秋。
 オンコやななかまどの実も赤く色付き、花壇に咲き誇る花々の色合いが深いものになってくる。
 町中に漂う馥郁たる香りは、恐らく地面に堆積した落ち葉が醸し出すものだろう。
 日が暮れるのが早くなってきて、朝晩の風の冷たさにはっとする。恋人達にとっては都合のいい季節だ。
 そして、どこか物悲しい季節でもある。

 キャンベルは自分の耳を疑った。
 しかしながら、人よりも大きい彼のそれは、どんな小さな音でも聞き逃さない。ましてや、隣に座って槍の手入れをしている人物が発した音だ。
 ただ問題なのが、その人物----ダンタレスが、人前で溜息など漏らすような男ではない、ということだった。
 それでキャンベルは訝っていたのだが、もう一度間違いなくダンタレスの唇が溜息を吐き出す。ここに至って、キャンベルは自分の耳の確かさを認めざるを得なくなった。そうなると、尋ねずにはいられない。
「…ダンタレス、何か悩みでもあるのか?」
 そう質問しながら、キャンベルは心の中で自分なりに想像を巡らせてみた。ダンタレスが悩むことといえば、大抵が彼の主人のことだろう。
 ダンタレスはキャンベルを見た。
「別に、何も悩んでなどいないが?」
 その言葉とは裏腹に、声には陰がついている。キャンベルは勿論納得しなかった。
「だが、さっきから溜息ばかりついているではないか」
「ああ…」
 ダンタレスは、まるで世を憂いている詩人、みたいに、ふっと曖昧な笑みを浮かべて、呟いた。
「秋だからな」
「…はあ?」
 キャンベルは間抜けな声を出してしまった。
「秋はメランコリーな季節なんだ」
 ダンタレスは意に介した様子もなく、相変わらず哀愁を漂わせている。
「……………」
 キャンベルはそれ以上何か言うのをやめた。
 それからは、武器を磨く音と、時折漏れるダンタレスの溜息だけが、部屋を漂っていた。

 キャンベルは首を盛んに捻りながら廊下を歩いていた。
 大体、ダンタレスとはいつも取り留めのない会話で盛り上がっていたものだ。しかし、今日は溜息ばかりだった。お陰で、キャンベルもなんだか寂しい気分になってしまった。
 ふと中庭を見やると、愛する主がここの領主と仲睦まじく散策しているのが目に入った。
 メディオンが王宮に連れてこられてからの十数年間、キャンベルはいつも彼の傍らにいたわけだが、そのキャンベルでさえ、あんなに幸せそうなメディオンの表情を見るのは初めてだった。
 思えば、母から引き離され、二人の兄達に冷たくあしらわれ、兵士達にまで軽んじられていたメディオンだ。表面上は平気な様子を見せていても、心の中ではどれ程傷付いていただろう。
 誠実で優しくて可愛らしいシンビオスのお陰で、メディオンの心も大分癒されたようだ。
 目を細めて見守るキャンベルの存在に、メディオンが気付いた。笑いながら手招きしている。
 お邪魔だろうと思ったが、主人に呼ばれては行かないわけにはいかない。キャンベルは中庭に通じるドアから外に出た。
「別に、覗いていたわけではありませんぞ」
 キャンベルは先にそう言っておいた。
「解ってるよ。それに、覗かれて困るようなことはしていない。ここは人目もあることだしね」
 メディオンが苦笑しつつ応じる。
「人目がなかったら、覗かれて困るようなことをなさるわけですな」
 キャンベルはいつものように、主をからかう。メディオンは軽く彼を睨んで、
「ほら、キャンベル、そういうことを言うから、シンビオス殿が困ってるじゃないか」
 確かに、シンビオスは真っ赤になっていた。いつもはどちらかというと大人びた雰囲気を持つ彼が、本当に年相応の少年に見える。キャンベルは好ましく感じた。というのも、ダンタレスが自分の主について、もっと肩の力を抜いてほしいとぼやいているのを、いつもキャンベルは耳にしていたからだ。
 ダンタレスのことを考えたついでに、キャンベルはさっきの彼の哀愁溢れる様子を思い出した。シンビオスなら何か知っているかもしれない。
「そういえばシンビオス殿、ダンタレスなんですが…。何かあったんですか? 溜息ばかりついてましたが」
 キャンベルがそう質問すると、
「何か悩みでもあるのかな? 彼は真面目だから、結構思い詰めそうだしね」
 メディオンも心配そうに言う。
 しかし、シンビオスは微笑んで、
「ご心配なく。秋だからですよ」
 と、よく解らない説明をする。
「毎年、秋になるとああいう調子なんです。ほら、彼はあれでなかなか繊細な感性の持ち主ですから」
 キャンベルは唖然とした。
「…秋になると…? …じゃ、じゃあ、秋中ずっと、溜息ばかりついてるんですか? 彼は」
「まさか。そんなことはないですよ」
 シンビオスの屈託のない口調に、キャンベルは胸を撫で下ろしかけたが、続けて、
「溜息はいわばプロローグですから」
 との言葉に、
「プロローグ?」
 思わず声を上げてしまった。
「シンビオス、なんだい、プロローグって」
 メディオンも不可思議そうな口調で訊く。
「要するに、溜息をつくだけじゃなくて、そのうちに空を見上げたり、詩を作ったり、落ち葉を数えたり…」
 シンビオスは指を折りながら、
「まあ、他にも色々ありますけど」
 もう、何がなんだか解らない。混乱したキャンベルは、
「落ち葉で芋を焼いたり、とか…?」
 自分でも無意識のうちに変なことを口走ってしまった。だが、シンビオスは、
「それは余りロマンティックじゃないので…」
 ごく普通の調子で(台詞は妙だが)応じる。
「そ、そうですか」
 キャンベルはなんとか立ち直ろうと試みて、メディオンの方を見やる。主は笑いを堪えたような顔をしていた。
 ひょっとして、これはシンビオスとダンタレスの冗談なんじゃなかろうか、との思いも一瞬過ったが、それにしてはシンビオスは真面目な表情だ。ふざけている様子など微塵も感じられない。キャンベルは最後の質問をした。
「しかし、どうしてそんな風になるんですか?」
 シンビオスの答は簡単だった。
「だって、秋って、そういう季節でしょう?」
 メディオンが吹き出した。シンビオスの肩を抱いて、
「シンビオス、君って本当に素敵だよ!」
 笑いながら言う。
 馬鹿にされたと思ったのか、シンビオスは再び顔を紅くした。
「王子! ぼくは真面目に…」
「ああ、解ってる。解ってるよ、シンビオス」
 メディオンは優しくシンビオスを見つめた。
「君のそういうところが、私は好きなんだ」
「…メディオン王子…」
 …やっぱりお邪魔だったようだ。キャンベルはその場を立ち去った。
 部屋に向かいながら、キャンベルは情報を整理した。秋という季節のせいでダンタレスがメランコリックになっているなら、その季節が終わるまではあのままということになる。
 ----あの調子でいられたら、こっちまであの雰囲気に影響されそうだな。
 確かに秋は、ある意味メランコリーな季節だ、とキャンベルは苦笑混じりに考えた。


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