さて、この世界において最も優秀な動物は猫である、というワシの意見に、よもや反対なさる御仁はおるまいな?
 猫以外の動物は、ワシらに対してやっかんでいるのかなんなのか、「一日中寝ている怠け者」と言っているようじゃが、なに、ワシからすれば、彼らの方が働き過ぎなのじゃ。
 それに、ワシらとてただ寝ているだけではないぞ。体を休めている間にも、脳みそはフル回転しておる。深く瞑想し、余人には考えもつかないような考察を巡らせておるのじゃ。伝える術がないのが残念でならん。
 おお、ワシとしたことが、自己紹介を忘れておった。
 ワシの名は、メイプルシュガー。
 …今笑ったな? ワシとて、もう老熟期に入った雄猫の名前にしては、確かに恥ずかしいとは思う。だが、この名がつけられたときはワシもまだ可愛い盛りだったんじゃ。それに、ワシの相棒であるシンビオス----これが、人間にしておくには惜しいような傑物じゃが----もまだ子供で、幼いながら懸命に知恵を絞って付けてくれた名前なんじゃ。贅沢は言うまい。それに、普段はただ『メイプル』とだけ呼ばれておる。----そうそう、『シュガー』などという甘い呼び名は、恋人のために取っておくが宜しい。シンビオスもそろそろそういったお年頃じゃしのう。
 さて、シンビオスよりも先に目覚めたワシは、空腹を感じていた。自分で狩りに行くのも手じゃが、シンビオスから貰った方が簡単じゃ。ワシももう12歳。昔のように軽やかに動けなくなっている。
 大きく欠伸をしながら、前脚をうんと前に突き出して、背中を伸ばす。これでスッキリ、寝ぼけ知らずじゃ。

 ところで、ワシとシンビオスは、お互いが子供のときから一つのベッドで眠っている。ワシが先にベッドを占領すると、シンビオスはぶつぶつ言いながらも、遠慮がちに端に寄って眠る。昔、あんまり端に寄りすぎて、シンビオスは睡眠中にベッドから落っこちたことがあった。以来、ワシもあれは申し訳なかったと思い、少しずれてやることにした。
 お互い譲り合うことがないと、共同生活はやって行けんのじゃよ。

 閑話休題。
 腹の減ったワシは、シンビオスを起こすことにした。
 まずは耳許で、
「にゃー」
 と可愛く鳴いてみる。全盛期の頃よりも声質は落ちたが、まだまだ捨てたものではないぞ。
 シンビオスは小さく唸って、体の向きを変えた。これはいつものことじゃ。
 ワシは仕方なく、掛け布団から突き出している彼の頬を掌で突いた。シンビオスはワシの掌にある肉球が好きで、突然ワシの脚を掴んで自分の顔に寄せ、ぷにぷに感を楽しんだりする癖がある。いきなりやられるから、こちらもびっくりするんじゃが、彼を起こすにあたっては、絶大な効力を発揮する。
 シンビオスはすぐに目を覚ました。
「解ったよ、今起きるから」
 寝ぼけた声で上体を起こし、上に向かって両手を上げる。ワシが教えた伸びの方法じゃ。
 ベッドから降りたシンビオスの脚にじゃれつくようにして、食料のある所まで一緒に行く。
 もう12年も使っているワシ専用の皿に、しっとりタイプのキャットフードと新鮮な水がよそわれる。至福のひとときじゃ。
 その間にシンビオスは、顔を洗い服を着替えて、朝の紅茶を淹れはじめた。この薫りは軽めのセイロンじゃな。ワシにもおくれ。
 シンビオスは笑いながら、ソーサーに移した紅茶をワシの前に置いた。彼もワシと同様猫舌だから、ちゃんとちょうどいい温度まで冷めてから、くれるんじゃ。
 ワシも歳ながら、食に対してのこだわりはまだまだ残っておる。特に、この朝の紅茶は格別に旨い。活力を与えてくれる。
 食事を終えると、毛づくろいの時間じゃ。紳士は身だしなみに気を付けねばいかん。
「さて、ぼくも食事してくるよ」
 シンビオスは言って、部屋を出ていった。
 ワシは丹念に毛づくろいを済ませ、日当たりのよい出窓に飛び乗った。背中を暖める日の光が心地いい。食事のあとは休息じゃ。
 では、しばらくの間、おやすみ、諸君。

