「ちょ、ちょっと、なに!」
 またしても予想外の攻撃に、玲人がうろたえる。
「まだ話は終わってない」
 後ろ手にドアを閉めて、晶は玲人を見つめて言った。
「……………」
 玲人は居心地の悪そうな様子で目を逸らす。その様子を見て、晶はのんびりと言った。
「…おまえは、ぼくが怒ってると思ってるみたいだけど、ぼくは怒ってないから」
 玲人がやっと晶を見た。表情からいって、晶の台詞を信じていないようだ。
「あのね、玲人。ーーーー黙っていなくなって、その後連絡も寄越さないとなったら、どうしても最悪の事態を予想するだろ」
 晶はずっと玲人を見つめたまま、いつになく真剣な口調で言った。
「つまり、ぼくは怒ってたんじゃなくて、ずっと心配してたんだ」
 ヒークベルトでのあの晶の辛辣な物言いは、心配の反動による皮肉だったのだ。全然そうとは聞こえない口調ではあったが。
 更に言えば、捕虜にでもなっていると思った玲人がまったく無事だったあげく、敵国で敵の許で働いている姿を見せたものだから、いくら温厚な晶でも厭味の一つぐらい言いたくなろうというものだ。
 玲人は2・3回眼を瞬かせた後、瞼を伏せた。
「ーーーーごめん」
「どうして連絡を寄越さなかったの?」
「…アベル将軍に言われたんだ。『もう帝国の人間になったんだから、故郷のことは忘れろ』って」
 ーーーーそれに、晶が怒ってると思ったし、と心の中で玲人は付け加えた。
「なるほど。一理あるな」
 晶は頷いた。
「ーーーーそれで? 玲人」
「え? 何が『それで』?」
 玲人が首を傾げる。
 晶は紅茶色の瞳で、じっと玲人を見つめた。
「本当に帝国の人間になっちゃった?」
 例の、心の中まで貫き通す、晶の視線である。
「……………」
 玲人は思わずまた目を逸らした。彼は意地っ張りというか、素直じゃないところがあった。サヴィナを黙って出てきた手前、自分から『帰る』とは言い出せなかった。
 それに、今は帝国に総て預けた身だ。帝国とサヴィナーーーー即ち皇帝と晶では、比べるまでもなく晶を選ぶ。だが、それではあまりに無責任だし、義理を欠いた行為だ。かといって、帝国の一員として晶と戦うなど、玲人にはとても出来ない。まさに板挟みの状態である。
「ーーーーごめん、玲人」
 あまりに長いこと玲人が黙り込んでいるので、とうとう晶は優しく笑った。
「おまえの立場も気持ちも解ってるんだ。ーーーーただ、玲人と戦うのはいやだから」
「それは…。それは僕も同じだよ」
 玲人は真剣に言った。その口調には、デイヴィの眉を顰めさせるものが微かに混じっていた。
「ありがとう。協力してなんて無理は言わないから、せめて、ぼく達が何かしても傍観しててほしいんだ」
「解った」
 玲人はほっとしたように言った。彼にとって、そうするのがベストの選択だ。皇帝は怒るかも知れないが、晶はちゃんと解ってくれている。それで充分だ。
「ありがとう」
 晶はもう一度言って、こぼれるような笑顔になった。誰もが一緒に喜びたくなる笑顔だった。
 ここまでの2人のやりとりを見守ってきて、デイヴィは首を傾げた。玲人が国を出た理由が、前にデイヴィが考えていたようなことなら、玲人は晶のことを良く思っていないはずだ。しかし、今までに見た玲人の態度からは、正反対の感情さえ感じられる。デイヴィは考え込み、すぐに結論を導き出した。当然のことだった。誰でも、晶のことを嫌ったり恨んだりなどできないのだ。彼は春そのものの少年だから。
「アベル将軍は強いよ。気を付けて」
 玲人が囁くように言う。晶はのんびり笑って、
「大丈夫。なんてったって、最強コンビだから、ぼく達」
「そうだね」
 玲人もちょっと笑顔をみせて、
「じゃあ、また後で」
 部屋を出ていった。
「ーーーーああ、これでますます負けられなくなった」
 言葉とは裏腹な、呑気な口調で晶は言った。自分達が勝ったら玲人も素直に戻るだろう。しかし、もし負けたら。傍観していた責任を、玲人は取らされるに違いない。その前に逃げ出してくれればいいが、玲人の性格からいってそれはない、と晶は思っていた。むしろ、自ら腹を切って落とし前をつけるだろう。そうなると、サヴィナで彼を待っているアイリン姫はどうなるのか。
 というようなことを、晶はデイヴィに説明した。
「なるほど。それは確かに由々しき問題だな」
 デイヴィは大真面目な顔で頷いた。
「でも、ま、大丈夫だろ。最強コンビだからな、俺達」
「そうだね」
 晶はあどけなく微笑んで、デイヴィにキスした。

 客室を出た玲人は、自分の部隊の小隊長に声をかけられた。
 玲人配下の500人は、皆帝国に攻め込まれた国から連れてこられた兵士だった。新参者である玲人に古参の帝国兵や志願兵を任せるのは兵士達の反発を買う、と皇帝が判断したためだ。彼らは100人ごとに小隊に分けられていて、それぞれに小隊長がいる。若い玲人はまだ将軍ではなく、彼らを束ねる隊長という立場だった。
 その小隊長5人全員が、玲人の前に立ち塞がった。
「何かあったの?」
 玲人は訊ねた。皆年上だが、実力は玲人の方がずっと上だ。彼らもそれを承知しているので、年下の玲人の下につくことを受け入れていた。
「ここではちょっと…」
「じゃあ、こっちで」
 玲人と小隊長達は、デイヴィと晶が使っている隣の部屋に入った。
「ーーーーで、なに?」
 改めて5人を見回しながら、玲人は訊いた。
 小隊長の中でも一番年嵩の男が口を開いた。
「隊長はどうなさるおつもりですか?」
「どうって?」
