「大体、初めっから帝国に行くつもりだったんだよ。途中下船しちまったけどな」 長老の問いに、デイヴィが答えた。 「…でも、何しに行くつもりだったの?」 今度はユナが尋ねる。 「うん。向こうがそろそろぼく達に会いたいかな、と思って」 晶が茫洋と言った。故郷であるサヴィナでは勿論、ムーンベクトでもクリストファームでも、事件の背後にアリステア帝国の存在があった。知らぬとはいえ、デイヴィと晶は帝国の邪魔ばかりしていたことになる。あの皇帝が、いつまでも《ガーディアンエンジェルス》を放っておくはずもない。 それになにより、帝国のクリス将軍がサヴィナに攻めてきたことを、晶はまだ許していなかった。更に、玲人のこともある。今までデイヴィと色々な国を巡ってきて、玲人がどこにもいないのを確認した。残るは帝国だけだ。捕虜になっているにせよ、帝国兵になってしまっているにせよ、玲人をサヴィナに連れ戻さなければならない。ついでに、帝国の奴らに一泡吹かせてやれればいい。 「ほら、その証拠がここにあるぜ。あの皇帝が、俺達のことをここまで心配してくれてたとはな」 晶の言葉を受けて、デイヴィは新聞を片手に取り、もう一方の指で例の記事を弾きながら嘯く。 勿論、皇帝のコメントが嘘八百だと承知でこんなことを言っているのだから、デイヴィもなかなかいい性格をしている。 「……………」 「……………」 長老はユナと顔を見合わせていたが、やがて諦めた口調で言った。 「…これまでの経験で、おまえ達に何を言っても無駄だ、というのは痛いほど良く判ったからのう。それに、止める気力も体力もないわい。ーーーーして、いつ発つのじゃ?」 「荷物が届いたらすぐにでも」 この晶の答が終わるや否や、ドアが鳴った。ユナが返事をして開けると、30代半ば位のがっしりと日焼けした男が立っていた。 「あ、《ポセイドンの娘》号のキャプテン…」 その顔を確認して呟いた晶に、 「エンリケだ。ーーーーいやあ、2人とも無事で何より!」 外見と同様、朗らかな声でエンリケは応じた。 ユナに招き入れられて、エンリケは小さい荷物を3つ持って入ってきた。その内2つはまさしく彼らが船に置いてきた荷物だった。 「それは、俺達の! …キャプテン自ら届けてくれるとは、恐縮だな」 デイヴィと晶はそれぞれの荷物を受け取った。当然見知らぬ袋が1つ残ったが、気にも留めなかった。彼らはエンリケに礼を言った。 「なーに、礼を言うのはこっちの方さ。あんた達のおかげで、あれから安全に航海が出来たんだ」 豪快に笑った後、エンリケはふと真顔になって、 「しかし、その代償が《ガーディアンエンジェルス》の命だとしたら、これほど高くつく船賃はないな。本当に本当に心配したんだぜ! ----全く、生きててくれて良かったよ」 やはり、船のキャプテンだけあって、エンリケは彼なりに責任を感じていたのだろう。しみじみと言った。 「しかも、どこも怪我してないみたいだし…。あんな荒れ狂った海に放り出されてなんともないなんて、あんたら馬鹿みたいに運がいいんだな」 今度は、ほとほと呆れ返ったような口調だ。 「被害ならあったよ。俺のマントだ」 デイヴィが苦笑いしつつ言った。 「それなら、2人が見えなくなって暫くしてから、ぽっかりと浮かんできたぜ。慌てて拾い上げて、他の荷物と一緒に、あんた達の家族に届けてやろうと思ってた」 エンリケは決まり悪そうに声を落として、 「まさか、生きてるとは思わなかったからな、あの時は」 「まあ、当然だろうね」 晶が笑った。 「だから、新聞社から話を聞いた時には、夢じゃないかと思ったよ。で、荷物を届けてくれって言われて、思い出したのさ。マントのことを」 エンリケは、1つだけ残っていた袋の中から黒い布を取り出し、広げた。艶やかなシルクの、素晴らしいマントだった。 「これは…」 その見事さに、思わずデイヴィは眼を見張った。それを得意そうに見て、 「大航海時代、まだ世界が平らだと人々が信じてた頃、ある国の君主が、俺の先祖に世界の探索を命じた。そして、先祖は世界をぐるりと1周して帰ってきた。それによって世界が丸いものだと初めて判ったんだ」 エンリケは説明した。 「その時の功績を讃えられ、先祖は君主の愛用していたマントを賜った。その君主は今も明君として知られる《獅子王》カエサル・スフォルッツァ。そして、これがそのマントだ。ーーーーこれをデイヴィに受け取ってもらいたい」 「しかし…ーーーー」 デイヴィは狼狽した。 「ーーーー大事な物なんだろ?」 「もちろん、大事だ」 エンリケがあっさりと答えたので、デイヴィだけでなく皆焦った。 「いや、それじゃあ、貰えねえ…」 慌てたデイヴィの言葉を、 「なに、これからは、あんたのマントが俺の宝さ。オクトラパトスを命懸けで倒した《黒髪の天使》のマントの一部がね」 エンリケは笑って遮った。 「ーーーーそれになにより、大切な物だからこそ、あんたに貰って欲しいんだ」 「…ありがとう」 デイヴィはありがたく頂戴することにした。早速着けてみる。まるで、デイヴィのために誂えたかのようにぴったりで、彼の美しさを一層際立たせた。 「すごく似合う」 晶が早速褒める。 「うん、ますますいい男じゃのう」 長老も感心した様子。 「素敵だわ」 ユナもうっとりと呟く。 「やっぱり、こういう物は飾っておくよりも使ってもらった方がいいよな。