 ………………………………………。

 …おや、シンビオスが戻ってきたようじゃ。足音が----二人分聞こえるぞい。
 ドアが開いた。ワシは目を閉じたまま、耳だけに神経を集中させた。
「では、王子。申し訳ありませんが、こちらでお待ちください」
 とシンビオスの声。
「構わないよ。いきなり来てしまった私も悪いんだし」
 これは来訪者じゃな。
「いいえ、…嬉しいです」
 シンビオスはいつもと違う口調じゃ。ま、ワシにも同じことがあったわい。可愛い雌猫の前じゃと、心が弾んだものじゃて。
 それはともかく、この、王子と呼ばれる人物、ワシの好物である鳥の胸肉をいつも持ってきてくれる。今日もじゃろうか? ワシは目を開けてみた。
 ----おやおや、静かだと思ったら、口付けの真っ最中じゃったか。
 ワシが見ているのに気付いても、王子は慌てず騒がず、紳士然として、
「やあ、こんにちは、メイプル」
 と挨拶してきた。むしろ、シンビオスの方が焦っていた。
「寝てたと思ってたのに」
 顔を真っ赤にして呟く。
「我々が気にするほどには、彼の方は気にしていないようだよ」
 さよう、王子の言う通りじゃ。ワシももういい歳じゃから、キスしようがそれ以上のことをしようが、全然なんとも思わん。もし若ければ、人間達の盛り上がった雰囲気を感じるだけでつられて興奮したかも知れんがの。気にせず色々とするがよかろう。
 だが、それ以上のことは今はなかった。
「じゃあ、王子。なるべく早く仕事を済ませますから」
 と、シンビオスが言ったのじゃ。仕事か! ワシならそんなものよりも恋人を取るがのう。人間とは気の毒なものじゃ。
「この部屋、ご自由に使ってください」
「ありがとう、シンビオス。…でも、彼の意見も聞かないとね」
 王子はワシの方を向いて、
「メイプル。私はこの部屋で、君と一緒にシンビオスを待っていてもいいだろうか?」
 ワシは鳴いて応える代わりに、しっぽを軽く上げて、承諾の意を表示してやった。
「ありがとう。----OKだって」
 最初はワシに、次はシンビオスに言った言葉じゃ。この男の、こういうところが興味深い。それに、ワシにちゃんと敬意を表わしているのも気に入っているんじゃ。
「じゃあ、王子、後で」
 シンビオスはそう言って、部屋を出て行った。
 残った王子の取る行動は、いつも同じじゃ。
 まずは紅茶を入れ、シンビオスの本棚から本を一冊〜数冊選ぶ。それを、隣の部屋にあるソファに腰掛けて読むんじゃ。
 初めてここに来たとき、王子はシンビオスの本棚を眺めて、あれは持ってる、こっちはない、などと呟いていたっけのう。
 ちなみに、ワシはここの本を、最近やっと読むようになった。シンビオスと一緒にな。まだ分別がなかった若い頃には、彼が本を読んでいるところを邪魔したものじゃ。のんびり座っているくらいなら遊んでくれ、とな。じゃが、最近は体を動かすのも大儀になってな、一緒に活字を追っている方が楽しくなったんじゃ。
 さて、催促するまでもなく、王子はワシの為に薫り高いダージリンを別の器によそい、床に置いた。早速頂こう。ワシは伸びをして全身から寝ぼけを払うと、いそいそと皿の前にうずくまった。
 カップを片手に王子は本を読みはじめた。
 程よい温度の紅茶を全部飲んでしまい、陽を含んだ毛皮を舌で梳る儀式を済ませると、ワシはソファの上に乗った。王子の横から文字を追う。
 これはワシも初めて読む本じゃ。大きい文字から察するに、恐らく子供向けなんじゃろう。今のシンビオスや王子が読む本ではないようじゃ。
 じゃが、王子は熱心に読み進めておる。
 そんな王子の様子を時折盗み見ながら、ワシもこの他愛もない童話を読んだ。
 文字が大きいだけあって、すぐに読み終わってしまう。王子は本を閉じて、溜息をついた。
「子供の頃のシンビオスは、こういう本を読んでいたんだね」
 王子は呟いて、ワシの方を見た。
「君と話ができたら、と思うよ、メイプル。私の知らないシンビオスのことを、君は沢山知っているんだろうね」
 ああ、王子は本当にシンビオスのことが好きなんじゃなあ。今の台詞も、口調がしんみりしておった。焼きもちでも羨望でもなく、寂しく思っておるんじゃな。
 元気付けてやろうと思って、王子の膝の上に乗った。安心せい。過去の些細なエピソードなど、今現在の付き合いには全然関係ないぞ。大切なのは今と未来じゃ。
 王子はちょっと笑って、長い指でワシの体を撫でてくれた。シンビオスも上手だが、王子もなかなかツボを心得ておる。いい気持ちで眠くなってきたわい。