「隊長と晶殿は親友だと耳にしました。ーーーー《ガーディアンエンジェルス》に協力しますよね?」
 今度は、年若い小隊長が勢い込んで、
「我らは、隊長にお供します!」
 5人の小隊長達が身を乗り出して、一気に玲人を取り囲む。
「い、いや、ちょっと待って」
 玲人は慌てて一歩下がった。
「大体、なんでーーーー」
 言いかけて、はっと気付く。彼らの国は帝国に乗っ取られたのだ。いわば不本意な形で、彼らは皇帝に仕えている。恩義を感じるどころか、恨み骨髄に徹していることだろう。
 玲人の心を読んだかのように、
「そうです。我らは、国も家族も仲間も帝国に蹂躙されました」
 若い小隊長が悔しげに拳を握り、眉根を寄せた。
「我々が彼らの後を追わず恥を忍んで帝国兵となったのは、生き延びて、いつかこの国に報復してやろうと思っていたからです」
 ここで、小隊長は顔を上げ、玲人を真っ直ぐ見つめた。
「そして今! まさにそのときが来たのです!」
「ここまで耐えてきた思いが、今報われます!」
「《ガーディアンエンジェルス》と共に、帝国を潰しましょう!」
「我ら500人、共に戦います!」
「帝国に一矢報いてやりましょう!」
 口々に言って、玲人に詰め寄る。玲人は胸が痛くなった。彼らの気持ちはよく解る。だがーーーー
「…だけど僕は…、…君達とは違う」
 玲人は掠れた声を出した。
 小隊長達が顔を見合わせる。
「僕は、自分から志願して帝国に来た身だ。だから、…晶に…《ガーディアンエンジェルス》に与するわけにはいかない」
「そんな! 隊長ーーーー」
 小隊長達の言葉を遮って、
「でも、君達を止めたりもしない」
 玲人は言葉を続けた。
「僕自身は何もしない。君達の判断に任せる。ただし、責任は総て僕が負う」
 小隊長達がざわめいた。
「しかし、それでは隊長が…」
「いいんだ。ーーーー僕の代わりに彼らを助けてほしい」
 玲人は深々と頭を下げた。
「お願いします」
「……………」
 小隊長達は、言葉もなく玲人の姿を見つめた。
「ーーーー隊長…。…承知しました!」
 やがて、年嵩の男が力強く頷いた。それに続いて他の者達も、
「任せてください! 要は、勝てばいいんだ。そうすれば隊長が責任を取る必要もない」
「その通り。それに、我らには《ガーディアンエンジェルス》がついてる。負けたりしないさ」
「帝国に、目にもの見せてくれる!」
「今こそ、積年の恨みを晴らすとき!」
 と言い募り、気炎を上げている。
「ありがとう」
 玲人は少年らしく微笑んだ。

 部屋を出て、小隊長達はその足で隣の客室に《ガーディアンエンジェルス》を訪ねて行き、玲人は大広間へと戻った。
「何をしてたんだ? 随分戻ってくるのが遅かったじゃないか、玲人」
 アベルが玲人の姿を認めて、声をかけてきた。
「そうかな」
 玲人は素っ気なく応じた。
「何か良からぬことでも企んでるんじゃないのか?」
 アベルがにやにやと言う。どうしてこの男は、痛いところばかり突いてくるのだろう。しかし、ここでむきになっては逆効果だ。玲人は努めて平静を装いながら、
「別に、何も」
「ふん、まあいい。ーーーー戻ってきたばかりでなんだが、またあいつらを呼んでこい。もう時間だ」
「解った」
 一刻も早くアベルの前から立ち去りたかったので、玲人はほっとした。早足で、再び大広間を出ていく。
 その後ろ姿を見送って、
「ーーーーふん。やっぱりな」
 アベルは呟いた。
「結局、あいつは晶を裏切れないか」
 ーーーー俺がアリステアを裏切らないように、な。
 アベルはちょっと笑うと、自分は皇帝を呼びに向かった。

 玲人が客室に行ってみると、既に小隊長達の姿はなかった。そのことには敢えて触れず、
「晩餐会の準備が出来たってさ」
 玲人は告げた。
「ありがとう、玲人」
 晶が、玲人を見つめて言った。例の件についての礼だと、玲人は理解した。
「別に、大したことじゃないよ」
 玲人は目を逸らした。なにせ、自分は何も出来ないのだ。あまり感謝されても辛い。
「大丈夫」
 優しい声で、晶はそれだけ言った。玲人の気持ちは解っている、きっと勝つ、両方の意味がこもった『大丈夫』だ。
「うん」
 玲人は頷いて、
「ーーーー早く行こう。皇帝がお待ちだ」
「そうだな。あまり遅れると、またアベル将軍に絡まれちまう」
 デイヴィが軽い調子で言う。その言葉に気が解れて、玲人はやっと笑顔を見せた。

 大広間には皇帝とアベル将軍に加えてもう1人いた。落ち着かない様子でテーブルに着いているのは誰あろう、クリス将軍ーーーー晶が求めていた人物だ。
 デイヴィと晶は素早く視線を交わした。彼女が戻っているとは思わなかった。ということは、500人の兵士も一緒だということだ。アベルの兵と合わせて1,500。対して、こちらは玲人の兵500人だ。その差は3倍である。
 ーーーーますます面白くなってきやがった。
 デイヴィは猫のように舌なめずりした。勿論、心の中で。
「これはクリス将軍。お久しぶりですね」
 晶が春風駘蕩の風情で言った。
「…どうも…」
 クリスは蒼白になった。あの時の恐怖は忘れていない。いや、忘れられない。たとえ今は呑気に見えても、彼の中には豹が棲んでいるのだから。
「戻ってたとは思わなかったな」
 玲人がさり気なく、自分の気持ちを表示した。さっき、まだかかるんじゃないか、なんて言ったばかりだ。嘘を言ったんじゃなく知らなかったんだ、と晶に告げたわけだ。
 晶も、解ってる、というように、ちらっと玲人を見た。
