その晩、デイヴィ、晶、そして玲人はそのまま海上警備隊の宿舎に泊めさせてもらった。晶と玲人が使っていた部屋が当時のまま残されていたので、そこを使わせてもらう。 翌朝早く、隊長を始めとする警備隊の面々に礼を言って、3人は事務所を出た。港の商店で食材やテント(耐モンスター仕様)などを購入する。山頂で一泊しないといけないからだ。それに晶はサヴィナ城の料理人も兼務しているので、帰ったら久々に腕を振るいたい、と考えていた。 それから、3人はサヴィナへ続く道を進み始めた。街中から外れた道だし、おまけに早朝だったので、彼ら以外に人影はなかった。あまり騒がれたくない彼らにとって、実に好都合だ。 別に悪いことをしたわけじゃなし、むしろ世間的には英雄なのだから堂々と凱旋すればいいのに、見かけに寄らず謙虚なトリオであった。 サヴィナからランシュークに行く人はいるが、その逆は全くといっていいほどいない。それほどサヴィナには何もないのだ。 「でも、その内観光名所になるかもな。『《キラーパンサー》と《紅蓮の雷》の故郷!』とかいって」 デイヴィの言葉に、晶も玲人も可愛い顔を顰めた。 「やだなあ。サヴィナは静かだからサヴィナなのに」 「今のままじゃ駄目だな。何もないし」 口々に言うが、どうやら心配の内容はそれぞれ違うようだ。 「何もないからいいんじゃないか」 と、晶。 「でも、それじゃあ、観光客は満足しないよ」 玲人が反論する。 「観光客なんて呼ばなくていいってば」 「呼ばなくたって、押しかけてくるのが観光客なの」 「いっそ規制したら」 「せっかく発展するチャンスなのに?」 「だから、発展しなくていいって」 「観光地になればいやでも発展するさ」 「ならなくていいよ、観光地なんて。せっかくの自然が汚れる」 晶は意外と保守的なようだ。 「でも、いいことだってあるよ。国も豊かになるし、国民の生活だって向上する」 玲人は利益を追求するタイプらしい。 「それが幸せとは限らないじゃないか」 晶がのんびりと鋭い意見を言った。 「それはそうだけど…」 玲人が口ごもる。 「ーーーーおい、2人とも落ち着けよ」 デイヴィはようやっと口を挟めた。 「別に、物を造ることだけが能じゃねえだろ」 2人がデイヴィを見る。 「だからさ、風光明媚な自然を売り物にして、観光客が落とした金はその維持費に回すんだよ。今時あんな“いな”ーーーーいや、自然が残ってる国なんて滅多にねえから、それだけでも人は入るぜ」 この賢明な意見に、晶も玲人も感心した。 「確かに、あんな“いなか”はサヴィナかファルーヤだけだもんね」 晶が涼しい顔で言う。デイヴィは、こいつめ、と思ったが、先に田舎呼ばわりしたのは自分なので、仕方なく黙っていた。 「まあ、産まれた時から親しんできた景色が変わるのは、やっぱり嫌だしね」 玲人も納得した様子。 「大体、行くまでに山一つ越えなきゃなんねえ観光地なんて、不便すぎて敬遠されるのがオチだろうな」 デイヴィは山登りにいい加減うんざりしているらしい。実感がこもった口調だった。 山の上で一泊し、やっと昼に、サヴィナの門の前に着いた。今は開け放たれているが、夜は閉められる。山からモンスターが入ってこないようにするためだ。昼にもモンスターは出没するが、数は多くない。だから昼は門番を置いて防いでいる。 たまに、門を開けた途端、夜から門の前で待ち構えていたモンスターが襲ってくることがあって、なかなか油断できない仕事である。 「晶! ーーーー玲人!」 若い門番が声を上げる。 「お疲れさま、エリック。変わりない?」 晶が微笑んだ。 「ああ。みんな以前と同様、平和に暮らしてる」 エリックは答えて、 「それにしても、玲人、良く戻ってきたな! いきなりいなくなったりして、みんな心配してたんだぞ」 「…ごめん」 玲人は頭を下げた。 「おれに謝ってもらってもな」 エリックは意味ありげにニヤリと笑って、 「それより、真先に謝るべき人がいるんじゃないか? え?」 玲人はきょとんとして、 「誰に? ーーーーあ、王様に?」 「王様もそうだけどさ」 エリックは呆れ顔で呟き、晶に目をやった。 「晶、こいつ全っ然解ってないのな。おれ達のアイドルの心を奪っといて」 「僕は別に…」 慌てて弁解する玲人に、 「まったくね」 被せるように晶は言って、 「じゃ、そのアイドルに挨拶に行こうか。