デイヴィが戻ってくるまで暇な晶は、牢から出してもらった人達の見舞いをしていて、最後にローズのところにいた。
 話している途中に時々くしゃみが出て、
「おかしい。どうしたんだろう」
 晶は首を傾げた。別に寒気がするとか鼻が詰まるとか、そういった症状が出ているわけではなく、むしろ体調はよい方だった。
「きっと、デイヴィがあなたのことを話してるんだわ」
 冷やかすような口調でローズが言う。俗に言う『噂をされるとくしゃみが出る』というやつだ。
「ろくなこと言ってない気がする。キティちゃん、とか」
 ーーーー恐るべき勘のよさだ。やはり、ただ者ではない。
 しかし、勿論、本当にデイヴィがそう言っているのだとは知らないから、ローズは楽しそうに笑って、
「まさか。きっと褒めてるわよ。デイヴィはあなたに夢中だもの」
「確かに。それは言える」
 晶はあっさり認めた。これが、晶の晶らしいところだ。他の人が言えば、自惚れてる、とか、おかしいんじゃない、とか、やっかみ半分で馬鹿にされてしまうことでも、晶が言えば、可愛いこと言っちゃって、で済んでしまう。人柄だろう。更に、
「でも、ぼくの方が夢中かも」
 と惚気ても、人々は嫉妬するどころか、素直に彼の幸せを喜べる。晶の持つピュアな雰囲気がそうさせるのだ。
 ローズも例外ではない。孫に対する時のような、愛情に溢れた瞳で晶を見つめ、
「それが愛というものよ」
 と、優しく微笑んだ。
「そうですか」
 晶は照れくさそうに首を竦めた。
「あなた達2人を見てると、若い頃を思い出すわ。主人と会った時のこととか」
「へえ。ぜひ聴きたい」
 晶が身を乗り出す。ローズはちょっと笑って、静かに話しだした。
 
 やがて、話し疲れたローズは眠りに落ちた。晶は起こさないようにそっと部屋をでると、自分の部屋に向かおうとした。
「おい、晶!」
 呼ばれて振り向くと、デイヴィが階段を上がってくるところだった。
「あ、デイヴィ。お帰り」
「ただいま」
 いつも通りキスをして、
「早速だがな、これからファルーヤに行くぜ」
「これから?」
「陛下に、今日中に戻ってこいって言われちまったんだ」
「へえ。デイヴィって人気あるんだね」
「まあな。でも、おまえにも早く会いたいんだってよ」
「ぼくに? なんでまた」
「有名だろ?《キラーパンサー》」
「ぼくの話、した? やたらとくしゃみ出たんだけど」
「まあ、多少はな」
「どんなこと?」
「いや、ーーーー可愛い、とかさ」
「ーーーーキティちゃん」
「…あ?」
「んー、別に」
 勿論、2人は歩きながら話していた。で、ここまでの会話の間に、部屋から荷物を取り、階段を降り、ガーネットとチェーザレの待つ広間までやって来た。
 デイヴィが持ち帰ったファルーヤ王からの手紙は、『喜んで友好条約を結ぶので是非こちらにおいで頂きたい、この手紙を持ったデイヴィが帰ったら、すぐに彼と一緒に出発して欲しい。書類と、晩餐会の支度をしてお待ちしています』という趣旨を丁寧な文面でしたためたものだった。
「こんなこともあろうかと、支度しておいてよかった」
 ガーネットはこの国の伝統的なドレスに身を包んでいた。亡くなった母親の衣装だった。流行り廃りのあるファッションとは違いこの国の民族衣装なので、10年前のものでも普通に着られる。幸い生地も上質で傷んでおらず、サイズもぴったりだった。
「しかし、ファルーヤ王もせっかちだな。すぐにこちらの要望を受け入れてくれて有り難いことではあるが」
 チェーザレも正装している。これはガーネットの父親のものだ。こちらも、少し手直しするだけで充分だった。しかも、デイヴィがファルーヤに帰っている間に望み通り髪も切っていた。短髪が凛々しさを一層際だたせている。
「急なことにしては、立派な礼服じゃねえか。それに、髪を切って男振りも上がったな」
 デイヴィが冷やかす。
「ハンサムだから、なんでも似合うのよね」
 ガーネットが惚気て、チェーザレは1人紅くなっていた。
「港でラルゴが待ってる。急ごうぜ」
 デイヴィが晶の肩を抱いて歩きだす。ガーネットは城の者達に、
「後はお願いね」
 と声を掛けた。全員がお辞儀する。ガーネットは頷いて、城を後にした。
 
 船の中に用意されていた昼食を食べ、2時間ほどでファルーヤに到着した。
「お、デイヴィ! 戻ってきたな!」
 御者が嬉しそうに声をかけてくる。
「俺は約束は破らねえぜ」
 デイヴィは微笑んだ。
「しかし、凄く豪華な馬車だな。さっきのとは月とスッポンだ」
 ラルゴが眼を丸くする。
「城から届いたんだ。大事なお客様に、いつもの馬車じゃ失礼だからな」
 御者が説明する。今度のは天蓋付きで、中は赤いビロードが敷いてある。黒い車体にはファルーヤ王室の紋章が描かれいて、真っ白なきれいな馬が4頭、じっと待機している。
 ラルゴは船の整備のため残り、他の4人は馬車に乗り込んだ。御者が鞭を当て、馬が駆けだす。
「のどかな国だな」
 窓から外を見て、チェーザレが呟いた。
「だろ? それだけが取り柄なのさ」
 デイヴィが応じる。
 晶は黙って、流れていく外の景色を眺めていた。
 
