お世話になりました」 ローズが頭を下げる。2人も下げ返した。 「ーーーーチェーザレのお父様は、仰るとおり大臣でした。それも、ガーネット様のお父様、レオナルド様のご信頼も厚い」 ローズが静かに話しだした。 「確かに、大臣も一緒に処刑されるはずでした。でも、チェーザレが姫と一緒に逃げだしたのを怒ったバルヴァリウスが、死より辛い苦しみを与えてやろうと言って、日の当たらぬ暗い牢に押し込めたのです」 「サディストだったんだ、あいつ。確かに、そんな顔してた」 晶が真面目な顔で茫洋と言う。その言い方が余りに可愛く聞こえたので、皆思わず笑ってしまった。 「ーーーーさあ、とにかく牢屋を開けたらどうだ? 積もる話はその後だ。こんな辛気臭い所にいたら、黴が生えちまう」 デイヴィが提案して、まずローズ達の牢を開けた。 「いやー、助かったよ!」 「長いことこの商売をやってるが、こんなこと初めてだ」 「ありがとう、ありがとう!」 旅芸人達ががやがやと出てくる。みな疲れた様子だが、特にローズはかなりふらふらとしていた。一座の中で彼女が一番高齢なのだから当然である。 「大丈夫?」 ガーネットが駆け寄って支える。 「ええ。さすがに、この歳では堪えたみたい」 「上で休んでいて。ーーーー大丈夫? 独りで歩ける?」 「俺が連れてくよ。ガーネットは、晶と手分けして他の牢を開けててくれ」 デイヴィはそう言うと、お世辞にもスリムとは言えないローズの体を、軽々と抱き上げた。 「あらあら、まあまあ。ーーーーあと40歳若かったらねえ」 ローズは紅くなって言った。照れ隠しだろうが、本音でもあるに違いない。 「今でも充分魅力的さ」 デイヴィは優しく微笑んで、 「じゃあ、すぐ戻るから、頼んだぜ」 「了解。気をつけて」 「お願いね」 晶とガーネットは2人を見送って、残りの牢屋の鍵を開け始めた。 「姫!」 チェーザレが、痩せ細った老人を支えて戻ってきた。髪も髭も伸び放題で、しかも真っ白だった。 「チェーザレ! ーーーーベクト! 大丈夫なの?」 老人は弱々しく微笑んだ。 「10年だ。疲れていて当たり前です。ーーーー寝かせてきます」 「ええ。ーーーーしっかりね、ベクト」 「大丈夫です。父は体力だけが取り柄でした。休めば元の通り元気になります」 「そう。そうよね。また私達の力になってもらわなきゃ。元気出して」 ベクトが頷く。チェーザレは10年ぶりに再開した父をしっかりと支えながら、地下牢から出て行った。 「さあ、皆さん、取り敢えず上へ」 そガーネットは改めて疲れた様子の人々に声を掛けた。中に1人、真っ蒼な顔をした若い男がいる。 「あなた、大丈夫?」 思わず声をかけてしまったほどだ。 「お、俺、閉所恐怖症の暗所恐怖症なんだ」 「まあ、大変。手を貸すわ。ーーーー晶、後お願いできる?」 「いいよ。あと1つだから」 「お願いね」 皆で真っ蒼な男を支えたり励ましたりしつつ、ガーネットも去っていく。 1番最後の牢の扉を開けて、晶はそこに良く見知った顔を見つけた。 「ーーーーあれ? ラルゴ! ラルゴじゃないか。何やってんの?」 「何って、おまえ…。見りゃあ判るだろ。捕まってんだよ」 「どうして?」 晶の問いには答えず、ラルゴは牢から出ると、大きく伸びをした。 「やーれやれ。窮屈な所に閉じ込めやがって」 「ラルゴ…」 「しかし、こんな所で逢えるとはなあ! ーーーーずーっと逢いたかったんだぜ、晶」 「ありがとう。ーーーーで、なんで…」 「さて、やっと出られたんだ。お祝いに食事でもどうだ?」 「その前に話を…」 「話? ーーーーそうだな、おまえと別れてから、どんなにおまえを恋しく想ってたか、何日でも何夜でも聴かせてやるよ」 「いや、そういう話じゃなくて」 「とにかく、何か喰おう! 腹が減って死にそうだ! 何しろ、ちっぽけなパンが1日1回出るだけなんだから」 「大変だったね。