帝国要人と共和国要人達は、ほぼ同時にサラバンドに到着した。
 和平の雰囲気を強く打ち出すため、彼らに同行した兵士達は先に入国し、それぞれの寄宿舎で待機している。
 両国首脳陣は、これから行われる入国パレードに備えていた。先に帝国側が、続いて共和国側が入国する手はずになっている。
 バーランドを足がかりに、一気に共和国に攻め込みたいドミネート皇帝は、今回の和平提案を快く思っていなかった。そのため、共和国首脳の面々を見回して、
「負け犬どもが揃いおったか」
 この台詞に、今回の紛争の発端になったバーランド領主のティラニィと、国境警備軍隊長のバリアントはいきり立った。それを、ベネトレイム国王が急いで抑えて、
「ドミネート皇帝。我々がここに来たのは和平のためであって、戦争をするためではありません」
「それはどうであろうな。なにせ、ベネトレイムは奇策が得意であるからな。用心に越したことはない」
 全然和平とは遠いこのやりとりを、シンビオスは最後尾で聴いていた。彼はとても緊張していた。領主の息子としてそれなりに教育されてきたし、共和国随一の勇士であるダンタレスも付いていてくれるとはいえ、このような重要な会議に出席するのは初めてだ。
 皇帝はまだ言い足りないらしく、次から次へとベネトレイムに辛辣な言葉を投げかけている。もっとも、ベネトレイムは『柳に風』といった風情で流していたが。
 皇帝の横には老練なケンタウロスが、無表情で控えている。主を止める気はないのだろうか。----ないのだろう。相手が相手だしな、とシンビオスは思った。
 さらにその隣に立っている、皇帝を若くしたような感じの男の方が、よほど落ち着かなげに皇帝を見ている。彼が、第一王子のマジェスティだろう。
 ということは、その横で皮肉な笑みを浮かべているのが、年齢的にいって第二王子のアロガントのようだ。名前の通り『尊大』な視線で、共和国首脳陣を見つめている。
 誰からも少し離れた位置に立っている人物に、シンビオスは目を移した。金の髪が風に揺れている。長身だが目立たず、儚げで、際だって不幸そうだ。
 隣に控えている逞しいケンタウロスが、彼に何か囁く。
 ----優しい笑い方をする人だな。
 彼の笑顔を見て、シンビオスはそう思った。
 自分でも思ったほど長く、彼を見つめていたようだ。視線を感じたらしい彼が、シンビオスに目を向けてくる。
 目が合った、と感じた瞬間、シンビオスは反射的に目を逸らしてしまった。逸らしてから後悔した。これでは失礼だし、変に思われてしまう。そもそも、なんで目を逸らしたのか、自分でも謎だ。
 シンビオスは、もう一度彼を見た。その間彼はずっとシンビオスを見ていたようだ。目が合うと、さっき従者に見せたのと同じ、優しい笑顔を向けてくる。
 シンビオスはちょっと頭を下げた。何故か頬が熱い。
「----そういえば、コムラードは来ておらんのだな」
 皇帝の声が、再び耳に入ってきた。
「体調を崩したというが、どうであろうな。逃げたのではないか? しかも、代理はこんな年の若い息子だとは」
 シンビオスは皇帝の方に顔を向けた。皇帝は真っ直ぐにシンビオスを見ている。口元に浮かぶ侮蔑的な笑みを見るまでもなく判る。----喧嘩を売っているのだ。
 シンビオスは一度深呼吸して、口を開いた。
「恐れながら、ドミネート皇帝。私は確かに若輩者ですが、言っていいことと悪いことの判断くらいは出来ます」
 皇帝の笑みが深くなった。
「ほう? たとえば?」
「たとえば、----今あなたに対して思っていることを、口に出すようなことは絶対に致しません」
「なるほどな」
 皇帝の笑みが変わったように、シンビオスは思えた。
 意外なことに、皇帝はそれ以上何も言わなかった。やっと、その場雰囲気が落ち着いてくると思った矢先、
「待て」
 アロガントが口を開いた。父親譲りの冷たい瞳で、シンビオスを睨む。
「それはつまり父に対して、口に出来ないような無礼な感情を持っている、ということだな?」
「それは----」
 シンビオスの声に重なるように、
「それは当然でしょう、兄上」
 別の声が言った。
「彼は共和国民ですよ? 共和国民が帝国に対してどういう感情を抱いているかなど、我々も充分承知しているじゃありませんか」
 シンビオスは彼を見た。ちょうど吹きつけた風が、彼の金の髪を吹き上げ、きらめかせる。
「メディオンの言う通りだ」
 総てを決定づける重々しい言葉を、皇帝が発した。
「それに、自分の父親を侮辱されても黙っているようなら、ただの腰抜けということだ。----コムラードも、いい息子を持ったものよ」
 皮肉かとも思ったが、皇帝の表情は珍しく穏やかだった。
「恐悦に存じます」
 シンビオスは素直に頭を下げて応じた。
 そのとき、サラバンドの係の者がやって来て、
「恐れ入ります。準備が整いましたので、ご入国願えますでしょうか」
「うむ」
 皇帝は立ち上がって、堂々と歩いていく。以下、従者や王子達も続く。
 最後尾についたメディオンに、
「お口添え、ありがとうございました、メディオン王子」
 ベネトレイムが頭を下げる。
「お陰様で、最悪の事態は避けられました」
「メディオン王子、ありがとうございました」
 シンビオスもお辞儀する。
「いいえ。私どもとしても、共和国との戦争は避けたいですから」
 メディオンは穏やかに言ったあと、シンビオスに向かって、
「それにしても、君は勇敢な人ですね。あの父に堂々と言い返せるなんて」
「はあ。今になって足が震えています」
 シンビオスがそう応えると、メディオンは声を上げて笑った。耳に心地よく響く声だ。
「楽しい人だ、君は。----気が合いそうですよ。もっとお話ししたいですね」
「ええ。私も同感です」
 差し出された手を、シンビオスは強く握った。
「メディオン様、そろそろ----」
 ずっと彼の傍にいたケンタウロスが、声をかける。
「ああ、今行く。----では、また」
 メディオンは行きかけて、すぐに戻ってきた。
「----そういえば、まだ名前を伺っていませんでしたね」
「シンビオスです、メディオン王子」
 シンビオスは笑いながら答えた。
「シンビオス殿。いい名前ですね。----では、また後でお会いしましょう、シンビオス殿」
「ええ。また…」
 シンビオスが言い終わらないうちに、メディオンは駆けて行ってしまった。長い金の髪を輝かせて。
「----いい王子だな」
 ベネトレイムが言った。
「帝国の首脳陣がみな彼のようだったら、和平も進むだろうに」
「現実は正反対ですからね。----でも、彼の存在は心強いですね」
 メディオンのまばゆい金髪と優しい笑顔は、暗闇を照らす光のように、シンビオスには感じられた。また彼に会えると思うと、重責ばかりで気を遣う会議が一転して、待ち遠しくさえ思えてくる。
 ----この会議の間に親しくなれるといいな。彼とはもっと話をしてみたい。
 これから先自分を襲う悪夢も知らず、シンビオスは17歳の少年らしく、明るい未来を胸に描いていた。


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