「おお、よく来てくれた」
 玉座の上から、キングは満足そうに声を掛けた。
「お久しぶりです、ファルーヤ王、レオナルド様。この度は我々の願いをお聞き届け下さいましたこと、心より感謝致します」
 ガーネットが言い、チェーザレも共にお辞儀する。
「いや、これは私の願いでもあった。ガーネットのご両親があんなことになった時、私は何もできなかったのでな。ーーーーこれからは、私とオデットを両親と思い、なんでも言いなさい。力になろう」
 キングの言葉とともに、隣の王妃も優しく頷いた。
「勿体ないお言葉…。痛み入ります」
 ガーネットは頭を下げた。
「早速、書類に署名を」
 キングが手を叩くと、ジョイルが書類を持って入ってきた。キングとガーネットがサインして、それぞれ1通づつ持つ。
「さあ、これでよい。ーーーーさて」
 キングの目線がデイヴィに移った。
「デイヴィ、おまえのパートナーを紹介してくれ」
「はい。喜んで」
 デイヴィは晶の方に手を振って、
「サヴィナの《キラーパンサー》です」
「お初にお目に掛かります。晶です」
 晶が進み出てお辞儀すると、キングも王妃もジョイルも驚いた顔をした。
「ーーーーまさか、その可愛らしい少年が?」
 キングが尋ねる。晶は慣れっこなので黙っていた。代わりにデイヴィが、
「お疑いですか?」
「い、いや。疑っているわけではない。ーーーー信じられんだけだ」
 キングは微妙な言い回しをした。
「噂を聴いたかぎりじゃ、とてもそんな子供がそうだとはな」
 ジョイルが余計なことを言って、キングに睨まれる。
「あんまり穏やかでチャーミングだから…」
 王妃がフォローする。
「可愛いだけじゃないんですよ、これが」
 デイヴィが不敵な笑みを見せた。
「証明してみせましょうか?」
「ぜひそうしてもらおう。ーーーー私の身体で」
 ジョイルが剣を抜いた。
「ジョイル! そんな…」
 王妃が止めるのを、キングが抑えた。興味が沸いたのだ。
 晶は、また勝手に話を進めて、とばかりに恨みがましい目でデイヴィを見ていたが、ジョイルが剣を構えて迫ってきたので、観念して刀を抜いた。
 デイヴィはチェーザレとガーネットとともに壁際に退がって、興味津々とその様子を見ている。
 晶が刀を構える。溢れる鬼気。部屋の温度が急激に下がったような気がして、一同身震いした。
 ジョイルが前にでる。晶はふわりと跳んで、空中で1回転して背後に着地した。そこにすかさずジョイルが剣を振る。晶は刀で受け止めた。暫く押し合って、ぱっと離れる。
 その様子を、キングは息を殺して見ていた。《キラーパンサー》を、彼も甘く見ていたようだ。そのことに気付いたのだ。ジョイルは確かに強い。この国ではデイヴィに次ぐほどだろう。しかし、それでもやはり敵わない。普通の者とは強さの格が違うのだ。
 ーーーージョイル、止めろ!
 キングは心の中で叫んだ。ーーーー相手は鬼神だ。殺されるぞ!
 キングの祈りも虚しく、ジョイルは態勢を立て直してかかっていく。晶は刀で払った。見かけによらず、戦士だけあってさすがに力がある。ジョイルは剣ごとよろけた。
 ジョイルの喉が無防備になった。皆が息を呑む。晶の刀がそこ目掛けてーーーー
 晶は寸前で刀を止め、ポン! と軽く叩いた。勿論、背の方でだ。
 夢から醒めたような眼で、ジョイルは晶を見た。可愛らしく微笑んでいる。剣を交えていた時とはまるで別人だ。
「ーーーーなるほど。『能ある鷹は爪を隠す』というが」
 気が付くと、ジョイルも笑っていた。
「大したものだ。《キラーパンサー》」
 2人は剣と刀を納め、にこやかに握手を交わした。
 キングは息を吐いた。無意識の内に額に手をやっている。知らぬ間に汗をかいていたようだ。
「ーーーー驚いたわ。迫力があるのね!」
 王妃がハンカチを握りしめ、息も荒く呟いた。
「すみません。…心臓は大丈夫ですか?」
 船の中で、晶はデイヴィにファルーヤのことを色々聴かせてもらっていたのだ。王妃の身体のことも聴いた。なので謝ったのである。
「ええ。平気よ。この程度なら」
 王妃は優しく微笑んだ。
「どうです? 陛下。ご納得頂けましたか?」
 デイヴィは、1人面白そうな顔をしている。
「あ、ああ。さすがと言っておこう」
 王らしい毅然とした態度をなんとか保ちつつ、キングは言った。
「余裕の言葉のわりには、随分汗をかいてらっしゃいますね、父上」
 ジョイルが笑いながら言う。キングは彼を睨んで、
「デイヴィ以外にもう1人、敵わない者がでてきたようだな」
 と逆襲した。
「まあまあ、2人とも、大人げない喧嘩はお止めなさい」
 王妃が割って入った。
「う、うむ。ーーーーしかし、晶よ、見事だったぞ!」
「恐れ入ります」
 晶は頭を下げた。
「さあ、夕食まで間がある。部屋に案内しよう」
 王が手を挙げると、侍女がやって来て、チェーザレとガーネットを連れていった。
「デイヴィ、おまえは家に帰って、家族の顔を見てくるといい。後で使いをやる」
「ありがとうございます」
 デイヴィと晶は一礼して出ていった。
 
