シンビオスは机に向かって、ベネトレイム宛の報告書を書いていた。 彼には悪い癖があって、書き物や読み物に集中してくると、身を寄せて目を近付けてしまう。 このときも、机に覆い被さるようにしてペンを走らせていたのだが----。 「シンビオス、ちょっと」 と声をかけられて手を止めたところ、肩を後ろに引かれた。当然、上体を起こされる格好になる。シンビオスはついでに顔も上げた。後ろにいた人物の胸に、頭が当たる。上から見下ろしているその人と目が合った。 「そんな姿勢じゃ目を悪くするよ」 その人物----メディオンは、真摯な表情でそう言った。 「す、すいません。つい、癖で…」 空のように蒼い瞳に吸い込まれそうになる。シンビオスは顔を前に向けて、メディオンから目を逸らした。 「気をつけてね。却って疲れてしまうだろう」 メディオンが、大きな手でシンビオスの髪を乱す。 「…王子、やめてください」 シンビオスは、少なくとも嫌がっているのは伝わるくらいの調子で言った。 「ああ、ごめん」 メディオンは笑って、再びシンビオスの頭を撫でた。 共和国とは違い、帝国にはボディタッチの習慣がある。共和国では、親子間でもよほどのことがないと抱き合ったりしないものだが、帝国では普通の友人同士さえ親しげに肩を抱き合ったりする。今の場合も、共和国の者----たとえばダンタレスなら、言葉で注意するだけだろう。 もっとも、メディオンも、こういった習慣に馴染みのないシンビオスに遠慮してか、そうぺたぺたと体に触れてくることはほとんどない。しょっちゅう頭を撫でられるくらいだ。 それが、シンビオスは嫌で堪らなかった。 メディオンに触れられるのが、ではない。むしろ、それは嬉しい。もっと触ってくれて構わないとさえ思う。 頭を撫でる、なんて行為が気に喰わないのだ。大人が子供にする行為ではないか。 確かに、彼はメディオンの妹であるイザベラ王女と同じ年齢だ。メディオンが弟のように感じて接してくる気持ちも、解らなくもない。 でも、シンビオスは子供じゃないのだ。 メディオンがシンビオスに対して抱いてくれる『好意』は、シンビオスが与えてほしいものとは違う。自分がメディオンに対して抱いているのと同じものを、彼は欲していた。 今のままでは、ただの『友人』であり、永久に『弟』のままだ。 シンビオスは溜息をついた。それを、メディオンは誤解したようだ。 「シンビオス、気を削いでしまったかい? 折角集中して頑張っていたのに、悪いことをしたね」 申し訳無さそうに言って、シンビオスの肩を叩く。 「いえ。もう結びの言葉を書くだけですから」 シンビオスは気を取り直して、再びペンを走らせた。 再び前のめりにならないようにするためか、メディオンの手はシンビオスの肩に置かれたままだ。自然、シンビオスの胸は高鳴った。それでもなんとか、報告書を書き上げる。 「お疲れさま」 言葉と共に、三度頭を撫でられた。 シンビオスは、椅子ごとメディオンに向き直って、 「だから、頭を撫でるの、やめてくださいってば」 その勢いに、メディオンは困惑したようだ。 「ご、ごめん、シンビオス。----そうだね。共和国にはそういう習慣がないんだっけ」 それもあるが、それだけではない。ここではっきりさせておかないと、生涯このまま『友人関係』で終わってしまうだろう。メディオンが受け入れてくれるかどうかより、ここで告白しないと一生後悔しそうだ、とシンビオスは思った。 「習慣がどうとかの話じゃないです。----頭を撫でる、なんて、大人が子供にすることじゃないですか」 シンビオスはメディオンを真面目な顔で見つめた。冗談だと思われたら、それこそ一生立ち直れない。想いを伝える以前の問題だ。 「私は子供じゃありません。…そりゃあ、私はイザベラ王女と同い年ですから、貴男にとっては『弟』みたいなものでしょうけど」 メディオンは驚いたような顔をしてシンビオスの告白を聞いていたが、 「君を子供だと思ったことなんて、一度だってありはしないよ」 と、不思議な笑みを浮かべて言った。 「それよりも、君に触れる度に私が何を考えていたか知ったら、とてもそんな言葉は出てこないだろう」 「…どういう意味ですか?」 震える声で、シンビオスは訊いた。ある予感が、彼の心臓を激しく鼓動させている。 「私が君の頭を撫でていたのは、そこにしか触れられなかったからだ。自分を抑える自身がなかったから」 メディオンは、今までと少しも変わらない瞳で、シンビオスを見つめている。 「君が好きだ、シンビオス。勿論、友達なんかじゃなく、それ以上に。----君は私をどう思ってる?」 シンビオスは、言葉では答えられなかった。立ち上がって、メディオンにぎゅっと抱きついた。 「----帝国ではどうか知りませんけど…」 熱い頬をメディオンの胸に押し付けて、シンビオスは呟いた。 「共和国では、これは特別な人にだけする行為なんです」 「知ってるよ」 メディオンの腕が、シンビオスの体をすっぽりと包み込む。手が顎に宛てられ、顔を仰向けさせられた。 明るい碧の瞳が、今までにない激情を込めてシンビオスを見ている。初めての感覚に戸惑いながら、シンビオスは瞼を閉じた。 メディオンの唇が、シンビオスの唇に重なる。 「----帝国でも、これは特別な人にだけすることだからね」 メディオンの囁きに、シンビオスは目を開けた。 「解ってます」 応えて、もう一度目を閉じる。 再びメディオンの唇が、今度はシンビオスの柔らかい唇を味わうように蹂躙する。シンビオスは恐くなった。今まで、誰にもこんなことをされたことはない。つい、体を強張らせてしまう。 メディオンは、唐突にシンビオスを解放した。 「----驚いたかい?」 背中を優しく撫でながら、静かに言う。 「ちょっとだけ…」 シンビオスは恥ずかしかった。『子供じゃない』と大見得を切っておきながら、この様だ。メディオンも、さぞかし呆れたことだろう。 「ごめんなさい、王子…。----やっぱりまだ子供ですね、私は」 「最初のうちは仕方がないさ。----これから、ゆっくり馴らしていこうね」 メディオンは微笑んで、頭を撫でる代わりに、シンビオスの額にそっと唇をつけた。 |