シンビオスは悩んでいた。 メディオンに対する好意が友人としてなのか、それともそれ以上のものなのか----。 ことの始まりは、ほんの少し前。アスピアに3軍が集結した、その晩のことだった。 アスピアが救われた祝賀と、ブルザムという新たな敵に3軍協力して立ち向かう、その団結力をより強めるためと、一足先に北の地に向かうシンビオス軍のための壮行会と----様々な意味を持たせた会席が、その晩ささやかながら開かれた。 なにせ北の地は、この土地の者達は誰も足を踏み入れたことのない、未知の世界である。そこに単軍で踏み込もうというのだから、人々の激励はとても熱のこもったものになった。特に指揮官であるシンビオスへのそれは、軍の他のメンバーよりも数段激しい。シンビオスは、有り難いのは確かなのだが、励まされすぎてちょっと疲れてきた。そこで、人目に付かないようにそっと部屋を抜け出し、誰もいない中庭へと避難してきたのだった。 少し氷の溶けたソフトドリンク----未成年なので----を半分ほど一気に飲んで、一息つく。会場である広間から漏れる灯りから少し外れた、薄暗がりの中に佇んで空を見上げる。落ちてきそうな満天の星と、半分だけ輝く月が綺麗だ。もう一度息を吐いたとき、 「シンビオス殿…?」 柔らかい声がかかった。 「そこにいるのですか?」 同時に、薄暗がりの中でも輝く金の髪が見えた。 「…メディオン王子?」 「そうです」 メディオンは、シンビオスの隣までやって来た。暗がりに慣れたシンビオスの目に、白いメディオンの顔が見える。----そういえば、シンビオスの、メディオンに対する第一印象は、『薄い』だった。金髪で、肌も白くて、瞳も透き通るようで、そして、どこか薄幸そうで儚げな雰囲気を漂わせていた。まるで、昔の童話なんかに出てくる『お姫様』のような----。その後、何度も助けてもらったり、色々話したりしているうちに、ああ、見かけほど柔な人ではないな、と思うようになったのだ。 「こんな所で、どうしたんですか?」 シンビオスが訊くと、メディオンは目を見開き、すぐに苦笑を浮かべた。 「それはこちらの台詞です。ここで何をしているんですか? ----随分捜しました」 「それは失礼。----少しばかり独りになりたかったのです。みな、私の顔を見ると『北の地には何があるか判らないのだから、充分に注意しなさい』と----有り難いのですが、言われ続けて逆に不安になってきました」 「なるほど。----シンビオス殿、あの月をご覧なさい」 メディオンが指をさす。シンビオスも顔を上げた。 「北の地でも、あの月は同じ月です。なんの変わりもない。君が未知の土地で不安になったら、空を見上げるといいでしょう。夜空なら月と星が、晴れた日なら太陽が、曇っていても雲が、ここと繋がっています。こちらの空の下には我々が----君の仲間がいます。そしてそう遠くない未来に、私達は同じ空の下で再び出会うのです」 淀みないメディオンの言葉を聴いているうち----その爽やかな声を聴いているうちに、シンビオスの心はどんどん軽くなっていった。 「そう、そうです、メディオン王子。あなたの言う通りです。----ああ、ありがとうございます。お陰で勇気が戻ってきました」 嬉しさのあまり、シンビオスは思わずメディオンの手をぎゅ、っと両手で握った。大きくて肉厚で硬い、握り心地のいい手だ、とそんな感想を、こんな時ながらシンビオスは抱いた。 「----っ、ああ、い、いえ、その----どう致しまして」 薄闇の中でも、メディオンの頬が紅くなっていくのが判った。今までの雄弁さが嘘のようにしどろもどろになって、さり気なく手を引っ込める。 シンビオスはちょっと不審に思ったが、深く考えなかった。それよりも、さっきからメディオンの台詞で気にかかっている箇所があった。 「----あの、王子。先ほど、私を捜していたと…」 「え。…あ、ああ、そうです。----暫く会えなくなるので、その前に君にどうしても伝えておきたいことがあって…」 メディオンの口調が、心持ち改まった、生真面目なものになった。