「4年振りだ。みんな大きくなっただろうな」
 家に向かいながら、デイヴィは嬉しそうに言った。
「そういえば、デイヴィの家族構成、聴いてない」
「5歳違いの姉と、歳の離れた妹と弟がいる。両親は例の流行病で相次いで亡くなったよ」
 12〜3年ほど前、世界に伝染病が流行ったことがあった。感染力はさほどでもなかったが、致死率が高かった。世界の人口が2/3ほどに減少するほどだった。その後特効薬が開発されて一気に終息に向かった、という経緯があった。世界の共通の記憶として残されている。
「そう…。大変だったね」
 晶は同情溢れる優しい口調で言った。サヴィナでも、エリックの母親がその病で亡くなっていた。
「そうだな。妹も弟もまだ幼かったしな。姉と2人で面倒見たけど、大変だったよ」
「妹さんはパールと同い年って言ってたね。16歳だっけ。弟さんは?」
「15歳だ」
「本当に、随分と歳が離れてるんだ」
 晶は眼を丸くした。それなら、その疫病が流行った頃はまだ2〜4歳くらいだったはずだ。デイヴィだって14〜5歳である。大変な苦労だっただろう。
 城の斜向かいにある立派な館が、デイヴィの家だ。
「立派な家」
 晶が感心して呟く。
「古いだけさ」
 デイヴィはドアを開けた。鍵は掛かってない。この国に泥棒はいない。皆顔見知りだし、こんな田舎に旅人など訪れないからだ。
 日が射して明るい感じのする家の中には、しかし、人の気配はない。
「ただいま。ーーーーいねえのか?」
 デイヴィが中に入る。晶も続いて、
「お邪魔します」
 その瞬間、後ろから、
「…、2、1!」
 という声に続いて、パンパンパン! と凄い音がして、2人は跳び上がった。
 慌てて振り向いた2人の目の前では、紙吹雪が舞っている。銃じゃなく、クラッカーだったらしい。
 そして、3人の金髪の男女が、その紙吹雪の向こうで笑っていた。
「ナスターシャ! シェリー! ダリル!」
 デイヴィが嬉しそうに駆け寄る。
「元気だったか?」
「元気だったか、じゃないわよ」
 2人の女性の内、まだ少女の方が唇を尖らせて、
「帰って来たって聞いて城に行ってみたら、またどっかに行っちゃったって言うじゃない。家に顔を出さないなんて、どういうつもり?」
「そう言うなよ。急ぎの用があったんだからさ」
 きまり悪そうに、デイヴィが頭を掻く。
「まあまあ。こうやって帰って来たんだから」
「そうだよ。折角帰って来たのに、そんなに怒っちゃまたどっか行っちゃうよ」
 大人の女性と少年が取りなして、少女も怒りを解いた。
「そうよね。じゃあ、どこにも行かないように、おまじない」
 デイヴィの頬にキスすると、
「お帰りなさい、デイヴィ」
「ただいま、シェリー」
 デイヴィもキスを返して、晶の方を振り向いた。
「晶、紹介するよ。姉のナスターシャ、妹のシェリー、それから、弟のダリル」
「よろしく。晶です」
「サヴィナの《キラーパンサー》ね。噂は聞いてるわ」
 ナスターシャがにこやかに手を出して、
「デイヴィが色々お世話になって」
「こちらこそ」
 晶はその手を取った。
「はい、退いて」
 シェリーはナスターシャを押し退けて、晶の顔をまじまじと見つめた。
「可愛い顔ね。デイヴィはやめて、あたしと付き合わない?」
「折角だけど」
 晶は曖昧に微笑む。シェリーは肩をすくめて離れた。
「冗談よ。デイヴィ、そんなに睨まないで」
「俺は別に…」
 言われて初めて気付いたらしく、デイヴィは慌てて弁解した。妹にまで焼き餅を妬くとはまったく大人げない男である。
「俺、あなたのような戦士になるのが夢なんです」
 ダリルが晶の手を握って、熱っぽい口調で訴える。
「是非稽古をつけてください」
「喜んで」
 晶は嬉しそうに笑った。
「デイヴィ、どのくらいいるつもりなの?」
 ナスターシャが訊く。
「そうだな。取り敢えず、疲れが癒えるまでだな。何しろ、事件ラッシュだったし」
「話は聞いてるよ。サヴィナではツェザーニャ軍を追い返して、《ガーディアンエンジェルス》結成。ランシュークで伝説の剣を手に入れて、ムーンベクト王の目を醒まさせ、ジョサイアシティの武闘会で優勝なしの準優勝。クリストファームでは悪しき王を倒し、国を救った!」
 ダリルの言葉に、デイヴィは面食らって、
「おまえ、やけに詳しいな」
「デイヴィのことは、この国全体が注目してるんだもの。この位当然よ」
 シェリーが説明する。
「こんな素晴らしい人が兄さんだなんて、鼻が高いよ」
 ダリルが誇らしげに言って、デイヴィの顔がほころんだ。
「俺のことより、みんなはどうしてた?」
 デイヴィが訊くと、ナスターシャが頷いて、
「私、婚約したわよ」
「へえ! 物好きもいたもんだな。ーーーーいて!」
 ナスターシャに叩かれて、デイヴィは悲鳴を上げた。
「おめでとうございます」
 晶が素直にお祝いする。
「ありがとう。ーーーーデイヴィよりもあなたを弟にしようかしら」
 優しいし、素直だし、可愛いし、とやっているナスターシャに、
「冗談だよ。勿論俺だって、我がことのように嬉しいさ」
 デイヴィは言ってやった。
「----で、相手は誰だ?」
「ヒークベルトの人よ。カールっていうの。35歳」
 ナスターシャが答える。
「優しいし、なかなかユニークな人よ」
 シェリーが頷く。
「ヒークベルトが帝国に占領されたんで、ファルーヤに逃げて来たんだって」
 ダリルが説明する。
「何をやってる奴なんだ?」
「画家よ。今もアトリエに籠もって描いてるわ」
「ナスターシャのこと、最高のモデルだって言ってる」
「尤も、シェリーにも俺にも言ってたけどね。綺麗ならいいみたいだよ」
「なんだ、結構いい加減だな」
 デイヴィは苦笑した。
「でも、才能はあるわ」
 ナスターシャが力説する。デイヴィは冷やかした目つきで、
「『恋は盲目』って知ってるか?」
 などと言って、再び叩かれた。
「本当に巧いのよ」
 シェリーが慌てて弁護する。
「デイヴィと晶にもモデルの依頼が行くかもね。2人の噂を聞いて、会うのを楽しみにしてたから」
 ダリルの台詞に、デイヴィは嫌な顔をして、
「面倒くせえなー。俺はごめんだぜ」
「まあまあ、デイヴィ。モデルぐらいいいじゃない。デイヴィの顔を見たら、誰だって描きたくなるだろうし」
 晶が宥めつつ持ち上げる。
「まあな」
 デイヴィはしゃあしゃあと応じた。こんなことを言っても、周りの者は怒ったり呆れたりせず、ちゃんと同意してくれるのだから、美人は得だ。
 その時、正面にある、人1人は入れそうな豪華な柱時計が6時を打った。
「あら、もうこんな時間! 夕食の準備をしなきゃ」
「俺と晶はいいぜ。陛下に呼ばれてんだ」
「そうなの。残念だわ…。でも、大食いがいなくて助かるけど」
 ナスターシャは落胆したりホッとしたりと忙しい。
「夕食の支度ができたから、城に来てくれ」
 開けっ放しのドアから、ジョイルが顔を覗かせた。
「折角の兄弟姉妹対面のところ悪いけど」
「いいさ。これから暫くいるんだ」
 デイヴィは晶と共に家を出た。
 