「遠征は済んだのか?」
 デイヴィは何気なく訊いてみた。
「いや、…」
 クリスは反射的に答え、すぐに口を閉じた。何か言っては言い過ぎになってしまう。ーーーーそれどころじゃない。おまえ達が来て不安だから。これでは喧嘩を売っているとしか思われまい。
「私が呼び戻したのだ」
 意外な所から意外な返事がきた。
「大事な客人をもてなすのに、アベル将軍や玲人だけでは失礼だからな」
 デイヴィは皇帝を見て、
「確かに、男の顔を見ながらじゃ酒も美味くねえ。お心遣い感謝するぜ」
 薔薇のように微笑む。アベルでさえ、失礼な物言いに文句をつけるのも忘れてしまう艶やかさだった。
「どういたしまして」
 皇帝はさらりと受けて、
「では、座りたまえ。食事にしよう」
 2人は素直に従った。デイヴィは皇帝の、晶はアベルの向かいに座る。クリスは皇帝の向かって右隣に座っている。
 アベルの左隣に着こうとする玲人に、皇帝は、
「玲人、おまえは向こうに座れ」
「は?」
「バランスが悪い」
「はあ」
 玲人は不思議がりながらも、デイヴィの隣、即ちクリスの向かいに腰を下ろした。
 グラスにワインが注がれる。
「では、乾杯しよう」
 皇帝がグラスを掲げると、全員が倣う。
「何に乾杯するんだ?」
 アベルが楽しそうに、誰とはなしに訊く。
「それは勿論、《ガーディアンエンジェルス》の生還を祝して、だ」
 皇帝がすらすらと答える。
「そうか。死にかけたんだったな、あんたら。忘れてたぜ」
 アベルの、少しばかり小馬鹿にしたような口調のこの台詞に、
「はあ。自分でも忘れてました」
 晶がのんびり応えた。
「……………」
 これには、さすがのアベルも二の句が継げなかった。
 皇帝は、興味深げに晶を眺めて、
「なるほど。『日向ぼっこをしている風情』とはよく言ったものだ」
「…は?」
「いや、なんでもない」
「ーーーー?」
 晶は可愛らしく首を傾げた。
「では、《ガーディアンエンジェルス》の生還を祝して」
 皇帝が改めて告げる。
 デイヴィが艶やかに微笑んで、
「サンキュー。…俺達からも、アリステア帝国の繁栄を祈らせてくれ」
「お心遣い、痛み入る」
 皇帝は頷いた。
「では、乾杯」
「乾杯!」
 グラスの触れ合う涼しい音を合図に、食事が始まった。
 とりとめのない話をしつつ料理を食べながらも、デイヴィは注意を怠らなかった。しかし、この大広間のどこにも兵士達が潜んでいる気配はないし、かといって、料理に毒が盛られていることもない。そうこうする内に、とうとうデザートまできてしまった。
 ーーーー今日は仕掛けてこねえのかな。
 最後の一口を食べ終えて、デイヴィは拍子抜けしつつ考えた。
「ーーーー如何だったかな? お味の方は」
 皇帝が尋ねる。
「結構なお味でした。ごちそうさま」
 晶の答は、その食べっぷりによって証明されている。
「それは良かった」
 皇帝はワインの入ったグラスを手にした。それを自分の目の前に掲げて、グラス越しにデイヴィと晶を見つめた。
「“最後に”確認しておこう。帝国のために働く気はないか」
「皇帝…?」
「何を…」
 クリスと玲人が同時に言った。それを無視して、
「もしその力を今後私のために役立てると誓うなら、今まで帝国に楯突いたこと、総て水に流してもいい」
 皇帝は無表情に言った。その横で、アベルがにやにやと笑っている。
 クリスと玲人は、唖然として皇帝を見ていた。
 晶は、皇帝に劣らず無表情だった。
 そして、デイヴィはーーーー
「ーーーー…ふ、く…っ、…ははははは…っ!」
 デイヴィは笑い出した。嘲笑でも苦笑でもなく、心の底から楽しそうな、こんな時でなければつられて笑いたくなる程の、朗らかな笑いだった。
「…いや、失礼…、…あんた、なかなかユーモアのセンスがあるじゃねえか」
 笑いを含んだ声でデイヴィは告げた。それは、決定的な拒絶の言葉だった。
「ーーーーそうか。それは残念だ」
 皇帝は氷の微笑を見せた。
「では、さようなら」
 この言葉が終わらぬ内に、デイヴィと晶の座っている床が口を開け、椅子もろとも地下に落とされた。
「ーーーー晶!」
 すぐ横で2人が落ちてしまったのを目の当たりにして、玲人は蒼ざめた。既に閉じてしまった床に跪く。
 後ろから、冷たい声がかかった。
「あの2人は地下牢だ。玲人、彼らの始末ーーーー、おまえに任せる」
 玲人は振り向いた。冬の月のような皇帝の瞳が、冷ややかに彼を見下ろしている。
「ーーーー承知、しました」
 玲人は立ち上がって、素早く大広間を出ていった。
 それを見送って、
「すぐにここを片づけろ」
 皇帝は、部屋に控えていた給仕達に指示した。
「クリス。おまえは下の階のホールで待機していろ」
 クリスが訝しげな顔になる。
「皇帝、一体…?」
「玲人の下につけた兵士達は、皆他国から来た者達だ。帝国に国を滅ぼされて恨んでいる者もいるだろう。この好期を逃すはずがない」
「では、玲人は…?」
「向こうにつく。玲人は晶を裏切れまい」
 クリスはやっと合点した。
「承知しました。ーーーーこの命に代えても、奴らを食い止めて見せます」
 力強く頷いて、出ていく。
 皇帝はアベルを見つめた。
「アベル、おまえはここだ」
 アベルは不敵に笑った。
「心配するな。おまえの所まで奴らを行かせはしない、アリステア」
「任せたぞ」
 皇帝は薄く微笑むと、自室へと向かった。

 皇帝の読み通り、玲人は最早晶と戦う気はなかった。彼は、彼なりの方法で2人の『始末』をつけようとしていた。