あんただったら、カエサルも喜ぶだろう」 エンリケも嬉しそうに笑った。 「サンキュー」 デイヴィはもう1度礼を言った。 「…さーて、用事も済んだし、心残りも片づいたし、俺はもう失礼するよ」 と、立ち上がったエンリケは、デイヴィと晶を見て、 「そういえば、帝国に行く途中で落ちちまったんだもんな、あんたら。ーーーー一緒に乗ってくかい?」 「そうしてくれると助かる」 晶はホッとしたように微笑んだ。 「で、でも、今から出ても着くのは夜よ? 出発は明日の朝にしたら?」 ユナが言った。こんなに早く行ってしまうなんて、ちょっと寂しい気がしたのだ。 「それもそうだな…。何があるか判らねえし」 デイヴィも頷いた。 「オクトラパトスはもういないが、海には未知の危険がまだまだ溢れてる。だからこそ、魅力的なんだがな」 エンリケの言葉は、まさしく海の男のそれだった。 「どれ、じゃあ、晩飯の支度でもしようかの」 「あ、ぼくが作るよ。お世話になったお礼に」 台所に行く長老とユナに、晶が声を掛けた。 「ーーーー晶、料理できるの?」 ユナが呆然と訊く。 「うん。国では城のみんなの食事をぼくが作ってたんだ」 晶は説明して、それから不思議そうな顔をした。 「ーーーー可笑しい?」 「い、いえ」 ユナは慌てて笑いを抑えた。確かに、顔を見れば女の子みたいに可愛くて料理の1つや2つ出来そうな晶だが、ちょっとの間一緒に冒険してみて、戦いぶりや凄まじい気迫などをユナは見ているのだ。料理もできる戦士《キラーパンサー》。そのギャップが堪らなく可笑しい。 「…じゃあ、お願いしようかの」 ユナの心境が判るのか、長老も面白そうに瞬きしながら言った。彼女も、水晶玉からあの時の様子を見ていたのだ。 「うん」 2人の態度に、晶は釈然としない様子で頷いたが、 「じゃ、2人は休んでて。通信局にお金払ってきて、何か食材を買ってくるから。ーーーーユナ、お店の場所教えて」 ユナが教える。晶は戻ってきた財布を手に、外に出て行った。 「…2人とも、心配しなくても大丈夫だって」 デイヴィが笑った。彼はファルーヤで晶の手料理を既に食べていたのだ。 「晶って、料理上手なの?」 ユナが尋ねる。 「あんな旨い料理、喰ったの初めてさ」 デイヴィはウィンクしてみせた。 「なんでも、親父さんが料理人だったとか」 「ふむ…」 長老の呟きと、ドアのノック音が重なった。 またユナが応えてドアを開けようとしたら、今回は向こうから開いた。 「今日は! いや、今晩は! かな? ーーーー黄昏時って、どう挨拶したらいいんでしょうね? いっつも困っちゃう」 長い髪をポニーテールに纏めたその小柄な少女は、いきなり変なことを言った。 「…あの、どちら様?」 ユナが不審げに尋ねる。 「あ、申し遅れました。私、新聞社の者です。晶さんのいとこの」 「ああ。君か。ーーーーどうぞ」 デイヴィは優しく微笑んだ。晶の身内なので親近感が湧いたのと、少女が可愛かったのもある。 「失礼します」 一礼して、少女は入ってきた。 「私、風間龍美といいます。宜しく」 「…こちらこそ」 差し出された手を、デイヴィは握った。さすがに龍美は頬を染めた。 「晶は今用足しに行ってるの。すぐ戻るはずよ」 「そうですか、すみません。----晶さん、本当に無事だったんですね」 龍美が嬉しげに呟く。 《ポセイドンの娘》号が帝国の港町ヒークベルトに入港するや、エンリケはすぐに新聞社に走り、事の顛末を告げた。そのとき龍美は別の取材で出ていて、帰ってきてからその話を聞いた。そして気を失いかけた。自宅に戻るように同僚達に進められたが、新聞社にいた方が情報も速いから、と頑張っていた。それから、晶からの手紙が来るまでの一日は、彼女にとって10年にも感じられた。居ても立ってもいられず自ら取材に来たのだった。 その晶が荷物を持って戻ってきた。 「ただいま。ーーーーあ、龍美。来てたんだ」 「晶さん!」 堪らず、龍美は駆け寄った。 晶は荷物を下ろして、 「久し振り」 のんびり応じる。龍美はその手を握って、 「良かった。…ホントに良かった…」 堪えきれずに嗚咽を漏らす。 「ごめんね、心配かけて」 晶は龍美の肩を抱いて、暫く泣くにまかせていた。 皆、黙ってその光景を見守っている。長老やユナは眼が潤んできていた。 少しして、龍美はやっと落ち着いたようだ。涙を拭いて笑顔になると、 「もう大丈夫。ーーーー取材させてもらっていいかな?」 と言った。 晶も微笑みながら頷いて、 「ぼくよりも、ユナと長老とデイヴィから聴いた方がいい。ぼくじゃ、客観的になれないから」 「オクトラパトスのくだりは、キャプテンにも聴いた方がいいな」 デイヴィが言葉を添えた。 「そうですね。ーーーーじゃあ、みなさんお願いします」 龍美は頭を下げた。 「あ、いや、こちらこそ宜しく」 皆も下げ返す。 「まずは紅茶を淹れてくるよ」 買ってきた荷物を持って、晶が台所に消える。残った皆は、まずは改めて自己紹介をした。 その間に晶が紅茶を淹れてきた。皆に紅茶を配ってまた台所に戻る。それを合図にしたように、龍美は大きなノートを取り出すと、ペンを強く握った。 まずはエンリケが、オクトラパトスとの闘いぶりを語った。なかなか真に迫った、講談師顔負けの見事な語り口だ。デイヴィと晶が海に落ちた後、エンリケはその場に留まった。1時間程で嵐が収まると、船員達が海に飛び込んで2人を捜してくれたという。