ーーーーついでに、王様にも」 「よし。そろそろ交替が来るはずだから、一緒に乗っていこう」 エリックが町の方を振り向いて、遠くに目をやった。 「ーーーーお、来た来た」 言葉通り、馬車がやって来た。 「晶! 玲人! 戻ったのか!」 馬車の上から、交替の門番が呼びかけてきた。 「カイン、元気そうだね」 晶が笑顔で手を振る。 「おう、おまえもな」 カインは馬車から降りて、 「大活躍だったじゃないか! みんな、自分のことみたいに喜んでるぜ」 「そうそう、新聞を見て驚いたよ。まさか玲人までが、晶やデイヴィと一緒になって帝国と戦ったなんて」 エリックが言葉を繋いだ。 「でも、それで、玲人が戻ってくるんじゃないかって、みんな期待してたんだ」 「そうだよ。玲人がいなくなって、晶までデイヴィに連れてかれちまって…。おかげで国中が暗いのなんのって」 カインはちょっと恨みがましい目でデイヴィを睨んだが、顔は笑っている。 「そりゃ悪かったな」 デイヴィは苦笑しつつ、肩を竦めた。 「でも、まあ、またその可愛い顔が見られたからいいや」 カインは調子良く言って、 「ーーーーもう、どこにも行かないんだろ?」 「うん」 玲人が頷き、 「ぼくは、またデイヴィと一緒に旅に出る」 晶は笑って答える。 「なんだー。ーーーーでも、暫くはいるんだろ?」 今度はエリックが尋ねる。 「うん…。ーーーーねえ、師父は戻ってきたんだよね?」 晶はいきなり思いがけないことを言った。 「師父? ーーーーああ、おまえ達が旅立った日に、入れ違いにな。お陰で、オレもこうして元気になったんだ」 カインが答えてから、戸惑い気味に、 「でも、どうしてだ?」 「うん、ちょっとね」 晶は曖昧に答えた。 「ま、いいや。ーーーーそれより、早く王様に会いに行こう」 エリックは自分の馬車に乗って、荷物を隅に寄せると、 「さ、狭いけど乗った乗った」 「ほんとに狭いな」 デイヴィが茶化しながら乗り込む。 「大きなお世話だよ。…晶、デイヴィはいつもこうなのか?」 エリックは苦い顔をした。勿論、本気で怒ったのではないことは、大げさすぎる表情から判る。いかにも作り顔だ。 「女性には優しいんだけど。ーーーーあと、ぼくにも」 晶が平気な顔で、さり気なく惚気る。 「あーあー、御馳走さま」 カインが笑って、 「オレだって、おまえになら優しくしてやるけど?」 「それはどうも」 晶は意味が判っているのかいないのか、いつもの長閑な笑顔を見せた。これでは、デイヴィも焼き餅を妬くわけにはいかない。 「じゃ、カイン、後は頼むぜ」 エリックが馬に鞭を当てた。 「頑張って」 「しっかりね」 「居眠りすんなよ」 3人も口々に応援(?)する。 「おー、任せとけ!」 力強く敬礼するカインを残して、4人は町に入っていった。 馬車はメインストリートを進む。当然人が多い。 「あ、晶!」 「玲人もいる! 戻ってきたんだ!」 「あれはデイヴィじゃないか? 綺麗だな!」 等々、町中の人が注目する。中には、拍手したり、万歳する者まで出てくる始末。 「早く着かないかな」 という晶の言葉は、いつになく実感がこもっている。 「なんだ、手でも振ってやれよ」 既に実行しているデイヴィが、晶の手を取ってひらひらとやった。 あちこちから黄色い声が上がる。手を振ったことよりも、2人の仲のいい姿に喜んでいるらしい。 「ちょっと恥ずかしいな」 玲人が呆れたように呟く。町の人の騒ぎのことか、それともデイヴィと晶に対してか。 「仕方ないって! なんていっても、ヒーローなんだからな、3人とも」 エリックが楽しそうに笑った。 「もっと偉そうにしたっていいんだぜ」 「そんな。謙虚だから、ぼく達」 自分でこう言うのも、晶らしいところだ。 そうこうしている内に、城門が見えてきた。 「おお、勇者様達のお戻りですな!」 2人の門兵が揃って敬礼する。その横を通って、馬車は城の入口まで走っていった。 「ーーーーじゃ、後でな」 「うん、ありがとう」 馬車を厩に運ぶエリックにお礼をいって、デイヴィ、晶、玲人の3人は城の中へ入っていった。 王のいる間まで行く間に、何人かの兵士や侍女などとすれ違ったが、皆一様に彼らを笑顔で迎えてくれた。王の間の入口に立つ兵士も同様だった。 「ーーーー王様は?」 少し会話をしてから、晶が訊いた。 