嘘をついていい日、というのがある。 しかし、生真面目なシンビオスは人を騙すのが好きではない。たとえ許される日であっても、他の日と同様、嘘などつかなかった。 フラガルドの面々の中で唯一他人を担ぐのは、マスキュリンだった。質の悪いものでは決してなかった。 まだシンビオスが子供の頃、おやつに何故か目玉焼きが出たことがあった。目玉焼きとはおやつというより、おかずといった方が相応しいだろう。シンビオスもそう思ったので、 「これが今日のおやつなの?」 と訊いた。 「そうですよ、シンビオス様」 マスキュリンは澄ました顔で答える。 仕方なく、シンビオスはまだぎこちない手つきでナイフとフォークを振るい、白身をひとかけら口に含んだ。 「----なにこれ! 甘いよ!」 目を丸くして叫ぶシンビオスを見て、マスキュリンは楽しそうに笑った。 「あはは、シンビオス様、引っかかりましたね!」 実は、白身の部分はミルクプリンで、黄身はアプリコットだったのである。上にふりかかっていたのは塩胡椒ではなく、砂糖とシナモンパウダーであった。 「美味しいでしょ? シンビオス様は、ミルクプリンがお好きですものね」 「うん…」 美味しいことは美味しいのだが、見た目が目玉焼きそっくりなために、どうしても目玉焼きの味を想像してしまう。実際口に入れたときの甘さに、違和感を感じずにはいられない。 これは、マスキュリンの勝ち、と言えるだろう。 翌年、またしてもおやつに目玉焼きが出た。 去年のことをちゃんと覚えていたシンビオスは、あのミルクプリンの味を思い浮かべながら、一切れ白身を食べた。 「…う…」 目玉焼きの味だった。本物だったのである。 またしても、マスキュリンの勝ちとなった。 ある年には、朝食のテーブルを飾った花を、マスキュリンはいきなり食べたことがあった。しかも、その花は(マスキュリンが温室で育てていた)スズランで、シンビオスは彼女が今にも倒れてしまうんじゃないか、とはらはらした。スズランが毒草だと、前の日に習ったばかりだったからだ。 しかし、そのスズランもまた、マスキュリンが作った砂糖菓子だったのだ。 このように毎年毎年、マスキュリンはそうやって、シンビオスを引っかけた。 子供の頃は、マスキュリンのからかいにムキになっていたシンビオスも、今では年に一度の彼女の悪戯を楽しみに待つようになっていた。 メディオンは、エイプリル・フールが嫌いだった。 王宮に連れてこられて間もない頃、メディオンは皇帝に呼び出された。 大きな机の向こうに座っている皇帝は、それまで屈託なく育ってきたメディオンの目には、とてつもなく強大に見えた。 「おまえに、帝国のやり方を教えてやろう」 皇帝は言って、メディオンに一通の書状を差し出した。 日付は4月1日。 『5日以内に、1万G上納すること』という内容だった。 差出人の名に、メディオンは目を疑った。 そこには、『ドミネート皇帝代理 メディオン』とあった。 メディオンは、書状と皇帝の顔を交互に見た。 「それと同じ文面のものを50通、明日の朝までに書くのだ」 皇帝は、もう一通書状を出した。 「これが宛先だ。便箋と封筒はレリアンスに貰え。----封蝋を忘れぬようにな」 まだ10歳だったメディオンに、これだけのことで総てを理解しろというのは酷だろう。しかし、メディオンは質問もできぬまま、皇帝の部屋を出た。 レリアンスの所に行って、皇帝に言われた通り繰り返すと、彼には判ったのだろう。暗い顔をして、便箋と封筒をくれた。 メディオンは自室に戻って、今度はキャンベルに同じ話をした。 キャンベルも複雑な表情を浮かべたが、すぐにいつものにこやかな笑顔に戻って、 「では、メディオン様は書状と封筒の宛名を書いてください。封は私がしますから」 メディオンは、まだ少し子供っぽい字で、皇帝から渡された書面の一字一句を書き写していった。一通書き終えると、次は封筒に宛名を書く。 キャンベルがそれらを受け取ると、書状を丁寧に折り畳んで、封筒に入れる。蝋をたらして、メディオンの封印を押す。 宛名リストを読んでいくうち、メディオンは知った名前がいくつかあるのに気付いた。メディオンのお披露目パーティで紹介された貴族達の名前だ。 「これ、全員貴族なのかな」 メディオンは訊くともなく呟いた。 「ええ、そうですよ」 キャンベルが律儀に答える。 「ふうん…」 メディオンは、じっくりとリストを眺めて、 「…一体、父上は何を思って、ぼくにこんなことをさせるんだろう」 「----さあ…」 キャンベルは、彼にしては珍しく、奥歯に物の挟まったような感じだった。 丸一日かかった50通の封書を、翌朝メディオンは皇帝の所に持っていった。 皇帝は、一通一通表書きと裏の封印を確認し、全部終わったところで、手元のベルを鳴らした。 「お呼びですか?」 隣の部屋から、レリアンスがやってくる。 「これを配っておけ」 皇帝は、50通の封書をレリアンスに渡した。 「は、畏まりました」 レリアンスは直立不動で応えて、封書を受け取った。部屋を出る前、ちら、とメディオンに目をやる。 一体皇帝は何をしようというのだろう。