「よお、王子」 廊下でメディオンと顔を合わせるなり、ジュリアンは悪戯っぽく笑った。 「シンビオスにコスプレさせなかったんだって?」 「いきなりそれか」 メディオンはやんわりと突っ込んでから、 「何故知っている?」 「本人から聞き出したんだ」 ジュリアンはメディオンの肩に手を乗せて、 「しなくていい、って言ったんだって? 勿体ねえことするな、あんた。せっかく俺がシンビオスに仕込んでやったのに」 「仕込んで、って、君ね」 メディオンは整った顔を顰めた。 「誤解を招く発言は慎んでもらいたいんだが」 「したい奴には誤解させとけよ」 ジュリアンは気にした様子もなく応じてから、声を潜めて、 「----シンビオス、悩んでたぜ。どうやったらあんたが喜んでくれるのか、って」 そういうことはジュリアンにではなく、メディオン本人に訊いてほしいものだが。あのシンビオスにそれを望むのは酷というものかもしれない。そういうことにはまるっきり疎くて、とんでもなくシャイなのだ。世間慣れしたジュリアンを『師匠』のごとく頼りにしてしまうのも仕方がないだろう。 とは思いつつ、メディオンは気が気じゃなかった。ジュリアンはとんでもないことを教え込むのだ。この前にも、シンビオスはあんなことやそんなことをして、メディオンを面喰らわせた。根が信じやすく純粋な分、ジュリアンの言葉を鵜呑みにしてしまうのである。 「また妙なことを教えたんじゃないだろうな」 「いや、さすがにネタ切れだ。だけどな」 ジュリアンは楽しげに喉を震わせた。 「自分もコスプレなんて知らなくて王子もそれほど興味がないみたいだから、本当に好きな人がいるのかって疑問を持ったらしいぜ」 メディオンは嫌な予感がした。 「…ジュリアン。まさか、みんなに訊いてみろ、なんて言ったんじゃ…」 「よく解ったな」 脳天気なジュリアンの返事に、メディオンは頭を抱えた。 「そろそろ、ダンタレスが血相変えて走ってくるだろうぜ」 ジュリアンの、妙に嬉しそうな言葉が終わらないうちに、凄まじい蹄の音がメディオンの背後から近付いてきて、 「そこか、ジュリアン!」 世にも恐ろしい忠義者の声が飛んだ。 「ほら、な?」 ジュリアンはメディオンに目配せした。 メディオンはため息を一つつくと、黙って横に避けた。その脇をダンタレスが風を起こして通り過ぎ、ジュリアンの襟首を掴んだ。 「貴様! またシンビオス様に変なことを吹き込んだな!」 「あいつ、なんて言ってた?」 地獄の鬼も退散しそうなダンタレスの表情にも、ジュリアンは怯んだ様子もない。 「いきなり、『ダンタレス、コスプレって好き?』と訊いてこられたのだ!」 「おまえ、なんて答えたんだ?」 ジュリアンのふざけた問いを、ダンタレスは当然無視した。ジュリアンの襟を更に締め上げて、 「しかも、顔を会わせた全員に訊いているのだ!」 「そりゃあ見物だろうな」 ジュリアンは笑った。 「笑い事ではない!!」 ダンタレスは激昂している。このままではまずい、とメディオンは思った。ジュリアンの笑いが止まる前に息が止まってしまいそうだ。 「ダンタレス殿。ひとまず落ち着いてください」 メディオンはダンタレスの腕に手をかけた。いざとなったら肘の急所を掴んで腕を痺れさせる算段だ。 「これが落ち着いていられますか!」 「じゃあ、落ち着かなくてもいい。いいから、手だけは離せ」 ジュリアンも言いながら、ダンタレスの手を外そうと試みている。こいつ、本気で絞め殺す気じゃあるまいな、と不安になったのである。 しかし、ダンタレスは聴いちゃいなかった。 「ジュリアン! 純真無垢なシンビオス様に、いつもいつも妙なことを吹き込んで、どういうつもりなんだ!」 もう18にもなろうという、しかも次期領主たる人物が『純真無垢』というのもある意味問題があるような気がするが、そう突っ込む余裕は今のジュリアンにはなかった。マジで苦しくなってきたのだ。 