「勿論、この時を予想して、心待ちになさっておいでだ」 兵士が扉を開ける。3人は中に進んだ。 「おお! 晶、ーーーーそれに、玲人!」 その姿を認めて、王は玉座から立ち上がった。 「王様、只今戻りました」 晶が言って、3人一緒に頭を下げる。 王は何度も頷いて、 「本当に良くやってくれた。おかげで世界は平和になった」 「いや、大したことじゃありません」 デイヴィはいつもの癖で、ちょっと照れ気味に応えた。 「いや、充分に大したことだ」 王は破顔一笑して、3人を温かい目で見つめた。その視線が玲人に留まる。 「ーーーーそれに、玲人よ。よく戻ってきてくれた。帝国との戦いでいなくなってしまったから、てっきり捕まってしまったのかと思っていたのだが…。まあ、こうして無事な姿を見られて良かった」 「…ご心配をおかけしました」 玲人は神妙な顔で言った。 「まったくだ」 王は、悪戯っ子を諌める父親のような口調で、 「皆、寂しがっていたぞ。特に、アイリンなぞはーーーー」 その時、後ろで軽い音がして、全員振り向いた。そこには一人の少女が立ちすくんでいた。足元に、摘んだばかりの花が広がっている。 「ーーーー姫…」 玲人が戸惑い気味に呟く。 「…玲人…」 アイリン姫は駆け寄り、玲人に抱きついた。 「ーーーーお帰りなさい」 その声には、紛れもなくある感情ーーーー恋い慕う想いがこもっていた。 玲人は暫く困惑していたが、やがてアイリンの背中に腕を回す。 「姫、ーーーー僕は…」 「何も言わなくていいわ…」 アイリンは優しく玲人を見上げた。 「姫…」 2人の唇が軽く触れ合った。 少し待って、王は大きく咳払いした。娘の気持ちを考えると嬉しいことなのだが、父親としてはやはり複雑な気分だ。勿論、玲人に不満があるわけではない。 玲人とアイリンは離れた。2人とも顔が紅い。 「よかったですね、王様。立派な跡取りが見つかって」 デイヴィが冷やかし気味に言う。 「う…。ま、まあな…」 王は額の汗を拭った。 晶は落ちている花を拾ってまとめなおすと、アイリンに差し出して、 「姫、おめでとうございます」 春の如く微笑んだ。 「ありがとう、晶」 アイリンは嬉しげに笑って、花束を受け取った。 玲人が晶を見る。晶は、ほら、言った通りだろ? というように、ウィンクした。玲人が微かに頷く。 「と、とにかく、世界の平和と英雄達の帰還を祝って、国を挙げて祭を行おう。ーーーー早速皆に知らせてくれ」 王は控えている兵士に指示した。 「はっ」 兵士が一礼して出ていく。 「じゃあ、早速お料理を作らなきゃ」 アイリンが楽しそうに言う。 「姫、ぼくがやりますから。そのつもりで色々買い込んできましたし。姫は玲人と話でもしてーーーー」 「だめよ。晶こそ、帰ってきたばかりで疲れてるんだから、休んでてちょうだい」 「別に疲れてませんから」 「でもーーーー」 「…解りました。じゃあ」 晶はアイリンと玲人を交互に見て、 「3人で作りましょうか」 「そうね。いいアイディアだわ」 「久しぶりだね」 2人が即座に同意する。 「じゃあ、そういうことで」 晶がのんびり微笑んで、 「デイヴィはーーーー」 「俺に、手伝え、なんて言うなよ」 デイヴィは肩を竦めた。 「喰い物も、喰えねえ物になっちまうからな。ーーーーいい天気だし、散歩でもしてるさ」 「じゃあ、夜にね」 と、いうわけで、晶と玲人とアイリンはキッチンに行き、デイヴィは外へ向かって歩いていった。 街中をぶらぶらしているデイヴィを、国民達は優しい目で見守っていた。サヴィナでは、デイヴィはツェザーニャを追い払ってくれたヒーローである。だが、サヴィナの人々は慎ましく控えめで、他人の気持ちを慮る性質だった。ヒーローだからといってうるさく煩わすようなことはしない。デイヴィにとってはありがたかった。 中心の公園は美しかった。緑の芝生の上には、仲睦まじい家族連れや、リスや鳩に餌をやっている老人と子供、彼女の膝枕でのんびり寝っ転がっているカップルなど、皆、思い思いに過ごしている。 デイヴィも自分の腕を枕に、芝生の上に横になった。ゆっくり流れる雲を眺めながら、最初にこの国に来た時にはとてもこんな風にできなかったな、と考えた。 新聞記事を見て晶に一目惚れして、結局こんな田舎までやって来た。