桜の散る頃、アスピアで領主会議が開かれた。
 前日の昼頃に、シンビオスはダンタレスを従えて、アスピアに行った。初めての会議。緊張するシンビオスの傍らに、メディオンも付き添っていた。ベネトレイムに呼ばれたのだ。
 ついでに、ジュリアンとジェーンも一緒にアスピアに入ったが、勿論会議には出席しない。
 メリンダやイザベラなどに挨拶したり、懐かしい人々と再会を喜んだりしながら、その日を過ごした。

 そして翌日。
「----会議はどのくらいかかるんだろう」
 ハラルドが落ち着かない様子で言った。
「昨日、ジュリアンと夕食を一緒に食べる約束をしたんだけど…」
「心配しなくても、時間はそんなにかからんよ」
 マロリー領主であり、シンビオスの義兄であるトラスティンが、楽しそうに笑った。
「取り敢えず、夕食までには終わる」
「『取り敢えず』ってなんですか?」
 シンビオスは訊いた。
「取り敢えず夕食までで終わる会議が、最低3日続く、ってことさ」
 シンビオスとハラルドは顔を見合わせた。ハラルドは肩を竦めてみせた。
 あの戦いが終わって初めての本格的な会議とあって、問題が山積みになっている。会議自体が初めてのシンビオスやハラルドにとっては、幾ら周りが知り合いばかりとはいえ、やはり必要以上に身構えてしまう。
「----君はいいな。ダンタレス殿は勿論、メディオン殿まで一緒なんだから」
 ハラルドがシンビオスの耳に囁いてきた。やっかみ半分というところか。シンビオスは苦笑して、
「君は母君が補佐してくれてるんだろう? 一緒にいらして頂けばよかったじゃないか」
「いい歳して、母と一緒に会議に出られるかい? それに、母には領地を見てもらわなきゃならないしね」
 ベアソイルは一番帝国に近いから、領主を不在にしておくわけにはいかない。彼のしっかり者の母親が厳しく目を光らせているのだ。
 その点、フラガルドはアスピアと近いし、いざというときの為にキャンベルが睨みを効かせてくれている。それに、万一何かあればハガネがすぐにでも知らせてくれる手筈だ。
 本当なら、シンビオスは以前のときのように、メディオンに代行してもらおうと思っていた。だが、メディオンも会議に出席してほしいと、ベネトレイムが言ってきた。仕事とはいえ離れているのは寂しいので、メディオンも一緒とはありがたくはあるのだが、ベネトレイムがどういうつもりでそう言ったのかと考えると…。
 そのベネトレイムが会議室に入って来た。
 一同が自分の席に着く。ダンタレスはシンビオスの隣に、メディオンは誰からも離れた末席に座った。幾ら皇帝から勘当されて帝国の人間ではなくなったとはいえ、完全に共和国の人間になったわけでもない。今のメディオンは曖昧な立場にあった。
 会議は進んでいく。
 午前中は各領主の報告に終始した。昼食と休憩を挟んで午後からは、主に人事関係が話し合われる。今回の戦争で軍の編成が大幅に変わってしまった。戦争後に編成し直したのは暫定的な措置でしかない。今回もう一度見直すのだ。
 あらかたの人事もまとまり、今日の会議も終わりに近付く頃、ベネトレイムがこんなことを言い出した。
「最後に一つ。ここに同席頂いた、メディオン殿のことだが」
 全員の目が一斉にメディオンに向けられる。メディオンは動じた様子もなく、しっかりとみなを見つめ返している。
 シンビオスと目が合ったメディオンは、そっと微笑んだ。シンビオスは不安げな表情をしている。ベネトレイムが何を言い出すのか、気が気ではなかったのだ。
「彼はフラガルドに滞在していて、領主であるシンビオスを手伝ってくれている。皇帝からは勘当されたので、最早帝国の王子ではない。----そこでだ」
 ベネトレイムは一同を見回して、
「メディオン殿を、正式にシンビオスの副官に任命したいが、どうか?」
 ざわめきが起こった。
 ハラルドが隣のシンビオスに、
「…君の提案?」
 小声で耳打ちする。シンビオスはふるふると首を横に振った。彼にとっても寝耳に水だ。
「----しかし、幾ら勘当されたとはいえ、元は敵国の王子。共和国民がどう思いますか…」
 懐疑派がまず意見を述べた。それに対して、
「だが、王子----メディオン殿は元々、共和国に対して親しみを持っている。それに、光の使徒としてブルザムを倒しもした。差しつかえはないと思うが」
 トラスティンが反論する。
「それはそうだが…。一度はこのアスピアに攻め入ったではないか」
「だから、あれは皇帝の企みのせいであって、メディオン殿に罪は…」
 あちらこちらから意見が出てくる。議論は留まることを知らなかった。
