木々が鮮やかに色づき始める。
 楓やナナカマドは赤に、白樺やイチョウは黄色に。
 長く厳しい冬の後のご褒美のように優しく訪れる春もシンビオスは好きだったが、夏の熱を冷ますようにやってくる秋も愛していた。特に、葉が赤や黄色に変わっていく様は目に楽しい。一本の木に、まだ緑の葉と、紅くなる途中のオレンジ色と、すっかり紅葉したものが混在する美しさ。とても言葉で言い尽くせないほどだ。
「…おもてなしは、やっぱり外の方がいいかな」
 シンビオスはほとんど独り言の調子で言ったのだが、領主の言葉ともなると一言も聞き逃さないように気を遣っている者達が周りに控えているわけで、
「明日も晴れるようですよ」
 マスキュリンがすかさず応じた。
「秋空の下でお茶、なんて素敵じゃないですか」
「耳には心地いい響きね。でも----」
 グレイスが静かに首を振って、
「寒いんじゃないかしら? 風もすっかり冷たくなっていますもの」
「確かに。我々は慣れていますが、お客人には辛いかもしれません、シンビオス様」
 ダンタレスが難しい顔で腕を組む。
「うん、そうだね。特に、デストニアの港町はここよりかなり南だし」
 シンビオスは少し残念そうに言った。窓から、中庭の様子が見える。美しく染まったこの庭を、ぜひメディオンにも楽しんで貰いたいのだ。それにはやはり、中庭に出るのが一番なのだが。
「それなら、お茶の後にでもこうお誘いしたら如何でしょう? 『中庭を一緒に散策しませんか?』って」
 グレイスが提案する。シンビオスは頷いた。
「そうか。そうだね。『美しく色づいた木々を、あなたと一緒に見たいのです』とか」
 こう言ってからちょっと紅くなって、
「ここまで言わなくてもいいか。『紅葉が今盛りなんです。綺麗ですよ』?」
「その辺が妥当でしょうね。----普通なら」
 ダンタレスが笑った。
「でも、結局は、シンビオス様がどうなさりたいか、でしょう?」
 シンビオスは更に紅くなった。
「ど、どうって、なな何が」
 しらばっくれたつもりだったが、付き合いの長い3人には通用しない。みな一様に意味ありげな笑みを見せて、
「何が、って、シンビオス様、今更…」
「そうですよ〜。この機会を逃す手はないですよ」
「季節も舞台も、まさにおあつらえ向きですわ」
 口々にたきつける。
「でも、もし伝わらなかったら?」
 恋する者の常で、シンビオスも不安の中にいた。相手は自分のことをどう思っているのか。嫌われてはいないはずだ。だが、友情以上の思いを抱いてくれているかは判らない。
「シンビオス様、大丈夫ですよ! 岡目八目っていうでしょう? 当人は気付かないことも、周りはしっかり見届けているって」
 マスキュリンが元気よく請け負う。
「メディオン王子の、シンビオス様を見つめる瞳! レモテストでも、遠征軍中の女の子が羨ましがってましたよ。自分もあんなふうに見つめられたい、って」
「----そ、そうなの?」
「そうですわ。----まさかシンビオス様、あの瞳に対して何ともお思いになりませんでしたの?」
 グレイスが不思議そうに訊く。
 シンビオスは決まり悪げに、小さく頷いた。
「優しい瞳だな、とは思ってたけど、それ以上は…」
 マスキュリンとグレイスは顔を見合わせて、嘆息した。
「優しいのは当然ですけど、あの情熱に気付かないなんて…」
「そうですよ! あれはまさに『恋する瞳』ですよ?」 
「…そんなこと言われたって…」
 シンビオスは口の中でごにょごにょと呟く。
「まあまあ、グレイスもマスキュリンも」
 ダンタレスが微苦笑を浮かべて、
「それは、多少のやきもちも含んでいるようだな?」
 マスキュリンとグレイスは、再び顔を合わせた。
「もう! ダンタレス様、それを仰っては身も蓋もないですよ」
 マスキュリンが明るく笑った。

 翌日はマスキュリンの言葉通りよく晴れたが、少々風が強く、せっかくの暖かさを奪っていた。
「日陰は寒いね。歩いていても全然暖まらない」
 という第一声を発したメディオンは、なるほどシンビオスから見たら行き過ぎなほど厚着をしていた。
「お寒い中わざわざフラガルドまでお越し頂きまして----」
 緊張から堅苦しくなってしまうシンビオスの挨拶を、
「そんなお堅い挨拶はやめておくれ、シンビオス殿。私は仕事できたんじゃないんだから」
 メディオンが苦笑しつつ遮る。