でも、どうして…」 「ほんと、腹減った! ーーーーおまえを喰っちまいたいほどさ」 「…それはちょっと」 「ーーーーそうしたいけど、そんな体力、残念ながら残ってねえ」 ラルゴは笑って、晶の肩を抱いた。 「だから、取り敢えず飯だ! 付き合ってくれ」 「いいけど、ラルゴ…」 「ーーーー俺も一緒に行っていいんだろうな?」 後ろから声が響いて、ラルゴはぞくりとした。余りにセクシーな声だったからというのが半分、もう半分は、その声の主とそこに含まれる刺とに気付いたためだ。 「もも勿論だよ、デ、デ、デイヴィ〜〜〜〜〜」 ラルゴは慌てて晶から離れた。 「まったく、ちょっと目を離すとこれだ」 デイヴィは、怒っているというより呆れた調子だった。こいつに怒ってもしょうがない、という、半ば諦めたような気分である。 そんな思いが解ったのか、ラルゴはへへっ、と笑って頭を掻いた。 「とにかく、上に行こう。こんな所じゃ話もゆっくりできない」 3人は黴臭い牢から出た。 広間に戻ると、レオナルド王時代の生き残りの城の者達が、改めてガーネットとチェーザレの無事を喜び合っていた。バルヴァリウスに与していた者達は総て捕らえられ、当分の間、牢屋に放り込まれることになった。罪なく投獄されていた人達と入れ替わって、罪ある者達が相応しく投獄されることになったのだ。 「デイヴィ、晶。ーーーーこの人で最後ね? あの牢に入れられてたのは」 ガーネットがやって来る。 「うん。他の人達は?」 「家に送ったわ。旅の人は、元気が出るまでこの城で休んでてもらおうと思って」 「じゃあ、こいつも頼むぜ」 デイヴィがラルゴを押し出す。 「いや、俺は大丈夫だ。何か喰えば、すぐ元気になるさ」 デイヴィに対しては、ラルゴは力強く言ったのだが、 「ラルゴ、無理しないで。少し休んだ方がいい。顔色も悪いし」 晶が心配そうな顔で諭すと、 「そうなんだ。本当いうと、もう死にそうで」 と、大げさにふらついてみせる。デイヴィは呆れるより先に、笑ってしまった。 「そんなに元気なら、まず大丈夫だろうな」 「さすが、2人のお友達だけあって、面白い人ね」 ガーネットもつい吹き出した。 「今、食事を用意してるから食べていって。デイヴィと晶も食べるでしょ?」 「サンキュー。実は腹が減ってたんだ。ーーーー酒があると尚嬉しいな」 「了解よ。ーーーー2階に部屋を用意してあるから、少し休んで。準備ができたら呼ぶわ」 侍女に案内されて、3人は2階に行った。 隣の部屋に行こうとするラルゴを、デイヴィと晶は呼び止め、自分達の部屋に入れた。 「で? どうして捕まってたんだ?」 デイヴィの質問に、ラルゴは頭を掻いて、 「いや、大したことじゃ…」 と口籠もる。 「そんなこと言わないで、話してみて」 晶が促す。 「でも、言ったら笑うからなあ」 「そんなこと、言ってみなきゃ判らねえだろ」 「いや、でもなあ」 「笑わない。誓うよ」 晶が重々しく頷いて、ラルゴは覚悟を決めたようだ。 「実は、バルヴァリウスに献上する贈り物を運んでる、アリステア帝国の使節団の連中の前を横切っちまったんだ」 「ーーーーそれで?」 「…それでって…。帝国皇帝と、バルヴァリウス王に対する侮辱だっつって、あっと言う間に地下牢行きさ」 デイヴィと晶は顔を見合わせた。 「…無理して我慢されるより、笑ってもらった方がいいな」 2人の笑いを堪えた顔を見て、ラルゴが呟いた。 「ーーーーい、いや、大丈夫。誓ったからには」 晶が苦しげに、 「あんたがいなくなってから笑うから」 「そ、そうかい」 ラルゴは複雑な表情を見せた。 「帝国がこの国に贈り物か。いよいよ動きだすんだな」 デイヴィが腕を組んで言った。 「帝国…」 以前サヴィナに攻め込まれた記憶のある晶は、帝国にいい印象を持っていない。むしろ色々恨んでいるといっていい。珍しく苦い顔をした。 「帝国はあちこちの国を侵略したがってる。