デイヴィは直感で行動するタイプで、今までその直感は外れたことがなかった。事実、晶はデイヴィの心をがっちりと捕らえてしまった。なんでこんなに惹かれるのだろう。可愛い顔か? 確かに好みの顔だが、それだけでここまで夢中になれるとは思えない。あののんびりした性格か? 穏やかで優しいが、優柔不断なところは全くない。自ら行動するところも好もしい。 ただ、顔でも性格でも、デイヴィが今まで出会ってきた中には、少なからず似たようなタイプの女性がいた。その誰にも、晶に対するのと同じ気持ちを、デイヴィは抱いたことがない。元々男は対象外だった。 何故晶なのか。そもそも、誰かを愛するという感情は、どこから生まれてくるのだろうか。 ーーーーと、ここまで考えて、デイヴィは面倒くさくなった。そんな小難しい疑問は、哲学者にでも任せておけばいい。好きなものは好き。それで充分だ。 爽やかな風を感じながら、デイヴィは目を閉じた。 ーーーー唇に微かな圧力を感じて、デイヴィは目を開けた。 「あ、起きた」 楽しそうな声がして、晶の笑顔が視界に入ってきた。 「…寝ちまってたのか」 いつの間にか寝てしまったらしい。デイヴィは起き上がった。低血圧だから、ゆっくり起きないとクラクラする。辺りを見回して、太陽が西に傾きはじめているのに気付いた。背の高いポプラの間から、薄いオレンジの光が長く伸びている。雲が柔らかなバラ色に輝いて染まっている。東の空には白い月が淡く浮き出ていた。 「みんな集まってる。主役が来ないと始まらないよ」 晶はのんびり笑って、 「いつまで経っても戻ってこないから、迷子になってるのかと思ったけど」 「こんな小さな国で、迷子になるわけねえだろ」 デイヴィは言ってやった。 英雄達が戻ってきたため、国中がお祭ムードだ。こんな時サヴィナは無礼講になって、城を祭場として開放するので、国民が自由に出入りして大騒ぎを繰り広げるのだった。 幾つもの丸いテーブルに、晶達が作ったものはもちろん、国民達が持ち寄った様々な料理も並び、この時とばかりに上等のワインが開けられる。大人も子供も踊ったり歌ったりして、陽気に楽しんでいた。 デイヴィはまずお腹を一杯にして、それからレディ達とダンスを楽しんでいたが、さすがにちょっと疲れたので、中庭を見渡すテラスに出た。開け放たれた窓から少し端の方に行くと、音楽も人の声も水の壁を隔てたように遠ざかる。デイヴィは手にしたワインを呑んで、手すりに腕を乗せた。 中庭の方から玲人が歩いてきた。姿が見えないと思ったら、こんな所で休んでいたらしい。 「あ、デイヴィ」 「よお。ーーーーいい月だな」 「そうだね」 玲人はなんとなくデイヴィの隣に立った。少し距離を置いていたが。 「…おまえ、なんでサヴィナを出たんだ?」 デイヴィは、ずっと気になっていたことを訊いた。 「姫や晶だっているのに…。ーーーーそれに、おまえ、晶が好きなんだろ?」 玲人は横目でデイヴィを見ながら、 「うん、…って言ったら斬る?」 「まさか」 デイヴィは笑って首を振った。さすがに、彼も少しは“大人”になったようだ。 「…俺は最初、晶ばかりが有名になるのが面白くなくて、おまえは国を出たんだと思ってた。でも、それにしちゃ、晶に対する態度がおかしかったしな」 玲人はちょっと首を傾げて、 「晶を恨んだり嫌ったり出来る人間なんて、この世界にはいないんじゃないかな」 「…まあ、そうだよな」 「ーーーー僕は強くなりたかったんだ」 玲人は月を見上げて言った。 「強くなって、晶に認めて貰いたかった。僕はいつまで経っても晶の弟だったからね」 「晶はちゃんとおまえを認めてるぜ。前におまえのことを、『国じゃ自分とどっちが強いかっていうぐらい』だって言ってたからな」 デイヴィは教えてやった。黙ってようかな、とも一瞬思ったが、そんな度量の狭いことはしたくない。 「本当に?」 玲人は予想以上に嬉しそうだった。 「それを聞いて、生きてた甲斐があった」 「大げさだな」 デイヴィは苦笑した。 「こんなこと言うとあんたは気に喰わないかもしれないけど、僕にとって晶は総てだったんだ。子供の頃からーーーー両親が死んだ時から、晶はただ1人の僕の家族だった」 玲人はちょっと挑むようにデイヴィを見て、 「だから、晶があんたと組んだって聴いた時は、凄く悔しかったよ。