「----宜しい。みなの意見は大体解った」
 ベネトレイムは、一旦その場を静めた。
「…メディオン殿自身はどう思われるか?」
 メディオンは静かに立ち上がった。
「私は確かに以前は帝国王子であり、このアスピアにも攻め込みました。そのことについてはなんの言い訳もいたしません。ただ、償う機会を与えてくださるのであれば…」
 メディオンは真摯に一同を見つめた。
「シンビオス殿の為、ひいてはこの共和国の為に、粉骨砕身して尽くしたいと思っています」
 深々と頭を下げる。
「----なるほど、よく解った」
 ベネトレイムは頷いて、
「難しい問題だけに、一両日中には答は出まい。みな、この会議の最終日までに結論を出しておいてほしい。----では、今日の会議はここまでとする。御苦労だった」
 一同は意見を言い合いながら、会議室を後にした。
 あまりにも突然のことに、シンビオスはぼんやりと座り込んだままだ。
「…驚いたかな? シンビオスよ」
 ベネトレイムが楽しげに声をかけた。
「だって、いきなりあんなことを仰るなんて…」
 シンビオスが言うと、メディオンも頷いて、
「どうか、真意をお聞かせ願えますか? ベネトレイム様」
 ベネトレイムは、シンビオス、メディオン、それにダンタレスの顔を見回して、
「共和の理念とはなんだ?」
 と訊いてくる。
「一握りの者達の意志ではなく、多数の者達で政を行っていくことです」
 シンビオスが淀みなく答える。
「そうだ。だが、現状はどうだ? 私を始め、今この国を動かしているのは、元の帝国の貴族達だ。まだ、この国には共和の理念が行き渡っていない。国民はみな、自分以外の誰かがやってくれると思っている。帝国の恐怖政治から抜け切っておらぬのだ」
 言いながら、ベネトレイムは窓辺に近寄った。外を眺めて、
「だが、このままではいかん。今は無理でも、近い将来には国民全員に共和の理念を行き渡らせねばならぬ。それはおまえ達の仕事だ、シンビオス。私達の世代が蒔いた種を、おまえ達が育て、次の世代に受け継いでいかねばならん」
「もとより、そのつもりです」
 シンビオスが重々しく頷く。ベネトレイムは微笑んだ。
「長い仕事になるだろう。だからこそ、メディオン殿にも力を貸して頂くのだ。幸い----と言っていいのか、メディオン殿はもう帝国の者ではなくなった。だが、立場をはっきりさせないことには、国民達が不安がるだろう」
「それはそうでしょうね。今の曖昧な立場のまま、私がシンビオス殿の仕事を手伝っていれば、そのうち邪推する者が出てくるかもしれません。フラガルドの人々は私を受け入れてくれましたが、共和国民全員がそうであるとは限らない」
 メディオンの言葉は、シンビオスにしてみれば認め難いことだが、事実ではあった。勿論、メディオンに仕事を手伝ってもらうことについては、予めベネトレイムに許可を取っていた。だからといって、国民全員がそれを認めたことにはならない。人の意見はそれぞれだからだ。
 シンビオスは大いに憤慨したものだが、『メディオンはシンビオス様をそそのかして、共和国を自分の好きなように操ろうとしている』なんて怪情報も、ごくごく一部の人々の中で囁かれていたりする。尤も、それを本気で信じている人は僅かだ。
「よく解りました、ベネトレイム様。確かに、避けて通れない問題ですね」
 ダンタレスが腕を組んで頷く。
 ベネトレイムは振り向いて、
「そういうことだ。----ところで、シンビオスよ。以前に養子の件を申し出たな?」
「はい。今度生まれる姉の子供を…」
 シンビオスは言った。あれは秋のことだった。もう二月ほどで生まれる予定だそうだ。
「うむ。先程も言った通り、いつまでも同じ家系に政治を執らせるのは本意ではない。従って、あの話は保留ということにしておく」
「保留、ですか。却下ではなく?」
 シンビオスが目を瞬かせる。
「いざというときの為だ。その子供が大人になる前に、共和国の体勢が出来上がっていなければ仕方がない。その子におまえの仕事を引き継がせる」
「ああ、なるほど…」
「総てはおまえの働き次第だ。期待しているぞ」
 シンビオスの肩を一つ叩いて、ベネトレイムは会議室を出て行った。
「----何気にプレッシャーをかけていかれましたね」
 ダンタレスが堪え切れないように小さく笑った。
「まったく、気が重いよ」
 シンビオスも笑って、
「----さて。もう今日は、仕事のことは忘れよう」
「そうだね。きっと、ジュリアンとジェーンが食堂で待ってる。行こう」
 三人は会議室を後にした。