この国だって例外じゃねえ。2者がぶつかるのなら解るが、なんで贈り物なんか…」 考え込むラルゴに、デイヴィは説明した。 「簡単さ。バルヴァリウスも、世界征服のために強い兵士を集めてたんだ。帝国としては早いとこ潰しておきたかったんだろうが、以前サヴィナに攻め込んだとき逆に返り討ちにあって、帝国の兵力はがた落ちしてる」 一旦言葉を切って、デイヴィは晶に目を移す。 ラルゴも晶を見て、 「《キラーパンサー》を甘く見てたんだな」 にやり、とする。晶は2人に笑ってみせた。 デイヴィは続けて、 「傷も癒えねえ内にクリストファームに攻め入っても敵うわけねえから、帝国は搦手を使うことにしたんだ」 「搦手?」 「バルヴァリウスは力は強いが、頭はそれほどじゃねえ。レオナルド王の暗殺も、小細工なしでただ斬り殺しただけだったし、王になってからも、力だけで国民を押さえ込んでたことでも判る。そこに帝国は目を付けた。一緒に世界を征服しようとかなんとか甘いことを言って、本当にそうなった暁には、邪魔だから殺(け)しちまおうって考えだろう」 「なるほど。ーーーー同盟のための贈り物か」 晶は納得した。 「バルヴァリウスも、いい面の皮だな」 ラルゴは少し心配そうな顔でデイヴィと晶を見た。 「それにしても、あんたらまた帝国の邪魔をしたことになるだろ。ヤバいんじゃないか? そろそろ奴らも放っておかないかも知れないぜ?」 対して、デイヴィの答はあっさりしたものだった。 「勝手にするさ。勿論、黙ってやられるつもりもねえがな」 「おお、おっかねえ。どっちがヤバいか判らんな、こりゃ」 ラルゴは大げさに身を振るわせて見せた後、 「ーーーーさて。俺は自分の部屋に行くよ。邪魔だろう?」 と、冷やかすような笑いを残して、自分の部屋に戻っていった。 「ーーーーデイヴィは詳しいね。世界情勢」 しばらく黙り込んだ後、晶が口を開いた。 「そりゃあ、この位はな」 「…ぼくは知らなかった。ーーーーつくづく、サヴィナって田舎なんだ」 晶は長く息を吐いた。 「ぼくは結局、井の中の蛙なのかな」 デイヴィは微かに眉を寄せた。晶がこんなふうに言うのは珍しい。これを見過ごすわけにはいかない。 「何言ってんだよ! ちゃんと俺と互角に戦ってたじゃねえか。大したもんだぜ」 デイヴィは殊更明るくいって、晶の肩を強く叩いた。 「…そうかな」 晶が呟く。 「そうだよ。ーーーーどうしたんだ? おまえらしくもねえ。随分弱気だな」 「ーーーー本当。どうしたんだろう」 晶はデイヴィの肩に頭を乗せて眼を閉じた。自分でも解らない。いつもならすぐに気が晴れるのに、何故か『浮上』できない。 「疲れてんだよ、きっと。サヴィナを出てから一月も経ってねえのに、いろいろあったからな」 デイヴィは晶をすっぽりと腕の中にくるみ込んだ。 「サヴィナは平和だから、余り事件もねえし」 「田舎だからね。…デイヴィも、こんな田舎者に飽きたらそう言って」 晶はちょっと笑って、息を吐き、デイヴィを少し寂しげに見上げた。 「…馬鹿だな」 デイヴィは晶の頭をコツンと軽く叩いて、優しくキスした。 ーーーーと、ここで、お約束通り邪魔が入った。 トントントン! とノック音に続いて、 「食事、できたわよ」 ドアの向こうから、ガーネットの明るい声が聞こえた。 牢から出された人達で食堂の席は埋まっていたので、デイヴィ達は応接室に通された。一通りの食事とデザート、酒やソフトドリンクも色々用意されている。 「さっき、ベランダに出てみたの。父と母がよくやってたように。国民がみんな喜んでくれたわ」 お茶を飲みながら、ガーネットが嬉しそうに言った。 「よかったな」 デイヴィが微笑んだ。バルヴァリウスを倒したことを国民が喜んでいるのは、つまりバルヴァリウスの圧政を皆否定していたということだ。 「姫の父王も王妃様も、皆に好かれてましたからね。