本当なら晶と一緒にいるのは僕のはずだったのに、って思ってね」 「ーーーー俺を斬りたいくらいにか?」 デイヴィが訊く。玲人はちょっと間を空けて、 「最初はそう思ってたけど、もういいや。あんた、いい人だし、晶は本当にあんたを愛してるみたいだしね」 正直に答えた。 「姫もいるし、な」 デイヴィがからかうと、玲人は紅くなった。 「ーーーー私が、なに?」 噂のアイリンが現れた。 「主役の内の2人もいなくなって、みんな寂しがってるわよ」 「今行きます」 デイヴィは答えて、 「玲人、ぼーっとしてないで、姫をエスコートしてやれよ」 「…え? あ、そ、そうだね」 剣の腕は一流でも、女性の扱いは慣れていないらしい。玲人はさらに真っ赤になって、 「姫、じゃあ、あの、…」 「腕を出すんだよ」 デイヴィは小声で教えて、玲人の肘を引っ張った。 アイリンはクスッと笑うと、そこに自分の腕を通して、 「じゃあ、行きましょう、玲人」 「は、はい」 2人は歩きだした。その後ろ姿を見たデイヴィは、 「あれじゃあ、エスコートっていうより、(玲人が)連行されてるみたいだな」 と呟いて、自分も広間に戻る。 「デイヴィ」 晶が寄ってきた。 「もう部屋に戻っちゃったのかと思ってた」 「おまえを置いてくわけねえだろ?」 デイヴィは晶を優しく見つめて、 「ーーーー踊ろうぜ」 晶の腰に手を回して、軽やかに踊りだす。 晶はデイヴィを見上げた。静かで穏やかな紅茶色の瞳。魂までもを相手に委ねた、安らいだ瞳だ。 デイヴィは晶に微笑みかけた。あの夜も、晶は同じ瞳でデイヴィを見つめていた。ーーーーあの、初めての夜にも。 晶の瞳に、全く不安な様子はなかった。あるのは静寂ーーーー引き込まれそうなほど安らいだ瞳だった。 もしかして慣れてるんだろうか、とデイヴィは思ったが、続けていくうちにそれは思い違いだと判った。晶の所作はぎこちなく固かった。未経験の相手は、デイヴィも初めてだった。男となると言わずもがなだ。余裕がないのはデイヴィも晶も同じくらいだったろう。デイヴィは出来るだけ時間をかけたが、それでも晶はかなり苦しかったようだ。 「ーーーー大丈夫か?」 想いを遂げた後にデイヴィが優しく訊くと、晶は掠れた声で、 「…ん…」 と頷いて、デイヴィにぎゅ、としがみついてきた。 そのしなやかな身体を抱き締め、ハリのある髪を撫でているうち、デイヴィは心が充たされていくのを感じていた。腕の中の存在がとても愛おしく思える。 自分の胸に押し当てられている晶の頬に、デイヴィは手を添えて仰向かせた。薄暗い中にも、あの不思議な瞳は輝いていた。安堵と信頼と愛情。それが総てだった。 デイヴィは晶に口付けた。その身体を腕にくるみ込んだまま、安らいだ眠りへと誘われていった。 日付が変わって、宴はお開きになった。皆で協力して後片づけを済ませた後、国民達は自分達の家に帰っていき、城の者達もそれぞれの部屋に引き上げた。 デイヴィと晶は、あの客間に入った。 「ーーーーあー、踊りすぎたぜ!」 デイヴィは、ベッドに飛び込まんばかりに身を投げ出した。晶は笑いながらデイヴィの顔を覗き込んで、 「デイヴィってすぐベッドに転がるけど、疲れやすいの? やっぱり歳だから?」 「…誰が歳だって?」 デイヴィが晶の腕を捕らえて引っ張ったため、晶はデイヴィの胸の上に倒れ込んだ。 「あ、ちょっと…」 晶はそこまでしか言えなかった。頭を引き寄せられ、唇を塞がれたからである。数分後やっと解放された晶は、息を吐いてデイヴィの胸に頭を乗せた。 「ーーーーこの部屋、懐かしいな。覚えてる?」 「ああ。勿論だ」 デイヴィは答えた。覚えてるも何も、さっき踊りながら思い出していたところだ。 「今更なんだけど、晶、おまえ、ーーーー初めてだったんだよな?」 晶の頬が、さっと染まった。 「…本当に、何を今更」 可愛らしくデイヴィを睨む。 「いや、ーーーーあのとき、随分落ち着いてたな、と思ってさ」 デイヴィは晶の頬を撫でながら、 「怖くなかったのか?」 「だって、デイヴィだったから」 晶は即答した。 「怖いことなんてない」 「…そうか」 「それに…」 晶が少し考え込むような口調で続けた。 「あのとき、”元に戻った”って感じたんだ。これが”本当”なんだって」 「ーーーーああ…」 晶の言葉を聞いて、デイヴィも思い出した。 「俺も…、…思ったよ。