 玲人はまず自室に行き、武装した。それから晶とデイヴィがいた部屋まで行くと、彼らの荷物を持ち出した。その足で小隊長達の控室に向かう。
 彼らに向かって、玲人は宣言した。
「僕は《ガーディアンエンジェルス》につく」
 小隊長達が喜びの声を上げた。
「隊長! 決心してくれましたか!」
「安心しましたぞ」
 玲人は頷くと、
「彼らは今、皇帝の策略によって地下牢に落とされた。僕は今から彼らを助け出しに行く。君達は、帝国兵達の相手を頼む」
「承知しました!」
 小隊長達は敬礼して、部屋を出ていった。
 玲人も、地下牢へと向かった。

 地下牢に落とされたデイヴィと晶は、突然だったもののそこは超一流の戦士であるから、巧く体勢を整えて着地することが出来ていた。
 石造りの壁に太い鉄格子。間違うことなき立派な独房である。
「ーーーー古典的なマネを」
 天井を見上げ、デイヴィは呟いた。
「まさか、いきなりこう来るとは思わなかった」
 晶はのんびりと言った。
 デイヴィは、鉄格子の所まで行ってみた。ごつい鍵がついている。目の前は幅2m程の石の廊下で、向かいにもやはり鉄格子が見える。隙間から横を見ると、廊下の右側は石の壁で、左側には廊下が続いているようだ。
 晶もやって来て、デイヴィの背中にぴったりと張り付いた。
「誰かいる?」
「いや、いねえな。この地下牢の入り口で見張ってんだろ」
「あー、そうだろうね。結構広い地下室みたいだし」
「そのせいか、ひんやりしてるよな」
 デイヴィは身体を振り向かせて、晶を腕の中にくるみ込んだ。
「俺、寒いの苦手なんだよな。晶、大丈夫か?」
「うん。ぼくは平気」
 と、言いつつも、晶はデイヴィにしっかりとしがみついている。
 デイヴィは晶の唇に軽いキスを繰り返しながら、
「で、いつまでここにいりゃあいいんだ?」
「うーん。あと10回分くらいかな」
 と晶は答えたがーーーー
 残念ながら(?)5回目のキスの時に、遠くの方で重々しく扉の開く音がした。続いて、階段を降りてくる足音が響く。
「来たな」
「来たね」
 デイヴィと晶は微笑み合った。2人は、それが誰の足音であるかを聞き分けていた。
「ーーーーお待たせ」
 案の定、玲人がやって来た。鉄格子の鍵を開けて2人に荷物を渡す。
「ありがとう」
 受け取って、デイヴィと晶は素早く鎧に着替えた。今まで着ていた服をバッグに詰める。
 玲人はそのバッグを手にして、
「じゃあ、これは安全な場所に保管しておくよ」
「あ、じゃあ、新聞社の龍美に渡しておいて」
 晶が言った。
「龍美? ーーーーおまえのいとこの?」
「うん。彼女、多分この城の近くにいると思う」
「解った」
 玲人は頷いた。
「この荷物を隊の兵士に頼んで、僕も一緒に行くよ」
「玲人。…いいの?」
 晶が玲人を見つめる。玲人は、今度は目を逸らさなかった。
「うん。ーーーーやっぱり、皇帝より晶の方が大事だよ」
「ありがとう」
 晶が玲人の手を握って、零れるような笑顔になった。やりすぎだ、とデイヴィはちらっと思ったが、晶が本当に嬉しそうなので黙っていた。
「久々の名コンビ復活だね。今はトリオだけど」
 晶は楽しそうに言った。

 3人は独房を出て、階段を上がっていった。
 城の中は不気味な程に静まり返っている。
「あ、隊長! お疲れさまです」
 濃紺の鎧を着けた兵士が駆け寄ってきた。玲人の隊の兵士は皆この色の鎧を着けている。クリスの隊はベージュグレイ、アベルの隊はブルーグレイだ。
「皆、戦闘準備完了しました。この先で待機中です」
「解った」
 玲人は、持っていた荷物をその兵士に差し出して、
「済まないが、頼まれてほしい。この荷物ーーーー《ガーディアンエンジェルス》の物なんだけど、これを、外にいる新聞社の女の子に渡してくれないか」
 兵士は荷物を受け取ったものの、不可解そうな顔で、
「女の子、ですか」
 と呟く。
「うん。ぼくのいとこで、風間龍美っていう娘なんだ」
 晶が横から説明した。龍美の外見の特徴も言い添える。
「了解しました」
 兵士は敬礼すると、その場を立ち去った。
 長い廊下を進んで角を曲がると、濃紺の鎧を着けた集団が待機していた。
「玲人隊長! それに《ガーディアンエンジェルス》のお二人も」
 兵士達が3人に道を空ける。
 先頭まで進んでいくと、両開きの扉があった。そこに小隊長5人が並んでいた。
「隊長、お疲れさまです」
 小隊長の1人が声をかけてきた。
「この先のホールに、クリス将軍の隊が待ち受けています」
「そう。ーーーーみんな、覚悟はいい?」
「勿論です。我ら全員、隊長と《ガーディアンエンジェルス》にお供致します!」
「サンキュー。実に心強いよ」
「ありがとう。一緒に頑張ろう」
 デイヴィと晶が微笑む。これだけで、兵士達の闘志に火がついた。笑顔だけで誰かを奮い立たせ、かつ幸せな気分にさせることが出来るのは、世界広しと言えどもこの2人ぐらいだろう。
「じゃあ、行くぜ」
 デイヴィと晶が扉を開いた。 
 そこはホールになっており、真ん中にクリス将軍が500人の部下を連れて立っていた。
「来たか。ーーーー私でおまえ達を止められるとは思っていないが、ここで背を向けては皇帝に会わす顔がない」
 クリスはサーベルを抜いた。後ろの兵士達も剣を構える。
「すっかり覚悟ができてるらしいね」
 晶が一歩進み出る。
「ふ…。あの時は恐ろしかったが、今はもう何も怖くはない。ーーーー死さえも」
