ラルゴ・バミッシュは筋金入りの『海の男』である。彼は海の上で産まれ、歩くより先に泳ぎを覚えた。
 ラルゴの両親は海賊である。
 《ブルーシャーク》といえば、世界の海にその名を轟かせる大海賊団だ。盗られて困るような所の船は決して襲わない。また、総ては盗まない。残虐なことは好まず、万が一相手が抵抗してきても気絶させるだけで、命までは取らない。昔ながらの『義賊』である。
 ラルゴも、両親やその手下達に、船のことや海のこと、義賊たる海賊の心得をじっくりと仕込まれた。21歳になった今では、すっかり一人前の海賊となっている。
 2年前、《ブルーシャーク》と他の海賊団との間にいざこざが起こった。
 相手の海賊団は《紅の海燕》で、こちらは襲った船の乗員を皆殺しにして総てを奪い尽くすという、最近増えてきた残虐な海賊団だった。
 昔気質のラルゴの両親は、そんな奴らを決して許さず、襲い来る《紅の海燕》の荒くれ者達を容赦なく叩きのめした。
 だが、この戦いによりラルゴの父親であるボスは怪我を負い、手下達に采配を振るうのが難しくなった。
 ボスには息子が二人いて、ラルゴは次男である。ラルゴの兄、すなわちボスの長男は海賊の両親を持ったにもかかわらず船酔いする体質で、今は陸の上でトレジャーハンターをしている。
 そこで、ラルゴが跡を継ぐことになった。
 なにせ産まれたときから船の上で育ち、陸に上がると酔う、というほどの筋金入りである。それに手下達も、ラルゴが子供の頃から自分達の持てる技術を仕込んでいるから、反対などしようはずもない。
 ここに、《ブルーシャーク》の若き2代目が誕生した。

「坊ちゃん」
 後ろからそう声をかけられて、ラルゴは苦い顔になった。
 声の主は判っている。先代ボス----ラルゴの父の右腕と言われた男、パーンズである。他に、ラルゴを『坊ちゃん』と呼ぶ部下はいない。皆、自分達より年下だが実力のある彼を敬って『2代目』と呼ぶ。
「坊ちゃん」
 パーンズがもう一度呼びかけてくる。
「その呼び方は止めろ、パーンズ」
 ラルゴは振り向いて、厳しく言った。
「他の部下達に示しがつかねえだろうが」
 パーンズは何とも応じず、ただ肩を竦めるのみだった。
 そもそも、パーンズは先代ボスのみを敬愛し、ラルゴのことは未熟者扱いしていた。日頃から、先代に比べて坊ちゃんは、と聞こえよがしに言ったりする。
 ラルゴはそれに嫌気がさして、ことあるごとにパーンズに、不満があるなら他の船に行くか、船を下りて親父の所に行くかすればいい、と言ってみるのだが、パーンズは決して首を縦に振らなかった。
 そんなパーンズの態度に、若いラルゴは苛立っていた。
「----ところで、なんの用だ?」
 その苛立ちを隠そうともせず、ラルゴはパーンズに訊いた。
「獲物が来やしたぜ。やりましょう」
 パーンズは、手にしていた望遠鏡をラルゴに手渡した。
 ラルゴは望遠鏡を覗き込んで、
「----あれは駄目だ」
 と言った。その船はいかにも小さくいかにも貧乏そうだった。
「あんな小舟を襲ったとあっちゃ、《ブルーシャーク》の名折れだ。パーンズ、おまえだって解ってるはずだろ?」
「………………」
 パーンズはまたしても何も言わず、ただ声もなく笑いながら去っていった。
「----なんなんだよ、一体!」
 ラルゴは苛々と声を荒らげた。