それは昼前まで続けられた。 そんなエンリケ達の捜索活動に対して、デイヴィは改めて礼を述べた。そこまで彼らが必死になってくれていたのを、当然ながら今初めてデイヴィは知った。本当に有り難いことだ。 それから、ツィーリンでの話に移った。 龍美もエンリケも、この村の守り神である四聖のことは知らなかったので、まずは彼らの説明から始める。そして、晶とユナの冒険について語っていった。 「ーーーー凄まじい冒険でしたね」 ペンを置いて、龍美は息を吐いた。 「しかし、四聖は勿論、あの大神ゼウスまでも味方にしちまうとはな。つくづくおっかない奴らだ」 エンリケの声には、ハッキリとした尊敬の念がこびりついている。 龍美もにこにこして、 「晶さんも凄いけど、デイヴィさんも素晴らしいですね! 蜃に噛まれたのに動いたなんて」 「デイヴィでいいぜ。ーーーーだけど結局、晶が文字通り東奔西走してる間、俺は寝てただけだったんだ。自分が情けなくてな」 デイヴィが顔を顰めて首を振る。今回のことは本当に彼にとっても辛い事件だった。 この時、晶が顔を出した。 「そういえば、龍美も晩ご飯食べてくよね?」 龍美は時計を観て暫く考えていたが、 「残念だけど、時間がないみたい。この記事を、明日の朝刊に間に合うように編集しなきゃいけないしね」 「そうなの? 残念だな」 「晶さんの手料理、久々に食べられると思ったのにね」 龍美は軽く肩を竦めた。 「あ、そうだ、龍美。一つ確認したいことがあったんだけど」 「なあに?」 「皇帝のコメントを取るように考えたの、君だよね?」 「うん。そうよ。晶さん、よく解ったわね」 龍美が笑って頷く。 このやりとりを聴いて、デイヴィが訝しげな顔になった。皇帝にインタビューした龍美の意図も解らないが、晶が彼女の仕業だと思った理由も解らない。まずは一つ目の疑問を晴らそうと、 「あれ、君の考えだったのか。…どうして、皇帝からコメントを取ったんだ?」 と、訊いた。 「そりゃあ、《ガーディアンエンジェルス》と帝国皇帝っていったら、今をときめく話題の人達だもん」 すっかり打ち解けた口調の龍美の言葉を、デイヴィは、やっぱり理由はそんなとこか、と思いながら聴いていた。 しかし、デイヴィよりも龍美を良く知っている晶は、 「本当にそれだけ?」 と、突っ込む。 『それだけ』って、他に何があるんだ、とデイヴィが思っていると、龍美は、ちょっと悪戯っぽい魅力的な笑みを見せた。 「ーーーーっていうのは、表向きの理由よ、勿論」 「表向きじゃと?」 「どういうこった?」 「何かあるの?」 デイヴィだけでなく、長老もエンリケもユナにとってもこの答は予想外だったらしく、口々に言う。 「いくら帝国皇帝でも、新聞紙上で《ガーディアンエンジェルス》の悪口を言うわけないでしょ? 世論ってものもあるし。彼の性格からいって、こんな時こそ自分の良さを世間にアピールするはずよ。案の定、建前で綺麗にデコレーションしたコメントをいったでしょう。それを《ガーディアンエンジェルス》がーーーー特に晶さんが見たら、きっと黙っちゃいないだろうなーって思ったの」 龍美の朗らかな説明に、さすがのデイヴィも開いた口が塞がらなかった。 「やっぱり。龍美の考えそうなことだね」 晶は一人で面白そうに笑っている。この台詞から、デイヴィは二つ目の疑問も解けた。晶と龍美は、お互いのことを良く知っているのだ。発想や行動のパターンが似ているのだろう。やはり、いとこだからだろうか。 「…こういう時コメントを貰うなら、ファルーヤやサヴィナのキングとか、デイヴィの家族とかなのに、なんで帝国皇帝なんだろうって思ってたんだが…」 エンリケが唸った。 「しかし、そこまで考えるか? 普通…」 「大した子じゃのう」 長老も半ば呆れ顔だ。 「さすが、晶のいとこね…。考えが似てるわ…」 ユナも力なく呟いた。 「だって、皇帝には一泡噴かせてやりたいんだもん」 龍美はちょっと頬を膨らませて、 「晶さんの国に攻め入ったりして…! それに、私の兄も兵士として帝国と戦ってたの。捕らえられて、帝国に忠誠を誓うかそれとも死か、って迫られて…」 晶は目を見開いた。龍美の兄ーーーー駿(しゅん)はやはりいとこであるから、旧知の仲だ。 「え。そうだったんだ。ーーーーで、駿はどうしたの?」 「隙を見て逃げ出してきたわ。ーーーーでも、一緒に逃げられなくて、帝国に忠誠を誓わなかった仲間はみんな…」 龍美は辛そうに目を伏せた。 「なるほど、良く解るぜ。俺の故郷も、帝国に攻め込まれたんだ」 エンリケも顔を曇らせた。 「俺はたまたま海に出ていて助かったんだが…。しかし、親戚や友人達がどんな目に遭ったか聴いた時には、はらわたが煮えくり返る思いだったよ。いっそ俺も一緒に死んでいれば、とも思ったね」 「…このまま帝国がのさばり続ければ、エンリケのような者達が増えるばかりじゃ」 長老が寂しそうに呟いた。 「あなた達が希望の光だわ。みんなそう思ってる」 ユナが祈るように言う。 「そんな大層なもんでもねえがな。ーーーーまあ、俺達が黙っていても、奴らの方から仕掛けてくるだろうぜ」 デイヴィは頷いた。 「降りかかる火の粉は払わなきゃ。みすみすやられるわけにはいかない」 晶も決然と呟く。 「良かった、そう言ってくれて。記事を書いた甲斐があったわ」 龍美は安心した笑顔で、 「じゃ、私はこれで…。皆さん、お話ありがとうございました」 龍美は改まって頭を下げた。