これは相当大事な話に違いない。自然、シンビオスも背筋をピンと張って----元々姿勢がいいから、これ以上ピンとするとかなりしゃちほこばってしまうが----メディオンの言葉を待った。 メディオンは大きく息を吸って、 「シンビオス殿。----私は君が…、…好きです」 ----最初、シンビオスはどう受け取っていいか判らなかった。シンビオスもメディオンのことが好きだし、今更改まって、しかも真剣な口調で告げることでも----と、ここまで考えて気付いた。メディオンの『好き』は、シンビオスが思っている『好き』とは意味が違っているということに。 シンビオスはあくまで友人として、であるが、メディオンのはあきらかにそれ以上の意味を含んでいる。 「----嫌、でしょうか? やっぱり」 メディオンが静かに言う。 「…気持ち悪いと思う?」 「あ、…い、いえ、そこまでは…」 シンビオスは慌てて答えた。気持ち悪くはない。ただびっくりして、少し戸惑っているだけだ。シンビオス自身がそうなように、メディオンがシンビオスに抱いている好意も、友情だとばかり思っていたのだ。それが、それ以上の感情だなんて。どう反応していいか判らないのだ。さっきも言ったように、嫌でも気持ち悪くもないのだが…。 「ただ、ちょっとびっくりして…。…思ってもみないことだったので…」 シンビオスは思ったままを正直に告げた。 「そう、でしょうね」 メディオンの表情が、少し和らいだ。 「私も----、最初に自分の気持ちに気付いたときには戸惑いましたし、かなり悩みました」 メディオンは月を仰いだ。その横顔は、相変わらず儚げで、闇の中に融けてしまいそうだった。 「でも、やっぱり好きなんです。----だから…」 どうしようもないんです、と小さく呟く。 「----メディオン王子」 シンビオスはメディオンの片方の手を、今度はそっと両手で包んで、 「私に、少し時間をくださいますか?」 メディオンが驚いたようにシンビオスを見つめる。 「シンビオス殿。それは一体…」 「私もあなたのことが好きですが、それがどういう『好き』なのか、考えたこともありませんでした。すっかり友情だと思い込んでいたからです。だけどあなたの告白を聞いて、『好き』にも色々あるんだと気付かされました。----私のあなたに対する『好き』がただの友情なのか、それともそれ以上のものなのか、よく吟味してみたいと思います」 「…シンビオス殿…」 メディオンは空いている方の手を、シンビオスの手の上に重ねた。 「君は優しいですね。----同性からの告白なんて、無視しても突き放してもいいのに」 「いいえ! そんなことはできません。あなたは真剣に私のことを思ってくださっていて、そのことについて真剣に悩んで、そして真剣に告白してくれました。だから私も、真剣に応えたいのです」 「----ありがとう」 メディオンが、心から嬉しそうに微笑む。 シンビオスは常々、メディオンの笑顔を素敵だと思っていた。それが今回こんな告白を受けたことで、今まで以上に意識して見てしまう。 「----どうしました?」 あまりに長いこと見つめていたせいか、さすがにメディオンが訊いてきた。どうやら照れているようだ。顔が紅くなっているし、またしてもシンビオスの手から自分の手を外している。 「あ、すいません」 シンビオスもなんだか照れくさくなる。でも----照れくさいついでに、一つ訊いておきたいことがあった。 「あの、…メディオン王子が私のことを、その、友人以上に好き、だと気付いたのは、何がきっかけだったのですか?」 「え? ああ、そうですね…」 メディオンは顎に手を当てて、遠い目をした。 「…いつからか、君に----、----キス、したいと思うようになって…」 「…キス、ですか」 「ええ。----普通、友人にはそんなことは思わないでしょう? それで、自分でも何か変だと…」 「なるほど…」 シンビオスは考え込んだ。 メディオンはそっと様子を窺っていたが、 「すいません。