うららかな春の午後。
 フラガルドから北に続く街道を、シンビオスとメディオンはのんびり歩いていた。道の片側は常緑樹が茂った森になっており、明るい陽射しもまだらにしか地上を照らさない。一方、反対側はよく開けた土地になっていて、恵みを一杯に浴びた草が青々と茂っている。
 こんなのどかで和やかな風景が楽しめるのだが、彼ら二人以外に行き交う人の姿は見えない。
 となると、当然のように----
「メディオン王子、チョコレート食べます?」
 シンビオスがポケットから、一口サイズのチョコレートを取り出す。
「うん。ありがとう」
 メディオンはそう答えて、シンビオスの方に顔を寄せる。
 包み紙を剥いたチョコレートをメディオンの口の中に入れてあげながら、シンビオスは、
…王子、森の方
 小声で囁く。
うん。…そっちに跳ぶよ
 メディオンもそっと返して、やにわにシンビオスの腰を抱え、芝生めがけて跳んだ。
 間髪入れず、今まで二人がいた場所に、トマホークが激しい勢いで回転しつつ飛んできた。そのまま地面に突き刺さる。
 メディオンはシンビオスを庇うようにしながら、芝生の上を転がった。そして二人はすぐに起き上がり、トマホークが飛んできた方向を見る。
 昼なお薄暗い森の中から、枯れ枝を踏み締めつつ現れたのは、額に一本の角を生やした巨大なオウガであった。一つしかない目に残虐な光と狂気を湛えて、二人を見下ろしている。
 手当りしだいに襲いかかり、骨すらも残さずに貪るオウガ。このモンスターがこの街道に出現したのはほんの数時間前のことだ。最初に襲われた商隊の中に命からがら逃げ延びた商人がいたため、知れたのである。そうでなければ、もっと大勢の犠牲者が出たに違いない。
 報告を受けたシンビオスは、すぐに厳戒体勢を取った。街道を封鎖し、自ら調査に乗り出した。
 本格的な戦闘ならともかく、1匹のモンスターに軍隊を派遣することもない。他の者には町の守護を任せ、シンビオスはメディオンと一緒にオウガ退治にやってきたのだ。この二人なら、まさに恐いものなしのコンビであった。
 オウガは鋭い牙を剥き出して、腰に下げた巨大なアックスを構えた。
 メディオンとシンビオスも、それぞれの武器を抜いた。
 オウガは声を上げながら突進してきた。思ったよりも素早い動きで、シンビオスに襲い掛かる。メディオンに比べて小柄なため、倒しやすいと踏んだのだろう。
 振り降ろされたアックスを、シンビオスはソードで受け止めた。強い力に、ジリジリと押される。
 二つの武器が拮抗しあう接点に、メディオンはレイピアを下から振り当てた。アックスとソードが弾かれて離れる。拍子に体勢を崩したシンビオスの前にメディオンは廻り込んで、同じく隙ができたオウガに切り込んだ。
 唸り声をあげて、オウガが後ろによろける。メディオンは鋭い突きを浴びせた。2発、3発----4発目をガードされ、更に逆上したオウガにレイピアを横薙ぎされる。続けてのアックスの一撃を、メディオンはふわりと横にかわした。
 続いてシンビオスが、肩に一太刀浴びせる。オウガは大きく吠えて、アックスを振り降ろす。シンビオスは後ろに跳び退った。
 その巨大な体躯に似合わぬ敏捷さに加え、オウガは巧みに急所をガードしている。思ったより手強い相手だ。小さいダメージは与えられるものの、致命傷とまではいかない。それどころか、手負いになったせいでますます狂暴化してしまった。激しく武器を振り回され、付け入る隙もない。防御するので精一杯だ。
「----あっ!」
 シンビオスが声をあげた。攻撃を仕掛けたところにカウンターを喰らい、アックスでソードを弾き飛ばされてしまったのだ。
「シンビオス!」
 メディオンが咄嗟に、シンビオスとオウガの間に割り込んだ。シンビオスを狙ったアックスをレイピアで払い、突きを入れては離れる。力強く素早く、それでいて優雅な動きは、まるで舞っているかのようだ。メディオンのレイピア捌きに、オウガも翻弄されている。
 シンビオスはその隙に、ソードを取りに行こうとした。しかし、オウガの怪力によって、かなり遠くに飛ばされている。余り時間がかかっては、メディオンが危ない。
 シンビオスの目に、地面に刺さったままのトマホークが飛び込んできた。
 ----これだ!