 クリスは腰を落とした。輝く瞳が晶を睨み付ける。以前とは比べ物にならない闘気が全身を覆い、蒼い炎となって揺らめいている。
 晶も刀を抜いて構えた。冷たい空気がぴりぴりと肌を刺す。
 クリスが突っ込んできた。唸りをたてるサーベルを晶は刀で受けた。上、下、右、左、再び下。金属のぶつかる音が響く。今度は右。サーベルを止めた刀を晶は勢い良く振った。クリスがよろける。その脇腹に隙ができたのを、晶は勿論見逃さなかった。刀がクリスの腹に呑み込まれる。
「くぅ…」
 クリスは血を噴いてよろめく。しかし片膝をついただけで倒れなかった。サーベルを支えに辺りを見回す。クリスの500人の部下達は殆どが倒されていた。逃げた者達もいたが、デイヴィも玲人も彼らを追わなかった。対して玲人の隊の兵士は、多少の怪我人はいたものの、ほぼ無事であった。
「私も…ここまでか…」
 クリスは血を吐いて呻き、前のめりに崩折れた。
 晶は屈み込み、クリスの頸動脈に触れた。そこには命の印はもはやなかった。
「攻めてこなければよかったのに」
 晶は寂しそうに呟いた。
 デイヴィは晶の肩を叩いた。力強く、励ますように。
「…晶…」
 玲人が呼びかける。
「行こう」
 晶は立ち上がった。奥に上り階段が見える。3人と兵士達は、ゆっくりと上がっていった。
 
 そこは元の大広間だった。さっきと違うのは、テーブルが既に取り払われていたのと、兵士達が待ち構えていたことだ。
「アベル将軍の配下の兵士1,000人だ」
 玲人が他の2人に告げた。
「帝国兵の中でも最も強力な部隊だと言われてる」
 兵士達は手に手に武器を持っている。剣が一番多く半分以上。残りは槍・弓・斧と、後ろで杖を持っているのは魔術師だ。ただ、回復できる魔導師まではいないようだ。帝国の力を持ってしても、絶対数の少ない魔導師を連れてくることは不可能だったようだ。『攻撃は最大の防御』という通り、強大な攻撃力を誇るアベルの部隊には、或いは魔導師は必要ないかも知れない。ただ、他の国の兵士達には充分だろうが、デイヴィ達3人に魔導師なしで勝てるかどうか。
 3人はデイヴィを真ん中に、晶が右、玲人が左に立っていた。それぞれ柄に手がかかっている。後ろに、500人の兵士が続いていた。
 帝国兵が不意に中程から別れた。その奥にアベルがいた。
「思ったより早かったな。この上にアリステアがいる。ーーーーその前に」
 アベルは楽しそうな口調で大剣を抜き、デイヴィを眺めた。
「《黒い悪魔》。以前からずっと気になっていた。ーーーーどうだ? デイヴィよ、まずはタイマンといこうじゃないか」
「望むところだ」
 デイヴィも雷神の剣を抜いた。
 晶と玲人とその部隊も、帝国兵達も、壁際まで下がった。
 アベルがいきなり斬りかかった。大剣を苦もなく片手で振り下ろす。デイヴィは身軽に跳躍し、アベルの横に回った。アベルがそこに剣を振るう。着地したデイヴィの足がすぐさま床を蹴り、後ろに跳びずさる。アベルが突っ込む。デイヴィが剣を振る。2人の剣がぶつかり、眩い火花を散らした。暫く押し合い、ついにデイヴィがよろけた。すかさずアベルが剣を振るうが、間一髪、デイヴィは素早く体勢を立て直して回避した。腕力はアベルの方が強く、スピードはデイヴィの方が勝っている。
 アベルの手が動き、デイヴィの左腕を斬った。鎧が裂けて赤い血が床に落ちる。
 玲人は思わず息を呑んだ。隣の晶を見ると、何故か微動だにしていない。
「どうした? 《黒い悪魔》も所詮その程度か」
 アベルが嘲笑した。
 デイヴィはつまらなそうに自分の傷を眺め、アベルに目を移した。
「…無駄口を利けるとこをみると、ーーーー浅かったかな」
「なに?!」
 その刹那、アベルの左腕、鎧の隙間から血が滴り落ちた。驚愕したアベルが首を巡らせると、左肩が斬られているではないか。
 アベルの間合いはデイヴィの間合いでもある。デイヴィの剣が電光石火の速さでアベルを捉えていたのを、晶はちゃんと見ていた。デイヴィの傷にも無反応だったのもそのためだ。
「面白い」
 アベルは唇を舐めつつ、低く囁いた。
「俺を本気にさせる奴がいたとは」
「それは俺も同じさ」
 今度はデイヴィが跳びかかった。猫のようなしなやかさで斬り込む。アベルの頬をデイヴィの剣が掠め、アベルの剣がデイヴィの髪を数本なぎ払う。お互い少しずつ斬り合っていたものの、致命傷を与えられずにいた。
 2人は少し離れて向き合った。今まで以上の緊張感が全員の間に走る。デイヴィとアベルの全身から、凄まじいオーラが発せられた。
「うおおっ!」
 一声叫んで、アベルが駆けだした。デイヴィは動かない。アベルが風と共に大剣を突き出す。デイヴィの身体が沈んだ。流れるように動いてアベルの懐に入ったーーーーと見るやすぐさまジャンプし、アベルの頭上を越えて一回転、背後に着地する。
 アベルはその場に立ち尽くした。下腹から頸まで一筋の朱線が走り、噴水のように噴き出た血が辺りを紅く染めた。
 デイヴィも無事ではなかった。腹から血が溢れている。急所は外れていたが、重傷には変わりない。
「っ…。さすが…デイヴィ・キーン…。《黒い悪魔》…と…呼ばれる男…よ」
 アベルは傷を押さえてよろめき、膝をついた。並の人間なら倒れ込んでいてもおかしくない傷だ。
「…おまえこそ、素晴らしい戦士だ」
 デイヴィは心から言った。彼も跪いている。
 晶が駆け寄った。ありったけの薬草をデイヴィの傷に宛い、上から手で押さえる。玲人は少し離れた所に立っていたので、晶の表情は見えなかった。だが、予想は出来た。胸がちくりと痛む。それは、晶の哀しみにシンクロしてなのか、それともーーーー。玲人には判らなかった。