----やっぱり、嫌ですよね、そんなふうに思われるのは…」 「え? ----いえ、そうじゃありません」 シンビオスは違うことを考えていたのだ。そして、あることを思いついた。もしそれを実践して貰えたら、すぐに結論が出るかもしれない。 シンビオスは再びメディオンを見つめた。 「な、なんですか? シンビオス殿」 その視線にたじろいだらしく、まだ赤みの引かない頬を更に色濃く染めて、メディオンが訊いてくる。 シンビオスは生真面目な顔と声で、こう言った。 「王子。----宜しければ、してくださいませんか、----キスを」 メディオンの目がまん丸になった。 「なっ、シ、シンビオス…殿、君、ななな何を」 声が裏返ってしまっている。 「あ、いえ。…もしキスして貰って、嫌ならやっぱり友情で、嫌じゃなかったらそれ以上だ、と判るんじゃないかと思いまして」 シンビオスはあくまで本気だった。 「そっ、それは確かに、一つの可能性ではあるけれど…」 「ですよね! ----じゃあ…」 シンビオスが身を乗り出す。しかし、メディオンは強く首を横に振った。 「…いや。やっぱりそれは駄目です」 「え。どうしてですか?」 「だって、…大丈夫だった場合はともかく、嫌だったら…、…お互いが傷つくだけでしょう?」 「…そう、ですね」 考えてもみなかったことを指摘されて、シンビオスは恥ずかしくなった。 「ごめんなさい、変なことを言って」 「いいえ。----君がそういうふうに言ってくれたのは、変な言い方ですけど、嬉しかったですよ」 メディオンが優しく微笑む。シンビオスもつられて笑顔になった。 翌日、シンビオスは北の地に、メディオンは帝国にそれぞれ旅立っていった。 次にメディオンに会うときまでには、自分の気持ちをはっきりさせておきたいものだ、とシンビオスは思っていたのだが、実際にはそう簡単なものではなかった。なにしろ、考える時間が持てずにいたのだ。 日中の進軍中や戦闘中にはそれどころではない。夜、それもベッドに入ってから眠るまでの間位しかないのだが、それも雪中の進軍で疲れているから、結論を出す前に寝入ってしまう。 そんなわけで、やっと時間に余裕ができたのは、ドルマントでのリハビリ中であった。まだ思うように動かない体を温泉で癒しながら、今までの埋め合わせのように、ずっとメディオンのことを考えている。 ----メディオン王子に対する『好き』、か…。 メディオンは確かに素敵だった。容姿は勿論だが、中身がより素晴らしい。優しく、正義感があって、真面目で誠実である。 それに、シンビオスとは話がよく合って、気が付けば何時間も話し込んでいたことなどざらにあった。喜怒哀楽のツボのようなものがほとんど同じなのだ。同一人物ではないから多少の差違はあるものの、その違うところがまた興味深い。 ここまでは『友情』の域であろう。それ以上となるとやはり、 ----キス、できるかどうか、かなあ…。 シンビオスは目を閉じて、メディオンの顔を思い浮かべた。彼とキスしようとするところを---- シンビオスは勢いよく目を開けた。駄目だ。全然想像できない。想像するのも嫌、なのではなく、想像力が限界なのだった。 ----嫌なことは考えるのも嫌なのだから、想像しようとする時点で平気なのかもしれない。いや、想像できないのは無意識に拒んでいるからかもしれない。でも、想像しようと思うのはやはり大丈夫だからで……だけど、何も浮かばないのはやはり嫌だからなのか… シンビオスはすっかり思考のループに嵌り込んでしまった。これ以上続けるとくらくらしてしまう。 シンビオスは湯から上がった。と同時に、彼の中である決意が固まった。 ----やっぱり、実際にしてみて貰うしかない。 そうすれば、自分の気持ちもはっきり判る、…気がする。 翌日。不思議な温泉のお陰ですっかり回復したシンビオスは、すぐにレモテストへ向けて出発した。 早くメディオンに会って、昨日思いついたことを実践したい。それに勿論、早くブルザムを倒したい。どんどん進もうとするシンビオスを、軍のメンバー----特にダンタレス、マスキュリン、グレイスの3人は必死に抑えた。