 ………………………………………。

 …うん? いい匂いが漂ってきたぞい。これはとり肉じゃな。…ということは、もう晩ご飯の時間なのかの? どうやら、また眠ってしまったようじゃ。
 それにしても、今の今までワシを膝に乗せたままでいた王子も、ある意味大したものじゃのう。
 とにかく、彼の膝から降りて大きく伸びをしていると、ちょうどドアが開いて、シンビオスが入って来た。
「ちょうど、今起きたところだよ」
 王子がそう言うと、
「食べ物の匂いがすると、すぐに起きるんです」
 シンビオスが笑って応じた。ワシのことを言っているらしい。ふむ、食欲は動物の本能じゃぞ。
 シンビオスは、軽くあぶったとり肉が乗った皿を、床に置いた。
「王子からだよ、メイプル」
 言われなくても解っておるよ。いつもありがたいことじゃ。ワシは早速食べはじめた。程よい温度、柔らかい食感、口の中に広がる肉汁。堪らないのう。
「美味しそうに食べるね」
 王子の言葉も、ぼんやりとしか聞こえん。今のワシは、目の前のご馳走で頭が一杯じゃ。
「じゃあ、ぼく達も食事しましょう」
「そうだね。あれを見ていたらひどくお腹が空いてきたよ」
 旨い旨い。----おや、いつの間に、二人がいなくなっておる。いつ出て行ったんじゃろ。…ということは、食後の紅茶はお預けかの?
 ヒゲや口の周りについた食べかすをきれいにぬぐい取って、ワシはソファに寝そべった。
 そういえば、ちゃんと二人で戻ってくるときと、シンビオスだけしか戻って来ないときと、二つのパターンがあるんじゃった。前者なら、ワシは遠慮して、このソファで眠る。いや、さっきも言った通り、二人が何をしようとワシは全然気にしないのじゃが、シンビオスの方が恐縮するのでな。後者なら、王子の代わりにシンビオスにぴったり寄り添って眠ってやる。ひどく寂しそうな様子じゃから、慰めてやらねばならん。
 シンビオスの様子からすれば、前者の方が幸せそうじゃ。ただ、滅多にないこと、と言わざるを得ん。それが不憫でならんよ。
 さて、今日は----。…お、二人分の足音がするぞい。
「----すぐに紅茶を淹れますね」
 と言いながら、シンビオスが入ってくる。その後ろから、
「ありがとう、シンビオス」
 王子も入ってきた。どうやら、今夜はお泊まりのパターンらしいのう。よかった、よかった。
 いつものように、ワシもご相伴に与りながら、二人の会話に耳を傾ける。
 この世の摂理から、心理学、古代文明、その他諸々、哲学的な会話が続いておる。ワシがもし話せたら、この興味深い議論に参加して、より深みのあるものにできるんじゃがのう。----あ、今の二人の会話が稚拙だと言っておるわけではないぞ、念のため。
 何杯紅茶を飲んだか解らなくなった頃、
「こんなに飲んだら、きっと眠れないでしょうね」
 シンビオスが言った。
「むしろ、今夜はその方が都合がいいだろう?」
 王子が微笑む。----どうやら、本来の目的に近付きつつあるようじゃ。
 これから、二人は風呂に----一緒か別々か、までは知らんが----入るじゃろう。その間に、ワシはこのソファの上に丸くなって眠っている。あるいは、寝たふりをする。後は、この部屋とシンビオスの部屋を区切るドアが閉められて、朝まで開くことはない。中での行為は、ワシの預かり知らぬことじゃ。
 ただ、シンビオスがワシの朝食を、翌朝遅れずに用意してくれれば、それでいいんじゃよ。


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