 シンビオスは首を竦めて、
「あ、す、すいません、メディオン王子。----ようこそいらっしゃいませ」
「お邪魔します」
 メディオンは丁寧に頭を下げて、----顔を上げたときににっこりと微笑む。思わず、シンビオスは見とれてしまった。
「----メディオン様を宜しくお願いします、シンビオス殿」
 キャンベルの言葉が耳に入って、シンビオスは我に返った。
「…あ、はい、キャンベル殿も、ゆっくりおくつろぎください」
「はい。お言葉に甘えさせて頂きます」
 キャンベルは鷹揚に頷いて、ダンタレスと肩を並べて廊下を去っていく。
「どうぞ、こちらへ」
 シンビオスは、メディオンを応接室に案内した。
「寒かったでしょう? 今、熱いお茶を淹れますから。お掛けになってください」
「ありがとう」
 メディオンが脱いだコートをハンガーにかけた後、シンビオスはお茶の支度を始めた。
 メディオンはソファに座らず、窓辺に歩み寄った。
「もう、すっかり紅葉しているね」
 目を細めて窓の外に広がる中庭を眺める。
「ここに来る道々も楽しんできたけど…、全然見飽きないね。本当に綺麗だ」
 これはチャンスだ。シンビオスは意を決して、
「もし宜しければ、散策しませんか? 中庭を----一緒に」
 ちょっと慌てたので、文法がめちゃくちゃになってしまった。それに、今はお茶を淹れている途中だと気付いて、
「あ、勿論、お茶を飲んでから…。王子も、今来たばかりでお疲れでしょうし、体も冷えているでしょうから」
 昨夜ベッドに入ってから、何度もスマートな誘い方をシミュレートしていたのだが、実際はスマートどころかぎこちなくて格好悪くなってしまった。シンビオスは軽い自己嫌悪に陥った。
「うん。そうだね。シンビオス殿、ぜひ案内しておくれ」
 メディオンは優しい笑顔を広げて応えてくれる。
「君の美味しいお茶を飲んでから、ね」
「はい!」
 極端なもので、メディオンのその笑顔に、シンビオスの心は瞬く間に晴れていく。すっかり地に足が着かない思いだ。
 シンビオスがポットとカップを持ってテーブルの所へ行くと、メディオンもようやくソファに腰を降ろした。
「今日は、緑茶にしました」
 メディオンの前にカップを置きながら、シンビオスは言った。
「あ、それで思い出した」
 メディオンが軽く手を打って、
「また、葉を分けてほしいんだ。この前貰った分も、あっという間に飲んでしまった。母も妹もこのお茶が大層好きでね。----いいだろうか?」
「ええ、勿論です」
 シンビオスは早速立ち上がると、新品の緑茶のパックを5つ、棚から取り出して袋に入れた。
「こんなに貰っちゃっていいの?」
 メディオンが嬉しそうに訊く。
「どうぞ。つい昨日、ハガネが10個持ってきてくれたんです。----あまり長い間置いておいても鮮度が落ちちゃいますし…」
「そういうことなら、遠慮なく」
 メディオンは恭しく受け取って、
「シンビオス殿、ありがとう」
「どういたしまして」
 シンビオスはちょっと頭を下げて応じた。顔を上げると、メディオンがやけにじっと自分を見つめているのに気付く。いつも通り優しくて、----いつもとは違う何かが、その瞳にはあった。
 ----これって、もしかして…。
 シンビオスは胸が高鳴るのを感じた。昨日、マスキュリンとグレイスが言っていたのは、これのことなのだろうか。だんだんと息が苦しくなってくる。
「----メ、メディオン王子、何か?」
 重苦しい沈黙に耐えられなくなって、とうとうシンビオスは尋ねた。あがりすぎていたせいか、少し乱暴な口調になってしまう。
「ん? いや、別に」
 とメディオンは、口ではこう言ったが、シンビオスを見つめる瞳は変わらない。いや、それどころかますます『危険』な感じが漂う。
 こんな緊張感にまったく慣れていないシンビオスは、すっかり頭に血が上ってしまっていた。冷静になれば、これもまたとないチャンス----自分の気持ちを伝えるに相応しい雰囲気だと気付くのだが、とてもそこまで頭が回らない。今はただ、少しでもこの緊迫した空気を、いつものものに戻したい一心だった。
「----あ、えっと、王妃様はお元気ですか?」
 シンビオスはやたらと大きな声で訊いた。
「え? う、うん。元気だよ」
 その声の大きさに驚いたのか、それとも突如話題を振られて戸惑ったのか、メディオンはちょっと目を見開いて答える。
