どちらかが遺跡に潜っていないときはいつも一緒にいるメディオンとシンビオスの様子にも、遠征軍の他のメンバーは慣れっこになっていた。この地に降る雪と同じで、日常の光景として馴染んできている。
 ただ、どういう思いでそれを見ているかは人それぞれで----自分のことのようにときめいちゃってる者とか、(誰とは言わないが)嫉妬に身を焦がす者、別にどうとも思ってない者、穏やかな気持ちで見守る者、と様々だ。
 そして、ここにも一人。
「…いいなぁ…」
 グラシアがほう、と息を吐く。
 ジュリアンは読んでいた新聞から顔を上げた。グラシアが誰かを羨むことなどなかったし、ましてやそれを口に出すなど尚更だ。
「何がだ?」
 と訊いたのも当然だろう。
 グラシアは、何故かうっとりとした風情で、
「メディオン王子とシンビオス殿です」
「ああ、あのラブラブバカップルな」
 ジュリアンはどうでもいいような口調で、肩を竦めた。
「…ジュリアン、やっかんでるんですか?」
 グラシアが大真面目に言う。
「誰がだよ」
 ジュリアンは丸めた新聞で、グラシアの頭を軽く叩いた。
「…で? あの二人の何がいいんだ?」
「ああいう風に、身も心も許しあった間柄、って羨ましいですよね」
 グラシアは再び夢見モードになる。
「私にもそういう人がいたらな…」
 ジュリアンは小さく笑った。人生経験豊富な彼からすれば、グラシアなどはまだまだ赤ん坊も同然だ。実際の行為を知らないはずの彼が憧れだけでものを言っているのを見て、やっぱりまだガキだな、と思ったのである。
「まあ、『心』はともかく、『身』の方はまだ無理じゃねえか?」
 ジュリアンの意地の悪い台詞に、グラシアは現実に戻った。真剣な表情で、
「どうしてですか?」
「どうして、ってなあ」
 何も知らない奴は始末に負えない。解り切ったことを訊いてくるからだ。ジュリアンはグラシアの、発育途上の体を遠慮なく眺め廻して、
「----せめて、後5年だな」
「5年も待たなきゃいけないんですか…」
 グラシアは落胆の表情を見せた。
 ----大体、今そんな相手なんていねえだろ。
 ジュリアンは心の中で突っ込んで、コーヒーカップを持ち上げた。残ったコーヒーを一気に飲み干す。
 グラシアはその様子を切なそうに見つめた。
「ジュリアンは5年も待ってくれますか?」
 予想もしていなかった言葉が耳に飛び込んでくる。驚いた弾みにコーヒーが気管に入ってしまって、ジュリアンは激しく噎せ返った。
「ジュ、ジュリアン、大丈夫ですか?」
 グラシアが椅子から降りて、慌てて駆け寄って来た。小さな手でジュリアンの背中を叩く。
「----おま、おまえなあ、なんで俺がおまえを…」
 咳と共に言いかけて、ジュリアンはグラシアの瞳に気付いた。
「----って、俺なのか?」
 グラシアは微かに頷いた。
「だって、今私が心を許せる相手は、貴男しかいませんから」
「いや、だからって…」
「ジュリアンは、私が嫌いですか?」
「い、いや、嫌いじゃねえけど」
 ガキをどうこうする趣味はない。ジュリアンは、迫ってくるグラシアから逃れようと、椅子をがたがたと後ろにずらした。そこに、
「ジュリアン」
 思い詰めたグラシアがしがみついてくる。
 となると、当然の結果として、ジュリアンはグラシアもろとも、椅子ごとひっくり返った。
「だ、大丈夫ですか?」
「…まずは退けろ」
「あ、す、すいません」
 グラシアは真っ赤になって起き上がった。
「まったく」
 ジュリアンも起き上がって、椅子を直した。それから、俯いてしまったグラシアの頭を撫でて、
「5年先のことなんて解らねえよ」
 と言った。
「おまえの方が、俺のことなんか忘れてるかもしれないだろ」
 グラシアは顔を上げた。
「そんなことはありません!」
 強い口調で言う。
 意地でも譲らないと叫んでいるグラシアの瞳は、昔自分が子供だった頃のことをジュリアンに思い起こさせた。
 ジュリアンは、自分でも思いがけないくらい優しい声で、
「もしそうなら、そのときは俺の所に来い。5年ぐらいなら待っててやる」
「本当ですか?」
 グラシアの顔が明るくなる。
「ああ」
 とジュリアンは頷いたものの、グラシアが本当にそうするのか、そしてそのとき自分はどうするのか、とても想像がつかない。
 ただ、グラシアの子供らしい嬉しそうな笑顔に、まあいいか、と思ってしまったのだ。
 そして、結構とんでもない約束をしてしまったと気付いたのは、それから暫く経ってからだった。


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