皆、姫にこの国を継いでもらいたいと思ってるんです」 と言うチェーザレを、ガーネットはじっと見つめた。 「勿論よ。ーーーーでも、私1人じゃとても無理だわ」 晶がのんびり笑いながら、 「ここに、1番頼りになる人がいるじゃないか」 その目はチェーザレを見ている。 「そうね。チェーザレ、これからは人生のパートナーとして、私の傍にいてね」 「姫、私で宜しければ…」 チェーザレが紅くなって答える。 「夫が妻を『姫』だなんて、おかしいわ。ガーネットって呼んで」 「そんな、でも、ーーーーそうですか? …では」 チェーザレは咳払いして、 「ガ、ガーネット」 「チェーザレ」 2人が手を取り合う。デイヴィが苦笑して、 「そういうことは、2人っきりの時にやってくれ」 とは、おまえが言うな、という感じである。 「あら、ごめんなさい」 「いいじゃない、デイヴィ。どうせここにはぼく達しかいないんだから」 晶の言う『ぼく達』とは、デイヴィと自分、ガーネットとチェーザレに、後、ラルゴもいたが、食べるのに夢中で、全く話には加わっていなかった。 「ーーーーラルゴ、そんなに急に食べたら、お腹が痛くなるよ」 「ん? ムグムグ…、ンム」 晶が優しく注意したが、ラルゴは答えるのももどかしく、凄い勢いで食べ物を口に入れ続けている。 「しょうがねえなー」 デイヴィが呆れて言って、皆で大笑いした。 案の定腹痛を起こしたラルゴを部屋に届け、デイヴィと晶も自分達の部屋に戻った。 「なんだかんだやって、もう12時過ぎか」 「慌ただしい1日だった」 すっかり寝る支度を済ませて、2人はベッドにもぐり込んだ。 「忙しかったけど、巧く行って良かったな」 「そうだね。チェーザレとガーネットも、これから幸せだろうし」 「ーーーーしかし、ラルゴのあの話ときたら!」 思い出したのか、デイヴィは笑いだした。大体が笑い上戸なのだ。 「気の毒だけど、可笑しかった」 晶もつられて笑う。 暫くは笑い声だけが部屋を支配していたが、それもいつしか止み、2人はそのまま黙り込んだ。 デイヴィは晶のことを心配していた。さっきの、晶らしくない弱気な台詞。 ーーーー大丈夫なのか? そう訊いたところで、きっと、大丈夫と言うに決まっている。だから、デイヴィは何も言わなかった。ーーーーただ黙って、晶を抱き締めた。 晶はデイヴィの腕の中で安らいだ。確かに、彼は疲れていた。自分でも気付かないうちに。だから、デイヴィの心遣いが嬉しかった。 そして、2人は唇を重ねた。 翌朝。 女王らしい上品なドレスに身を包んで、ガーネットは朝食の席に現れた。 皆の目が集まる。ガーネットは頬を染めて、 「髪が短いから、おかしいでしょ? 余り似合わないのよね」 「いや、そんなことねえさ。とても似合うよ」 すかさずデイヴィが褒める。さすが、女性には優しい。 「髪なんて、これから幾らでも伸ばせるよ」 チェーザレが微笑む。 「チェーザレは長い髪が好みだものね。一生懸命伸ばさなきゃ」 「へえ。俺は短い方が好きだな」 ラルゴが口を挟んだ。 「俺もだ」 デイヴィが言って、晶に目を移す。晶は髪が短い。 「ーーーーえ?」 それまで黙々と食べていた晶は、他の4人の視線が自分に集中しているのに気付いて、やや戸惑った。 「おまえはどっちがいいんだ? ーーーー長い髪と短いのと」 ラルゴが期待を込めて訊く。 「長い方」 あっさりと晶が答えて、ラルゴはがっくりした。 「あ、でも、要はその人に似合うかどうかだから」 ラルゴの落胆に気付いて、晶が付け加える。 「そうだよな! ーーーー俺は短いの似合うもんな」 ラルゴは1人にやにやしている。 「それなのよ。私、髪伸ばして似合うかしらって、それが不安なのよね」 ガーネットが溜息をついた。10年前、ガーネットの髪は胸の辺りまであった。両親が殺されその復讐を誓ったとき、邪魔な髪をばっさり切った。覚悟を決めるためだ。そして、バルヴァリウスを倒すまで伸ばさない、と心に誓った。