皆も下げ返す。 晶は龍美の肩を叩いた。 「お疲れさま。気を付けて。みんなに宜しくね」 「うん。今度遊びに来て。ーーーーこのごたごたが片づいたらね」 「そうだね。同じ大陸だし」 晶が頷く。 「じゃあ、またね」 龍美は行きかけて、振り向いた。 「ーーーーあ、そうそう。朝刊には《ガーディアンエンジェルス》が帝国へ行くって書いちゃっていい? それとも、伏せとく?」 「できれば、伏せといてくれた方が有り難いな」 デイヴィが答える。 「了解。その方が効果的ね。ーーーーじゃ、今度こそ、またね」 笑顔で手を振って、龍美は帰っていった。 皆が飲み終わった紅茶のカップを下げつつ、晶も台所へ消える。 「…皇帝も驚くだろうな。あんた達がいきなり来たとあっちゃ」 エンリケが、愉快で堪らないといった調子で言う。 「いや、案外想定済みかもな。どうも、あの男は油断ならねえ」 デイヴィは考え込みながら応じた。 「確かにな。表面はクリームみたいに柔らかく接してきても、中に猛毒が仕込まれてやがる」 と、心配そうに呟いてから、エンリケは、 「ま、オクトラパトスも倒したあんた達のことだ。何があっても切り抜けられるさ」 軽い調子で元気づけた。 デイヴィは何も言わずに、ただにやりとした。 「ーーーーお待たせ」 いい匂いとともに、晶が入ってきて、テーブルに料理を並べた。 メニューはいたってシンプルな、ジャガイモのクリームスープと、焼き魚と、ふわふわ卵のオムライスである。シンプルなだけに、料理の腕が試される品だ。 「美味しそう」 「うん。見栄えはいいがの」 「味もいいんだぜ」 「そう願おう」 口々に言って、皆はテーブルに着いた。 「いただきまーす」 と、一口…。 「!」 「こ、これは…!」 「…旨い! 最高だ」 食欲の湧かない不幸な人も、これならばどんどん入ってしまうだろう。ダイエット中の人は遠慮した方がいいかもしれない。どんなに痩せる意志が強い人でさえ、誘惑されて食べてしまう。そうなったら最後止められない。それほどの美味だった。 「ありがとう」 晶は控えめに微笑んだ。 代わりに、デイヴィが自慢げに、 「だから言ったじゃねえか」 しかし、そんな言葉は耳に入らず、夢中になって食べている。 「このスープがなんとも…」 「この魚の焼き具合が…」 「この卵の、ふわふわとろとろ感が…」 結局、デザートのチョコレートケーキまできれいに平らげてしまった。 「こんなに食べたら、太っちゃうわ!」 ユナが本音を漏らした。 「しかし、30分やそこらで、ここまで作るとはのう…」 長老も満足そうに息を吐いて、 「全く大したもんじゃ。しかも、美味しいしの」 「手際がいいんだな。俺の女房にも見習って欲しいぜ」 エンリケは愚痴めいたことを言ってから、 「いっけねえ! 早く帰るから晩飯作っとけ、って言っちまってたんだ! ーーーー悪いが紙とペン、貸してくれ!」 豪胆な海の男も、妻には頭が上がらないらしい。驚異のスピードで妻にお詫びのメモ書きを綴るエンリケの姿に、皆つい大笑いしてしまったのだった。 翌朝。 昨夜届けてもらった服に着替えて、デイヴィと晶は居間に入ってきた。 「朝刊が来てるぜ」 泊まっていたエンリケが声を掛ける。 「今日の見出しも凄いわよ」 ユナに言われて、デイヴィと晶は新聞を覗いた。 『神に愛された《ガーディアンエンジェルス》』 「……………」 「……………」 デイヴィと晶は顔を見合わせた。 「凄い見出しだな。おまえのいとこ、何考えてんだ」 「…昔からお茶目な子でね」 晶は苦笑した。世界広しといえども、彼を苦笑させる人物はそうそういない。大抵茫洋と流すからだ。 「中身も中々じゃ。ドキュメンタリータッチじゃ。それでいて大げさ過ぎん」 長老が口を挟んだ。 「…あ、ここに、面白い記事が」 晶が指す所を見ると、関連記事として、 「『当日の地震は四聖が原因』ーーーー当日、帝国の南を震源地として震度3以下の地震が帝国で起こったが、これも四聖の怒りが原因だったということが判明した』」 デイヴィが読み上げる。 「地震なんてあったのか…。気付かなかったが」 エンリケが意外そうに言った。 「この島では結構揺れたがの」 「つまり、ここは帝国の南の島なんだ」 晶の呟きに、ユナは笑って、 「そうか。あなた達は知らないで流れ着いてーーーー運ばれてきたんだもんね」 「ここからなら、3時間もあれば着くぜ。飯を喰ったら出発しようか」 エンリケが2人の顔を見る。2人は頷いた。 「おぬしらが乗り込んできたと知ったら、眼を剥くじゃろうな、皇帝の奴」 長老が愉快そうに笑った。 「後悔先に立たず」 と、晶は引用して、 「当たり前だよね。後から悔やむから『後悔』っていうのに。先に悔やんだら『後悔』じゃないもんね。前から気になってたんだけど」 と、変なことを言いだした。 こういった、どうでもいいようなことを気にするという、変なところが晶にはある。デイヴィにとってはそれが楽しくもあり、可愛く感たりするのだった。事実、 「妙なこと気にする奴だな。ーーーー要するに、後悔するようなことはするな、って意味なんだろ」 と言ったデイヴィの口調は、完璧に面白がっていた。 「そうか」 晶は納得したようだ。 「すっきりしたところで、飯にしよう。晶、作るか?」 「あ、私がやるわ。腕に縒りをかけて、美味しい料理を作るわ。最後だもんね」 ちょっと寂しそうにユナが言う。 