 メディオンの言った通り、食堂には確かにジュリアンとジェーン、それにハラルドも同じテーブルに着いていた。
「なんだ、遅かったな」
 ジュリアンがグラスを持ち上げて、
「先にやってたぜ」
「どうぞ」
 シンビオスは応じて、席に着く。
「----随分話題に上ってるな、メディオン」
 ジュリアンが面白そうに言う。他のテーブルに着いている会議の出席者達が、先程の最後の議案について意見を戦わせているので、聴く気がなくても耳に入ってくるのだ。
 メディオンは軽く肩を竦めて、運ばれてきた食前酒を口に運んだ。
「ベネトレイム様も会議室を遅れて出たようだけど…。そのことについて話し合ってたのかい?」
 ハラルドが身を乗り出すようにして訊いてくる。シンビオスは、さっきベネトレイムとした話をした。
「----なるほどね。いつまでも同じ顔ぶれで国を動かしてちゃ、確かに『共和』の意味はないな」
 ハラルドは言ったが、浮かない顔で、
「じゃあ、俺もそのうち失業する可能性があるってことか」
「いきなりそれはないと思うけど」
 シンビオスは肉にナイフを入れながら、
「君の子供が領主になれるとは限らない、ってことで」
「次の世代のために基盤をしっかり固めるのが、我々の役目ってわけか」
 ハラルドは納得げに呟く。
「ところで、シンビオス。おまえは、メディオンが副官になるのには賛成なのか?」
 ジュリアンの質問に、シンビオスはちょっと表情を曇らせた。
「そりゃあ…。メディオンにはこれからも手伝ってほしいとは思うけど…」
 と口籠る。
 みなはシンビオスの気持ちが解った。元王子であるメディオンに、恋人として手を貸してもらうのと、部下としてとでは、気分的に天と地ほどの違いがある。
「シンビオス。どんな立場になっても、私はいつでも君の力になりたいと思ってるよ」
 メディオンはさり気なく甘々な台詞を発してから、
「それよりも、気に懸かることがあるんだけど」
 と言った。
「なんでしょう」
「うん。私の立場を決めるのに、この会議だけで済ませていいものだろうか。それでは、ベネトレイム様の仰っていた『共和の理念』からは外れてしまわないか? 国民が本当に私のことを受け入れてくれるのかどうか、確かめた方がいいと思うんだが」
「確かに、国民の自覚を促すにはいい機会かもしれませんな。今までは総て我々だけが決めていた。それを国民に問えば、自然と意識が高まってくる」
 ダンタレスが頷いた。
「メディオン殿を悪く言う人はいないと思うけど…」
 ジェーンが首を傾げて呟く。メディオンは笑って、
「そうでもないよ。先程の会議でも、意見が割れたからね。皇帝の息子というだけで許せない、という人もいるだろうし」
「でも、それは貴男のせいじゃないのに」
 シンビオスが不満そうな声を出す。
「だから、それを国中の人に確認するんだ。みなが私を許してくれるかどうかを、ね」
「誰も許さなくても、ぼくは許してます。だからいいんです」
 シンビオスは、とても領主とは思えないことを言い出した。
「ありがとう、シンビオス」
 メディオンが微笑む。いつの間にか二人だけの世界になっている。
 対して、他の四人は口を挟まなかった。するだけ無駄なことがこの世にはある。
 幸い、以後は当たり障りのない会話になったので、安堵しつつ参加する。やがて一同は食事を終えた。そのまま、四方山話に興じる。みなは長いこと席を立たなかった。