メディオンは、昨日からの疑問を抑えきれず、尋ねようと何度も口を開きかけて----結局口に出せずにいた。皇帝の威厳の前に、10歳の子供でしかないメディオンは、すっかり萎縮してしまっていた。 ふと、皇帝はメディオンを見た。 「----ふふ、5日後を待っておれ」 そのときの皇帝の笑みを、10年以上経った今でも、メディオンは忘れられずにいる。 そして5日後。 これまでの間、王宮に1万G納めたのは、50の貴族のうち35人で、そのうちの10件ほどは、わざわざ問い合わせてきた。つまり、これは本当にメディオン王子の書いたものか、皇帝の代理とあるが本当か、と確認してきたのだ。 払わず終いだった残りの15人の貴族を、皇帝は王宮に呼びだした。 「私の命令を無視したのは、どういう理由からだ?」 皇帝の鋭い眼光に見据えられて、15人の貴族達は震えながら口々に釈明していった。 まず、日付が4月1日だったこと。 次に、字が子供のものだったこと。 そして、1万Gという、上納金にしては少なすぎる額のこと。 以上を考慮した結果、エイプリル・フールの悪戯だと判断した、と貴族達は言った。 「ほう。なるほどな。1万Gでは少なすぎるか」 皇帝は、貴族達を睨め付けた。 「ならば、全財産を没収してやろうか?」 それだけは、なにとぞご勘弁を、と泣きながら訴える貴族達に、 「では、今日中に500万G納めよ! さもなくば、取り潰す!」 皇帝は言い放った。 貴族達は一斉に、金集めに走っていった。 呆然と成り行きを見つめていたメディオンに、 「どうだ、メディオンよ。これが我がデストニア帝国のやり方だ。しかと覚えておけ」 皇帝の冷たい声がかけられたのだ。 今回のことで、皇帝は懐を潤すと同時に、貴族達の忠誠心をも調査したのである。 何も訊かずに金を納めた貴族は25人。 確認してきた----つまり、少しでも皇帝を疑った貴族が10人。 そして、皇帝の命令を蔑ろにした貴族が15人。 最後の15人に関しては、500万Gの他にしかるべき処置を、皇帝は与えるつもりであった。 皇帝のこうした、脅迫的なやり方を目の当たりにしたメディオンは、まだ純真な子供だったせいもあって、すっかりエイプリル・フールが嫌いになってしまった。 「----それは酷いですね」 シンビオスは苦悶の表情を浮かべていた。皇帝のやり方に嫌悪を覚えたのだ。 「それだけではありませんぞ、シンビオス殿」 キャンベルがテーブルの向こうから身を乗り出して、 「メディオン様は、二人の義兄上様達にも、さんざんな目に遭わされたんです。いくらエイプリル・フールといえども、あまりに酷い----」 「いや、キャンベル、それはいいんだ」 メディオンは苦笑して、 「あの二人のときたら、エイプリル・フールに限ったことじゃなかったからね。大して気にならなかったよ」 それはそれで、非常に気の毒である。つくづく、メディオン王子は不幸な人だな、と皆は思った。平然と言ってのけるところがまた、却って同情を誘う。 「いくら嘘をついていい日だからって、限度ってものがありますよね」 マスキュリンが、トレイに昼食を運んできた。今日のメニューは、パンとポットパイ、それにサラダだ。 「何事も程々に、そして質のいいものじゃなきゃ」 「…なるほど。マスキュリンはそういうのが巧いからな」 ダンタレスが頷いて、 「去年も、見事にやられてしまった。早咲きの桜が、なんて言っておいて、実は紙で作った偽物だったものなあ」 「そういう手間は厭わないのよね、マスキュリンは」 グレイスがころころと笑う。 「いいじゃないのよ」 マスキュリンは口を尖らせた。 シンビオスも微笑んで、 「うん。あれはよかったね。春が早く来たと思って凄く嬉しかったし」 そう。結局嘘だったわけだが、もう春は遠くないと----桜の咲くのも遠いことじゃないと、改めて感じさせてくれた、マスキュリンの嘘であった。 「へえ。そういう嘘なら、騙されてみたいね」 メディオンが楽しそうに言って、ポットパイの皮にスプーンを入れる。 「よかった、メディオン王子がそう言ってくださって」 マスキュリンが意味ありげなことを言う。その真意を、メディオンはすぐに知った。 メディオンのポットパイの中身は、空っぽであった。いや、底に、畳まれた紙片が入っている。 メディオンは指先でそれを摘んで、広げてみた。 大きな字で、 『大当たり!』 とあった。 「おめでとうございます、メディオン王子!」 マスキュリンが手を叩く。それにつられて、他の面々も拍手した。 「それはどうもありがとう」 メディオンは複雑な気分だった。祝福されるのは嬉しい。でも---- 「…でも、メインディッシュはお預けかい?」 「とんでもない! すぐに本物をお持ちします」 マスキュリンは小走りでキッチンに向かい、すぐに戻ってきた。トレイの上にあるのは、皆のものより一回りは大きいパイだった。 「まさに、『大』当たりですな」 キャンベルが呟く。 熱々で美味しいポットパイを食べながら、 ----こういうのなら、騙されるのも悪くないな、 とメディオンは、愉快な気分で考えていた。 |