メディオンが料理好きだというのを、シンビオスは最近になって知った。
「自分の作ったものを美味しそうに食べてくれるのが嬉しいんだ」
 と言って、メディオンは時折シンビオスに、お茶菓子とか軽食を作ってくれる。
「沢山食べる人は好きだ。作り甲斐がある。君やキャンベルは本当によく食べてくれるね。見ているこっちも幸せになるよ」
 キャンベルの大食いっぷりは、シンビオスもレモテストで目にしていた。確かに、よく食べる。
「ぼくは、キャンベル殿ほどは食べませんよ」
 シンビオスは一応言っておいた。
「ああ、勿論だよ、シンビオス。彼は特別だからね」
 シンビオスが美味しそうに食べている姿を、目を細めて眺めながら、
「----ここで、レストランでもやろうかな」
 メディオンは、唐突にそんなことを言い出す。
「え?」
 シンビオスがきょとんとして訊き返すと、
「亡命中の身とはいえ、只飯食いは悪いものね」
 なんて、冗談とも付かない口調で答える。
「まさか。そんなこと」
 シンビオスは苦笑した。
「あなた一人ぐらい、ぼくが面倒みますよ。----勿論、キャンベル殿も」
「おや。それではまるで、私は君の愛人みたいだね」
 メディオンは、シンビオスの肩に後ろから腕を回して、
「『ねえ、パパ。私、お店がほしいの。小さいのでいいから、一つ用意してよ』」
 妙に高い作り声で囁く。
「『うーん。今は不景気だから、私も小遣いを減らされてねえ…』」
 シンビオスは重々しく応酬した。それから顔を見合わせて笑い出す。

 メディオンが結構お茶目な人だと、シンビオスはレモテストで既に知っていた。
 初対面のときや、その後何度かの対面のときに見せた、どこか寂しそうな様子はどこへやら、レモテストではウィットに富んだ巧みな話術で、みなを笑わせてばかりいた。
 その相違点についてシンビオスが突っ込むと、
「だって、初対面からふざけた話はできないだろう? あのときは、そんな場面でもなかったし」
 つまり、ちゃんと場をわきまえて、真面目な話とふざけた話を使い分けているのだという。
 遠征中は、深刻で暗いムードになりがちな軍内を少しでも盛り立てようと、いきすぎない程度に明るい話を振っていたらしい。
「全然気負わないで戦いに臨むのは考えなしだけど、気負いすぎてガチガチになるのも良くないんだよ。適度に緊張して適度に気を抜く。この加減が難しくてね」
 幸い、メディオンだけでなく、場を明るくしてくれる人達が他にもいた。
「たとえばウノマ殿とか、マスキュリン殿とか、あと、うちのウリュドとシンテシスとかね。----プロフォンド将軍もだったけど、彼は自覚はなかったんじゃないかな」
 確かに、世界を賭けた戦いに臨んだ軍にしては、根底に流れる雰囲気は明るかった、とシンビオスも思っていた。
「みんな、『絶対勝つ』って自信があったからね。それに、北の地にいく前に、みんなさんざん辛苦を嘗めたし。もう、よほどのことじゃ動じなかったんじゃないかな」
 そういえばそうだ、とシンビオスは頷いた。共和国の将軍達が次々と裏切ったり命を落としたり、あげくは父を失ったりしていたので、北の地であわや凍死しかけたときも、半ば覚悟はできていた気がする。
 メディオンも、母を人質に取られたり、父に殺されそうになったりと大変だった。
「一番辛かったのは、君と戦わなきゃいけなくなったことだな。君から疑いの眼差しで睨まれたときには、城壁から飛び降りてやろうかと思ったぐらいだもの」
 と、芝居がかった口調で大袈裟に言い出して、シンビオスを笑わせた。

 こんな他愛のない会話が、慣れない政に疲れているときなどは、本当に有り難い。しかも、メディオンはちょうどいいタイミングで、仕事中のシンビオスの許にやってくるのだ。
 煮詰まって頭を抱えているシンビオスに美味しいお茶を淹れてくれて、笑い話で気分転換させてくれる。10分も居ずにメディオンが出ていった後、シンビオスは一時間も休憩していたかのようなすっきりした気分で、また仕事に励む。
 今も、おやつを平らげお茶を飲み干したシンビオスを優しく見つめて、
「じゃあ、頑張ってね」
 と一声残して、メディオンは執務室を出ていった。
 シンビオスは椅子に座ったまま大きく伸びをすると、積み上がった書類に目を通し始めた。