「2代目! 獲物ですぜ!」
 見張り台の上でハルクが声を上げた。
「あの紋章は、クリストファームの船だ!」
 クリストファームといえば、ここ数年で一気にのし上がってきた軍事大国だ。皆が一斉に浮き足立った。
「クリストファーム! そりゃ大物だ!」
「きっと、武器がたんまりですぜ!」
「やりましょう、2代目!」
「よし、行くか!」
 ラルゴも、久し振りの大物に胸が躍った。
「野郎共! 配置につけ!」
「アイアイサー!」
 手下達が一斉に動き出す。
 ラルゴは操舵室に向かった。自ら舵を取り、目指すクリストファームの船に接近する。子供の頃から仕込まれた腕は伊達ではない。見る間に相手の船を射程距離内ぎりぎりに捕らえる。
「このままキープだ」
 手下に舵を任せ、ラルゴは砲台の方へ向かった。既に弾は装填済みである。
「撃て!」
 ラルゴの号令に、一斉に弾が発射された。船体には当たらずすれすれの所に着弾し、大きく海面を波立たせる。相手の船がスピードを落とした。
 《ブルーシャーク》は、一気に相手の船に寄せた。鈎のついたロープを投げ打って乗り込んでいく。
「《ブルーシャーク》だ! 命まで取るつもりはない!」
 ラルゴが知らしめる。
 クリストファームの船の船員達は、《ブルーシャーク》の名前を聞くや抵抗を止めた。
「それでいい。----さあ、積み荷を半分、貰おうか」
 にやりと笑って、ラルゴは言った。
 そのとき。
「2代目! 海上警備隊です!」
 ハルクが叫んだ。
「なんだって?!」
 ラルゴは舌打ちした。最近、どういうわけか海上警備隊の締め付けが厳しくなっている。忘れていたわけではないが、完全に油断していた。
「どうしますか? 2代目!」
「早いとこ逃げましょう!」
 手下達が慌てている。
「よし、引き上げだ! 全員、船に戻れ!」
 とにかく捕まらないのが肝要だ。ラルゴは皆をせかして船に戻ろうとした。
 ところが、海上警備隊の船足は想像以上に速かったのである。
「----海賊共! 無駄な抵抗は止めて投降しろ!」
 あっという間に、警備隊は《ブルーシャーク》に寄せてきた。
「2代目! もう駄目です!」
 こうなっては仕方がない。ラルゴは大人しく投降する決意をした。ここでみっともなく抵抗しては、『義賊』と言われた《ブルーシャーク》の名が廃る。
「----おい、みんな----」
 抵抗するな、とラルゴが言おうとしたとき、
「大人しく捕まってたまるか!」
 パーンズが声を上げた。
「おまえら、《ブルーシャーク》の意地を見せてやれ! このままじゃ縛り首だぞ!」
「お、おい! 待て…」
 ラルゴの制止も、そのパーンズの言葉に奮い立った手下達の鬨の声にかき消されてしまった。
 海上警備隊が《ブルーシャーク》に乗り込んでくるのが見えた。クリストファームの船上でも、力を得た船員達が一斉に抵抗を始める。
 2隻の船の上で大乱闘が始まった。
 そんな中、ラルゴだけは剣も抜かず、味方をなんとか止めようとした。だが、敵も味方も興奮状態のこの状況では、ラルゴ独りが頑張ったところでどうにもならない。
 遠くの方で、叫び声が上がる。
 見ると、《ブルーシャーク》に残っていた仲間達が、次々に倒れていくではないか。
遠くて顔は見えないが、純白の鎧をつけた人物が、ラルゴの仲間達を倒していっている。
 とにかく自船に戻ろうと、ラルゴが船縁に脚をかけたとき----
 ラルゴの目の前を、誰かが跳びながら掠めていった。
 途端に、左目に激痛が走る。押さえて振り向くと、その”誰か”もラルゴの方を振り返っていた。
 まだあどけないともいえる少年。その紅茶色の瞳に宿る光が、ラルゴの右目に突き刺さってきた。
「----お、まえ…」
 急激に意識が遠のいていく。ラルゴはそのまま倒れ込んだ。

 ベッドの上で、ラルゴは気が付いた。
 ラルゴはクリストファームに運ばれていた。
 クリストファームの船に乗っていた船員の中に、以前《ブルーシャーク》に他の海賊から救って貰った者がいて、倒れているラルゴをこっそり助けてくれたという。
 礼を言うラルゴに、その船員は、ただ借りを返しただけだ、と笑った。
 パーンズは、卑怯にも海に飛び込んで逃げようとしたところを海上警備隊に発見され、連行されて縛り首になった。彼は自分が《ブルーシャーク》のボスだと主張し、その通りボスとして処刑されたそうだ。
 《ブルーシャーク》の他の船員達は、ラルゴを斬りつけたあの少年によって、あのときに皆殺られてしまったという。
 あの少年は《キラーパンサー》と呼ばれるサヴィナの兵士だそうだ。最近海上警備隊と共に海賊狩りをしている。理由までは知らないが、と船員は言った。
 ラルゴは、あの少年の瞳を思い返した。恐ろしくて、----哀しい光を宿した紅茶色の瞳を。

 傷が癒えたラルゴは、世話してくれた件の船員に厚く礼を述べ、ランシュークへと戻った。
 引退した父と母の住む家に向かう。心が重かった。《ブルーシャーク》の皆を失ってしまった。それはラルゴにとっても両親にとっても、家族を亡くしたのと同じことなのだ。
 ドアの前まで来ると、向こうから開いた。母が目の前に立っていた。
「…お袋」
 呟くラルゴを、母は強く抱き締めた。すぐに離れると、ラルゴの手を引いて家の中へ連れて行く。
 安楽椅子に座る父の元に、ラルゴは駆け寄った。足元に跪いて、
「親父、ごめん…! 俺、未熟者で……みんなを…、みんなを…」
 後は言葉にならない。右の眼から涙が溢れてきた。深く頭を垂れる。
 クリストファームから手紙を出していたので、ラルゴの両親は今回の顛末を承知している。父はラルゴの頭に手を置いた。
「ラルゴ。おまえのせいじゃない。----パーンズの奴だ」
 ラルゴは首を振った。確かに、あのとき皆を煽ったのはパーンズだ。だが、彼が何かにつけてラルゴに逆らったのは、ラルゴをボスとして認めていなかったということだ。それは自分が未熟だったから、とラルゴは思っていた。
「ラルゴ。----パーンズは、自分がボスになりたかったのよ」
 母がラルゴの後ろにしゃがみ込んで、彼の肩に手を添える。
「だから、最後の最後にあんな真似をした----あなたが投降しようとしたのを見て、その反対をいった。そうすることで、自分こそボスだと主張したんだわ」
 ラルゴは涙が止まらなかった。パーンズのそんなくだらない主張のために、みんな命を落とした。あそこで抵抗すればそうなることぐらい、パーンズだって承知していたはずだ。奴は仲間を----家族を犠牲にしてまでボスになりたかったのだ。
「ラルゴ。おまえは間違っちゃいない。あそこは投降すべきだった。俺だってそうしたさ。----間違ったのはパーンズだ。おまえじゃない」
 父親の力強い手が、ラルゴの頭を撫でる。ラルゴは子供のようにただ泣きじゃくった。

 ラルゴは産まれながらの海の男だ。
 今はもう海賊ではない。ランシュークの回船会社に就職し、真面目な船乗りをやっている。
 《キラーパンサー》のお陰で、海には海賊がいなくなった。
 時折ラルゴは思い出す。あの少年の瞳を。そこに宿っていた哀しみの理由を、ラルゴはいつか知りたいと思っていた----。


HOME/MENU