大きなデスクに着いたシンビオスが真面目な顔で書類を書いている間、メディオンはカップを手に、所在なげに部屋をうろうろしていた。
「----メディオン王子。お座りになっては如何ですか?」
 手元に目を落としたまま、シンビオスは言った。
「うん…」
 メディオンは曖昧に頷いた。その返事が形だけのものだというのは、すぐに解った。メディオンはカップだけをテーブルに置いて、シンビオスの背後にそっと回り込んだ。
 開け放たれた窓から吹き込む風は、夏のものとは思えないほど冷たい。
 その冷たい風が、特徴的に跳ね上がったシンビオスの髪を、ふわふわと揺らす。
 髪だけが別の生命体のようだ。メディオンは面白くなって、指先でシンビオスの揺れる髪をからかった。
 くすぐったかったのか、シンビオスは軽く頭を振った。メディオンはすかさず指を引っ込めたが、----またすぐにシンビオスの髪をいらう。すると、シンビオスはまた頭を振る。メディオンは一旦止める。暫くしてまたシンビオスの髪で遊ぶ。----
 何度か繰り返しているうちに、
「いい加減にして頂けませんか」
 シンビオスはうんざりした声を出した。
「ごめん、シンビオス。----退屈だったものだから」
 メディオンは決まり悪そうに首を竦める。
「まだ終わりそうもないんですよ。図書室にでも行かれては? あと、中庭の花も綺麗に咲いてますよ」
 シンビオスはペンを持つ手を休めず、一緒に口も動かした。メディオンの相手をしたのはやまやまだが、まだ仕事が残っている。この後二人っきりでゆっくりするためにも、早いところこの報告書を書き上げてしまいたいのだ。邪魔をされるのは----たとえそれがメディオンであっても----正直腹立たしかった。
「----シンビオス。君の傍にいたいんだよ」
 その声。哀愁を帯びて、可愛く甘えて、それでいて凛としたものも失わない。顔が見えない分、メディオンの声はシンビオスの心に鋭く突き刺さった。
 シンビオスはやっと手を止めて、椅子ごと振り向いた。メディオンは想像通りの表情をしていた。
 ----ああ、やられた…
 こんな顔をされたら堪らない。自分が悪いんじゃないのに(というか、どう考えてもメディオンが我が儘を言っているのに)、罪悪感を覚えてしまう。
 ----こういうのを、『惚れた弱み』っていうんだな。
 シンビオスは、笑いとも溜め息ともつかない吐息を漏らした。
「----怒った? それとも呆れた?」
 メディオンが恐る恐る訊いてくる。
 シンビオスは手を伸ばして、メディオンの頬に触れた。
「両方です」
 メディオンはしょぼんと肩を落としてしまう。その様子が可愛らしくて、シンビオスは微笑んだ。
「でも、好きですからね」
 立ち上がって、メディオンに抱きつく。
「本当に?」
 シンビオスの体を強く抱きしめて、メディオンは訊いた。
「本当です」
 シンビオスはメディオンの耳元で答えた。
「なんなら、今からそれを証明してもいいですよ」
「…でも、君、仕事は?」
「ぼくをその気にさせておいて、今更そんなことを言うんですか、あなたは」
 シンビオスはメディオンの頭を引き寄せて、唇に唇を押しつけた。メディオンはすぐに応えてくる。二人は長い間お互いを貪った。
「----っ、ああ…、膝ががくがくする」
 シンビオスが呟く。
 メディオンは笑って、
「部屋までだっこしていってあげようか? おんぶの方がいい?」
「…歩けますよ。大した距離でもないし」
 シンビオスはメディオンの腕を取って、強く引いた。
「早く行きましょう。その後でこの報告書を書き上げないとならないんですから」
 執務室を出て、自室へと廊下を急ぐ。
「シンビオス。----こんなことを言ったらまた怒るかもしれないけど」
「なんですか? 王子」
「今日の君、随分積極的だね」
 ちょうど自室の前に着いたので、二人は足を止めた。
 シンビオスはメディオンを挑むように見上げて、
「メディオン王子が誘惑するからですよ」
「え。そんなつもりは…」
「あなたにはなかったかもしれませんが、とにかくぼくは誘惑されたんです。そしてその気になったんです。----それとも、やっぱりその責任を取るのが嫌だと仰る?」
 やっと、メディオンは微笑んだ。いつものように妖しく美しく。
「君こそ私を挑発してるじゃないか、シンビオス。なのに、今更そんなことを訊くのかい?」
 シンビオスは、少し照れたように目を伏せた。ドアを開けて、
「じゃあ…」
「うん」
 二人の姿を飲み込んで、ドアは静かに閉じられた。


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