「俺はただ、教えてるだけだぜ? それより、実践してる王子になんとか言ったらどうだ」 取り敢えず、鉾先を変えてみた。今のダンタレスの憤りが半分でもメディオンに向いてくれれば、絞殺される事態は免れる。 これに対してメディオンは反論しなかった。ダンタレスがどれだけシンビオスのことを大切にしているか知っているので、多少の責めは受けるつもりだった。それに、確かにこのままではジュリアンが危ない。 ダンタレスは苦しそうに顔を歪めた。彼の方が首を絞められているようだ。 「…シンビオス様がお望みなら、仕方のないことだ。メディオン王子に文句を言う謂れはない」 「顔はそう言ってねえけどな。…俺の方はどうなんだよ?」 「シンビオス様にそういうことを教える理由が、貴様にはあるのか、ジュリアン! それも、シンビオス様の方からお尋ねになったならともかく、貴様が先に色々吹き込んだのではないか!」 だって面白いんだよ、と言ったら火に油なので、 「友人として、レクチャーしただけだ」 と、ジュリアンは答えてみた。----どのみち、火に油だった。 そろそろまずい。ダンタレスの腕にかけた手をメディオンが肘に滑らせたとき、救いが愛らしい人物の姿を借りてやってきた。ダンタレスの背後から軽やかな足音と、 「----メディオン様!」 シンビオスの明るい声。途端にダンタレスはジュリアンを解放して、素早く振り向いた。ジュリアンが安堵の息を吐く。 「もう! どこにもいらっしゃらないんだもん、捜しましたよ」 ちょっと頬を膨らませるシンビオスに、メディオンは優しく微笑みかけた。 「すまなかったね、シンビオス」 「いえ、こうしてちゃんと見つけられましたから。…けど、こんな所で何をなさってるんですか? ダンタレスとジュリアンまで…」 「なんでもありません、シンビオス様」 今までの怒りはどこへやら、ダンタレスはにこにこと答えた。メディオンとジュリアンが呆れた様子で顔を見合わせる。 「…それはそうと、シンビオス、何を持ってるんだい?」 メディオンは質問した。話を逸らすのもあるが、シンビオスが後ろ手に、隠すようにしているのが気になったのだ。 シンビオスは何故か頬を染めた。 「べ、別になんでもないんです」 「なんでもないなら見せろ」 これはジュリアンで、素早くシンビオスの後ろに廻り込んで『それ』を取り上げた。 「あ! ジュ、ジュリアン!」 シンビオスは取り戻そうと慌てて手を伸ばしたが、ジュリアンの方が背が高いので届かない。そうこうしているうちに、ジュリアンはその本のタイトルを読んだ。メディオンとダンタレスも横から眺める。 …反応は三者三様だった。 メディオンは眉を寄せ、ジュリアンは笑い出し、そしてダンタレスは…。 「シ、シンビオス様! このような本、一体どうなさったのですか?!」 殆ど悲鳴に近い調子で、シンビオスに詰め寄る。 「…ある人が貸してくれたんだ」 シンビオスは顔を真っ赤にしたまま、俯いて答える。 「一体誰が!」 「それは言わない約束だから…」 「ですが…!」 尚も追及しようとするダンタレスを、 「ダンタレス殿。趣味嗜好は人それぞれですから…」 メディオンがやんわりと止めた。それが正論なので、ダンタレスもそれ以上何も言えず、不満そうに引き下がる。 「まあ、折角借りたんだから、大いに活用しろよ」 ジュリアンは中をぱらぱら捲って、 「ほら、王子。好きなやつ選んだら?」 「…別にいいよ。私にはそういう趣味は…」 「なんだよ、つまんねえな。…じゃあ、俺が選ぶ」 「…って、なんで君が」 「だって、勿体ねえだろ。こんないい物が手に入ったっていうのに」 ジュリアンはにやりと笑って、 「それに、シンビオスだって興味あんだろ?」 「え…? …べ、別に…。…でも…、どうだろう…?」 シンビオスが小首を傾げる。 「こら! ジュリアン! シンビオス様に変なことを吹き込むなっ!!」 