今回こうやって望みが叶い、髪を伸ばせることになったが、何せ10年ぶりなので違和感が生じないか不安である。 「大丈夫だよ。きっと似合うさ」 チェーザレが元気づける。ずっとガーネットの傍にいて見守り続けた彼は、また彼女が髪を伸ばせるようになったことが嬉しかった。 そのチェーザレは、逆に髪を切らずにいた。ガーネットはずっとそれを疑問に思っていた。 「チェーザレはずっと髪を切らなかったわね。どうして?」 「ああ。…願掛けしてたんだ。バルヴァリウスを倒して姫のために王座を取り戻せるように」 チェーザレは、自分の長い髪に手をやった。 「叶ったからやっと切れる。自分でも、長い髪は似合わないと鏡を見る度に思ってたんだ。ーーーーまあ、デイヴィを騙るのには丁度良かったが」 他人に話すと効果が無くなると言われているため、チェーザレがそんな願いを髪に掛けていたとはガーネットも知らなかった。 「ありがとう、チェーザレ」 彼女は感激の面持ちで、自分を支えてくれた忠臣であり、最愛の恋人にお礼を言った 「…俺はどうかな。伸ばしてもおかしくないかな」 ラルゴが呟く。晶の好みにどうしても合わせたいらしい。それに気付いたデイヴィは揶揄するように、 「別に、無理して伸ばさなくてもいいじゃねえか」 「そうそう。ぼくなんて、長いのがまるで似合わなくて」 晶は肩を竦めて、 「尤も、鬱陶しいから短い方がいいんだけど」 「俺は、意識して伸ばしたんじゃねえんだよな。国にいた時は短かったんだ。ーーーー旅に出てから切る暇がなくて、ここまで伸びちまっただけで」 「でも、デイヴィは長いのが似合う」 晶が屈託なく笑った。皆が頷く。 「ーーーーそういえば、デイヴィの国はファルーヤ王国だったな」 チェーザレが言いだした。 「この国から、船で2時間もあれば着く島国」 「ああ。なんもねえ小さな国だが、のどかで平和だぜ」 「ファルーヤかぁ…。俺も1年ほど前に仕事で行ったけどよ」 ラルゴがにやりとした。 「とんでもねえ田舎だな、あそこは。本当に何もなくてさ」 「喧しい」 デイヴィがラルゴを睨んだ。 「田舎っていっても、サヴィナほどじゃないだろ?」 晶が尋ねる。まだ気にしているらしい。 「いや、いい勝負さ。ーーーー見たらびっくりするぜ」 デイヴィは晶を優しく見つめた。 「暫くのんびりしような」 晶は素直に頷いた。 「王様の名前が父と同じなのよね。レオナルドって。そのよしみで、結構仲がよかったけど」 ガーネットが懐かしそうな顔になる。 「そのために、ファルーヤ王はバルヴァリウスのしたことを非難して、わが国との国交を絶ってしまったはずだ」 チェーザレの言葉に、ガーネットも頷いて、 「でも、そのバルヴァリウスはもういないから、もう一度昔のように付き合えないかしら」 独裁政権を倒したばかりで国内も暫く落ち着かないだろうし、何より帝国の脅威がある。協力しようとしていた矢先の政権交代だ。ガーネットは今のところ帝国に与するつもりはなかったので、それを知った皇帝が何を仕掛けてくるか解らない。強力な支えが必要だ。 「大丈夫だろう。レオナルド王の娘になら、ファルーヤ王も心を開いてくれるはずさ。ーーーー親書を書くんだ。俺が届けてやるよ」 デイヴィがガーネットに提案した。10年前は彼はまだ国にいたので、クリストファームの前王とファルーヤ王の親交も、クーデターのことも、それに対するファルーヤ王の反応も思い出した。チェーザレの言ったとおり、ファルーヤ王はクーデターに対して酷く憤慨し、また姫が行方不明になったのを知ってとても心配していた。 「そうしてくれる? ーーーーじゃあ、早速書くわ。船も用意する」 ガーネットは立ち上がった。ーーーーちなみに、会話しながら食事を平らげてしまって、今はもう食後の紅茶を飲んでいるところだった。 「船は俺が動かすよ。捕まってる間に、俺が乗ってきた船はランシュークに戻っちまった。