「最後だなんて。また、遊びに来るよ」 それに気付いて、晶が微笑んだ。 「それに、腕に縒りをかけなくたって、充分美味しいし」 「ありがとう」 ユナは嬉しそうに笑った。 「ーーーー口が巧くなったな」 ユナと長老が台所に消えてから、デイヴィがからかい半分で言った。 「そりゃあ、いつも女の子に調子のいいことを言ってる人と一緒だから」 晶が鋭く切り返す。 「…悪かったな」 デイヴィは苦笑した。 2人のやり取りを聞いていたエンリケは、思わず吹き出してしまって、 「いや、失礼。…しかし、いいコンビだな」 「サンキュー。みんなそう言うよ」 「自分達でもそう思うしね」 と、2人は頷いた。 朝食も終えて、デイヴィと晶は、いよいよ帝国に乗り込むことにした。エンリケの船が停めてある所まで、ユナと長老も見送りについてくる。 「そういえば、村長はどうしただろう」 ふと、晶が言いだした。 「ああ。さっき、おまえ達が起きる前に様子を見に行ったがの。ショックで熱を出して寝込んでたわい」 「気の小さそうな奴だったからなー。あんな美人の妻が化物だったんじゃ、寝込みたくもなるよな」 デイヴィの口調には、少し同情が込められている。 「朱雀のこともあったし」 晶が頷きつつ、 「バチが当たったかな」 「まあ、あの人も、いいように利用されただけだったみたいだし、そのうち良くなるでしょう」 ユナは、この娘らしく優しく言った。 「これに懲りて、少しはしっかりするかもしれんぞ」 長老が半ば希望的観測の入った、楽観的なことを言いだした。この辺、晶に影響されているらしい。 「だといいけど」 晶のぼんやりした呟きは、風に飛ばされて流れた。 「じゃあ、名残惜しいけど、もう行くよ。いろいろ世話になったな。ありがとう」 世にも美しい男が、世にも美しい笑顔とともに、これまた滅多にない美声でこんなことを言ったら、言われた方は天にも昇る心地がするだろう。事実、ユナも長老も、何故か横で聞いていたエンリケまでもが頬を赤らめた。 「い、いや、なに。ーーーー旅の無事を四聖に祈っておるからの」 柄にもなくはにかんで言う長老の手を優しく包んで、デイヴィは頭を下げた。 「気を付けてね」 ユナも頬を染めて、しかし寂しげに、呟くように言った。 「ありがとう。また来るよ」 「ええ。ぜひ、来てね。待ってるから」 「うん」 晶が優しく微笑する。 ユナは一瞬、何か言いたげな瞳で晶を見つめたが、すぐに明るい笑顔になって手を差し出す。晶は優しく握った。 〔気を付けて行け〕 〔いつでも見守っているからの〕 〔俺が忘れぬうちに、また来い〕 〔お元気で〕 風に乗って、四聖の声が響いてくる。皆は空を見上げた。 「「ありがとう!」」 デイヴィと晶が同時に空に向かって叫ぶ。4つの美しい啼き声が返ってきた。 「じゃ、行こうぜ」 「うん。エンリケーーーーキャプテン、頼むよ」 「任せとけ」 エンリケは力強く胸を叩いた。 ーーーー船が見えなくなるまで、ユナと長老は見送っていた。四聖もそうしたに違いなかった。 ツィーリンが見えなくなると、2人は船室に引っ込んだ。エンリケに、まだ3時間はかかると言われたからだ。 「紅茶、飲むよね?」 カウンターにティーセットがあるのを見て、晶が早速支度を始めた。 「ああ、サンキュー」 デイヴィはソファに落ち着いて、 「それにしても、みんないい人達だったな」 「そうだね。長老もユナも、尊敬せずにいられない人達だ」 晶が微笑む。 「ああ。まったくだ」 デイヴィは心から同意した。晶とユナがデイヴィを目覚めさせるために四苦八苦していたのを、彼は夢の中で見ていた。ユナが晶に対して特別な想いを抱いているのもすぐに解った。焼き餅妬きのデイヴィではあるが、ユナだけは仕方ないと思ったものだ。それは彼女が、女性としてだけでなく、人間としても素晴らしい人だと思ったからだ。 紅茶を淹れたカップを手に、晶はデイヴィの許に行った。一つを渡して、自分もソファに腰を下ろす。 デイヴィは猫舌なので、ゆっくりとカップを口に運んだ。視線を感じて、見ると、晶がじっとこちらを見つめている。 「ん、どうした?」 「うん。見とれてた」 晶は手を伸ばして、デイヴィの頬に触れた。 「今改めて思ったんだけど…、こうしてデイヴィといられるのが、凄く嬉しいんだ」 「ああ、そうだな。ーーーーずっと一緒にいような」 デイヴィは微笑んで、晶を抱き締めた。 アリステア帝国の港町、ヒークベルトに45分程で着く、といった頃、エンリケが2人を呼んだ。行ってみると、エンリケは見張り台から望遠鏡を覗いている。 「どうしたんだ?」 デイヴィが口許に手をメガホンのようにして当てて、大きな声で呼び掛ける。エンリケは片手で望遠鏡を持って覗いたまま、もう一方で手招きした。デイヴィと晶は顔を見合わせると、見張り台へと梯子を登っていった。 「キャプテン、一体…」 もう一度声を掛けると、エンリケは黙って望遠鏡を差し出した。早速覗き込んで、 「なんだ、ありゃ」 と、デイヴィは言った。 「え? 何?」 晶が尋ねる。 「百聞は一見にしかず、だ。見ろよ」 デイヴィが渡して、今度は晶が覗く。 「…ははあ」 晶は茫洋と呟いた。今回はかなり驚いているな、とデイヴィは思った。いつも『茫洋と』だが、なにしろ普段からぼんやりしてるので、状況に応じてぼんやりの様子が違う。長い付き合いになると、その微妙な違いが判ってくるのだ。 