 夜には、同じ部屋で、同じベッドで眠る。
 メディオンがフラガルドに来た初日、話が弾んで止まらなくなり、終いにはベッドに座って夜通し喋りまくってしまった。しかも、真面目な話ではなく、例によって馬鹿みたいな笑い話ばかりで、笑いすぎて腹筋が痛くなり、喉が嗄れるほどだった。
 以来、ベッドに入ると何故かそんな話ばかりして、笑って笑って笑い疲れて、いつの間にか眠ってしまうのだった。

 ある日、メディオンはアスピアに行くことになった。
 母や妹達に加え、亡命してきた祖父母もひっそりと暮らしているから、顔を見に行くのだという。
 前の晩に作った大量のお菓子を持って、メディオンはキャンベルと一緒にフラガルドを出発した。
 彼らの姿が見えなくなるまで見送った後、シンビオスは執務室に戻った。
 午前中は、どうということもなく職務をこなした。
 メディオンがいない、と身に染みて感じられたのは、昼食のときだ。
 いつもならメディオンが食卓を盛り上げてくれるのだが、今日はひっそりとしている。
「やっぱり、王子のお話がないと、なんだか物足りないですねえ」
 いつも一緒に食卓に着いているダンタレスが、しみじみと言った。
「キャンベルもいないし…。今日は城全体が妙に沈んだ感じですね、シンビオス様」
 まったく、ダンタレスの言葉通りだった。城の中に活気というか覇気がないのだ。
 最初は、一日ぐらい、と軽く考えていたシンビオスだったが、メディオンがいないと、1分が1時間にも感じられてしまう。といって、家族に会いたいというのを阻止することもできなかったのだから、つまらなくても我慢するしかないのだ。
 午後は急ぎの仕事もなかったので、シンビオスは城下を廻ってみることにした。生前父がしていたように、町の住人一人ひとりに声をかける。戸惑ったのは、全員から、
「今日はメディオン王子とご一緒じゃないんですね」
 と言われることだった。
 そういえば、シンビオスが城下に行くときには、必ずメディオンがついてくる。逆に、メディオンが出かけるときには、シンビオスは仕事で残ることが多い。代わりに、いつも何かしらおみやげを買ってきてくれる。
 二人のときとメディオン一人のときでは、後者の方が断然回数が多い。なのに町の人が口を揃えてそんなことを言うなんて、と、シンビオスは首を傾げながら城に戻った。
 執務室に戻って、急用や連絡事項がないか確認する。----机の上は、出かけたときのままだ。
 安心して椅子に座ったと同時ぐらいに、ドアがノックされた。
 シンビオスは一瞬、王子かな、と思い、今日は彼がいないのをすぐに思い出した。苦笑しつつ、ノックに応じる。
 紅茶を持って、グレイスが入ってきた。
「お疲れさまです、シンビオス様」
「ありがとう、グレイス。ちょうど喉が渇いていてね」
 早速、一口飲む。
 いつもはすぐに出ていくグレイスだが、
「町の様子はどうでしたか?」
 珍しく留まって、そんなことを訊いてくる。
「うん。いつも通り平和だったよ」
 シンビオスも、ちょうど誰かと話したい気分だった。
「でも、不思議なんだよね。会う人がみんな、『今日は王子と一緒じゃないんですね』って言うんだ」
 グレイスは、楽しそうに笑った。
「だって、シンビオス様。お二人はいつもご一緒にいるイメージがありますもの」
