食堂に向かう廊下で、ジュリアンはメディオンと行き会った。昼食からもう2時間ほど経っていて、お互い自分以外に食堂に行く者がいるとは思っていなかったので、
「何しに行くんだ?」
 と異口同音に訊いた。
「……喉が渇いたんだ」
 先に答えたのはジュリアンだった。
 メディオンは秀麗な眉を寄せた。各部屋には湯を沸かせるぐらいの簡単な設備がある。
「喉が? だったら、部屋でコーヒーでも…」
 と言いかけて、ピンと来た。
「こんな時間からビールかい?」
 厨房の奥には食料貯蔵室と酒蔵があるのだ。酒は総てここに保管されている。自室で呑むときは、必要な分だけ持ち出す。そのまま食堂で酒盛りすることもある。
「違う。ウオツカだ」
「もっと悪いよ」
 メディオンは溜息をついた。
「寒い日にはこれが一番なんだ」
 ジュリアンは気に留めた風もない。
「こんな寒い日に、シンビオス軍は頑張って鍛錬してるのに」
 厳しい顔で言うメディオンを、ジュリアンは横目でちら、と見て、
「ほーお。…じゃああんたは、俺の軍が鍛錬してる日には品行方正に過ごしてんのかよ」
「……………」
 痛いところを突かれて、メディオンは沈黙した。
「あ、言っとくけど、責めてるわけじゃねえからな」
 ジュリアンは朗らかな口調で、メディオンの肩を叩いた。
「厳しい鍛錬を続けてるんだ。どっかで息抜きしなきゃやってらんねえだろ」
「…そうか。----すまなかった」
「いや、お互い様だ」
 二人は食堂から、奥の厨房に入った。食事時には賑わうここも、今は静まり返っている。たまに、何人かのグループが四方山話に興じていることもあるが、今日は誰もいなかった。
「----で? あんたは何しに来たんだ?」
 棚からウオツカのボトルを取り出しながら、ジュリアンは訊ねた。
「うん。…シンビオスのために菓子でも作ろうかな、と…」
 照れくさそうなメディオンの声に、ジュリアンは彼の方を振り向いた。声と同じ表情を見せる顔を、珍しいものを見るような目つきで眺めて、
「あんた、本当に好きだな、そういうの」
 呆れ気味に言う。
「この前も作ってただろ。----えーっと」
「ベイクドチーズケーキ」
「そうそう、それ」
「君も食べただろう? っていうか、強引に奪っていったじゃないか、1/3ほど」
「そうそう。旨かったぞ」
「それはどうもありがとう」
「で? 今日は何を作るんだ?」
 身を乗り出してきたジュリアンに、
「なんで君がそんなに期待してるんだ。----今日はクッキーにしようかと思ってる」
 メディオンは苦笑しつつ答える。
「また分けてくれるんだろ?」
「嫌だ、って言ってもまた奪っていくくせに」
「あんたの作る菓子、あんま甘くなくていいんだよな」
 ジュリアンはウオツカのボトルとグラスを手に、食堂の方に戻った。調理場が見えるテーブルに着いて、
「うちのケイトとか、シンビオスのとこのマスキュリンとか、めちゃめちゃ甘い菓子持ってくんだよ。グラシアは喜んでるけど、俺にはちょっとな」
「私も、あんまり甘いのは苦手だよ」
 応じるメディオンの目は、秤の目盛をじっと見つめている。
「シンビオスもそうだって。だから、私の作ったのをとても喜んでくれるんだ」
 ウオツカを口に運びながら、ジュリアンはにやにやした。
「あんたさあ、今自分がどんな顔してるか知ってるか?」
「え?」
「俺、あんたはもっと冷静でクールな奴だと思ってたんだけど」
 ジュリアンは堪えきれない、というように、喉を震わせた。
 メディオンはそれでも、まったく気を悪くした様子はなく、むしろますます幸せそうな表情を浮かべた。手は休むことなく、きびきびと材料を混ぜ合わせているのは、さすがというべきか。
「仕方がないだろう。シンビオスのことを考えると、胸が暖かくなるんだ。それで、こう、どこからか柔らかい音楽が聞こえてきて----」
「幻聴か? 医者に行ったらどうだ」
 ジュリアンの笑いながらの突っ込みに、メディオンは現実に戻ってきた。不服げに泡立て器を振り上げて、
「無粋だな、君は」
「お陰様で」
「…要するに、そのぐらい素敵な気分ってことだ。シンビオスといると、世界がまったく別のものに見えてくる。とても素晴らしいものに」
「なるほど。…詩人だな」
 ジュリアンは完全に茶化している口調だ。
 メディオンはジュリアンを軽く睨んで、
「クッキーはいらないんだね」
 冷たく言い放つ。
「…なんだよー、そんな怒るなよ。ちょっとした冗談だろうが。まったく、大人げねえな…」
 ウオツカを呷りながら不満げに漏らすジュリアンの様子に、今度はメディオンが声を上げて笑ったのだった。


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