「まあ、驚くのも無理ねえか。これから乗り込もうって国の玄関に、あんなに人が山になってちゃな」 そう。デイヴィが今言った通り、ヒークベルトの港に大勢の人が集まっている様子が、望遠鏡から見えたのだ。 「驚いてたのか?」 やはり、付き合いの短いエンリケは、不審そうに晶とデイヴィを見ていたが、今はそんなことを言ってる場合じゃないと気付いて、気を取り直して、 「まあ、それよりも、どういうつもりかな。軍隊なのかな」 「いや、違うみたい。武器は持ってない。鎧も着けてない」 望遠鏡を覗き込んだまま、晶は冷静に言う。 「隠し持ってる、っていうなら別だけど」 「やりかねんがな」 エンリケは腕を組んだ。 「上陸してみりゃ判るさ。ーーーーそれにしても、やっぱり皇帝は侮れねえな」 デイヴィは楽しそうに笑った。 いつ行くとも、そもそも乗り込むとも明言せずにいたのに、皇帝はデイヴィと晶が来ると確信していたのだ。いや、むしろおびき寄せられたのか…? 3人は甲板に下りた。他の船員が入れ代わりに登っていく。 デイヴィは船首に行き、しっかりと前を見つめて立った。その姿が余りに立派で神々しさまで感じさせるので、晶は少し離れた所から惚れ惚れと見とれた。まさに芸術作品だ。デイヴィは立っているだけで国宝級の美術品となる。さらに蜃に噛まれた眠りから醒めてからは、どうも以前よりもますます綺麗で輝いて見える。それとも『仕事の後の一杯は最高』と同じで、デイヴィの為に苦労した晶には綺麗に見えてしまうのだろうか? 「…なんか、美しさにますます磨きがかかったんじゃないか?」 晶の隣で、同じように見とれていたエンリケが、晶に耳打ちした。 「やっぱり、そう思う?」 「俺にだって目はあるぜ。ーーーー一体、どういう魔法を使ったんだ?」 「さあ。きっと、いろんな原因があるんだろう」 「…いかんな。このまま見てたら、白昼夢に浸ってしまう」 エンリケは頭を振り振り、船尾の方に去っていった。指導すべき船員もいるし、やるべき仕事もある。 そういうわけで、晶は誰にも邪魔されずデイヴィを鑑賞した。風に揺れる黒髪が光にきらめいて、自分の意思で動いているように生き生きと輝いている。エメラルドグリーンの瞳は、これから起こる冒険の数々を待ち受けて期待に燃えていた。 「…晶? どうした?」 振り向いた顔にも掛けられた声にも、今まで以上にうっとりさせられる。 「うん、また見とれちゃってた」 晶はデイヴィの隣に歩み寄った。 「ーーーー帝国に着いたら、まず何をしたい?」 前を向いたまま、デイヴィが尋ねる。 「人捜し」 晶はぽつりと言った。 「あ? なんだって?」 思わぬ答にデイヴィが訊き返した時、エンリケが声を掛けてきた。 「おい、あの人だかりが何か、判ったぜ」 「え?」 「どうやら、《ガーディアンエンジェルス》の歓迎隊らしい」 「は?」 「旗を持ってる。その旗に『歓迎!! 《ガーディアンエンジェルス》!』って大書きしてあるんだ」 「はー」 デイヴィと晶は顔を見合わせた。 「あと、豪華な馬車が待機してる。どうやら、向こうから招待してくれるらしいな」 エンリケの言葉に、デイヴィはにやりと笑った。 「まあ、その方が有り難いな。城に行くまで一暴れしなきゃいけねえかと思ってたんだが」 晶ものんびり頷いて、 「渡りに船だね。あとは《疾風将軍》がいれば文句なし」 「あれ? 知らなかったんですかい?」 晶の言葉を聞いた船員が口を挟んできた。 「残念ながら、クリス将軍は地方に侵攻中のはずです。帝国には今《マッド・ベア》と、最近入った《紅蓮の雷》が残ってまさぁ」 「《紅蓮の雷》?」 「俺も聞いたぜ。なんでも、戦場じゃ目立つ真っ赤な鎧を着けてて、さらに敵の返り血でそれを染めてるとかいう…」 エンリケが顔を顰めつつ、 「ま、噂にすぎないだろうがな。しかし、その噂もあながち嘘とは言えないほど強い奴らしい」 「戦うことがなによりも好きらしいんで。しかもそれが、まだ19歳だそうなんですぜ! まったく、世も末だなあ!」 船員は頭を振り振り締めくくった。 「名前は?」 妙に茫洋と晶は訊いた。デイヴィには、ショックを受けた様子に映った。 船員は顎に手を当てて数秒思考した後、 「確か、玲人とか」 「…れいと。ーーーーやっぱりか」 晶は息をついた。やっと行方が判ったという安堵と、恐れていたことが現実となって突きつけられたという失望感が胸を覆う。 「晶、知ってるのか?」 晶の普通じゃない様子に、気遣わしげにデイヴィが訊く。 晶は頷いて、 「ぼくの親友ーーーー兄弟だ。小さい頃から一緒に稽古をしたりして育った。同じ時に両親を亡くし、共に海賊と戦った」 「…そんな奴が、なんで帝国に?」 「あいつは戦闘本能が強かったんだ。『こんな国はつまらない』っていつも言ってた。『もっと戦いたい。戦いの中に身を置いていたい』って。帝国が攻めてきた時、捕虜になったーーーーと、ぼくは思ってた」 晶は珍しく苦々しい笑いを見せて、 「でも、あいつがそう簡単に捕まるわけがない。やっぱり自分から帝国に行ってたんだ」 「そんな奴がサヴィナにいたのか。初耳だな」 デイヴィは呟いた。 「そりゃあ、今初めて言ったんだから」 行く先々で事件が起こったため、晶はデイヴィに玲人のことを話すタイミングを失っていた。ファルーヤから帝国に向かう時に、今度こそ話しておこうと思っていたのだが、その前に一連の騒動が起こってしまった。