仕事と一緒にさ」 ラルゴが苦笑しつつ、 「なんとか稼がなきゃ。土産も買えねえ」 「土産? 誰にだ? ーーーーキャットにか?」 デイヴィが、さっきのお返しとばかりに言うと、ラルゴは正直にも紅くなった。 「へえ」 晶がぼんやりと呟く。ラルゴとキャット。わりと意外で、結構お似合いのカップルだ。 「じゃあ、船まで案内しよう。ーーーーデイヴィと晶は、準備ができるまで部屋で待機しててくれ」 チェーザレはそう言い残して、ガーネットとラルゴと共に出て行った。 残った2人は紅茶を飲み干して、言われた通り部屋で待っていることにした。 荷物をまとめていると、すぐにお呼びがかかった。 「船はホバークラフトなんだ。国で1番速くて、ファルーヤには、普通の半分の1時間で着く」 チェーザレが説明する。 「そりゃあ、ありがたい。早けりゃ早いほどいいからな、こういうことは」 しかし、続けてチェーザレは決まり悪そうに、 「ただ、2人乗りなんだ。ラルゴが操縦して、後1人しか乗れない」 「ーーーーなんだ。じゃあ、ぼくは待ってる」 晶があっさり言った。 「そうだな。結構な強行軍だから、その方がいいだろう」 チェーザレがほっとしたように言った。勿論晶がこんな事でごねるとは思っていない。むしろ2人がーーーーほんのわずかな時間だがーーーー離れるのが不自然な気がして、チェーザレは落ち着かない気分になったのだ。 だが、デイヴィも別に気にした様子はなく、 「王に親書を渡して、すぐに返事をもらってくるよ。今日中には戻れるだろう」 と告げる。 「返事によっては、ガーネットと私が出向くかも知れん。友好条約を結びに」 チェーザレはデイヴィの肩を叩いて、 「その時には、もっと立派な船で行くことになるから、一緒に乗っていけばいい」 「そうさせてもらおう」 晶が微笑んだ。 「じゃあ、お願いね」 ガーネットがファルーヤ王宛の親書を手渡す。 「任せとけ。返事もすぐに持ってくるよ」 デイヴィが受け取って、懐にしまった。 「では、港まで送ろう」 チェーザレに連れられて、2人は港に入った。 「おーい! この船だ!」 2人乗りのホバークラフトから、ラルゴが手を振っている。 「じゃあ、デイヴィ、頑張って」 「ああ。晶も、俺が戻るまでおとなしく待ってろよ」 2人が抱き合ってキスを交わす。見ているラルゴとチェーザレの方が照れてしまった。 デイヴィは晶に優しく笑いかけると、ラルゴの待つ船に乗り込んだ。 「なんだ、デイヴィが行くのか? 晶だったらなあ」 「悪かったな、俺で」 「いいさ。荒っぽく運転して、振り落としてやる」 「その時は、首を斬り落として道連れにしてやるぜ」 「漫才やってる場合じゃない」 晶が笑いながら割って入った。 「ラルゴ、安全運転で」 「了解! 俺も命は惜しい」 などと余計なことを言って、ラルゴはデイヴィに頭をどつかれた。 「では、頼んだぞ」 チェーザレの言葉に、デイヴィは力強く頷いてみせた。 「よーそろ! ーーーーしゅっぱーつ!!」 ラルゴの掛け声と共に、ホバークラフトはあっと言う間に見えなくなった。 ラルゴは安全運転で、それでも小1時間でファルーヤの船着場ーーーーとても港とは呼べないーーーーに着いた。 「さあ、ここから馬車だ」 「俺はここにいるよ。ーーーーあんたと一緒にいると、俺が晶だと人に思われちまう」 「そうか。じゃあ、すぐ戻るから」 デイヴィは、船着場の横に待機している馬車に近寄った。 「お! デイヴィ! デイヴィだ!」 馬車の御者が、デイヴィを見て嬉しそうに叫んだ。 「や、お帰り! みんな待ってたんだ」 「ただいま、親父さん」 デイヴィはにこやかに馬車に乗り込むと、 「城までやってくれ」 「了解! ーーーーいやあ、嬉しいぜ。お前さんを乗せられるなんてな」 御者は馬を走らせた。馬も、いつもより張り切っているようだ。勢いよく駆けだした。 