なにせ、ほんの少し前に生死を彷徨った身である。本当はもう少しゆっくり温泉に浸かっていて欲しいのを妥協して出発したのだから、せめて無茶な進軍はしないで欲しかった。ダンタレスなどは、しきりに自分の背に乗るように勧めていた。 他のメンバーも、たとえばエルダーは上空から偵察しようと、一足先に飛び立っている。 シンビオスも、皆に心配をかけたのを心苦しく思っているし、今も自分の身を第一に考えてくれるのが嬉しかったので、無理を言わずに従うことにした。 ドルマントから、負の川に沿って進んでいく。少しも行かないうちに、エルダーが戻ってきた。酷く慌てた様子だ。 「先に何かあったのか?」 ダンタレスが訊く。 「モンスターか、ブルザムかが…」 「いいえ、敵の姿はありませんでした」 エルダーは息をついて、 「----ただ、船が…」 「船?」 「ええ。川の真ん中に、氷に阻まれてしまって----」 瞬間、シンビオスは閃いた。同時に走り出していた。 「シンビオス様! お一人では危険です!」 ダンタレスがすぐに後を追う。続いて皆も。 深い雪に何度も足を取られそうになりながらも、シンビオスは走り続けた。不安に胸が潰れそうだ。船、メディオン王子、氷漬け、死にかけた自分。もし王子もそんな目に遭ったとしたら---- 船が見えてきた。 「メディオン王子!」 ----どうかご無事で…! 船は、氷に捕らえられていた。 船体の半分が、川と一緒に凍りついている。シンビオスの顔から血の気がさあ、と引いていった。よろめいたところを、追いついたダンタレスに支えられる。 「シンビオス様。…お気を確かに」 「----ありがとう。…大丈夫だ」 船の中に人の気配はない。やはり----自分と同じように、氷漬けにされてどこかに…。 「----レモテストだ!」 シンビオスは再び駆けだした。ジュリアン軍が先にレモテストに向かっている。ブルザムは罠を張って、ジュリアン軍をシンビオス軍と戦わせた。メディオン軍ともそうなるようにし向けるはずだ。 「シンビオス様! お待ちください!」 ダンタレスが慌てて後を追う。先ほどとまったく同じ状況だ。 レモテストを囲う、高い外壁が見えてきた。その上に、遠目からでも輝いて見える金の髪が---- 「----メディオン王子!」 メディオンが驚いた顔でこちらを向く。 その姿を見たとき、シンビオスははっきりと自分の気持ちを悟った。 その晩。3軍が無事に再会できたこと、そしてブルザム戦を前に士気を高めるため、ささやかな会席が設けられた。 シンビオスは、そっと中庭に出た。少し前にメディオンが独りで出ていくのを見ていたのだ。 白い雪が灯りを反射しているためか、中庭はほんのり明るかった。メディオンの金糸がぼんやりとした光を放っている。 「----メディオン王子」 そっと声をかけると、メディオンは振り向いた。シンビオスを認めて笑顔になる。 「どうしたんですか? こんな所へ」 メディオンの台詞に、シンビオスは苦笑した。 「王子こそ、こんな所で何をしてるんですか? ----私は、あなたを追いかけて来たんですけどね」 「私を?」 「ええ。----あなたに会ったら伝えようと思っていたことがあって」 心持ち、メディオンの身体が緊張したようだ。 シンビオスは大きく息を吸って、 「私も、----あなたが好きです」 信じられない、という顔で、メディオンはシンビオスを見た。 「シンビオス殿。----本当に?」 「はい。今日はっきり判りました。この『好き』は、友情以上のものだ、って」 「……………」 喜びのあまり、メディオンは何も言えないようだった。幸福に全身が輝いて見える。 「だから、----今度はキス、してくださいますよね?」 シンビオスは悪戯っぽくメディオンを見上げた。 メディオンが微笑む。その笑顔に見とれているうちに、シンビオスは抱き寄せられた。うっとりと目を閉じ、顔を上げる。すぐに、唇にメディオンの唇を感じた。 胸の奥から、喜びが溢れてくる。 ----ああ、やっぱり間違いなかった---- シンビオスはその日、愛を知った。 |