「個性的な家族だね。みんな似てない」
 城に向かいながら、晶がデイヴィに話しかけた。
「まあな。でも、ナスターシャは母のジェニーに瓜二つだし、シェリーはなんとなくフレディに似てる。ダリルは、『この子は死んだママに似てる』ってジェニーが言ってたしな」
 デイヴィが応える。
「俺は外見は誰にも似てねえけど、この瞳の色と声はフレディ譲りなんだ」
「そんな素敵な声の人がデイヴィ以外にいるなんて、信じられない」
「そうか? まあ、俺の方が少しセクシーかな」
 デイヴィは嬉しそうだ。言われ慣れている言葉だが、晶の口から聞くと、また新たな喜びがある。愛の成せる業だ。
 ジョイルもそれに気付いて、珍しい物を見るようにデイヴィを見た。プレイボーイのこの男が、誰か1人だけをこんなに想うなんて、想像だにしなかったことだ。
「なんだよ?」
 ジョイルの視線に気付いて、デイヴィは訝しげな顔をした。
「いや、人間ってのは、変われば変わるもんだな」
「?」
「晶に捨てられないように、充分気をつけろよ」
「縁起でもねえ」
 デイヴィは、今度はしかめっ面をした。
「晶も、手が掛かるだろうけど、デイヴィのことを見捨てないでやってくれ」
 晶はのんびりとジョイルを見つめていたが、
「大丈夫。そんなことになったら、ぼくは気が狂っちゃう」
 と、にっこり笑った。
「なるほど。心配するだけ無駄か」
 ジョイルもつられて笑う。
 デイヴィは1人静かだった。晶の言葉に感激したのだ。
 3人は城に足を踏み入れた。
 
 食事が終わっても、話は尽きなかった。
 11時を過ぎて、チェーザレとガーネットは部屋に引っ込んだが、他の者達は広間に場所を移して、思い出話に興じていた。
 キングや王妃が、デイヴィの子供の頃の話をし出し、晶は楽しそうに聴き入り、デイヴィはちょっと恥ずかしそうだった。
 中でも1番の思い出は、ジョサイアシティから来たサーカスの虎が逃げだした時のことだろう。7歳のデイヴィはそれを大きな猫だと思い込んで、一緒に遊んでいたのだ。
「あの時は、心臓が止まるかと思ったぞ」
 キングが愉快そうに、
「フレディも、さすがに蒼くなってたな。しかし、虎がすっかりデイヴィに懐いてると判った途端、急に機嫌がよくなりおった」
「『さすが、俺の息子だ! 見ろよ。虎と昼寝してるぞ! 兄弟みたいだ』ってね」
 王妃も懐かしく微笑んだ。
「でも、ジェニーはそれどころじゃなかったわ。『私、虎を生んだ覚えはないわよ』って、今にも倒れそうになって」
「なんでみんな騒いでるのか、俺には解らなかったな」
 デイヴィは肩を竦めた。
「だから、虎にーーーーディーバに訊いたんだ。でも、彼女も解らなくて、2人で首を傾げてたよ」
「ちょっと待って。ーーーー虎に訊いたって?」
 晶が口を挟んだ。
「こいつは昔から、猫科には強くてね。何故か彼等と話せるんだ」
 ジョイルが代わりに答える。
「言ってることが自然に解るのさ。好きだからかな」
 デイヴィが付け加える。
「ふーん、そうか」
 晶は納得顔になった。
「じゃあ、もしぼくが《キラー“パンサー”》じゃなくて、《キラー“ウルフ”》とか《キラー“ベア”》だったりしたら、興味を惹かなかったかな?」
「まさか。それとこれとは別だよ」
 デイヴィがすかさず否定する。
「そうかな。ーーーー少なくとも、飼い馴らされなかったかもな」
 ジョイルがにやにやと言うと、
「その方が平和だった」
 晶も調子を合わせる。なんのことはない。デイヴィをからかっているのだ。
「お、おい、晶…」
 見事引っ掛かって、デイヴィは情けない顔をした。声にも力が入らない。
 晶はくすくす笑って、
「平和だったけど、つまらないだろうなって、言いたかったんだ」
「あ、そうか…」
 デイヴィは息を吐いた。
「さすがのデイヴィも、晶にかかっては形無しだな」
 キングが揶揄するように言って、皆が笑う。デイヴィはひたすら照れまくっていた。
 
 結局、デイヴィと晶は城に泊まることになった。
 シャワーを浴び、すっかり眠る支度を済ませて、デイヴィはベッドに転がった。
「さすがに疲れた?」
 丁度バスルームから出てきて、その様子を見た晶が訊く。
「昔のことを知ってる人ってのは、怖いよな。俺が忘れてるような、とんでもねえことまで覚えててさ」
 晶はデイヴィの隣に座った。
「ーーーー本当に平和だね、この国は。気のいい人ばっかりで」
「ここでなら、静かに過ごせるさ」
 デイヴィの口調に優しさが込もる。晶はデイヴィの胸に頭を乗せた。
「ありがとう、デイヴィ」
 デイヴィは晶のしなやかな体を抱き締めた。
 