結局話さず終いのまま、今まで来てしまった。 だが、デイヴィが言いたかったのは、そういう意味ではなかった。 「いや、そうじゃなくてさ。ーーーー今のおまえの話だと、相当腕が立つ奴みたいだな?」 「立つ。国じゃ、ぼくとどっちが強いかってぐらい」 「なのに、そいつのことは名前すら初めて聞いたぜ。おまえは有名だけどな。あの新聞記事にも、晶の名前しか載ってなかった。そんな強い奴なら、いくら帝国との戦いの後行方不明になったからって、少しぐらいは触れられててもいいんじゃねえか?」 デイヴィは一気に自分の疑問を口にする。 「それは…、その記事を書いた記者さんに訊かないと」 晶は尤もな答え方をして、 「でも、少なくともランシュークの新聞には、玲人のことはかなり大きく載ってたけどね」 「そうか。ーーーー俺がランシュークに着いたときには、日付的に言ってもう古新聞だったろうな」 「俺がクリストファームで読んだ新聞にも、その玲人とかって名前はなかったな。晶の名前はしっかり書いてあったんだが。だから、そんな戦士がサヴィナにいるなんて知らなかったよ」 エンリケも頷き、 「あっしもでさぁ」 船員も同意した。 「…そうか」 デイヴィは気付いた。玲人は、晶ばかりが有名になるのに腹を立てたのだ。晶の傍にいたら自分は一生彼の影に隠れて終わる。それが耐えられなかったから、サヴィナを離れたのだろう。 「なに?」 晶が無邪気に訊く。 デイヴィは、なんとも気の毒そうな、労わるような目つきで晶を眺めた。勿論、晶に自分の気付いたことを言えるわけがない。晶は今でもその玲人のことを、親友であり兄弟分であると思っている。従って、 「いや、なんでもねえ」 とだけ答えた。 「なんでもないなら言ってよ」 晶が追及していると、 「…あ、そうか」 「そういうことですかねえ…」 エンリケも船員も、口々に呟く。どうやら彼らも気付いたらしい。 「だから、なにが?」 「い、いや…」 「きっと、あっしの勘違いでさぁ…」 と言って、エンリケも船員も、仕事を口実にさっさと消えてしまったので、デイヴィは晶と二人きりで取り残されてしまった。 「…デイヴィ?」 晶がデイヴィを見上げる。仕方ない。デイヴィは晶の唇を塞いだ。ーーーー自分の唇で。 「ーーーー誤魔化されてやってもいいよ」 唇を離して、晶が言う。デイヴィは優しく笑いかけてやった。 「そろそろ港が見えるぞ。あんまりいちゃついてると、歓迎に来てる奴らに冷やかされるぜ」 エンリケが、通りすがりに冷やかしていった。 ヒークベルトの港は、人・人・人の渦だった。港の出口に待機している馬車から桟橋のたもとまで真っ赤な絨毯が敷かれていて、皇帝が《ガーディアンエンジェルス》の為にわざわざ手配した鼓笛隊が、その両側にずらりと整列している。この町は勿論、帝国首都からもマークリーベからも、近隣国からも一般人が押し寄せたため、それを警備する兵士も多数いた。但し、《ガーディアンエンジェルス》を刺激しないよう武器は短剣だけの軽装備だ。あとは新聞記者が世界各国から集まっていて、先頭には龍美が専属画家を従えて元気良く立っていた。 やがて水平線上に船が姿を現し、だんだん近づくにつれ、人々の声も大きくなっていく。甲板に立つデイヴィと晶の姿を認めるとその歓声は爆発に近いほどに膨れ上がった。『歓迎!』と書かれた旗が、大きい垂れ幕から小さい手旗まであちこちで振られている。2人も応えて手を振った。 船がゆっくりと動きを止める。桟橋が架けられ、素早く赤い絨毯が継ぎ足される。鼓笛隊が勇ましいマーチを奏ではじめる。人々も一層激しく旗を振り、声を上げる。 デイヴィと晶が並んでその絨毯の上を歩きだす。にこやかに手を振っているが、その瞳だけは油断無く輝いていることに気付いた者はいなかった。 馬車の傍らに一人の男が立っていた。男というにはあどけない顔をした少年だ。彼は周りの騒ぎをよそに静かに佇んでいた。なんとなくおもしろくない、といった感情を紅い唇の辺りに漂わせている。 それは玲人だった。皇帝に命じられて、《ガーディアンエンジェルス》を迎えに来たのだ。 馬車の前で、晶は足を止めた。 「どうした? 晶」 デイヴィは美しい頭をかがめて晶を見た。しかし、晶の目線は彼を通り越している。デイヴィもそちらを見て、その少年に気付いた。 「玲人」 晶がぼんやりと呟く。 デイヴィはハッとして、少しだけ興味を込めてその美少年を眺めた。先程話題にした《紅蓮の雷》ではないか。勿論、今は武装していなかったが。しかし、晶といい、この玲人といい、噂ほど強そうに見えないのはお国柄だろうか? 「どうしたの? まるで、幽霊にでも出くわしたような顔じゃないか、晶」 どこか自嘲気味な笑みを浮かべて、玲人は晶に言った。いつも春の陽気を思わせる晶の声とは違い、こちらは秋のような冷やかさだ。 それにしても、親友であり兄弟分である人物によりによって敵国で再会し、こんな皮肉めいたことを言われたら、人はどういう反応を示すだろう。勿論、人によって様々だろうが、少なくとも、 「死んだと思ってたから」 と、平然と、しかも邪気のない笑顔で言うようなことはないだろう。しかし、晶はそうした。別に皮肉を返したわけじゃなく、本心から言っているのが彼らしいところだ。 玲人の眉が微かに上がった。 「その方が良かったかも。こんな所で、皇帝に飼い馴らされて番犬をやってるよりは」 晶は追い打ちをかける。