メディオンは絵も巧い。
 以前、是非にと請われてモデルになったことがある。恋人としての目を通しているせいか、シンビオス本人よりも美化されていた。少なくともシンビオスはそう思っていたのだが、メディオンはまだまだ君の素晴らしさを総て描き切れていない、などと悔しげに首を振っていたものだ。
 幼いみぎりに王宮に連れてこられたメディオンは、産まれ育った港町の町並みや、離れて暮らす母などを恋しく思う気持ちを、絵に表していたという。その頃から、その歳の子供の絵とは思えないほど上手だった、とキャンベルが証言していた。宮廷画家から手ほどきを受けたこともあって、今では玄人裸足の腕前だ。
 シンビオスは、メディオンの描く絵が好きだ。
 彼の優しい人柄が一杯に溢れているからだ。
 今日もメディオンは窓辺のソファから外の景色を、スケッチブックに写し取っていた。シンビオスからは信じられないほど素早く、そして滑らかに、メディオンの右手が動く。どんな細部も見逃すまいと見つめる瞳----以前、モデルになったシンビオスは、服越しでも裸にされるようなメディオンの熱い視線に酷く落ち着かない気分になったものだ。そんなシンビオスの様子に気付いたメディオンも、普段の集中力がいとも簡単に吹き飛んでしまって----、結局、絵の完成はかなり遅れる羽目になったのだ。
 今、メディオンの注意は窓の外に向いている。
 シンビオスは、メディオンが絵を描いている姿も好きであった。隣に座って、手の動きや横顔を飽きず眺める。
 ぱた、とメディオンの手が止まった。
 シンビオスは横から覗き込んだ。見慣れすぎて飽き飽きしていたはずの雪景色も、メディオンの手にかかると新鮮さと深い趣を感じさせられる。
「素敵です」
 シンビオスは心から言った。
「ありがとう」
 メディオンは微笑んだ。そしてなんのつもりかスケッチブックを捲って新しいページを出すと、
「はい」
 シンビオスに差し出してきた。
「? なんですか?」
「君も何か描いてよ」
 シンビオスは焦った。
「だ、駄目ですよ! ぼくは絵が下手で…」
 いつも謙遜気味のシンビオスだが、これは真実だった。絵など、幼い頃の『お絵描き』止まりなのだ。
「またまた、そんなこと言って」
 メディオンはてんで本気にしなかった。いつもの謙遜だと思っているらしい。
「いや、本当なんですってば」
 シンビオスはなおも拒否したが、
「じゃあ、本当かどうか描いて見せてよ」
 メディオンはもっともな----シンビオスからすれば厄介な----提案をしてきた。
「----笑わないでくださいね」
 シンビオスは渋々スケッチブックを受け取った。納得してもらうためには、やはり一度見てもらうしかない。
「うん」
 メディオンは無邪気に頷いた。絵が下手なんてシンビオスのいつもの謙遜なんだから、笑うなんてことになるはずがない、とその顔が言っている。
「何を描くの? ----私でよければモデルになるよ。ヌードでもいいし」
「----それは、絵どころじゃなくなりますから」
 シンビオスは部屋を見回して、
「あの花を描きます」
 マスキュリンが温室で育てたチューリップが活けられているのだ。これなら単純な形だし、なんとかなるだろうとシンビオスは踏んだ。
 シンビオスはメディオンの目を逃れるように、胸の前にスケッチブックを抱えるようにして、チューリップを描き始めたが。
「----あ、やっぱり駄目です」
 唐突に、そのページを破ってくしゃくしゃに丸めた。
「え? あー、なんで?」
 メディオンは目を丸くして、
「今更それはないだろう、シンビオス」
 シンビオスの手からその紙を奪おうと、身を乗り出してきた。
「でも、やっぱり、ほら、駄目なんです」
 メディオンの執拗な攻撃に、シンビオスは紙を持った腕を前後左右上下にせわしなく動かす。
「駄目じゃないよ。気になるじゃないか」
「駄目です。駄目駄目」
 狭いソファの上で押し合いへし合いしている様は、絵に対する熾烈な(と本人達は思っていた)攻防というより、単なるバカップルのじゃれ合いにしか見えず、----事実、その通りになった。
 シンビオスの手から紙が落ちたが、二人ともそんなことは最早どうでもよくなったようだ。

 身を起こしたメディオンは、やっと床に落ちている丸まった紙に気付いた。
「----あ! 駄目ですよ!」
 気怠さを押しのけてシンビオスが上体を起こしたときには、メディオンは既にその紙を広げていた。
「----これは…、----」
 言いさして、メディオンは絶句した。
「……………」
 シンビオスは苦い顔をしている。
「----いや、あー、…こっ個性的な絵だね」
 メディオンの声はやや上擦っていた。
「無理して誉めてくださらなくてもいいですよ」
 シンビオスは苦い顔のまま、
「だから、下手だって言ったじゃないですか」
 怒った様子ではないのは、自覚があるためだ。
「あー、うん。…ごめん」
「ま、いいですけどね」
 シンビオスは笑った。
「これに懲りて、もう描かせないでくださいね」
「うん、了解」
 メディオンも、シンビオスが怒っていないと知って、ほっとしたような笑顔になった。
「絵はメディオン王子に任せます。ぼくは観る方と----描かれる専門ってことにしてください」
「じゃあ、まずはシャワーを浴びてきて、…そのまま君を描いてもいいかな」
「そのまま、って、ヌードですか?」
「うん。----駄目?」
 メディオンは、意味ありげにシンビオスを見つめた。
「いいですけど…、また、完成まで時間がかかることになりますよ?」
 メディオンの意図を余すことなく読みとった上で、シンビオスはわざと訊いた。----要するに、誘っているのだった。
 対するメディオンも、その笑みを深めて、
「----嫌かい?」
 更に誘いをかけてくる。
「嫌なわけないでしょう」
 シンビオスはすっぱり答えた。いつまでも誘い誘われでは、精神的にも肉体的にも間が持たない。若いだけにシンビオスは性急であり、自分の欲望にも素直だった。
 二人は浴室に入った。

 その後、シンビオスの絵を描き上げるのに、メディオンがどのくらいの時間を要したか----本人の名誉のために明かさない方がいいかもしれない。


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