 アベルの方も、部下達が周りを取り囲んでいる。こちらも薬草を差し出してきたが、アベルはうるさそうにそれを払いのけた。
「俺のことはいい…。ーーーー奴らを殺せ!」
 文字通りアベルの血を吐く叫びに、1,000人の兵士達はデイヴィ達の方に向き直った。
「デイヴィ、ここ、押さえてて」
 晶がデイヴィの手を取って、薬草の上に導いた。
「きっと、もうすぐ効いてくるから」
「ああ。ーーーー大丈夫だ。そんな顔すんなって」
 デイヴィは微笑んで、晶の頬に手を触れた。
 晶は敵に向き直ると、陸奥守を抜いた。凄まじい殺気が全身から迸り出た。玲人でさえーーーー幾度も共に戦ってきた玲人でさえ、晶のこれほどまでの殺気は初めてだった。
 アベルの兵は怯んだ。彼らにとっても、これほどの殺気とは初対峙だった。彼らは恐怖を感じはじめていた。
 アベルが、よろけながら立ち上がった。
「怯むな! ーーーーアリステア帝国の誇りを忘れたか!」
 空気が震える程の一喝だった。瀕死の身体で、どこにこれほどの力が残っていたのだろう。
 勇敢なる帝国兵は、この一喝によってすぐに自分を取り戻した。崩れた体勢を立て直すと、じりじりと敵に迫っていく。魔術師達は呪文を唱え始めた。
 玲人の兵も帝国兵にかかっていった。1,000人と500人の兵達が入り乱れ、大混戦になる。そんな中、玲人は一気に敵陣に斬り込んでいき、後方の魔術師達を急襲した。武器は防ぎようがあるが、魔法はどうにもならない。特に彼は、さほど魔力の強い方ではなかった。
 帝国兵達の狙いはデイヴィだった。彼の首を取れば一躍有名になれる。傷を負っている今がチャンスだ。
 だが、晶はデイヴィの傍から離れず、彼を護っていた。帝国兵達は誰一人デイヴィに近寄ることすら叶わず、次々に倒れていく。
 やがて、薬草が効いてきたのか、デイヴィ自身が参戦した。重傷とはいえそこは《黒い悪魔》。しかも手負いの野獣と化している。殺られないためには逆に殺るしかないのだから、これほど恐ろしい者はいまい。名もない兵士が歯の立つ相手ではなかった。
 戦闘は部下達に任せ、アベルは大剣を支えにおぼつかない足取りで階段を上っていった。身体ごとぶつかってドアを開ける。机の前に立っている皇帝を見て、やっとの思いで歩み寄る。
「…派手にやられたな」
 血だらけのアベルを見て、皇帝は言った。
「ああ。さすが《黒い悪魔》だ…。だが、俺だって負けてはいないぜ」
「だろうな」
 アベルはちょっと笑って、がくんと跪いた。皇帝の腕の中に崩折れる。
「…今、俺の部隊が…。だが、あの3人には敵うまい。…もうすぐやって来るだろう…。ーーーーアリステア、早く逃げろ…」
「馬鹿なことを」
 皇帝は、相変わらず無表情に言った。
「おまえがいなくて、なにが世界征服だ。もう意味がない」
「そうか…。なら、俺はもう…」
 アベルはかすれた声で言った。
「…アリステア…」
「なんだ?」
「…楽し…かったな」
「そうだな」
 皇帝が静かに答える。
 アベルは目を閉じた。安らかな表情だった。
「アベル…ーーーー逝ったか」
 皇帝は呟いた。アベルを見下ろすその顔に、哀しみともとれる翳が微かに浮かんだが、それもすぐに消えた。
「案ずるな。私もすぐに…」
 言葉を切って顔を上げる。入口に3人の麗人達が立っていた。
「来たか。ーーーーまさかたった3人の人間に、ここまで計算を狂わされるとはな」
「運が良かっただけさ」
 デイヴィが応えた。出血は止まっていたが、顔面は蒼白だ。確かに、どちらが破れてもおかしくなかった。実力が互角なら、最後に勝敗を分けるのは『運』ーーーーそれとしか言いようがない。それは同時に、相手への敬意を現してもいた。
「運、か…。確かに、最後はそれかもしれんな」
 皇帝は薄く微笑んだ。
「ならば、運が尽きた今、私がすべきことはただ1つ」
 アベルが握ったままの大剣を掴み上げ、皇帝は自らの胸に深々と突き立てた。アベルの上に折り重なってうつ伏せる。
 駆け寄るデイヴィ達3人の前で、皇帝とアベルの身体は紅蓮の炎に包まれた。最期に火炎呪文を唱えたのだろう。
「さすが帝国皇帝。ーーーー見事な最期だった」
 晶がしみじみと呟いた。
 一気に燃え上がった火は床や天井までをも焦がしはじめた。いつまでもここにはいられない。
 3人は大広間に戻ると、生き残った兵士達を誘導しつつ、素早く脱出した。
 
 もはや、帝国城はあちこちから火を噴いていた。消防隊が決死の消火活動を行っていたが、風も強く空気も乾燥していて、火の勢いは納まるところを知らなかった。その様子を、逃げだした兵士達、一般の野次馬、それに新聞記者達が遠巻きに眺めている。
「危険です! これ以上は近づかないで!」
 消防隊員が、彼らが危険なゾーンまで入り込まないように、手を広げて叫んでいる。
「晶さん、デイヴィ、玲人さん…」
 龍美は一番先頭にいて、他の人々とは異なる思いで城が燃えるのを見ていた。先程、玲人の部下だという兵士から預かったデイヴィと晶の荷物を、胸にぎゅっと抱き締めている。晶のいとこである彼女は何度かサヴィナに遊びにいったことがあって、玲人とも面識があったのだ。玲人が帝国にいたことには驚いたが、その兵士から、玲人が《ガーディアンエンジェルス》に協力すると聴かされて、これでもう大丈夫、と安堵していた。
