最初は歩こうかと思っていた。
 アスピアの門を出ようとしたとき、丁度アスピア⇔フラガルドの乗り合い馬車が入ってきた。メディオンはなんとなく乗ってみたい気になった。いつもの通い慣れた道を、違う方法で辿ってみるのも一興だ。
 他の乗客は子供連れかお年寄りばかりで、メディオンぐらいの若者はいなかった。そう遠い道のりでもないので、体力のある者はみな歩く。
 ふくよかな母親の膝に座った、丸々とした幼児が、メディオンを興味深げに見上げている。彼の金色の髪を掴もうと、小さな手を伸ばしてくる。メディオンはその手に自分の指を握らせて、軽く揺すった。
 きゃっきゃっ、と声を上げて幼児は笑い、自分の母親を見る。母親も微笑みを返した後、メディオンにちょっと頭を下げた。
 窓の外の景色が流れていく。逞しい馬二頭に牽かれた馬車は、メディオンの歩行スピードよりも幾分か速い。
 ----早くシンビオスに逢いたいときには、いいかもしれないな。
 だけど、運動不足になるか、と考えながら、メディオンは外の景色を眺めていた。
 もうすぐフラガルドに着こうかというとき、メディオンは街道に、シンビオスの姿を見つけた。
 しかも、アスピアに向かっている。
「シンビオス!」
 メディオンは思わず呼び掛けた。馬車中の乗客が驚いて彼を見たが、構ってはいられない。
 残念なことに、馬車の窓ははめ殺しになっているから聞こえないようだ。シンビオスは馬車に一瞥を与えただけで、すぐに早足で歩いていく。
 すぐにでも馬車を止めてほしかったが、他に乗客も乗っているので我が儘は言えない。幸い、もうフラガルドは目の前だ。降りたらすぐに追おう。
 いやに長く感じられる時間が過ぎ、やっと馬車が止まった。馭者がドアを開けると同時に、メディオンは飛び出した。
 シンビオスは結構足が速い。メディオンが走っても走っても、なかなか追いつけない。
 八百メートルほど走っただろうか。やっとシンビオスの後ろ姿が見えてきた。
「シンビオス!!」
 メディオンは大声で呼んだ。
 シンビオスは立ち止まって、振り向いた。
「----メディオン王子?」
 大きい目を更に大きくして、駆け寄ってくる。
「どうしたんですか? こんなところで…」
「どうしたもこうしたもないよ。君に逢いに行こうと思って…」
 メディオンは汗に濡れた前髪を掻きあげて、
「そうしたら、君が歩いてるじゃないか。馬車から降りて走ったんだ」
「馬車に乗ってたんですか?」
「そうだよ。試しにと思ってね。それに速いから、その分君にも早く逢えるし」
「そうでしたか。まさか貴男が馬車に乗ってるなんて…」
 申し訳無さそうに呟くシンビオスの肩を抱いて、メディオンはフラガルドに向けて歩き出した。
「…で? 君はどうしてここを歩いてたんだい? 仕事はどうしたの?」
「今日は早く終わったんです。だから、貴男に逢いに行こうと思って。いつも来て頂くばかりじゃ申し訳ないし、王子も大変だろうから…」
 メディオンは微笑んで、シンビオスの肩に廻した腕に力を込めた。
「気にしなくていいんだよ、そんなこと。君は知らないかい? 『惚れて通えば千里も一里』って」
 シンビオスは照れているような、嬉しそうな、なんとも可愛らしい表情をした。メディオンは衝動的に抱き締めたくなったが、なんとか理性を総動員して抑えた。
 フラガルドまで、シンビオスの部屋まで、そう遠くないはずだ。
 
 二人だけで過ごす時間は余りにも短すぎる。
 シンビオスは忙しいし、メディオンも、亡命中の身でふらふらと出歩いてばかりもいられない。一週間に一度逢えればいい方だ。話だけで終わってしまう日もあれば、愛を交わすだけで過ぎてしまう日もある。
 今日は、メディオンはベネトレイムに、宿泊の許可を貰っていた。
「じゃあ、今夜はずっと一緒にいられるんですね?」
 シンビオスの表情が明るくなった。愛らしい笑顔が浮かぶ。
「うん。…今夜はいろんな話をしよう」
 メディオンはシンビオスの細い腰を抱き寄せて、柔らかい唇に自分の唇を重ねた。
「----それから、勿論、それ以外のこともね、シンビオス」
 シンビオスは頬を染めた。無言のままメディオンの背中に腕を廻して強く抱きつく。
 その顎を長い指で掬い上げて、メディオンは再びシンビオスに口付けた。そのまま抱き上げてベッドに運ぶ。
 それから先は? ----そう、『話以外のこと』が多かったようだ。


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