「それ、どんなイメージ?」
「ほら、シンビオス様もメディオン王子も、軍のリーダーだったお方ですし、今回の戦争でも何度か共闘なさってますでしょう? 自然と、コンビみたいに考えてしまうんですわ」
「コンビ、ねえ…」
 シンビオスはしみじみ呟いた。メディオンがいなくて寂しいのは、自分でもそう思っているからだろうか。
「それに、今日のシンビオス様、なんだかとってもお寂しそうですわ」
 心を読んだかのように、グレイスが言った。彼女には時々こういうことがある。それが一層、グレイスの神秘性を強めていた。
「うん。王子がいないとやっぱり寂しいね」
 そんなグレイスだから、シンビオスも素直に胸の内を告白できる。
「ですわね。----実を言いますと、私も、いえ、城中のみんなも寂しがっていますの」
「そうなの?」
「ええ。時折、王子は私達にも面白い話を聞かせてくださるんです。それにやはり、あの華やかなお姿ですわ。王子がいらっしゃる所って、周りの空気が違いますもの」
 そう。メディオンには、人を惹きつける何かがある。これはやはり、(良くも悪くも)稀代のカリスマといわれた父、ドミネート皇帝の血だろう。
「お戻りは明日でしたわね?」
 空になったシンビオスのカップに2杯目の紅茶を注ぎながら、グレイスは訊いた。
「うん。やっぱり名残惜しいだろうし、明日の今頃になるんじゃないかな」
 そもそも、メディオンとキャンベルだけがフラガルドに滞在するようになったのは、アスピアにいると復興作業を手伝うといって、町の土建屋に混ざって力仕事をし始めるからだ。それについて帝国から、亡命中の王子をこき使うとはどういう料簡か、と文句をつけてきた。
 そんなことで喧嘩を売られては堪らないので、復興作業が終わるまではフラガルドにいるように、とベネトレイムが言ったのである。
「自分の方は刺客を遣って殺そうとしたくせにね」
 なのに、作業を手伝ったくらいで目くじらを立てるなんて、とメディオンは苦笑いしていた。
「つくづく、勝手な人だよね、皇帝は。まったく、あの人らしいよ」
 シンビオスはといえば、お陰でメディオンがフラガルドに滞在してくれることになったので、ちょっとだけ皇帝に感謝したりしていた。
 でも、メディオンにしてみれば、気の置けない相手がシンビオスぐらいしかいないフラガルドよりも、母や異母妹、祖父母に仲間達が揃っているアスピアの方が、ずっと住み心地がいいだろう。
「アスピアの復興も順調みたいだし、近いうちに王子もあっちに戻るんだろうね」
 シンビオスが呟くと、
「そうでしたわね。もともと、こちらには一時的にいらしてるだけでしたものね」
 グレイスも、しんみりと応じた。
「一日いらっしゃらないだけでこんなに寂しいんですもの。ずっといないとなると…。…考えたくないですわ」
「うん…」
 二人揃って、溜め息をつく。
「----では、私はこれで。長居をしてすいません」
 グレイスが、トレイを手に一礼する。
「紅茶、ありがとう」
 シンビオスがそう言うと、グレイスはドアの所で再び頭を下げて出ていった。
 カップに残った紅茶を飲み干して、ポットに一杯分だけ残っているのを、シンビオスは自分で注いだ。
 一口飲んで、再び溜め息をつく。
 なんとなく、王子はこのまま戻ってこないんじゃないか、という予感がした。