 かなり遅くなってから部屋に戻ったメディオンとシンビオスは、まずは疲れを癒すために湯に入ることにした。
 大きな浴槽は、二人が入ってもまだ余裕がある。
「----国民投票の件、会議で提案してみます」
 と言って、シンビオスは湯舟の中で気持ち良さそうに手足を伸ばした。
「うん。----自分で言い出したことだけど、やっぱり不安だな」
 メディオンがちょっと笑う。
「大丈夫ですよ」
 シンビオスはメディオンの頬にキスした。
 メディオンは改まった調子で、
「ところで、もし私が君の副官になったら、やっぱり君のことは『シンビオス様』と呼んだ方がいいかい?」
「やめてください」
 シンビオスは可愛らしい顔を思いっきり顰めた。
「だけど、けじめは大切だろう」
「今まで通りでいいんです。これは領主命令です」
「解ったよ、領主様」
 メディオンは苦笑して、
「じゃあ、この際、君もその丁寧語をやめてくれないか? 上官としても、恋人としても妙だよ?」
 わりない仲になってかなり経つのに、いつまでも丁寧な言葉で話されるのは寂しい。----どういうわけか、愛を交わしている間の睦言は普通の言葉遣いだが、それを過ぎるとまた丁寧語に戻ってしまう。どうせなら、普段から普通にしてほしい。
「それは…。ぼくもやめようとは思ってるんですけど…。貴男の顔を見たらつい出ちゃうんです。なんででしょう」
 シンビオスは首を傾げながら言った。
 実は、無意識のうちに、シンビオスはメディオンを王子として立てていて、それが丁寧な言葉遣いとなって現れるのだ。殆ど条件反射である。
「私はそんなに畏まった顔をしてるかい?」
 メディオンは冗談のつもりだったが、
「とても上品な顔です」
 シンビオスは真面目に答えた。こうなると、メディオンもそれに応じないわけにはいかない。シンビオスの体を抱き寄せて、
「君はとても可愛いよ、シンビオス」
 囁きながらキスする。
 熱い湯の中で、シンビオスはもっと熱い吐息を漏らした。

 お陰ですっかり湯当たりしてしまったシンビオスは、火照った体をベッドに横たえた。
 メディオンがアイスティーを持ってきてくれる。シンビオスは起き上がって、
「ありがとう----」
 語尾が不自然に切れたのは、『ございます』というのを呑み込んだからだ。そうと察したメディオンも、笑いながらベッドに腰掛けて、アイスティーを飲む。
 シンビオスは一気に飲んでしまった。ふう、と息を吐く。
「----落ち着いた?」
 メディオンが悪戯っぽく微笑んで、
「やっぱり、風呂で、というのは無理があったかな」
 シンビオスは上気した頬をもっと紅くして、
「そ、そんなことは…」
 恥ずかしそうに俯く。
 メディオンはシンビオスの手からグラスを取り、自分のと一緒にサイドテーブルに置いた。それから改めて、シンビオスの体を腕の中にくるみ込む。
「まだ、くらくらするかい?」
「ん、ちょっとだけ。…でも…」
「でも?」
「のぼせたせいだけじゃ、ないみたい…」
 シンビオスはメディオンを見上げて、囁くように言う。メディオンはシンビオスに優しく口付けながら、そのままベッドに押し倒した。

 甘い夜が明けると、朝には仕事が待っている。
 朝食の後、シンビオスとメディオン、そしてダンタレスは、会議室に入った。
 今日の議題を振られる前に、ゆうべの国民投票の件を提案してみる。
 この意見がメディオンから出た、ということで、昨日彼を信じ切れていなかった人達も、どうやらメディオンのことを見直したようだ。
 ベネトレイムも、感慨深げに頷きながら、
「よく言ってくれた。確かに、国民の自覚を促すためにはいい機会になるだろう。いきなり難題をぶつけるのではなく、こういった理解しやすい事柄から始めるのも悪くはない」
 ベネトレイムは一同を見回して、
「では、採決を採る。メディオン殿をシンビオスの副官にする件を国民投票にかけることに対して、賛成の者は挙手してくれ」
 全員が挙手した。
「よし。全員賛同だ。シンビオス、提案を認める」
「ありがとうございます」
 シンビオスは頭を下げた。
 それからは、国民投票についての具体的な方法を話し合った。なにせ、初めてのことだ。色々な意見を出し合い、暗中模索しながら、実行に当たっての細かい内容を話し合っていく。
 今日はその話だけで時間が来てしまった。
「----では、残りの議題は明日にしよう」
 ベネトレイムが宣言して、議会は解散した。