 翌日、2人が起きだしてきたのは昼過ぎだった。
 階段の途中でチェーザレとガーネットに遇い、4人でダイニングに行くと、ジョイルが紅茶を飲んでいた。4人に気付いて声を掛けてくる。
「随分遅いお目覚めだなーーーーと言いたいところだが、私もさっき起きたばかりだ」
 ジョイルの向かいにデイヴィが座る。その左に晶、チェーザレ、ガーネットと並ぶ。昨日もこうだった。向かいーーーーつまり、ジョイルの隣にはキングと王妃が座っていたのだが、今は空いていた。
「陛下と王妃様は?」
 デイヴィがジョイルに尋ねる。
「父はもう食事を済ませて仕事してる。同じ時間に寝たのに、タフな人だ」
 ジョイルは首を振って、
「それが王だというなら、私は一生王にはなれそうにないな」
「良く解るわ」
 ガーネットが真面目な顔で同意する。
「王妃様は?」
「母は、多分寝てるんだろう。夜更かしには慣れてないし」
 ジョイルの答が終わらない内に、王妃が自分で車椅子を動かして入ってきた。
「母上、大丈夫ですか?」
 ジョイルが素早く駆けていって、車椅子を押してやる。
「おはようございます、王妃様。よくお休みになれましたか?」
 デイヴィの問いに、
「それがね、早く目が覚めて、あんまり気持ちいいお天気なので、庭に出て日向ぼっこしてたら、いつの間にかこんな時間になっちゃって」
 王妃はゆったりと答えた。
「じゃあ、余り眠ってないんですか? お身体に障りますよ」
 ジョイルが心配そうに言う。
「大丈夫よ。歳をとると睡眠時間は少なくていいの」
「まだお若いじゃないですか」
 晶がのんびりと言う。王妃は微笑んで、
「ありがとう。ーーーーそれにね、『病は気から』っていうでしょ? デイヴィは帰ってきたし、しかもこんなにチャーミングなパートナーも一緒にね。それに、ガーネットとチェーザレは無事で、また昔のように仲良くできるし。いいことだらけなんだもの。嬉しくて、病気なんて飛んでいってしまったわ」
「それは何よりです」
 デイヴィは明るく笑った。
 料理が運ばれてきて、6人は談笑しながら食べ始めた。
 
 チェーザレとガーネットは国に戻るため、キングに挨拶に行った。
「そうか、行くか…。まあ、すぐ近くなんだ。いつでも遊びにきなさい」
「はい、ありがとうございます。キングも是非」
「何か手に負えないことがあったら、すぐに相談なさいね」
 王妃の言葉に、2人は頭を下げて城を後にした。
 
 見送りに、デイヴィと晶がくっついて、船着場に向かう。
「お、やっと来たな」
 船からラルゴが顔を出す。
「じゃあ、デイヴィ、晶、世話になったな」
「いろいろありがとう」
 チェーザレとガーネットが手を差し出す。その手を握りながら、
「他の国が喧嘩を売ってきたら、俺達の友人だって言えばいいぜ」
「みんな逃げてくだろうから」
 デイヴィと晶は言った。ある意味、ファルーヤ王の後ろ盾より頼もしいかもしれない。
「ありがとう」
 ガーネットがもう一度礼を言い、チェーザレと共に船に乗った。
「じゃあ、俺もランシュークに戻るから」
 ラルゴが手を挙げる。
「長いようで短い付き合いだったな」
 デイヴィが言うと、ラルゴはにやりとして、
「せいせいした、なんて思ってんだろ」
「まさか。思ってても言わねえぜ、俺は」
「2人でコンビでも組む? お笑いの」
 半ば真面目に言うのが、晶の怖いところだ。
「晶とならどんなコンビでも組むけど、デイヴィとじゃな」
「なんなら、剣劇コンビでもいいんだぜ。俺が斬り役で、おまえがやられ役」
「なんだそりゃ?」
 オチが付いたところで、晶が楽しそうに笑った。
「ーーーーじゃあ、ラルゴ、気をつけて。キャットに宜しく」
「結婚式には呼べよ」
 デイヴィの言葉に、ラルゴはヤカンのように真っ赤になった。
「そ、そんな。…まだ早いよ。なあ」
「とにかく、地球の裏側にいても、何があっても飛んでくから」
「おまえはともかく、キャットの為にな」
「その時は、晶は呼ぶけどデイヴィは呼ばねえ!」
 ラルゴはデイヴィを睨んで宣言した。
 汽笛を鳴らして遠ざかっていく船に手を振り、やがて見えなくなると、2人はデイヴィの家に戻った。

