ドミネート皇帝が誘拐され、ベネトレイムに容疑がかかった。
 勿論濡れ衣なのであるが、帝国幹部は誰も聞く耳を持たないだろう。むしろ事実関係を無視しても、この機会を逃さずに共和国に宣戦布告してくるはずだ。
 ベネトレイムを護りながら帝国領土を通って共和国に無事に戻る、という、かなり厳しい任務を、シンビオスは背負うことになった。特に『無事に』という辺りが難易度が高い。戦闘は100%避けられまい。いかに最小限の被害で乗り切るか----頭が痛くなってくる。
 そんなシンビオスの心を、更に重くするものがあった。
 帝国第三王子、メディオン。
 たった一度だけ顔を合わせ、ほんの少し会話しただけだが、彼の存在はシンビオスの心を大きく占有していた。以前から噂を聞いていたこともあって好意的に考えていたのが、実際会ってみて本当に好もしい人物だと、シンビオスの中で決定づけられたのだ。
 ----今回のことを、メディオン王子はどう受け止めただろう……
 それを考えると、シンビオスは恐ろしくなった。そして悲しい気持ちになった。
 自分の父をさらったのがベネトレイムだと、メディオンが信じなければいいが。信じたとしたら、どう思っただろう。ベネトレイムを恨んでいるだろうか。そして、その護衛であるシンビオスのことはどう思っただろう。最初にあったとき、「君とは気が合いそうだ」と言ってくれたのは覚えているだろうか。その言葉を後悔しているだろうか。----嫌われてしまっただろうか。
 そんな悪い想像ばかりが、シンビオスの頭をぐるぐる回る。
 メディオンに弁解もできないまま帝国を去らなくてはならない。いっそ自分だけでも戻って、身の潔白を訴えたい。いや、そんな危険なことはできない。一刻も早く共和国までたどり着かなければいけない。
 共和国要人という公の立場としては、勿論今回の疑いは一刻も早く晴らさなくてはならない。だが、シンビオス個人としては、帝国の要人達----たとえば第一、第二王子や将軍達、更にはドミネート皇帝にさえ、今回の事件が元で恨まれたとしても痛くも痒くもなかった。
 ----だけど、メディオン王子にだけは----
 事実でもないことで誤解されたり、嫌われたり、----もしかしたら蔑まれたりするかもしれない。そんなことは絶対に耐えられない。
 ----ああ、どうかメディオン王子がベネトレイム様を、…そしてぼくを…信じてくれますように……----
 先の見えない不安の中で、シンビオスはそう祈り続けていた。


 ドミネート皇帝と共に、メディオンはアスピアまで進軍することになった。
 勿論、自分の意志ではない。父の命令----いや、脅迫によるものだ。
 逆らえば母の命はない。自分の父が冷酷なのは知っていたが、まさか自分の妻をも利用するほど鬼畜だとは思っていなかった。
 父が母を、強奪するように娶ったのは知っている。だが、そうしたからには少しはそこに愛があったのだと、メディオンは信じたかった。だからこそ自分が産まれたのだと。
 今回のことで、その願望はうち砕かれた。
 父にとって、自分以外の者はただの道具に過ぎないのだ。
 失望したメディオンの胸を、更に暗く押し潰すものがあった。
 共和国領主の息子、シンビオス。
 初めて会ったときから、その強い瞳に魅かれていた。ベネトレイム国王を始めとする共和国要人達が父をさらったとされたときも、メディオンだけは彼らを----正確にはシンビオスを----信じた。彼のような瞳を持つ人がそんな不埒な真似をするはずがない。果たしてその予想は当たっていて、メディオンは心の底から喜んだものだ。
 シンビオスとはその後数回顔を会わせたが、その度により深くその人柄を知り、誠実で真っ直ぐなところを好ましく思った。
 メディオンは、シンビオスのことを思い返した。真っ直ぐ伸びた背筋、強い輝きを放つ瞳、きりりと引き結ばれた唇。不正や欺瞞や裏切りといった行為から一番遠い人物、それがシンビオスだ。彼はきっとそういう行為を、そういう人物を決して許すまい。今回のことを、彼はどのように見ているのだろうか。----メディオンのことをどう考えているだろう。メディオンがシンビオスを信じたように、彼もメディオンを信じてくれているだろうか。それとも、すっかり失望してしまっただろうか。
 失望! ----とても耐えられそうにない、とメディオンは思った。嫌われた方がましだ。『嫌い』は『好き』と同じくらい相手を強く想うことだ。怖いのは無関心----どうでもいい人、だと思われることだ。失望され軽蔑される。その時点で、その人の心から消し去られてしまう。
 今まで、二人の異母兄に、帝国幹部や兵士達にも蔑まれてきた。それでもメディオンは挫けなかった。メディオン自身にとっても、彼らは『どうでもいい人達』だったからだ。
 ----だが、シンビオスは違う。
 彼に否定されたら、きっと二度と立ち直れまい。
 ----どうか私を見捨てないでくれ、シンビオス……----
 メディオンはただただ願うばかりであった。


 ----自分にとって、彼は鏡。彼の瞳に自分がどう映るのか。自分の行動を彼はどう思うのか。彼は心の鏡----


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