 飛びつくようにそれを手に取り、オウガに向けて構える。斧系の武器を扱うのは初めてだが、迷っている暇はない。
「王子! 退がって!」
 叫びながら、力一杯投擲する。
 くるくると回転しながら、トマホークはオウガの横腹に見事突き刺さった。
 大気を震わす叫び声を上げて、オウガが仰け反る。
 すかさず、メディオンはオウガに体当たりした。あおりを喰らって仰向けに倒れたところに馬乗りになって、太い首にレイピアを突き刺す。
 オウガは目を見開いた。上体を撥ね上げ、その勢いでメディオンを振り飛ばそうとする。
 瞬間、メディオンはオウガの体を蹴った。猫のように空中で回転し、芝生の上に膝を曲げて着地した。すぐさま立ち上がる。
 驚くべきことに、オウガもゆらゆらと起き上がっていた。脇腹にはトマホークが突き刺さり、首のレイピアは完全に貫通している。全身を自ら流す蒼い血で染め、一つだけの目に憎悪を浮かべて二人を睥睨する。その鬼気迫る様は、歴戦の兵であるメディオンとシンビオスを戦慄させるに足るものだった。
 オウガの手が、喉に刺さったレイピアに伸びる。
 咄嗟に、シンビオスは魔法を放った。
 火柱がオウガの全身を焼き焦がす。火だるまになりながらも、オウガは2・3歩足を進めたが、とうとうその場に崩れるように倒れた。そのまま跡形もなく燃え尽きていく。
 メディオンとシンビオスは顔を見合わせて、安堵の溜息をついた。
「しぶとい相手でしたね」
「ああ。こんなに手こずったのは久しぶりだ」
 メディオンはシンビオスに歩み寄って、
「シンビオス、怪我はないかい?」
「ええ。剣を飛ばされただけです。----王子は?」
「大丈夫だよ。かなり汚れたけどね」
 と言って、メディオンはうんざりと首を振った。確かに、オウガの返り血を浴びた上に草切れや土埃に塗れて、言い様のない様子になっている。
「それはぼくだって一緒ですよ」
 シンビオスは苦笑して、
「じゃあ、もう戻りましょう。剣を拾ってきます」
 遠くに飛ばされてしまった自分のソードの所に駆けていく。
 メディオンも、焼け残ったレイピアを拾い上げた。ちょっと考えてから、トマホークとアックスも拾う。こんな所に残しておいても仕方がない。
 柔らかい陽射しの中、二人は街道をフラガルドへと戻った。
「----シンビオス様!」
「メディオン王子!」
 町の入り口で警備体勢を取っていたダンタレスとキャンベルが、主の姿を見て声をかけた。
「お疲れさまです、シンビオス様、メディオン王子」
「これはまた、戦いの凄まじさを物語るようなお姿ですな」
 と労りの言葉をかけながら、主人の鎧を外すのに手を貸す。
 自分達の武具と共にオウガの武器も彼らに預け、シンビオスとメディオンは軽くなった体で城の中に入った。
 廊下を自室に向かいながら、
「湯に入りたいんだけど----」
 と言いかけたシンビオスに、
「ちょうど、今用意が終わったところですわ、シンビオス様」
 シンビオスの部屋からグレイスが出てきて答えた。
「ありがとう、グレイス」
「いいえ。----お茶の支度もしておきますから」
「ありがとう」
 もう一度礼を言って、シンビオスはメディオンと一緒に、部屋に入った。
 風呂で、相手の怪我の有無を確認し、ついでに綺麗に洗ってあげて、やっと人心地ついた。
 広い湯舟にのんびりと浸かる。
「----今日はお疲れ様、シンビオス」
「王子も」
 と、シンビオスはメディオンの頬にキスした。肩に手を掛けて、頬を乗せる。
 ----今日の王子、格好よかったな。
 メディオンには2度助けてもらっているものの、そのときは自分の戦闘で手一杯だったし、遠征のときは違う軍だったため、シンビオスは彼の戦っている姿を見たことがなかった。強いていえばアスピアで剣を向けあったときと、普段の稽古のときぐらいだが、どちらも本気の戦いとはちょっと違っている。
 だから、今日初めてメディオンの勇姿を見たのだが…。
 ----前にキャンベル殿が、『王子は戦っているときでさえ優雅だ』って教えてくれたけど、その通りだったなあ…
 シンビオスは目を閉じて、あの戦闘を思い返した。
「----ね、シンビオス」
 メディオンに声をかけられて、ぱっと目を開ける。
「え、なんですか?」
「なんだ、寝てたのかい?」
 メディオンはちょっと笑って、
「見事な投擲だったね、って言ったんだよ。これからは斧系でもいけるんじゃないか?」
「まぐれですよ。まさか、あんなに巧く当たるとは思いませんでした」
「そうかい? まあ、それを差し引いても、あの判断力は大したものだね。さすがはシンビオスだ」
 柔らかく微笑むメディオンを、シンビオスは悪戯っぽく見つめて、
「----惚れ直しました?」
「よく解ったね」
「だって、ぼくも貴男に対して、同じこと思いましたから」
「なるほど」
 二人は唇を重ねた。
 お陰でお茶の時間が夕食にまでずれ込んでしまったが、これをちゃんと予想していたグレイスは、実はお茶の支度をしていなかった。そのため、まったく支障はなかったのである。


HOME/MENU