「あ、デイヴィ!」 「デイヴィだ! 本当だ!」 「お帰りなさい、デイヴィ!」 オープンな馬車なので、道行く人達がデイヴィの姿を認めて声を掛けてくる。勿論、デイヴィはニコニコと手を振っている。まるでパレードだ。 ファルーヤは常春の国である。 桜並木から絶えず桃色の花吹雪が生まれ、若々しい緑が明るく萌えている。大気は常に花々のいい香りを含んでいる。吹く風はどこまでも爽やかだ。海に囲まれた小さな島なので、優しい波の音が妙なる音楽の如くこの国を包み込んでいる。 『ファルーヤ』とは、古語で『神が降りた土地』という意味だ。それが素直に信じられるほど美しい国である。 10分ほどでドライブも終わり、城に到着した。 御者に待っているように言ってから、デイヴィは城へ入っていった。 「デイヴィ!」 門番が驚きの声を上げる。 「陛下は中においでか?」 「ああ。ーーーーしかし、おまえはいつも突然だな。突然旅に出て、突然帰ってくる」 デイヴィは何も言わずに微笑んで、城の中に足を踏み入れた。 「デイヴィではないか! いきなりどうしたのだ?」 「陛下、お久しぶりです。お変わりなく」 お世辞ではなく、心からデイヴィはそう言った。 ファルーヤのキング・レオナルドは、もう56歳の筈だが、40代半ばにしか見えない。デイヴィが前に国に帰ったのは4年前だが、それから全く変わりないように見える。 「おまえも元気そうだな」 キングは相好を崩した。 「して、いきなり帰ってきて、何を企んでいるのだ?」 「企んでいるなどとは、人聞きの悪い」 相変わらずのざっくばらんな人柄に、デイヴィは安堵を覚えて微笑んだ。 「至急、お耳に入れたいことがございます」 「そういえば、サヴィナの《キラーパンサー》とつるんでいるそうだな。《ガーディアンエンジェルス》とかなんとか。今日は一緒じゃないのか?」 「それは後ほど。今はある場所で俺の帰りを待ってるとこです」 デイヴィは懐から親書を出して、 「取り敢えず、こちらにお目をお通し下さい」 「どれどれ」 キングは親書を読んで、明るい表情になった。 「ーーーーなるほど。レオナルド王の娘なら、こちらも喜んで国交を復興しよう」 「では、急がせて申し訳ないのですが、お返事をお願い致します。向こうでは、今か今かと待っておりますので」 「待っているのは返事だけではあるまい」 キングはにやりと笑うと、 「可愛いパートナーが恋しいから早く帰りたい、と顔に書いてあるぞ。ーーーーどうだ、図星だろう!」 デイヴィは照れて頭を掻いた。 「え、ええ、まあ。ーーーーさすがは陛下。お見通しですか」 「しかし、おまえほどのプレイボーイが、そこまで参るとは」 キングは、信じがたい、といった様子で天を仰ぎ見た。 「よっぽどの人物なんだろうな」 「そりゃあ、もう」 「まったく、国中ーーーーいや、世界中の女が嘆くだろうな」 キングは立ち上がって、 「では、少し待っててくれ。返事を書いてこよう」 キングが奥の間に消えた時、後ろのドアが開いて、車椅子に乗った婦人と、それを押している若い男が入ってきた。 「王妃様! ジョイル!」 デイヴィはその2人に近寄った。2人は、デイヴィがここにいるのが信じられないといった様子で、暫くはぽかんとしていた。 「デイヴィ! 驚いたな! おまえ、いつ…」 若い男ーーーーこの国のプリンス、ジョイルラードーーーーがデイヴィの肩を叩く。2人は親友で兄弟の如く育った仲だ。 「今だよ。ーーーーそれより、王妃様、どうなされたのですか?」 デイヴィは屈み込んで、車椅子の婦人に優しく問いかけた。キングより2歳年上の、上品で静かなオデット王妃は微笑んで、 「心配ないのよ。ただちょっと、心臓がね」 「突然倒れたんだ。去年だったかな。幸い、命には別状なかったんだが、暫くは寝たきりだった。最近やっと、ここまで回復したんだ」 ジョイルの説明に、 「お医者様に、陽の光を浴びるように言われて、こうやって1時間ほど庭に出るのよ」 王妃が付け加える。 