ダンタレスは再びジュリアンの襟首をひっ掴んだ。ジュリアンは慌てず騒がず、 「そんなに心配なら、ダンタレス、おまえも来いよ」 これぞ、まさに悪魔の囁き。ダンタレスは思わず手を放した。 「決まりだな。じゃあ、俺の部屋ででもやるか」 ジュリアンは片手に本を、もう一方の手でシンビオスの腕を掴んで歩き出す。メディオンとダンタレスが後を追った。 部屋について、その本を机の上に広げると、 「さあ、始めようか」 ジュリアンが言った。 「…しかし、何か大事なことを忘れているような気がするんだが」 メディオンが呟く。 「ああ? 忘れてんなら、大したことじゃねえんだろ」 ジュリアンは軽くあしらって、 「…俺はやっぱりこれだな」 沢山ある絵の中の1枚を指さす。 「ダンタレスはどれがいい?」 「これ、かな」 ダンタレスは少し紅くなって答える。 「ふぅ〜ん。それって、おまえの願望じゃねえのか?」 「なっ! 馬鹿なことを言うな、ジュリアン! シ、シンビオス様、別に他意はありませんから! ジュリアンの言うことなどお気になさらないでください」 「…え? うん」 シンビオスはよく解っていないらしく、不可解そうな顔で頷く。ダンタレスは安堵した反面、少し寂しくなった。 「ね、メディオン様はどれがお好きですか?」 シンビオスに訊かれて、答えようとしたメディオンは、やっと自分が忘れていたことに気付いた。 「…ちょっと待て。こういうことは二人のときにするものじゃないか?」 ジュリアンが当然のように行動するから、思わずつられてしまったが…。 そのジュリアンは、メディオンの肩を叩いて、 「細かいこと気にするなって。楽しいんだからいいじゃねえか」 「そういう問題とは違うと思うが」 ジュリアンはメディオンの耳に唇を寄せて、小さな声で、 「夜にでも改めて、二人だけで楽しめばいいだろ? 今は取り敢えず、ダンタレスをなんとかしなきゃ」 「…ああ…」 メディオンは小さく頷いた。確かに、元はといえばダンタレスの怒りが爆発したのが原因で…。 「…だけど、そもそもの発端は、君がシンビオスに妙なことを吹き込むからだ」 「役に立ってんだろ?」 ジュリアンはまたしてもあっさりと議論を終わらせた。それから普通の声に戻って、 「で、シンビオス、おまえはどれがいい?」 興味深げに本を覗き込んでいるシンビオスに訊く。 「え…。私は…」 シンビオスはメディオンをちらちらと見た。どうやら、メディオンが選んだものを着たいらしい。 二人だけのときならそれでいいが、今そんなことを表明すれば、またダンタレスが何を言い出すか解らない。メディオンは優しく微笑んで、 「君の好きなのを選んでごらん、シンビオス」 「は、はい。えーっと、じゃあ…」 シンビオスが選ぼうとしたとき、 「…ちょっと、ジュリアン! いるの?」 ドア越しに声がかかった。マスキュリンだ。 「ああ、どうした?」 ジュリアンがドアを開ける。 「どうしたも何も…」 マスキュリンは言いかけて、部屋の中の人物に気付くと、 「シンビオス様にダンタレス様! こちらにいらしたんですか? 捜してたんですよ?」 「ああ! そうだ、シンビオス様、こんなことをしている場合じゃありませんよ! 今日は我々が遺跡に潜る番じゃないですか!」 ダンタレスはシンビオスの腕を取って、 「さ、早く行きましょう!」 「う、うん。…じゃあ、メディオン様、また後で」 「気を付けて行っておいで、シンビオス」 メディオンは手を振った。いつもならここでキスでもするのだが、今日はさすがに人目が多すぎる。 「俺には挨拶なしか」 ジュリアンはぼやきながらテーブルに戻ると、例の本をメディオンに渡した。 「折角誰かが貸してくれたんだ。しっかり研究しろよ」 「そうだな」 メディオンは苦笑を浮かべて答えた。 ジュリアンは首を捻って、 「だけど、マジで一体誰の本なんだろう?」 独り言のように呟いたのだった。 |