 夕食は昨日のメンバーに、トラスティンも加わっていた。
「----義兄上、養子の件ですけど…」
 シンビオスが言いかけると、トラスティンは遮るように手を振って、
「ベネトレイム様から聴いたよ。保留にするんだってね」
「はい。すいません。勝手なことばかり言って…」
 保留の件はベネトレイムから出たのだからシンビオスが謝ることはないのだが、なんとなく義兄と姉を振り回しているような気がしたのだ。
 トラスティンは、しかし、そんなことを気にするタイプではない。おおらかに笑って、
「なに、気にすることはないさ。それに、可能性がないわけじゃない」
 と言ってから、シンビオスを優しく見つめた。
「それに、マーガレットは喜んでいたよ。『やっぱりシンビオスは父様の子ね』と」
 シンビオスはきょとんとした。
「どういうことですか?」
「うん。コムラード様は、帝国では皇族に継ぐ身分の持ち主だっただろう? 婚姻となると、やはりそれに見合った立場の相手が相応しいと…、常に周りから、上級貴族の令嬢との縁談を勧められていたんだ」
「あ、その話、父から聞かされました」
 ハラルドが言った。
「自分もある令嬢を推薦したことがある、って言ってましたよ」
「うん。噂によると、皇帝も縁談を持ってきたらしい。今となっては確認できないがね」
 トラスティンは楽しそうに話を続けた。
「だけど、結局コムラード様が選んだのは、貴族の中でも一番下級の家の女性だった。マーガレットと、シンビオス、君の母親の、デイジー様だ」
「でも、あの帝国じゃ、同じ貴族の中にも階級意識があるんだろ? そんな下級の貴族相手なんて、反対されなかったのか?」
 ジュリアンが、つまらなそうな口調で訊ねる。彼も、階級による差別を馬鹿馬鹿しく思っているのだ。
 トラスティンは頷いた。
「そりゃあ、されたさ。周りは勿論、デイジー様の家族も戸惑って、自分達には勿体無い話だと断ろうとした。なにせ、相手は一番上級の貴族だ。だが、コムラード様はデイジー様を愛していたし、デイジー様もそうだった」
「なら、身分なんてどうでもいいことだわ」
 ジェーンが優しい口調で言う。
「その通り。そうして二人は結婚した。----皇帝にしてみれば面白くなかったんだろう。なにせ、自分に次ぐ実力者と言われたコムラード様が、帝国の身分主義を覆す行為をしたんだから。コムラード様との溝を深めていく一因となったらしいよ」
「そうだったんですか…」
 シンビオスは言った。初めて聴く話だ。当事者の父は忙しかったし、母は早くに亡くなった。姉も、シンビオスがその話を理解できる歳になる前に嫁いでしまった。ダンタレス達は知らないのかもしれない。今までシンビオスに話してくれる者はいなかった。
「だから、今回君が、領主としての義務から意に染まない婚姻をするより、愛する人を裏切らない選択をしたのを、マーガレットも私も喜んだんだ。恐らく、ベネトレイム様もそうだろう」
 と、トラスティンは話を結んだ。

「----コムラード様は本当に誠実な方だったんだね」
 薄明かりの中、メディオンが言った。
 部屋に戻って寝る支度を済ませ、二人はベッドに入っている。
「さすがに君のお父上だ」
 シンビオスは嬉しそうに微笑んで、メディオンに擦り寄った。
「ぼくもずっと、メディオンのことだけ…」
 小さく呟く。
 メディオンはシンビオスを強く抱き締めると、
「最後の方がよく聞こえなかったよ、シンビオス」
 わざと意地悪して訊いてみた。
 シンビオスは頬を染めて、メディオンの耳にだけ届くような声で囁いた。

 ----夢見るような春の宵は、まだまだ終わりそうにない。


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