 家に入ると、見知らぬ男が1人、家族と一緒にお茶を飲んでいた。
 2人に気付いたその男は、立ち上がって前までやって来ると、2人を繁々と見つめ出した。度の強そうな眼鏡の後ろの青い眼は子供のように純粋で、限りない好奇心の光を湛えている。
 デイヴィは戸惑って、何か訊こうと口を開きかけたら、男が突然喋りだした。
「おお、素晴らしい!!! この眉の太さ、エメラルドのような瞳の色! 輝き具合、白眼とのバランス! 鼻の角度と高さ! そしてこの唇の色と厚さ!! ーーーー完璧だ!!!」
 デイヴィがぽかんとしていると、男は晶に目を移し、更にわめいた。
「なんという愛らしさ! 大きいが、大きすぎるということはない眼! それに、なんと不思議で優しい瞳だろう!! 見つめているだけで心が和むようだ…!」
 晶は呆気に取られた。その間にも男の感動は進んでいる。
「神よ、このような素晴らしいモデルに逢えたことを、心より感謝致します! ーーーー願わくば、この美しさを完璧にカンバスに再現できるよう、力をお与え下さい…!!」
 今度は天に祈り始めた男を見て、デイヴィと晶は顔を見合わせた。テーブルでは、ナスターシャとシェリーとダリルが、腹を抱えて笑っている。傍から見れば、さぞや不思議な光景だろう。
「あ、あの…。あなたは…?」
 晶がやっと声を掛ける。男は祈りを止めると、真面目な顔になり、
「これは失礼! 私はカールといいます。初めまして、宜しく!」
 と、2人の手を交互に握り、ぶんぶんと激しく振りだした。
「……………」
 デイヴィは無言でナスターシャの方を見た。ナスターシャは頷いて、
「私のフィアンセよ」
「……………」
 デイヴィは眼を丸くして、カールを見つめ直した。
「そう! 近い将来、君のおにーさんになる。実に光栄だ!」
 カールは喜びで顔を紅くして、ばんばんとデイヴィの肩を叩いた。
 対してデイヴィは、こんな変な奴が兄なんて余り光栄ではないが、ナスターシャの機嫌を損ねても悪いので、なんとも複雑な笑顔を見せた。
「いやあ、噂は聴いていたが『百聞は一見にしかず』だ! これほど美しいとはね!」
 カールはデイヴィの顔を下から覗き込んだ。デイヴィの背が高いのもあるし、カールの背が低いのもある。
「正に、絶妙なバランスを保った美貌だ! この眉がもう少し太ければ野暮ったくなるだろうし、かといって細ければ女々しくなる。白眼もそうだ。瞳がこれ以上大きければ、少女小説の登場人物になってしまう。この三白眼が堪らないね! 眼の間隔も申し分ないし、鼻の高さも長さも丁度いい。何よりこの唇!」
 カールはぐっと背伸びをして寄った。
「思わず吸いつきたくなるほど官能的だ!」
 デイヴィは慌てて後ずさった。本当に吸いつかれてはかなわない。
「冗談だよ」
 カールはくすっと笑った。そうすると、童顔がますます子供みたいな顔になる。
「それに晶! 実にチャーミングだ! ーーーー特にこの瞳! 『目は心の窓』というけど、君の心はクリスタルのように清らかなんだろう。その瞳で見つめられると、体が溶けてしまいそうだよ!」
「それはどうも」
 晶は笑顔と共にのんびりと言った。
 カールは下がった眼鏡を直して、
「うん、笑顔もいいね! 本当に、なんて可愛いんだ!」
「カールったら。それ以上晶に近づくと、デイヴィに斬られちゃうわよ」
 カールの性質を承知しているナスターシャは半ば呆れつつ、半ば甘やかし気味な口調で忠告する。
 今度はカールが慌てて離れた。
「ナスターシャ…。俺はそんなことしねえよ」
 デイヴィが文句を付けると、ナスターシャは悪戯っぽく彼を横目で見つめて、
「何言ってるの。ちゃんと知ってるのよ」
「?」
 デイヴィがきょとんとしていると、今度はシェリーが、
「ラルゴっていう人から、色々聴いたわよ!」
 と言うではないか。
「ラルゴ? ーーーーあの野郎、さっき、そんなこと一言も言ってなかったぞ!」
 デイヴィは苦い顔をした。
「言ったら、また切られると思ったんじゃない?」
 ダリルが面白そうに言う。
「また、ったって、俺は斬ってねえぜ。斬ろうとしただけだ」
 デイヴィは変な弁解をして、
「大体、なんであいつが…」
「広場でナンパされたの」
 シェリーがあっさりと言った。
「で、話してみたら、デイヴィのポン友だって言うから、家に来てもらったってわけ」
「あんな奴、ポン友じゃねえ」
 デイヴィはすっかりむくれている。
「むくれても美人だ!」
 カールが興奮気味に叫んだ。芸術が絡むとまったく空気を読まない人物らしい。
「これはやっぱり、モデルになって貰わなきゃ!  傑作が描けるような気がするぞ!」
 カールはデイヴィの腕を引っ張った。見かけによらず力がある。おまけにシェリーとダリルは面白がって後ろからデイヴィを押すし、なにより晶が自分からついて行ってしまったので、デイヴィの抵抗も虚しく、アトリエまで連れて行かれてしまった。

 《ガーディアンエンジェルス》は、ゆっくりとした時間をファルーヤで過ごした。
 モデルになったり、ダリルや他の子供達に剣術の稽古を付けたり、王妃と話したり、ジョイルを始めとする、城の兵士達と模擬試合をしたりと、平穏な日々を送った。
 この、静かで平和な国と、優しい人々と、なによりデイヴィのおかげで、晶はすっかりスランプから抜け出し、段々といつもの調子を取り戻していった。
 
 2週間が経って、デイヴィと晶は再び旅に出ることにした。
「なんだ。もう行くのか」
 キングが残念そうに言った。
「もう少しゆっくりしたらいいのに」
 王妃も寂しそうだ。
「落ち着きのない性格でして」
 デイヴィは肩をすくめた。
「まあ、おまえにじっとしてろと言うのは、死ねと言うようなものだからな」
 ジョイルが笑う。
「気持ちは解る。私も、もう少し若くてもっと自由だったら、きっとおまえ達のように旅をしていただろう」
 キングは果たせなかった夢を思い返し、しみじみとした口調になった。
「でも、忘れないでね。帰る場所があるからこそ、安心して旅に出られるの。辛いことがあったら、いつでもまた戻っていらっしゃい。ーーーーここは、あなた達の故郷なのだから」
「はい。ありがとうございます」
 王妃の優しい言葉に、デイヴィと晶は頷いた。
「で、どこへ行くつもりなんだ?」
 ジョイルが訊くと、晶は不思議な笑顔を見せた。
「ーーーー帝国へ」
「て、帝国?」
 キングと王妃とジョイルの声が、綺麗にハモった。
「観光ですよ。俺もまだ、あそこだけは行ってませんでしたのでね」
 と、デイヴィが説明する。それが本音だとはそこにいる誰もが思っていなかった。
「し、しかし…、おまえ達が今帝国に行ったら、やつら仕掛けてくるかもしれんぞ」
 キングの言葉は当然である。なにせデイヴィは傭兵としての仕事で、帝国兵相手に何度か戦ったことがある。晶の方は言うに及ばずだ。しかしそう言いながら、何を言ってもこの2人には無駄だろうな、とキングは思っていた。
 案の定、
「そうなったらそうなったで、奴らを滅ぼす理由ができるわけですね」
 晶が楽しそうに言うと、
「しかも、正当防衛だし」
 デイヴィも不敵な笑顔を見せる。
「正当防衛って…」
 ジョイルは呆れて、
「誰だって、おまえ達2人が来たら、絶対何かするつもりだと思うに決まってるだろ。たとえ、おまえ達にそのつもりがないとしても、だ」
「そんなの、思う方の勝手さ。ーーーー大体、帝国と俺達と、世間の連中はどっちの言い分を信じると思う?」
「……………」
 デイヴィの反撃に、ジョイルは言葉を失った。確かに、世界征服を企む悪の帝国と、あちこちで正義のために戦うヒーロー(?)とでは、勝負は見えている。
 尤も、デイヴィも晶も自分達のことをヒーローだとは全然思っていない。ただ思うままに行動しているだけだ。それを世間が騒ぎ立てるのだ。
「ま、まあ、ほどほどにしておけよ」
 キングは、やっとの思いでそれだけ言った。
「勿論です」
 2人が神妙な顔で頷く。どうも怪しい。キングの胸に、一抹の不安が残った。