それがちっとも厭味に聞こえないのが凄い。しかし、だからこそ、言われた方はかなり堪える。天使に言い聞かされているようなものだ。 玲人は長々と息を吐いた。長い付き合いなので、晶が怒っているとすぐに判ったのだ。 「…解ったよ、もう。ーーーー僕が悪かったよ」 玲人は素直に謝った。他の誰かならともかく、晶にはどうも頭が上がらない。それに、彼に黙ってサヴィナを出てきた、という負い目もある。その件が、今までずっと玲人の心に引っかかっていた。 「解ればいい」 こちらも、玲人の心情をきっちりと察して、晶はにっこりした。だが、 「言いたいことは山ほどあるけど、今はやめておこう。時間もないし」 と続けたところを見ると、どうやらまだまだ言い足りないらしい。 あれだけキツイことを言っておいて、と傍で聞いていたデイヴィは思わず笑ってしまった。 初めて玲人がデイヴィを見た。それまでは晶に気を取られていたので、目に入らなかったのだ。鋭くデイヴィを睨んだが、ーーーーすぐに溶けた。そのまま目を離せずにいる。 「穴を開ける気か?」 あまりに長いこと玲人が自分を見ているので、デイヴィは言った。口調は冷たい。レディならともかく、晶(とゼウス)以外の男に見つめられても嬉しくないのだ。 「早く、皇帝のところに連れていってくれ」 玲人は咳払いをしてから、馬車のドアを開けた。 「どうぞ」 デイヴィが先に乗り込み、晶が続く。玲人はドアを強く閉め、馭者台に乗るとやや荒っぽく馬に鞭を入れた。 馬車は港を後に走りだした。街道にも人が溢れている。晶は窓からヒークベルトの町並みを眺めた。民家も公共の建物も煉瓦造りで統一感があり、整然とした美しさを醸し出している。 「ここの海軍が帝国側と正規軍に別れて争って、この綺麗な町並みもかなり破壊されちまったんだ」 デイヴィが説明した。 「それを皇帝が、元の通りに復興させた。『やむを得なかったとはいえ、芸術的なこの町の景観を著しく損傷したことは、帝国にとって恥ずべき汚点だ』とかなんとか言ってな」 「はー。相当な狸だね、それって」 晶は茫洋と呟いた。かなり呆れているらしい。 その内家も疎らになり、両側が木々で覆われた。町を出たのだ。後は帝国城がある大陸のど真ん中までひた走る。 そこには以前、プロイセンという町があった。ある一人の男が、ある日忽然とそこに攻め入ってきた。今まで彼がどこで何をしていたのか誰も知らなかった。誰も気に留めていなかったというのが正しい。気が付くと、その男ーーーーアリステアは強大な軍隊をもってプロイセンと、同じ大陸の都市、マークリーベとヒークベルトを同時に占領した。プロイセンの王城に居を構え、自らを皇帝と呼んだ。そして、世界に対して宣戦を布告した。ーーーー自分こそが世界を支配する、と。 それは、同じ思いを持っていた者の野望にも火を点ける結果となった。世界の好戦的な国々が世界制覇を掲げ出し、あちこちで戦いが繰り広げられる。小国は恐怖に震え、強い方につこうと画策を巡らせた。昨日はあちら、今日はこちらというように、落ち着く様を知らずにもがく。中立国といわれる国々も同様で、自衛のために戦わざるをえなくなった。こうして、世界は戦乱の渦へと巻き込まれていったのだ。 そんな戦いが嘘のように静まり返った並木の中を、馬車は駆けていく。 「ーーーーどう? なかなか美少年だろ? 玲人は」 晶が面白そうにデイヴィに訊く。 「まあな」 素っ気なくデイヴィは答えた。女性じゃなきゃ、いくら顔が可愛くても関心がない。男でデイヴィが関心を持つのは、世界広しといえども晶だけだ。 「それにしても、玲人…。捕虜にでもなって、牢屋に入れられてると思ってたのに。まさか、皇帝の手を舐めてるとはね」 晶は顔を顰めた。彼の中では、帝国は許し難い存在だった。そんな国に、兄弟同然の玲人が仕えているとは。一番最悪の事態だ。 「プライドのねえ奴だな」 「プライド云々っていうか…。前から好戦的で、フリーランサーになりたがってたんだ。で、巧い具合に帝国が攻めてきたんで、どさくさに紛れてついて行っちゃった」 さすがに晶は弁護した。プライドがないというより好戦的という方がましなら、だが。 「ふーん。…まあ、どうでもいいけどな」 デイヴィは正直に言って、 「それより、晶、おまえどうするつもりなんだ? 帝国を潰すのに、親友まで一緒にやっちまうのか?」 と、やはり晶のことを心配そうに気遣う。 「まさか。なんとか説得したいんだ。サヴィナに戻るように。ぼくがいなくなって、さすがに危なっかしい状態だからね。玲人がいてくれれば安心できる」 晶は寂しげに笑った。なんといっても祖国だ。《ガーディアンエンジェルス》の発した声明ーーーーサヴィナに手を出したら容赦しないぞ、という意味合いの物だーーーーはあるものの、やはり離れていると不安だ。それに、サヴィナ王にも玲人を連れ戻すよう言われているし、アイリン姫のこともある。 「気持ちは判るよ。ーーーー1つ、いい方法があるぜ」 デイヴィは朗らかに、歌うように言った。 「帝国をぶっ潰せばいいのさ。そうすりゃ、戦いは沈静化する。サヴィナを心配しなくてもいい。玲人も行く所がなくなるから、サヴィナに戻る気になるだろうぜ」 「それ、いいアイディア!」 晶も明るく声を上げる。 2人は微笑みを交わした。穏やかな表情のなかにあって、眼だけは輝きを放っていた。 |