やっと”取り戻した”ってな」 デイヴィもやっと答を見つけた。魂同士が惹かれ合ったのだ。手袋や靴が、一つ一つはちゃんと形があって独立した物だが二つ一組じゃないと意味がないのと同じように、元々一組の2人だったのだ。だから戸惑いもなかった。あるのは幸せな気持ちだけだ。 「やっぱり”そう”だったんだ」 「間違いなかったな」 2人は目を合わせて微笑み合った。 「ーーーーねえ、あの時から随分経った気がするけど、実際は半年も経ってないんだよね」 「ああ、そうだな」 「いろいろあったし」 「まったくな」 「でも、やっぱり、デイヴィに逢えてよかった」 晶は体を起こしてデイヴィを見下ろした。 「デイヴィは?」 デイヴィは答える代わりに、再び晶の頭を抱き寄せた。 翌朝、目を覚ましたデイヴィと晶は、支度を整えて食堂に向かった。 デイヴィはふと思い出したことがあった。 「晶、そういえばおまえ、昨日変なこと言ってなかったか?」 「え? 変なこと? ーーーーって?」 「シフが帰ってきてるかとか」 「え? …ああ、そのことか」 確かに、晶の中ではある思惑があって口にしたことだったが、それを知るよしもないデイヴィにとっては『変なこと』になるのだろう。 「ーーーーシフって、前におまえが言ってた魔導師のことか?」 デイヴィは尋ねた。サヴィナを発つ前、デイヴィは晶に、ツェザーニャとの戦いで怪我をした兵士達が回復するまでサヴィナに滞在しようか、と提案したのだが、晶は、すぐに魔導師が帰ってくるから大丈夫、と答えた。デイヴィはそれを思い出したのだ。 晶は頷いた。 「うん、そう。本当はちゃんとした名前があるんだけど、みんなただ『師父』って呼んでるんだ」 「そういえば、あのとき山道で行き会うかと思ってたんだけど、結局会わなかったな。ちょっと帰りが遅くなったのか?」 とデイヴィは言ったが、考え直して、 「…いや、昨日カインが言ってたな。俺達と入れ違いで帰ってきたって。ーーーーなんで会わなかったんだろうな?」 と首を傾げる。 対して、晶の答はなんとも奇抜なものだった。 「ああ、だって、師父は雲に乗るから」 「ーーーーなんだって?」 デイヴィは思わず訊き返した。 「雲。空に浮かんでる」 晶はのんびりと答える。 「それは知ってる。ーーーー俺が言いたいのは、人間が雲に乗れるわけねえだろ、ってことだ」 「ああ、…師父は仙人だから」 「センニン?」 デイヴィは眉を寄せた。 「あー、つまり、俗世との関わりを絶って山にこもってる人のこと」 晶の答えに、デイヴィは解ったような解らないような、なんとも複雑な顔をした。 「センニンだと、雲に乗れるのか?」 「世俗の垢にまみれてないからね。煩悩とかを捨てると、軽くなるんだって」 「……………」 魔法や、鳥や、有翼のモンスターを使って空を飛ぶなら解るが、水蒸気の塊にしか過ぎず、固体でない雲に乗るなど、実際に見てみるまで信じがたい。 「あ、信じてない顔」 晶が楽しそうに笑って、 「実際に見せてもらうといいよ」 「そうしよう」 デイヴィは真剣に頷いた。 「ーーーーそれで、そのシフさんは、山にこもって一体何をしてるんだ?」 「修行だよ。魔導を究めるための」 「魔道?」 「違う。魔導。魔法の極意のこと。なにせ、『フル』だから」 「なるほど…」 その辺は、デイヴィにも理解できた。『フル』は、100年に1人と言われるほどの逸材だ。それ程の魔力の持ち主なら、魔法を究めたいと思うのは当然だろう。 「でも、おまえ、そんな人物になんの用があるんだ?」 「うん。やっぱり、回復魔法ぐらい使えないと駄目だと思って」 晶はいつになく厳しい顔で答えた。 「おまえ、それだけ魔力があるのか。なんで、魔導師にならなかったんだ?」 当然のデイヴィの問いに、 「呪文を覚えるのが面倒くさかったから」 晶は、世の魔術師が聴いたら怒髪天を衝くようなことを言いだした。 確かに、魔法は複雑な発音と言葉の羅列からなる詠唱がある。初期魔法なら、発動呪文ーーーーたとえば火魔法は『イフルス』、水魔法なら『ネイレス』だけで発動できる。 だが、中・上級魔法となるとそうはいかない。詠唱してから発動させなくてはならない。その詠唱呪文を一語でも間違えたり、またほんの僅かでも発音が違えば、全く発動しない。なので、晶の言い分も解らないではない。 