 早く寝れば早く明日になる、という真理に応じて、シンビオスも今晩は早く休むことにした。
 ベッドに入って、こんなに広かったかと感じる。いや、確かに大きいベッドなのだが、今夜は一段とそれを実感させられる。
 いつもなら、メディオンと笑い話に興じるところだ。
 ベッドは無駄に広いわ、笑いがなくて物足りないわで、シンビオスは眠れなかった。昼間の予感----王子は戻ってこないかも、という心配もある。
 それでも、今までメディオンがしてくれた話を思い返しているうちに、シンビオスはいつの間にか眠っていた。

 翌朝も、フラガルド城はどんよりしていた。
 朝食を終えたシンビオスは、気が乗らないながら仕事をこなしていた。開け放した窓から入ってくる風はもう冷たく、秋を感じさせる。
 シンビオスは立ち上がって、窓から中庭を眺めた。マスキュリンが落ち葉を掃いている。シンビオスが見ているのに気付いて手を振ってきたが、唐突に、あ、という顔をした。
 不思議に思ったシンビオスの目を、後ろから誰かが塞いだ。耳元で、
「誰だ?」
 と笑いを含んだ声がする。
 こんなことをするのは、勿論一人しかいない。
「メディオン王子、でしょう?」
「当たり」
 目を押さえていた手が外されたので、シンビオスは振り向いた。すぐ目の前に、メディオンの悪戯っぽい笑顔がある。
「はい、正解の景品」
 メディオンが紙袋を差し出してくる。それを受け取って、
「ありがとうございます。----随分お早いお帰りでしたね」
 シンビオスは言った。戻って来るにしても、向こうで昼食を済ましたくらいの時間になるかと考えていたのだ。
「うん。アスピアにいると、どうしても作業を手伝いたくなっちゃうしね」
 相変わらず、ふざけたことをメディオンは言っている。
「みなさんはお元気でしたか?」
「相変わらずだったよ」
「そうですか…」
 シンビオスは、メディオンから貰った袋を開けてみた。暖かそうな手編みのマフラーが入っている。
「これは…?」
「母が、君にって。----手慰みに、みんなに編んでるんだって。君のは特に頼んで、私と色違いのお揃いの模様に作ってもらったからね」
「はあ…」
 呟くシンビオスを、メディオンは楽しげに眺めた。
「あ、私とのお揃いが嫌なら、イザベラとのや、シンテシスのともあるよ? それとも、キャンベルとの方がいいかな?」
「いえ。王子とお揃いがいいです」
 シンビオスは笑って答えた。
「君はそう言ってくれると思ったよ」
 メディオンは嬉しそうな顔で、
「キャンベルのとは、ダンタレス殿にあげよう。あの二人がお揃いのマフラーをして並んでるところを想像してごらん?」
 言われた通り想像してみて、シンビオスは愉快な気分になった。
「じゃあ、これがダンタレス殿で、これがマスキュリン殿、こっちをグレイス殿にしよう」
 大きな紙袋から次々と、メディオンはマフラーの入った小さい袋を出して、机の上に並べる。シンビオスは目を瞠った。
「これを、全部王妃が編まれたんですか? ----王子のマメなところは、王妃に似たんですね」
「そうみたいだね」
 頷くメディオンを見ているシンビオスの胸に、彼が戻ってきてくれた喜びが生まれてきた。だが、昨日の予感はただの杞憂とは言い切れない。アスピアが元通りになれば、今度こそメディオンはフラガルドに戻ってこないだろう。
「…ところで、アスピアの様子はどうでした?」
 シンビオスは訊いてみた。
「みんなが頑張ってるから、凄い勢いで復興していってるよ。元通りになるのも、時間の問題じゃないかな」
 メディオンの答えは、本来なら喜ぶべきものなのだが、シンビオスは複雑だった。
「じゃあ、メディオン王子がアスピアに戻るのももうすぐですね」
 シンビオスは、無理に微笑んだ。
「待ち遠しいでしょう。お母様やご家族のみなさんと暮らせるのが」
 メディオンは、いつになく真剣にシンビオスを見つめた。
「そのことなんだけどね。私はずっとフラガルドにいちゃ駄目かな?」
「え?」
 メディオンの視線と、思いも寄らない言葉に戸惑いつつ、シンビオスは訊き返す。
「アスピアには確かに家族も仲間もいるけど、でも君がいないからね。今日だって、こんなに早く帰ってきたのも、君に会いたかったからだし」
「そ、それは…」
 シンビオスは何となく顔を伏せた。
「城のみんなも喜びます。王子がいないと、なんとなく活気がなくなってしまうから…」
「それは嬉しいな。でも…」
 メディオンはシンビオスの肩に手をかけて、シンビオスの顔をのぞき込むように腰を屈めた。
「【君は】どうなのか聴きたいな、シンビオス」
「ぼ、ぼくは…」
 メディオンの視線から目を逸らせたまま、シンビオスは呟いた。
「…嬉しいです。王子がいないと寂しいです…から…」
「うん! それならいいんだ」
 今までの真摯な口調から一転、メディオンは明るく言って、シンビオスの肩をぽん、と叩いた。
「じゃあね、私はみんなにマフラーを渡してくるから。----仕事、頑張ってね」
 机の上のマフラーをかき集めて、風のように出ていく。
 茫洋と一人立ちつくしていたシンビオスだが、やがて笑い出した。笑いながら、それでも、今夜王子と同じベッドに入ったとき、今までと同様の態度をとれるかどうか、はなはだ不安であった。


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