「妹さんも?」
「お陰様で」
「キャンベル殿も?」
「…今会っただろう」
「あ、そうでした。----えっと、じゃあ…」
「シンテシスもウリュドもグランタックもブレスビィも、みんな元気でやってるよ」
「そ、そうですか…」
 シンビオスは居たたまれなくなって、お茶を口に運んだ。メディオンも同じく、黙々と飲んでいる。奇妙な沈黙を破ったのは、メディオンの満足げな吐息だった。
「…やっぱり、君の淹れてくれるお茶は美味しいな。同じ葉のはずなのに、他の誰のよりも美味しいよ」
「そ、そんなことないです」
 シンビオスは謙遜ではなく、心から言った。自分で、自分のお茶がとびきり美味しいと思ったことはない。他の----たとえばグレイスの淹れてくれたものと差は感じない。
「そんなことなくないよ!」
 メディオンは、ちょっとむきになった口調で、
「紅茶でも緑茶でも、本当に、君のお茶が一番だ。----何かこつでもあるのかい?」
「別に…。普通に淹れてるだけです」
 強いて言えば、メディオンに美味しく飲んで貰いたい、という想いを込めているだけだが、そんなことでお茶の味が変わるとも思えない。
「そう? じゃあ、なんでこんなに美味しいんだろう」
 メディオンはまた、あの瞳でシンビオスを見つめた。
「君の淹れてくれるお茶を、毎日でも飲めたらいいのに」
「……………」
 シンビオスは、なんと応えていいものか、咄嗟には思いつかなかった。それにしても、今日の王子はいつもと違う。なんでこんなことばかり言うのだろう。これはまるで----。
 メディオンが唐突に、ふ、と表情を緩めた。
「----シンビオス殿、中庭を案内してくれるかい?」

 風が冷たい。
 部屋の中からは、太陽の恵みを受けた中庭はとても暖かそうに見えたのだが、実際に出てみるとまるで違う。日向でも、風の冷たさが太陽の熱を奪っていく。
 シンビオスはちょっと身震いした。暖かそうに見えたのと、すっかりのぼせて暑いぐらいだったので、上着を着ずに出てきてしまったのだ。メディオンはちゃんと着てきたコートを羽織り、かつ、シンビオスにも何か着たら、と助言してくれたのだが、シンビオスは大丈夫と言って聞かなかったのだ。こんなに風が冷たいとは思わなかった。木々の葉を揺らすほどの勢いではなくても、止むことなくそよそよと吹いているのだ。
「シンビオス殿、大丈夫?」
 メディオンが心配そうに訊いてくる。
 心配をかけたくなかったのと、彼の忠告を聞かなかった決まり悪さが相まって、シンビオスは余計な意地を張った。
「大丈夫です、このくらい」
 強い口調でシンビオスがそう言うと、メディオンはちょっと肩を竦める。
 二人は小さな中庭を、ゆっくりと歩いていった。赤や黄色に染まった木々と、常緑樹の緑のコントラストが美しい。深く息を吸い込むと、秋の匂いが胸を満たす。
 やがて、一本の楓の前で二人は足を止めた。
 まだ緑の部分と、色の変わりかけたオレンジ色と、すっかり真っ赤になった葉と。美しいグラデーションだ。
 シンビオスは深々と息を吐いた。あまりの美しさに、寒さを忘れる----ということは全然なくて、ちょうど強く吹きつけた風に、思わず我が身を抱き締める。
「ほら、やっぱり寒いんだね?」
 メディオンが、揶揄するような口調で言った。
「ち、違います! これは----」
 反論しかけたシンビオスの体を、メディオンは後ろから、ふわりと自分のコートの中にくるみ込んだ。
「----! お、王子…」
「…嫌?」
 耳元で、メディオンの声が囁く。
「嫌じゃ…ないです…」
 シンビオスが答えると、メディオンはもっと強くシンビオスの体を抱き締めてきた。
「今日ね、君に…、絶対伝えようと思ったことがあるんだ」
 メディオンの声が、優しく甘くシンビオスの耳に忍び込む。それは心に届いてシンビオスを熱くとろけさせる。
「シンビオス殿、…好きだよ」
 強張っていた体の力を、シンビオスはゆっくりと抜いた。
「ぼくも…、あなたが好きです、メディオン王子」
 上半身を少し捻って、メディオンの方を向く。あの瞳と出会った。今はもう怖くない。ただ陶酔する心地だ。
 シンビオスは静かに瞼を閉じた。メディオンの唇を受けるために。


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