ベネトレイムの顔を見た途端、よくないことが起きた、とフラッターは感じた。
「…フラッターよ、厄介な女性を好きになったものだな」
 これが、ベネトレイムの第一声だった。
「コムラードも気にかけていたぞ」
「彼女がどうかしたのか?」
 フラッターは訊ねた。彼がその女性に出会ったのは一月ほど前のことだ。彼は彼女の名前しか知らなかった。どうしてか、それ以上のことは知る必要がないと感じていたのだ。
「バサンダといったか。彼女はブルザムの司祭だ」
「ブルザム…。…異教徒だから心配しているのか?」
「そうではない。以前話しただろう」
 フラッターは訝しげに眉を顰め、すぐに記憶を呼び起こした。
「ああ、あのおとぎ話か」
「おとぎ話ではない、フラッター。もう間もなく起こることなのだ」
 ベネトレイムは苦々しい口調で、
「彼女がおまえに近付いたのも、企みがあってのことに違いない」
 驚くべき事実を、フラッターはそのまま受け止めた。ベネトレイムが当て推量で物を言うことはないし、実際、バサンダには謎めいたところがあった。
 しかし、フラッターの心は決まっていた。彼は強く言い切った。
「…それでも構わない」
 ベネトレイムの眼が細まる。
「彼女には不思議な魔力があるというぞ。誰でもを虜にするという。…フラッター、おまえはそれに惑わされているに過ぎん」
 フラッターは真直ぐにベネトレイムを見つめた。
「それでも構わないのだ、ベネトレイム。----私は彼女を愛している」
 寡黙で、自分の感情など滅多に口に出さない無骨なフラッターの告白は、ベネトレイムを心の底から驚かせた。だからこそ判る。本気なのだと。
「…そうか」
 あらゆる感情を排斥した声で、ベネトレイムは呟いた。
「もう行っていい、フラッター。コムラードには私から伝えておく」
 フラッターは軽く頭を下げると、部屋を出て行った。
 恋とはそういうものか。ベネトレイムはぼんやりと考えた。たとえ許されざる相手でも、そして行き着く先が悲劇しかないと承知していても、愛せずにはいられないものか。
 ただ、フラッターにとっては「許されない恋」で済むが、ベネトレイムにとってはそれだけでは済まない。この恋がどういう波紋をもたらすか、「導く者」である彼の眼にはまざまざと映し出されるのだ。
 ----やはりその時は近い。運命は変えられぬ。
 ベネトレイムは次に取るべき対策を思い浮かべながら、コムラードの許に向かった。

 数年後。
 バサンダを迎えるフィアールの笑顔は、いつもより一層空々しかった。
「もう戻ってこないかと思いましたよ、バサンダ」
「…どういう意味かしら」
「あの共和国の武人と、彼との間にできた子供。離れ難かったのではないですか? ミイラ取りがミイラになった、ともっぱらの噂ですが」
 人の神経を逆なでするフィアールの口調に、途中から困惑が加わる。
 フィアールの邪眼が捕らえたのは、バサンダの微笑みだった。
「恋したことないのね、フィアール」
「……………」
「…私は使命を果たしたわ。それ以外のことで、貴男にとやかく言われる筋合いはないと思うけど?」
「確かに、貴女が誰を愛そうと私には関係ないですがね」
 フィアールはひょいと肩を竦めて、
「ただ、その想いがブルザム様に対して仇なすものでなければよいのです」
 バサンダは、打って変わって鋭くフィアールを睨んだ。
「ブルザム様に対する忠誠心と、夫や息子に対する想いは別だわ。フィアール、いらない詮索はやめて頂戴」
「これは失礼を」
 フィアールは大袈裟に腰を屈めた。
「では、4司祭が全員揃ったところで、今後の作戦でも立てましょうか」
「そうね。早くこの世界をブルザム様が望まれるものにしましょう」
 そうすれば、今度こそ夫と息子と3人で暮らせるのだ。誰にも気兼ねすることなく。永遠に。
 この願いが実現することを、このときのバサンダは信じて疑わなかった。


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