 だが、3人はいつまで経っても姿を見せないし、そのうち城が燃え始めるし、龍美は段々と不安になってきていた。ほんの2・3日前にも、晶のことで切ない思いをしたばかりだ。こうも立て続けでは、この数日間でもう20も歳を取った気分になる。
「ーーーー《ガーディアンエンジェルス》だ!」
 誰かが歓喜の叫びを発した。城から駆け出てきた美しいシルエットは、紛れもなく美しい彼らのものだ。
 消防隊員が、3人と、彼らに続く兵士達を安全な場所まで誘導している。龍美はすぐにその後に続いた。
「晶さん、デイヴィ、玲人さんも! ーーーー無事で良かった!」
 言ってから、デイヴィの怪我に気付いた。
「ーーーーデイヴィ! その怪我…」
「帝国の《マッド・ベア》にやられた。さすがに効いたぜ」
「なに、呑気なこと言って!」
 龍美はデイヴィの傷に手を当てて、呪文を唱えた。
「ハービア!」
 優しい光がデイヴィを包み、忽ち傷が塞がる。魔力が高かった龍美は、職業柄危険な場所に出向くこともあるし、また他の人を助けるためもあって、回復魔法を学んでいたのである。
「魔法が使えたのか。サンキュー、龍美。助かったよ」
 デイヴィが微笑む。
「どういたしまして。ーーーーそうだ、これ、預かってたの」
 龍美は荷物を差し出した。
「ありがとう」
 晶が受け取る。
「それにしても、玲人さんが帝国に来てたなんて、びっくりしたわ」
 龍美は明るく笑って、
「でもそれで安心したの。なら、やられちゃうはずないな、って」
「うん。勿論だよ」
 玲人が頷く。
「ねえ、それで、皇帝はーーーー」
 龍美の言葉を、凄まじい轟音がかき消した。
 帝国城が崩れはじめた。地鳴りのような低い音が響き、栄華を極めた帝国の象徴が、天を掴もうとした男と共に滅び去っていく。人々は言葉もなく立ち尽くし、その様をずっと見守っていた。
 やがて残り火だけが小さく燻るだけになった時、彼らは東の空が明るくなってきたのに気付いた。
 
 世界に速報が駆けめぐった。
 人々はそれを、喜びと共に受け取った。
 このニューズを受けて、各国では、皇帝に与した兵士や議員達が捕らえられていった。だが、中には逃亡してしまった者もいた。
 帝国以前にあった国ーーーー皇帝に侵攻された、旧シュタインバルグ国の兵士や議員達、即ち、帝国に与せず、処刑される前に亡命していた者達が戻ってきた。彼らは後始末のために暫定政府を樹立した。
 ここからは少し先の話になるが、混乱から回復すると、新生シュタインバルグ国に改めて新政府が誕生する。新政府は、もう二度と他国に対して侵略行為は行わないと宣誓した。そして、帝国が占領していた領土を元の国に返還し、国として再び独立していくのに力を貸した。議員の中にはアベルの異母弟もいたという。彼は私財を投げ打って、帝国によって被害を受けた国や人を救うのに、一生をかけて尽力することとなる。
 帝国に連行されていた、《ガーディアンエンジェルス》と玲人と共に戦ったかの兵士達も各々の国に帰っていき、自国の復興に携わった。
 世界各国も、お互いに不可侵条約を結んでいく。
 こうして世界はゆっくりと、しかし確実に平和への道を歩み始めた。

 デイヴィ、晶、玲人の3人は、マークリーベにある龍美の家にお世話になることにした。新生シュタインバルグ国暫定政府からは、国賓として暫く滞在してくれと懇願されたのだが、丁重に断った。まだまだ国内は混乱している。そんな中で自分達のために労力を割かせるのは心苦しい。それになにより、彼らは英雄視されるのを嫌った。ただ、帝国に売られた喧嘩を買ったまでである。そして運良く勝った。それだけのことだ。
「それだけのことって…。充分大したことよ」
 龍美が呆れ気味に言った。
「それに、その『それだけのこと』が、どれだけ世界中の人々を喜ばせたと思う?」
「面倒くさいからいいよ、そんなの」
 晶が茫洋と言った。これはうんざりしている体だ。
「まあ、晶さんらしいけどね」
 龍美もついに観念したのと、晶の性格を解っているので、溜息混じりに言った。
「ーーーー家までまだだいぶあるから、休んでて。疲れたでしょう」
 馬車の中だった。帝国城のあった首都からマークリーベまでは、馬車で2時間ほどかかる。
「いや、大丈夫さ。ーーーーそれより、取材しないと記事が書けなくて困るだろ?」
 デイヴィが優しく微笑む。
「ありがとう。ーーーーでも、いいのよ、そんなこと。休んでからでも」
「いやいや、いいってこたぁねえだろ」
「ううん、本当に大丈夫だからーーーー」
 デイヴィと龍美の譲り合いに業を煮やしたらしく、
「…そんな言い合いしてる間に、話した方が早いんじゃないの」
 玲人が冷静に口を挟んだ。正論である。
「その通りだね」
 晶が楽しそうに笑った。
 と、いうわけで、龍美に今回のあらましを説明して、丁度終わった時に龍美の家に着いた。
「ーーーーどうぞ。小さい家だけど」
 龍美が照れくさそうに言う。
「またまた。謙遜しちゃって」
 晶が龍美の頭を指で軽く小突いた。確かに、3階建ての家は「小さい」とは言えないだろう。
「だって、うちは5人家族だもん。それに、3階はホールになってるの」
「ホール?」
 デイヴィが訊き返す。
「うん。父と母はダンサーだし、姉は芝居やってるし、兄は剣術の先生だし。なんにでも使えるようになってるのよ」
「ふーん…」
 デイヴィは呟いた。自分の家族も個性的だと思っているが、どうやら龍美の家はその上をいくらしい。
「ただいま!」
