窓は閉じられているはずなのに、カーテンがふわりと揺れた。
 部屋には皇帝独り。だが彼は、誰かの気配を感じた。
「----コムラードか…?」
 皇帝は問いかけた。
 コムラードはフラガルドにいるはずだ。しかし、皇帝が彼の気配を間違うはずもない。良くも悪くも、コムラードのことを一番強く心に留めているのは皇帝だからだ。
 ただ、生身のコムラードがこんな所にいるはずはない。
 ならば、この気配は。
「…最期に忠告に来たのか? あのときのように」
 皇帝は小さく笑った。手にしていたグラスの中の氷が、澄んだ音を立てる。併せて、燭台の炎が揺らいだ。壁に暗く陰を落とし、皇帝の目にコムラードの幻を映し出させた。
 圧政を布く皇帝に、コムラードは何度も忠言を重ねた。哀しい瞳をして。
 どこで違ってしまったのか。
 一時には同じ道を歩んだこともあったのに。
 そう、未来がまだ眩しく、希望に溢れていた頃。人生には一つも悪いことなどなかった。強く願えば夢は叶うと信じていたあの頃。
 コムラードだけが、第4王子の夢を笑わなかった。
 やがて過酷な現実を知り、希望が切望に、夢が野望に変わっていく。
 そして、コムラードは去っていった。
「あのときから、胸が痛むのだ、コムラード」
 皇帝は呻くように言葉を吐き出した。
「おまえのことを考える度、心臓が血を吹き出すように痛むのだ。例えおまえが逝ってしまっても…、この痛みは消えることはないだろう。----私が死ぬ、そのときまで…!」
 燭台の炎が一瞬、大きく燃え上がった。
「…逝くのか、コムラードよ。----できれば私がこの手で…」
 ドアが慌ただしくノックされた。
「入れ」
 応えると、フィデリティが入ってきた。
「皇帝陛下。お疲れのところ失礼いたします」
「コムラードが逝ったか」
 滅多に表情を変えないフィデリティの顔に、驚きが浮かぶ。
「皇帝、何故それを…?」
「なんでもよい。どうやって死んだ?」
「は、はい。ブルザムの司祭に殺害されました」
「そうか。----もう下がれ」
 皇帝は素っ気無く言い放って、ドアの方に手を振る。フィデリティは深々と頭を下げて、素直に従った。
 ----ブルザムの司祭め。余計なまねをする。私がこの手で始末をつけたかったものを。
 しかし、なんにせよ、コムラードは逝ってしまった。皇帝の手の届かない所へ。
 ----最期まで忌々しい男だ。また私だけが残されるのか。
 恨み言を言っても詮無い気分だ。それに、今の皇帝の心に浮かぶことといえば、何故か彼が裏切る前のこと----輝かしい未来を共に思い描いていた頃のことばかり。
 ----私としたことが、感傷的になり過ぎているようだ。
 皇帝はグラスの酒を呷った。こんな思いも今夜限りにしたい。
 今夜だけは、皇帝としてではなく、ドミネートとして、昔の友を静かに送ってやろう。
 懐かしく優しい思い出と共に。


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