 2人は城を後にして、船着場へ向かった。ジョイルと、ナスターシャ、シェリー、ダリルに、カールも一緒だ。
 ファルーヤ〜帝国間の定期船が待機している。日1回の運行で、ファルーヤからは主に食料を、帝国からは主に観光客を運んでいる。といって、ファルーヤを観光するのではなく、ファルーヤを中継地にして各国に旅行する観光客である。
「今度帰ってくるのは、ナスターシャの結婚式かな」
 デイヴィが微笑んで、
「いつになるんだ?」
「その内、よ。まだまだ、やりたいことが多すぎて」
「だから、結婚してからも、君のしたいように自由にしていいって言ってるじゃないか」
 カールが不満そうに言う。
「じゃあ、あなたの絵が、1枚でも売れたらね」
 そう言って、ナスターシャはウィンクした。
「それなら!」
 カールは自信たっぷりに頷いた。
「あの最高傑作がーーーーいや、あれは売りたくないな。…そうだ、宣伝用にしよう。『実物より綺麗に! 《ガーディアンエンジェルス》も認めた実力派』なんてコピー、どう?」
 なんとも、商魂逞しい男だ。
「…はあ。いいんじゃないかな」
 晶が茫洋と言った。
「いつにしろ、とにかくその時は必ず帰るからな」
「じゃあ、あたしも、その時までに誰かみつけよう」
 シェリーの台詞に、デイヴィはちょっと顔を顰めた。
「まだ早いだろ」
「早くないわ。もう16よ」
「いや、早い。後10年ーーーー20年は我慢しろ」
「20年? ーーーーその頃、一体いくつになると思ってるの」
 ダリルが吹き出した。
「ダリルの言う通りよ。今の私よりもオバさんになっちゃうじゃないの」
 ナスターシャが呆れ気味に言うと、シェリーも、
「そうよ。大体、すぐ子供扱いするんだから」
 と口を尖らせる。
「だって、まだ子供じゃねえか」
 と反論するデイヴィを、
「まあまあ」
 となだめ、晶は、
「パールが同じことを言った時には、期待してるとかなんとか言ってたじゃないか。あの娘はシェリーと同い年だよ、デイヴィ」
「んなこと言ったって、パールは俺の妹じゃねえもん」
 デイヴィは尤もな意見を言った。
「とにかく、安心して。変な男は選ばないわ」
 シェリーはデイヴィを見つめて、
「大体、兄さんからしてこんな素敵な人なんだもの。目が肥えちゃって、並の男じゃ妥協しないわよ」
「そうか?」
 デイヴィは嬉しそうに言ったが、
「…でも、おまえ、ちゃんとモテるんだろうな?」
 と質問したのは、やっぱり兄として、別の心配をしたからだ。
「もう、より取り見取りよ」
 シェリーの明るい答に、デイヴィは再び不安になった。
「それに、シェリーには俺がついてるからね。変な男を寄せつけないように、しっかり稽古したし」
 ダリルが胸を叩く。
「それもちょっと困るかも」
 晶が呟いた。何しろ、ダリルにしっかり稽古を付けたのは、晶自身なのだ。
 汽笛が響き、ドラが鳴った。
「ーーーーじゃあ、気を付けろよ。…おまえ達2人なら、何があっても大丈夫だろうけど」
 ジョイルがデイヴィの肩を叩く。デイヴィは不敵に笑って頷いた。
 握手やキスが交わされ、デイヴィと晶は船に乗り込んだ。
 いつの間にか、国中の者が船着場に来ていて、2人の再出発を見送っている。
「いってらっしゃい!」
「また帰って来いよ!」
「頑張ってね!」
 やがて、声も届かなくなるほど遠く、水平線の彼方まで船が消えると、人々は三々五々、家に帰っていった。
 
 ファルーヤから北上して、約1日で港町ヒークベルトに着く。
 食事をしてから、2人は甲板に出てみた。
「なんか、厭な雲があるな」
 デイヴィが空を見上げて言った。
「嵐になるのかな」
 晶もそっちを見て、
「あんまり揺れたら、船酔いしちゃう」
「大丈夫さ。その前に、難破しちまうだろうぜ」
 デイヴィが冗談めかして言った。
 ーーーー後で思えば、これは笑えない冗談だった。
 
 予想通り、船は夜半に嵐の中に突入した。
 赤子に恨みを持つ者が揺らすゆりかごのように、船は前後左右に激しく揺れている。
「こりゃあ、かなりヤバいかもな。ーーーー晶、大丈夫か?」
「平気。でも、この船、どうなっちゃうんだろう?」
 その時、いつでも避難できるようにと開けておいたドアから、船員が勢い良く転がり込んできた。
「ガ、ガ、《ガーディアンエンジェルス》の方達ですね? ーーーーた、た、た、大変なななんです! た、たす、助けて下さい!」
 晶に手を貸されて起き上がった船員は、そのまま彼の腕にすがりついた。
「落ち着いて話せよ。一体、どうしたんだ?」
 デイヴィが静かな声で尋ねる。
 2人の冷静な態度に安心したのか、その美しさに自分を取り戻したのか、船員は1つ息を吐くと、言葉を繋いだ。
「出ました! 海の魔物、大蛸のオクトラパトスです! ーーーー畜生! あいつに捕まったらお終いだ!」
 デイヴィと晶は素早く鎧に着替えると、悲嘆にくれる船員を残して、甲板へと駆け上がった。
 オクトラパトスーーーー豪胆な海の男達をも恐れさせる、海の魔物である。7つの海を又にかけ、いつどこに出現するかは全く予測不可能だ。1時間前に2千海里も離れた所に現れたからといって、安心してはいけない。奴はそのぐらいの距離など、10分で行き来してしまうのだ。
 