 龍美が元気良くドアを開ける。首都プロイセンから至急便で連絡してあるので、デイヴィ達3人が来ることも彼女の家族は承知済みだ。とはいえ、今は龍美の姉も兄も不在なので、両親しかいなかったが。
「お帰り。お疲れさま」
 龍美をちょっと大人っぽくした美人が迎えてくれた。
「叔母さん、お久しぶりです」
 晶が頭を下げるのを、彼女ーーーー龍美の母、美亜は明るく笑って、
「まあまあ、固い挨拶は抜きにして! お入りなさいな。自分の家だと思っていいのよ」
「じゃあ、お邪魔します」
「私は仕事に行くわ。大ニューズだもんね」
 龍美が出ていこうとするのを、
「お待ちなさい、龍美。朝御飯ぐらい食べてらっしゃい」
 美亜が止めた。
「いいわよ。急ぐんだから」
「だめ! 育ち盛りの女の子なんだからね、あんたは。朝食を抜くのは一番身体に悪いの」
 デイヴィも晶も玲人も、この親子のやり取りを懐かしい気持ちで眺めた。今は亡き自分達の母を思い出したのだ。
「…はーい」
 龍美は渋々答えた。
「じゃ、手伝ってね」
「えーっ! ーーーー最初っから、それが目的だったのね!」
「判ればいいのよ。ーーーーあ、皆さん、ゆっくり休んでてね」
「はあ、どうも」
 美亜はにっこり笑うと、龍美を引っ張ってキッチンへ消えた。
 
 朝食は美味しかった。
 龍美は張り切って職場へ出掛けていき、デイヴィ達は睡眠を取った。さすがに疲れていたので、翌日の朝まで眠ってしまった。
「おはよう」
 3人が居間に入ってきたのを見て、龍美の父の龍一が声を掛けた。ソファで新聞を広げている。
「あ、叔父さん。おはようございます」
 晶が頭を下げて挨拶した。
「まあ、座りなさい。ーーーー良く眠れたようだね」
「ええ。おかげでお腹が減りました」
 晶の答に、龍一は楽しそうに笑った。
「それにしても、何年振りかな。最後に会ったのは…」
「母が亡くなったときでした。あのときは色々お世話になりました。その後はご無沙汰してしまって…」
 龍一は時折、飢饉に喘いでいるサヴィナに、食料などを送ってくれていた。それでサヴィナの国民は命を繋いだ。晶の母が亡くなったのは、弱っていたところに、夫の死が与えたショックが大きかったせいもあった。
「てことは、7年か…」
 龍一は目を細めて晶を眺めて、
「お母さんの美由さんにそっくりになってきたな」
「よく言われます」
 晶はちょっと照れたように笑った。
「玲人君も大きくなったね。最後に会った時はまだほんの子供だったのに…。いつも2人で、家の子供達と遊んでくれてたっけな」
「そうでしたね」
 玲人が懐かしげに頷く。
「それとデイヴィ君。晶がお世話になってるようだね。噂はいろいろ聴いてるよ。若いのに大したものだ」
「いやあ、それほどでも」
 デイヴィは頭を掻いた。
「昨日の夕刊なんて凄いよ。読んでごらん」
 龍一は、テーブルに畳んである新聞を指した。
「龍美の記事だよ。なかなかよく書けてるだろう?」
 と、嬉しそうな口調はやはり父親だ。
 3人は自分達の顔が大きく描かれている記事を、少し面映ゆい気持ちで読んだ。一昨日のことがまるで見てきたように書かれている。3人の話を聴いただけでここまで正確に事実を書き上げるところなど、確かに龍美は一流の記者と言えるだろう。
「で、朝刊には世界の人達の反応が書いてある」
 龍一はテーブルに朝刊を広げた。
「9割近くの人々が、今回の君達の活躍を喜んでるよ。残りは、戦争で儲けを狙っていた武器商人とか、皇帝に傾倒していた若者達とか、フリーランサーとか…。ま、彼らの言うことなど気にすることはないさ。事実、あるフリーランサーは、『自分の力が使われるのは嬉しいけど、本当はそんな機会はない方がいいんだ』って言ってるしね」
「本当にその通りです」
 晶は茫洋と同意した。
 それに、各国間の諍いはなくなったが、世界には未だモンスターが出没する。フリーランサーの需要はまだまだ高い。
「あ、おはよう。調子はどう?」
 キッチンから、美亜が顔を出した。
「おかげさまで、絶好調です」
 デイヴィが答える。
「そう、良かったわ。朝食もすぐできるから」
 美亜は優しく言って、キッチンに戻りかけたが、
「そうそう、手紙来てたわよ。デイヴィ宛に」
 エプロンのポケットから、封書を出してデイヴィに差し出した。
「すいません。ありがとうございます」
 デイヴィは受け取って、差出人を見た。
「ジョイルからだ」
 封を開けて手紙を読む。
「ーーーーここに来るそうです」
 と、デイヴィは龍一に告げた。
「ジョイルーーーーって、ファルーヤのジョイルラード王子だね? 君達がここにいるって、どうして知ってたんだろう」
 龍一が首を傾げた。
「ああ、新聞社に問い合わせたそうです」
「なるほど。ーーーーで、ここに来るって?」
「ええ。構いませんか?」
「それは勿論構わないが…」
 龍一の言葉に被せて、
「あら、王子様が家にいらっしゃるの? 大変! 大掃除しなくちゃ」
 美亜が手を叩いて、
「そうと決まれば、すぐにご飯を食べてちょうだいな」
 皆をダイニングに追い立てようとする。
「まだ出来てないんじゃなかったか?」
 龍一が突っ込むと、
「あら、そうだったわ。後10分待ってね」
 美亜は気にした風もなく明るく笑って、キッチンへと戻っていった。
「まったく、あいつは」
 龍一が苦笑する。
「お変わりないようで、安心しました」
 晶はのんびりと微笑んだ。


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