「そうだったんですか」 デイヴィは目を伏せた。世界情勢に詳しくても、一番重要なことを知らずにいたのでは意味がない。むしろデイヴィは、故郷は不変、と勝手に思い込んでいたのだ。 「でも、あなたの顔を見たら元気が出てきたわ。帰ってきたからには、暫くいるんでしょうね」 王妃がデイヴィの腕を掴む。その力強さに、デイヴィはほっとした。 「残念ながら、今はゆっくりしてられないんです」 デイヴィは自分の役目を手早く説明した。 「なるほど。クリストファームに平和が戻ったのか」 ジョイルが頷いていると、奥の間からキングが戻ってきた。 「オデット、疲れただろう。奥で休んでいなさい」 キングが優しく言う。王妃は頷いて、もう一度デイヴィの手を握った。 「じゃあ、デイヴィ、しっかりね」 「必ず戻れよ。積もる話もある」 ジョイルは車椅子を押して、部屋から出ていった。 「さあ、デイヴィ、これが返事だ」 キングはデイヴィに手紙を渡した。 「確かにお預かり致します。ありがとうございます」 デイヴィはそれを懐にしまった。 「クリストファームからこの国まで2時間。おまえが返事を渡してすぐ出発すれば、丁度晩餐の時間だ」 キングはデイヴィの肩を抱いて、 「せっかく帰ってきて、すぐまた出掛けてしまうなんて、皆がっかりするだろう。できるだけ早く帰ってこい。もう戻ってこないのかと心配するからな」 「解りました」 デイヴィが頷いていると、ジョイルが奥の部屋から戻ってきた。 「もう行くのか?」 「可愛いパートナーが待ちかねてるそうだ」 キングがにやにやと笑う。 「サヴィナの《キラーパンサー》だろ? 帝国の《疾風将軍》もツェザーニャの《プリマ・ドンナ》も捕獲に失敗して、致命傷を負わされた。人に馴れない孤高の猛獣を、おまえはよく手懐けたな」 驚きを隠せないジョイルの口調に、デイヴィは笑って、 「孤高の猛獣か。俺にとっちゃ、可愛いキティちゃんさ。ーーーークリスもカテリーナも、やり方を間違えたんだ。無理やり手に入れようとする者には、あいつは容赦なく牙を剥くけど、純粋な愛情には素直に応えてくれるぜ」 「『純粋な愛情』ねえ。ーーーーおまえからそんな言葉を聞くとはなぁ」 「大きなお世話だ」 デイヴィは軽くジョイルを睨んだ。 「おまえをそこまで惚れさせる、その《キラーパンサー》に早く会ってみたい。早く連れてこい」 「畏まりました。ーーーーでは、後ほど」 デイヴィはキングに優雅に一礼して、部屋から出ていった。 城の門には大勢の国民がいて、デイヴィは出ていった途端、彼らに囲まれてしまった。 「おい、通してくれよ。行く所があるんだ」 人をかき分け、やっとの思いで待たせておいた馬車に乗り込むと、 「船着場へ」 「せっかく帰ってきたっていうのに、またすぐ旅に出るのかい?」 呆れ半分で御者が尋ねる。他の者達も残念そうに顔を見合わせて、馬車の前に立ちふさがってしまった。 ここまで慕ってくれるのは有り難いが、今は使命がある。 「今日中に戻ってくるよ。さ、道を開けてくれ」 「本当? 本当に、今日中に戻るの?」 少女が訊く。デイヴィは優しく答えた。 「誓って。ーーーーそのためには、早いとこ船着場に行かなきゃなんねえんだ」 人々は素直に退けた。 「きっとすぐ帰ってくるんだよ!」 恰幅のいい婦人が、遠ざかっていく馬車に叫ぶ。デイヴィは振り向いて手を振ってみせた。 「お、戻ってきた。遅かったな」 ラルゴが手を挙げる。 デイヴィは馬車からひらりと降りると、 「悪い。話が弾んじまってな」 船に乗り込む。 「まあ、しょうがねえな」 ラルゴが時計を見て、 「今から戻れば、11時半には着くだろう。ーーーーさ、出発だ」 「ああ。晶が待ってる」 「俺のことをな」 ラルゴが笑いながらそんなことを言い、再びデイヴィに頭を小突かれた。 |