 甲板では、船員総出でオクトラパトスを攻撃していた。ある者は武器で、ある者は魔法で、そして、ある者は後方で回復魔法や補助魔法をかけている。幸運にもこの船には魔導師が乗っていたのだ。
「イフレイ!」
「こいつは雷に弱い! 雷の魔法で攻撃しろ!」
「トール…、ぐわっ!」
「大丈夫か?! …ハービア!」
 対して、オクトラパトスは、大木ほどもある足を振り回して応戦。次々と船員達を倒していく。
「くっ、くそー! だ、駄目か…!」
 この船のキャプテンも力尽き、がっくりと膝をついた。その時、
「《ガーディアンエンジェルス》だ!」
 船員達から、喜びの声が上がった。
 デイヴィと晶は、武器を抜いてオクトラパトスに向かっていった。
 襲いかかる足の両側に2人は回り込み、右と左から剣と刀を振るう。直径5mの足が、ずれることなく見事な切り口を見せて切断されたのは、2人の腕前の成せる技か、心が通じ合っている証か。
「再生するぞ! 切り口を燃やせ!」
 キャプテンの言葉に答えるように、
「イフレイ!!」
 甲板に落ちてもなお不気味にうごめく足と、もがくオクトラパトスの本体に火が放たれる。食欲をそそる香りが辺りにたちこめた。
 8本の足を斬り落とされて、オクトラパトスは最後の捨て身の攻撃に出た。身体ごと船に向かってくる。
 デイヴィは雷神の剣を天に高くかざした。
「ゼウス様…! お力を!」
 天空に渦巻く雲間とデイヴィの剣先の間を、一条の稲妻が繋いだ。天空の剣が雷光を吸収しているのだ。剣が眩しい光を発する。
 デイヴィが跳んだ。鳥のように優雅なその姿が眩い稲妻に照らしだされ、ストロボの効果で明滅する。まるでスローモーションにかけられたように、デイヴィの剣がオクトラパトスの頭頂に振り下ろされた。
 晶は思わず耳を塞いだ。形容し難いおぞましい断末魔の悲鳴と共に、悪魔の大蛸はゆっくりと海の底に沈んでいく。剣に宿った雷の力か、断面から黒い煙を吐きながら。
「ーーーーやった! やったぞ!」
 甲板の上の船員達は、抱き合って大喜びした。
 ところが、
「ーーーーわっ!」
 大蛸の最後のあがきーーーー沈むオクトラパトスの周りの水が渦を巻き、船が大きく揺れる。その途端、船縁にいた晶はバランスを崩して海に投げ出されてしまった。
「晶!」
 着地したデイヴィは、落ちていたロープを体に巻き付けると、海に飛び込んだ。
「た、大変だ!」
 キャプテン以下、船員達が慌ててそのロープを掴む。途端に凄い勢いで引っ張られ、自分達まで落ちそうになってしまう。
「おい! ぼけっとするな! 全員手伝え!」
 そのロープを自分の体に結び付け、キャプテンが叫ぶ。残りの船員達が駆け寄るが、トランポリンのような状態なので、思うように走れない。
 抱き合うように浮かんでいるデイヴィと晶に、オクトラパトスの沈没の余波ーーーー大波が襲いかかった。死にゆく大蛸は一矢むくいたのだ。
「くそっ! 引っ張れ!」
 キャプテンが踏ん張る。しかし、船縁に擦られ続けたロープが重みに耐えきれなくなり、遂に切れてしまった。煽りを食らって、全員がひっくり返る。
「デイヴィ! 晶!」
 慌てて縁に駆け寄り、目を凝らして2人の姿を捜す。荒れた海に、デイヴィのマントだけが浮かび上がってきた。
 がっくりと跪き、肩を落として、キャプテンは呟いた。
「なんてこった…。なんて…」

 帝国に程近い、小さな島。
 昨夜の嵐が嘘のように晴れ渡った青空の下、1人の少女が海岸線をゆっくりと散歩していた。
 赤褐色の腰まである髪は、ゆるやかな三つ編みで1つにまとめられている。青がかった灰色の瞳にはいきいきとした光が満ち、紅い唇からは朗らかな歌が溢れている。
 前方にある物に目を留め、少女は足を止めた。
「何かしら…?」
 思わず口に出して呟いた。
 少女は駆け寄り、やがて立ち止まった。その正体に気付いて息を呑む。ーーーー人だ。少女はゆっくりと近づいた。そして、その人物の顔が見える所まで来て、彼女は我知らず頬を染めていた。
 まるで、天使。
 純白の鎧に身を包んだ姿は、ずぶ濡れながらどこか神々しい。
 しばらく見とれた後、少女は我に返って、その少年に駆け寄った。胸に耳を当ててみる。ーーーー確かに鼓動している。口の前に手をかざす。ーーーー息もしている。大丈夫。
「フルール」
 少女がこう唱えると、少年の身体が浮かび上がった。『フルール』とは、反重力の魔法だ。今や、少年の身体は羽のように軽くなっている。その身体を肩に担いで、少女は今来た道を戻っていった。
 少年を取り敢えず寝台に寝かせ、少女は隣の家へと走った。鎧を脱がせて着替えさせた方がいいだろうが、彼女の家に男物の服などない。隣家のおじさんにお願いしようと思ったのだ。
 驚き戸惑うおじさんの手を引いて、少女はすぐに戻ってきた。少年をおじさんに任せ、自分はお湯を沸かしはじめた。


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