レモテストで、シンビオスはシュールな現実と直面しなければならなかった。
 ベネトレイムやパルシス、ついでにドンホートの前では、彼はまだまだ小さな子供だったのだ。恐ろしいことに。
 食事のときには、
「育ち盛りだから沢山食べなさい」
「よく噛むのだよ」
「骨があるから気を付けなさい」
 ----そりゃあ、魚だから骨があるでしょうよ。いちいち言われなくても解ってますよ。
 グラシアやパペッツのような、本当の意味での子供が休む時間になると、
「おまえももう休んだらどうだ」
「夜更かしすると背が伸びないぞ」
 ----背が低いのを、ぼくが悩んでいないとでも?
 挙げ句、
「お腹を出して寝るんじゃないぞ」
 これにはさすがにシンビオスも憤慨して、
「子供じゃないんですから!」
 と文句を付けた。忍耐にも限界があるのだ。ここはきっちり言っておかなければならない。
 だが、
「昔はよくお腹を冷やしてただろう」
 一言下、敢え無く撃沈されてしまった。
 誰でも、子供の頃の話を持ち出されると弱い。幾ら格好いい台詞を言ってみたところで、
「偉そうなこと言って、子供の頃はああだったくせに」
 と一笑に付されてしまったら、まったくもって立つ瀬がない。
 おまけに、こちらがむきになればなるほど、相手は面白がってしまう。それがまた悔しくて仕方がない。
 シンビオスはストレスが溜まりまくりだった。
 ただひとつ注釈を加えておく必要があるだろう。本当に「子供じゃない」なら----つまり大人としての正しい態度は、軽く聞き流しておくことだ。それができないシンビオスは、要するに難しいお年頃なのである。

 今日も寄ってたかって散々干渉されたシンビオスは、彼らしからぬ荒々しい歩調で廊下を進んでいた。たまにすれ違う者が思わず壁にへばりついてしまうほどの迫力だった。----大体、誰かとすれ違ったことさえ、シンビオスは気付いていなかった。
 ベネトレイム達三人があまりにもシンビオスに構うものだから、最近ではダンタレス、グレイス、マスキュリンまでもが、今まで以上に過保護になってきたのだ。すっかり、シンビオスが5歳の子供であるかのような扱いである。領主の威厳も何もあったものではない。
『シンビオス様、階段がありますよ』
 ----見えてるよ。
『シンビオス様。紅茶、熱いですから気を付けて』
 ----言われなくても、猫舌だから注意してるよ。
『シンビオス様、外にいかれるのでしたら、暗くならない内にお戻りくださいね』
 ----中庭に出るだけだってば。
「…シンビオス」
「うるさいな」
 反射的に応えてから、今の声が誰のものか思い当たって、シンビオスは血の気が引いた。慌てて振り向いて、
「ごめんなさい、メディオン王子! 貴男に言ったんじゃないんです! ちょっとした独り言で…」
 深々と頭を下げる。
「随分とイライラしているようだね」
 幸い、メディオンは気にした様子もなく、穏やかに微笑んでそう言った。
「ハーブティーでもどうだい?」
「いいですね」
 シンビオスもやっと笑顔を見せる余裕ができた。メディオンの持つ優しい雰囲気に、心が和むのが自分でも解る。
 食堂にはまだ『彼ら』がいるかもしれないので、メディオンの部屋で、ということにしてもらった。
「----安眠効果のあるハーブティーだから、きっと落ち着くよ」
 と説明しつつ、メディオンが手ずから入れてくれる。
「ありがとうございます」
 少し待ってから、シンビオスはカップを口に運ぶ。その様子を見て、
「そうか。君は猫舌だったね」
 メディオンが微笑む。
「熱くないかな?」
「丁度いいです。----美味しい」
 後の言葉は自然に口をついて出てきた。自分で思っていた以上に気が立っていたらしい。胃がふんわりと暖まる感じが心地いい。
 メディオンは目を細めてシンビオスを見つめている。その視線がなんだか照れくさくて、シンビオスは顔を上げられずにいた。
「…どうしてさっきはあんなに苛ついていたんだい?」
 メディオンからの質問に、シンビオスは現実を思い出した。なるべく愚痴っぽくならないように注意しながら、一切合切をぶちまける。
 内心では笑いたかったかもしれないが、メディオンの表情にはその陰すら見えなかった。真面目腐った顔で、
「まあ、彼らは君の親のようなものだから」
 と言った。
「親というのはそういうものだよ。幾つになっても子供は子供、自分がしっかり世話してやらなきゃ、なんて思っているんだろうね」
「それはそうかも知れませんけど…」
 何も大勢で寄ってたかって世話してくれなくてもいいのに、とシンビオスは思った。
 少し頬を膨らませているシンビオスは本当にあどけなくて可愛らしい。これなら構いたくなるのも無理はないな、と考えながら、メディオンは更に言葉を続けた。
「私の母だって、未だに私を子供扱いするよ。そういうものだと諦めて、甘んじて受けるしかないんじゃないかな」
「でも、そうやって私が子供扱いされてるところを見たら、他の人も私のことを子供だと考えませんか? 軍の志気にも影響を及ぼしそうですし、それに…」
 シンビオスは再び顔を伏せて、
「…メディオン王子も、私のことを子供だと思ってるでしょう? 他の誰より、貴男にだけはそう思われたくないんです」
 シンビオスらしい控えめな告白に、メディオンは顔をほころばせた。
「そんなことはないよ、シンビオス。君は自分の言動にきちんと責任をとれる人だし、何より他人を思い遣る心も持っている。徒に歳を重ねただけの人間よりも、ずっと大人だと思うよ」
 シンビオスは大きな瞳で、メディオンを見上げてくる。メディオンは手を伸ばして、シンビオスの柔らかい頬に触れた。
 シンビオスは自然に瞼を閉じた。少しの間の後、唇にメディオンの唇を感じる。そっと触れてすぐに離れた。
 目を開けると、メディオンの瞳と出会う。初夏の空のような瞳の奥に情熱を込めてシンビオスを見つめている。
 胸の高鳴りを感じながら、
 ----ああ、安眠効果のあるハーブティーを入れてもらったのに、無駄になっちゃったな。
 なんて、どうでもいいようなことを、シンビオスは考えていた。


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