ただ、『魔力が高いなら魔法を覚えよう』が、世の常識だ。まして、回復魔法が覚えられるほどの魔力の持ち主は世界でも10人いるかどうか、というほどなのだ。だから、魔導師になるほど魔力があると判明した場合、本人の気持ちよりまず周囲が騒ぎ出すものだ。魔術師だって、魔導師になれない己が魔力の足りなさを日々嘆いたりしている。ーーーー一応、魔力を高める装備品もあるが、それなりに値が張るし、なによりプライドが傷つくのだ。 魔力が全くない『ゼロ』であるデイヴィでも、そのくらいのことは知っている。だから、少々呆れた口調で、 「面倒って、おまえ…。…周りはそれで納得してくれたのか?」 まあ、そんな理由も、晶らしいと言えば言えるのだが…。 「勿体ない、とは言われたけど。でも、ここには既に師父がいたから、別にいいか、ってことになったんだ」 「そういうもんかね」 魔導師は幾らいてもいいと思うのだが、それで納得するサヴィナの人々も、やはり平和な土地柄だけあって、かなりのんびりしているのだろう。 「ーーーーなのに、どうして今更覚えようと思ったんだ?」 「うん。ずっと後悔してたんだ。ぼくが回復魔法を覚えていれば、ツェザーニャが攻めてきたときに、みんなを助けられたはずだって」 「…それは…、仕方ねえさ。予想外だったろ、あんなこと」 デイヴィが優しい口調で慰める。 「うん…。師父がいなくて、玲人もいなくて、そんなタイミングで攻め込まれるなんて思ってもみなかった。ーーーーそもそも、どこかが攻めてくるなんてこと自体、考えたこともなかったんだ」 晶はデイヴィを見た。 「遅かったかも知れないけど、遅過ぎってことはないと思う。だって、デイヴィだって…、いつまたアベル将軍のときみたいなことがあるか解らないし」 茫洋とした口調の中に悔しさが滲んでいる。あの件は、晶にとって相当辛い出来事だったようだ。 そんな晶の心情を酌み取ったデイヴィは、 「俺なら大丈夫さ。あれは、かなり特殊なケースだっただろ」 わざと軽い調子で言った。だが、 「そうかな」 晶は食い下がってきた。 「そうかな、って、なんだよ」 「デイヴィ、けっこう向こう見ずだから」 「…人のこと言えるのか、おまえ」 「だから、回復魔法の1つでも覚えようかな、って言ってるんだってば」 晶が珍しくムキになって言い返す。 ーーーー呪文を唱えてる時間があったら、その間に敵を倒した方が早いんじゃねえか、とデイヴィは無謀にも言いそうになったが、その前に、晶がデイヴィの顔を覗き込んで、 「それにやっぱり、デイヴィの怪我はぼくが治してあげたいもんね」 可愛い笑顔で言う。その笑顔と台詞を無駄にすることは、デイヴィには勿論、他の誰にも出来ない筈だ。 「そうか。…サンキュー」 やっと晶の真意が解ったデイヴィは、彼の頭を抱き寄せて自分の頭をすり寄せた。他人が見たら、恥ずかしくて見ちゃいらんない、ってとこだ。 「ーーーーまったく、恥ずかしくて見てらんないね」 「ほんと、ほんと」 「朝っぱらから、廊下でいちゃいちゃと」 後ろから声がして、デイヴィと晶は振り向いた。玲人、エリック、カインがにやにやと立っていた。 「あ、おはよう」 晶は慌てずのんびりと言った。ずれた反応だが、照れ隠しや誤魔化しにわざとしたのではなく、正真正銘の天然ボケだ。これこそ晶なのだ。からかった3人も承知してるから、 「おはよう」 と笑って答えた。 「ーーーー仲いいんだな。独り者には目の毒だぜ」 からかい足りないのか、カインが話を元に戻す。 「なんだ、カイン、まだ恋人いないの?」 晶が、他の誰かが口にしたら言われた相手が傷つきかねないことを、さらりと言った。 「彼女も彼氏もいないよ」 カインはからっと笑って、 「だって、オレの心は昔から晶だけだからさ」 「じゃあ、一生独りだろうな」 デイヴィが間を置かずに突っ込む。 「大きなお世話だっ」 カインは大げさにデイヴィを睨み付け、それから皆で一斉に大笑いした。 テーブルに美味しそうな料理が並ぶ。それを平らげながら、 「また山登りするのか」 デイヴィは感心しない様子で言った。 「仕方ないよ。師父は山にこもってるんだから」 晶は肩を竦めて、 「デイヴィ、いやならここで待ってて。ぼく独りででも行ってくる」 こう言われて、デイヴィが従う筈もない。珍しく決然としていながらどこか寂しい口調なら尚更だ。