ずっと続くかと思われた寒さも、ようやく「春」に膝を屈したようだ。
 しかも、嬉しいことに今日は休日である。
 早速、シンビオスはメディオンと共に、公園まで出かけた。去年の秋に来て以来だから、ほぼ半年振りになる。
「今日は気持ちのいい日だね」
 刷毛ではいたような薄い白い雲が一筋横切っている青い空を見上げて、メディオンは言った。
 フラガルドの春は遅い。数日前にも雪が降った。----勿論、積もりはしなかったが。今まで経験したことのない冷たい冬を越して、メディオンは今ようやく、自分が本当にフラガルドの住人になれた気がしている。シンビオスの傍にいる資格を得たようで、----と言ったら、シンビオスは反発するだろうが----嬉しいのである。春の陽気が、ますますそれを増幅させてもいるのだろう。
「今日は春らしい日ですね」
 シンビオスも、楽しそうに相槌を打っておいて、
「----この天気がずっと続くとは限りませんけどね」
 わざと、意地悪なことを付け加える。
「また、そんなことを言うんだから」
 メディオンは、シンビオスのおでこを軽く指で突いた。
 ----春であった。
 休日ということもあって、公園は人が多い。みな、この陽気に誘われたのだろう。
 メディオンとシンビオスは、春の息吹を感じながらゆっくりと散策した。桜はまだつぼみだが、一頃よりも柔らかくなっている。所々にパンジーやクロッカス、水仙が咲いている。ナナカマドが赤みがかった新芽を息吹かせている。若草の匂いが漂ってきている。
 二人は去年の場所までやって来た。相変わらず、人影はまばらである。一日中日当たりがいいせいか、相変わらず芝生はふかふかだ。疲れた脚を休めるために腰を降ろす。長い距離を歩いたせいで暑くさえ感じる。時折吹く風がまだ少し冷たくて心地いい。
「----あ、月が出てますよ」
 シンビオスが言った。
「え? どこに?」
 メディオンは、シンビオスが見ている方に目を凝らす。
「ほら、あのポプラのてっぺんに。半月が薄く」
「ああ、本当だ」
 かなり薄くてよく見ないと判らないほどだ。
「道理で、最近夜空を捜しても月が見えなかったわけだね。昼の月の時期だったんだ」
 メディオンは、しみじみと白い月を眺めた。
「昼の月か…。気が付かなくてもそこにあって、我々を見守っているんだね。----私も、君にとってのそんな存在になりたいよ、シンビオス」
「嬉しいですけど、それは無理ですよ、メディオン王子」
 シンビオスは楽しげに笑った。
「だって、ぼくがあなたの存在に気が付かないなんてあり得ませんから。ぼくはいつもあなたのことばかり考えてるのに」
 メディオンは、月からシンビオスに視線を移した。
「嬉しいよ、シンビオス」
 こちらも、こぼれるような笑顔になる。
「----ね、そろそろお腹が減りませんか?」
 シンビオスは、バスケットからサンドウィッチと紅茶の入ったポットを取り出した。
 体を動かした後の食事は格別だ。美味しい空気と爽やかな風の中で春の息吹を感じながら食せば、たとえそれがありふれたサンドウィッチだとしても、美食王の食卓に並ぶご馳走にも引けを取らない。あっという間に、二人のお腹にそれは納まってしまった。
 紅茶を飲みながら一息ついて、シンビオスは辺りを見回した。
 いつの間にか、誰もいなくなっている。
 シンビオスはす、と立ち上がって、メディオンの背中に、自分の背中を宛うように座った。軽く体重をかけて、一回ぐい、と押す。
 すぐに、メディオンも押し返してきた。
 続けてシンビオスが押し戻す。
 再びメディオンが押しかかってくる。
 子供のように、他愛のない戯れに興じていた二人だが、不意にメディオンが横に避けた。
 結果、シンビオスはそのまま後ろにひっくり返った。----幸いにして、紅茶のカップは空であった。
 笑いながら覗き込んでくるメディオンを、やはり笑いながら睨んで、
「もう! 急に避けないでくださいよ」
 シンビオスは言った。
「ごめん」
 メディオンはそのままシンビオスの上に屈み込んで、唇に軽くキスを落とした。
「----もう戻ろうか」
「そうですね。----ここじゃ、何もできないし」
 シンビオスは起きあがると、草を手で払った。メディオンが背中を払ってくれる。
「ありがとうございます」
 メディオンの服も払った後、シンビオスは彼の腕に自分の腕を絡めた。
 柔らかい日差しの中を、二人はまたゆっくりと歩き出した。
 時折吹く優しい風、そして空には、薄く掃いたような雲と、昼の月。
 ある春の日の、平和なひとときであった。


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