変な夢を見た。
 夢の中でシンビオスは、「これは夢だな」と自覚していた。

 ジュリアンがバナナの房を両手に立っていて、彼の足下ではマスキュリンが一本の編み棒で編んではすぐにほどく、という作業をくり返している。
「美味しそうだね」
 シンビオスは言った。
「喰っていいぜ」
 ジュリアンが右腕を伸ばす。シンビオスは一本もぎ取った。
「…苦い」
「人生なんてそんなもんさ」
 ジュリアンがもっともらしい口調で嘯く。
「そうですよ、シンビオス様」
 マスキュリンが口を挟んだ。
「私だって、いい加減にやめたいんです、こんな無駄なこと。きっと、もう少しで終わらせられるとは思うんですけど」
「君ならすぐにできるよ」
 シンビオスは言って、結局全部食べてしまったバナナの皮を後ろに放った。勿論、普段の彼はそんな行儀の悪いことはしない。だが、これは夢だった。そしてなにより、そうしなければならない『理由』があった。
 皮が地面に落ちるやいなや、誰かが後ろから飛び出してきて、滑って転んだ気配がした。これこそが、その『理由』だった。予定調和の出来事だったので、シンビオスは振り返りもせずに道を進んだ。
 千と一本の黄色いナルシス(水仙)が踊っている。
 よく見ると、全身をナルシスで飾ったダンタレスが、独り優雅にステップを踏んでいるのだった。
「綺麗なナルシスだね、ダンタレス。千と一本の」
 ダンタレスは笑った。
「千本ですよ、シンビオス様」
「そう?」
 シンビオスは首を傾げた。
「最後の一本は、----ほら、そこに」
 ダンタレスがシンビオスを指す。確かに、シンビオスの心臓からナルシスが生えていた。しかも紅い。
「取っちゃだめなの?」
 美しいのだけど、自分の血を吸って生きているのだと思うと、なんだか無気味だ。
「無理に取っちゃいけません。そのうち自然に取れますよ」
「解った」
 シンビオスは更に進んだ。
 湯気の立つケトルを頭に乗せて、グレイスが人々にお茶を入れている。
「私にも一杯もらえるかな、グレイス」
「勿論ですわ、シンビオス様」
 シンビオスは椅子に座って、お茶を待った。
「その花、どうなさったのです?」
「ダンタレスがくれたんだ」
「それはよろしかったですわね。でも…」
 グレイスは表情を曇らせて、
「あまり強すぎる香りは、息を詰まらせますわ」
「そういえば、少しくらくらするみたい」
「このお茶を飲むと治りますよ」
 シンビオスは飲んだ。胸のナルシスがすう、と心の中に納まっていくのが解る。
「ありがとう、グレイス」
 シンビオスはまた歩き出した。
 キコキコ、という耳障りな音がした。
「----フィアール!」
 シンビオスは枝を振り上げた。ーーーー正確に言えば、振り上げた手が、いつの間にか枝を掴んでいた。
「おっと、待ってください、シンビオス殿」
 フィアールは三輪車をこいだまま、いつもと同じ冷静な口調で、
「ほら、私はこうしてずっと回っているではありませんか」
 それもそうだ。シンビオスは腕を下げた。枝はどこかに消えていた。
「感謝しますよ、シンビオス殿。この上私をぶたなかったことをね」
「おまえに感謝されても嬉しくない」
「相変わらず情(つれ)ないですね。----ところで」
 フィアールは、今度はちょっと媚びるような声を出した。
「そろそろ、反対に回ってもいいですかね?」
「駄目」
 シンビオスは冷たく答えて、さっさと先に進んだ。
 辺りが暗くなる。言い様のない不安がシンビオスを襲った。
 引き返そう。そう思って振り返ると、闇の男が立っていた。
「おまえも、これに乗りに来たのか?」
 その男は言って、手にしていた三輪車を無造作に差し出した。
「私には必要ありません」
 シンビオスは答えた。
「ふん。自分のしたことが総て正しいと思っているのだな」
 男は名前の通り『尊大』に笑った。
「----メディオン王子はどちらでしょう?」
 シンビオスは訊ねた。こんな所、さっさと抜け出したい。
「あんな人形のことなど、私は知らん」
「そうですか」
 シンビオスは踵を返した。
 暫く進むと、《この先人形の家》という立て札があった。シンビオスはそちらに向かった。
 門があって、前庭が広がっている。奥に家が見えた。
 お茶を運ぼうとしている若い女性がいる。
 そのスカートにまとわるようにしている子供がいる。
 椅子に座って語り合う老人達。
 木陰で本を読む若者。
 みな、色がついていない。白い紙でできている人形だった。
 シンビオスは家の中に入った。
 暖炉の前の揺り椅子に座っている老女と、その膝に両手を預けて彼女を見上げる少女を横目に、シンビオスは階段を上がった。
 部屋の窓辺に、その人は立っていた。外を眺めているようだ。
「…メディオン王子」
 シンビオスはそっと声をかけて、傍に歩み寄った。
「迎えに来ました。帰りましょう」
 シンビオスが肩に触れると、そこから色が広がっていき、メディオンの全身を包んだ。
「シンビオス」
 メディオンはいつも通りの美しい笑顔をシンビオスに向けた。
「私はずっと眠っていたようだ」
「そうですね」
 シンビオスはメディオンにキスして、
「でも、もう大丈夫ですよ」
「ああ。もう大丈夫だ」
 二人は腕を組んで部屋を出た。

 と、ここでシンビオスは目が覚めた。
「----なんだ? 今の夢」
 シンビオスはぼんやりと呟いて、傍らに顔を向けた。
 メディオンが眠っている。ちゃんと色がついていることに、シンビオスは安心した。夢とはいえ、さっきの『白い』メディオンは恐ろしく、哀しかった。
 現実でも、シンビオスはメディオンにキスした。
 メディオンの瞼がゆっくりと開く。
「…シンビオス、もう起きる時間かい?」
「いえ。もう少しありますよ、王子」
 シンビオスはメディオンの胸に頭を預けた。変な夢のせいでざわめいていた心が、だんだんと落ち着いていく。どんなときでも、彼といると心が休まる。他の誰からも得られたことがない安らぎだ。
 ----王子がいてくれなかったら、ぼくは今頃どうなっていたんだろう。
 メディオンが傍にいてくれること。それが自分にとってどれだけ重要なことか、シンビオスはあらためて感じていた。


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