反論しようと口を開きかけた時、 「あんな山に独りでか? 晶、いくらおまえだって危ないぜ。オレがついてってやるよ」 カインが口を挟んだ。 「駄目駄目、カインは仕事があるだろ」 エリックが横目でカインを睨んで、 「晶、おれ、今日非番だから、付き合うよ」 「なんだよエリック、彼女とデートだって言ってたじゃないか」 玲人が身を乗り出す。 「僕が一緒に行ってあげる、晶」 「こら、玲人! いなかった分の仕事が溜まってるんだぞ」 カインが玲人の肩を掴んで、椅子に引き戻した。 「おまえら、いい加減にしろよ」 デイヴィは、彼らに何を言っても無駄だと悟っていたので、半ば諦めた口調で、 「誰も行かねえなんて言ってねえだろうが」 「ほんと?!」 思いがけず、晶が嬉しそうに、 「デイヴィ、一緒に行ってくれるの? よかった!」 胸を撫で下ろしている。 「なんだ、大げさだな」 他の3人の、肌を貫く痛い視線を感じつつ、デイヴィは言った。 「だって、あの山ーーーー」 晶は言いかけて、 「いや、なんでもない」 と首を振る。 「なんだよ?」 「行ったら解るから。それまでは…、言いたくない」 晶は目に見えて不安そうだった。こんな晶は初めて見るので、デイヴィはさすがに面食らい、自分も不安になった。答を求めるように他の3人を見たが、彼らも3人の中で顔を見合わせるばかりで、デイヴィと目を合わせようとはしなかった。 ーーーー一体、何があるっていうんだ、その山に。 デイヴィは黒い雲で心が覆われるのを感じつつも、その食欲が衰えることもなく、結局いつも通りの量を腹に納めたのだった。 デイヴィと晶は一旦部屋に戻った。山に行く支度をするためだ。 ーーーーそんなに物騒な山なのかな。 鎧に着替えながら、デイヴィは考えた。武装するのはまだいいとして、普段滅多に使わない薬草まで持っていく、と晶が言いだしたのだ。今まで持っていた分は例のアベルとの一騎打ちで使い果たしてしまったが、ランシュークで買い物をしたとき晶は新たに買い求めていたのだ。それもこれも今回のためらしい。 それなら、そんな所に暮らしている『師父』とやらは、一体どんな人物なのだろう。 何1つ解らないまま、デイヴィは晶と出掛けた。目的地の山はサヴィナの入口の反対側ーーーー城の裏の方にそびえているため、城の裏口から出る。10分ほど歩くと木々が密集してきて、その真ん中に細い坂道が現れた。いい天気だというのに、先の方には霧が立ち込めて見通しが悪い。不気味な鳴き声もした。あれは鴉だろうか? しかし、幸せなことにデイヴィはそんなムードに流されない精神を持っていた。彼は、一瞬立ち止まった晶の手を掴むと、ずんずんと坂道を登りだした。 「これが、おまえが怖がってた理由か? 晶」 顔を上げようとしない晶に、デイヴィは優しく尋ねた。 「うん。ぼくはどうも、こういう雰囲気には弱くて。何度来ても駄目なんだ」 晶は頼り無げな声を出した。 「ーーーー刀で斬れるものは平気なんだけど」 「切れねえもんが出るのか?」 しかし、晶は答えなかった。 デイヴィは頭を掻いて、辺りを見回した。確かに不気味な道だ。木々はともすれば人のように見えるし、生い茂った葉は隙間無く空を埋め、我々から太陽の恵みを引き離している。鴉だかなんだか判らない鳥はギャーギャーと悲鳴のような声をたてているし、梟らしい陰気な声も響きわたっている。 デイヴィの眼は晶の所に来て、そこに留まった。晶は生まれたての子猫のように体を震わせ、長い睫毛を伏せている。普段ののんびりとも、闘いの時の冷徹さとも違う新たな表情は、デイヴィをすっかりナイトの気分に浸らせた。と、同時に、彼はあることに気付いた。さっきの、玲人、カイン、エリックの態度だ。どうも、やけに躍起になって晶と一緒に山に登りたがると思ったら、これが目的だったのだ。 晶は「何度も来た」と言っていた。きっと、彼らが付いていったに違いない。それでーーーー。デイヴィの方を見ないようにしていたのも、多分後ろめたさーーーーというか、デイヴィにバレたらどういう目に遭うかを考えていたからだろう。 3人に対して口に出すのも憚られるようなことをデイヴィが考えはじめた時、数メートルも離れていない前方の茂みで、明らかに風の仕業ではないーーーーつまり、物質的な何かが起こした葉擦れの音が不気味に響いた。 |