シンビオスは悪夢を見なくなっていた。
 その代わり、エルベセムの『護り石』は毎朝真っ赤になっていた。----相手の『力』と護り石の『力』が互角である証拠だった。
 そのうちに、光の遠征軍は順調にレベルをあげていき、いよいよ邪神宮に乗り込むこととなった。

 今夜はダンタレスがシンビオスに付いている。
 シンビオスの無事を祈るのが、メディオンの就寝前の日課になっていた。
 この日も念入りに祈り、更に明日の決戦の勝利を祈願して、メディオンはベッドに入った。

 目の前に男が立っている。顔ははっきりしないのだが、夢の中のメディオンはその男の正体を知っていた。
「----私になんの用がある?」
「ご挨拶ですよ。明日我が神殿にいらっしゃるのでしょう? ----何故判ったか不思議ですか? 今、私は貴男の夢の中にもぐり込んでいますね? つまり、貴男の深層意識に働きかけているのです。貴男の心の声、総て聞こえますよ」
 男は、いつにも増して饒舌だった。何が嬉しいのか、にこにこと笑ってさえいる。
「私は神殿にいるわけですから、東壁を攻める貴男とは会えないでしょうし。----貴男には色々と邪魔されましたからねえ。シンビオス殿のことで、ね」
「やはり、シンビオスを苦しめていたのはおまえだったのか」
 メディオンは男を睨み付けた。
「シンビオスを篭絡して、遠征軍を崩そうというわけだな?!」
「それもあります。でも、他の理由も…。…メディオン王子、貴男ならよく判るでしょう?」
 男は妙な口調で言った。それがメディオンに、ある疑惑を思い浮かばせる。
 男は楽しそうに頷いた。
「そう、貴男が今考えたことですよ」
「ふざけるな! 自分の父親を殺した男に、シンビオスが心を許すと思うのか?」
「私はねえ、メディオン王子。シンビオス殿を解放して差し上げたいのですよ。『光の使徒』だの、『戦う血族』だのといった、下らない肩書きからね。彼の父親を殺したのもそのためです。血の呪縛から解放してあげたのですよ」
 男はそう言って、くつくつと笑った。
 この男の考えが、メディオンには理解できなかった。自分のしたことがどれほどシンビオスを苦しめているか、判っているのだろうか?
「シンビオス殿が苦しむのは、彼自身の問題ですよ。素直に私の手を取って闇に同化すれば楽になれるものを…。意地を張ってるのかなんだか知りませんけどね、逆らうから苦しいんですよ」
 メディオンの考えを読んだのだろう。男は肩を竦めてそう言った。
 メディオンは怒るのも忘れるほど呆れ返った。どうしてシンビオスがこの男の手を取る気になんてなるだろう? 自分の父親を殺し、更には世界を闇に変えようとしている『敵』なのに。
「随分な言い様ですね、メディオン王子」
 言葉とは裏腹に、男は愉快そうな笑い声で、
「まあ、貴男から見れば、確かに私はそういう男でしょう。ですがね、私は自分の信念に基づいて行動しているだけですよ。----そう、貴男がアスピアを攻めたのと同じようにね」
 最後の台詞が、鋭くメディオンの心の奥深くに食い込む。あのときメディオンを襲った感情が瞬時に蘇った。皇帝に命令されたときの衝撃。母とシンビオスに対する想い。
「違う! 私は…」
「違いませんとも。----皇帝に命令されたから? ふざけるんじゃありませんよ、メディオン王子。貴男はシンビオス殿よりも母親を選んだのでしょう? ----どちらも同じぐらい愛しているですって? ならば、皇帝に従うより他に道はあったはずです。----たとえば、皇帝暗殺、とかね」
「----!」
「それができなかった貴男は、結局腑抜けなんですよ。それで、シンビオス殿を護ろうなんて、片腹痛いですね!」
 男は哄笑した。
「まあ、見ていなさい。明日には世界がブルザム様の力で覆われるでしょう。シンビオス殿は私のものとなり、そして貴男は----」
 男の姿が薄くなっていく。高らかな笑い声が響く中、メディオンは叫んだ。
「おまえの思い通りにさせるものか!」

 メディオンは飛び起きた。
 ----本当に叫んでしまっただろうか?
 喉元に手を当てて息を吐く。スタンドの灯りで手元の時計を確認すると、午前3時前だった。
「…フィアール…」
 メディオンは呟いた。夢の中で、やっと敵が判明したのだ。そしてその理由も。
 だが、何故今になってフィアールは、自ら総てを明らかにしたのだろうか。メディオンは胸騒ぎがしてならなかった。

「----何故、明かしてしまったのですか?」
 ブラーフは不思議そうに尋ねた。
 フィアールがシンビオスに執心しているのを、ブラーフは勿論承知している。それがシンビオスを苦しめる結果になることも。父の仇であるシンビオスが苦悩するのを、ブラーフは喜んでいた。フィアールがシンビオスを手に入れることは、光に包まれたあの少年が闇に穢されることに他ならない。そのときのシンビオスの表情を見てみたい、と彼は思っていた。
 フィアールこそがブラーフの父----フラッターに止めを刺したのだが、そんなことをわざわざばらすフィアールではない。すっかりシンビオスが殺したのだと思い込んでいるブラーフを見て、内心ほくそ笑んでいる。
 今夜も、シンビオスを闇に堕とす下準備としてメディオンの夢に入り込む、と言うと、どうするのか教えてほしい、とブラーフは言ってきた。メディオンの夢から戻ったフィアールは、詳細に話して聞かせた。その感想が、先程の質問だ。
「正体不明のままの方が、より不安感を与えやすいのではないですか?」
 ブラーフは言葉を重ねた。
 フィアールはちょっと肩を竦めて、自分の意図を説明した。
 シンビオスは近頃、『護り石』と『メディオンへの想い』、それから『メディオンからの想い』によって護られている。しかも、エルベセム神殿内という、フィアールの術の効きにくい場所にいる。二つに増えた『護り石』の守護をフィアールが破りきれなかったのは、このせいであった。
 だが明日、『光の遠征軍』はブルザム神殿までやってくる。いわばブルザムの『お膝元』だ。ここでなら、フィアールの術もいかんなく効力を発揮できる。そこで、まずはメディオンの心に、深層意識のレヴェルからダメージを与え、シンビオスに対する彼の『守護』を少しでも薄くしようと試みたのだ。更に…。
「ブラーフ、『好き』の反対の感情は何か、知っていますか?」
「え…。『嫌い』でしょう?」
 ブラーフは珍しく、年相応の顔になった。あどけなく目を開いて首を傾げている。
「いいえ、違います」
 ブラーフが外したのが楽しいのか、それともその表情が珍しいのか、フィアールはちょっと笑った。
「いいですか、ブラーフ。『好き』も『嫌い』も、相手のことを強く考えている、という点では同じではないですか? それがプラスの感情なのかマイナスなのかの違いだけでしょう」
「あ、そう言われればそうですね」
 ブラーフは腕を組んで考えながら、
「では、『好き』の反対とは…」
「それは、『無関心』ですよ」
 フィアールはやけに勿体ぶった口調で答える。
「術をかける際には、相手が私のことを考えていてくれた方が都合がいいのです。心に入り込みやすくなりますからね。----今、シンビオス殿の心はあの王子のことで一杯です。しかし、それと同じぐらいに私に対する憎しみを燃え上がらせてくれれば…。そしてそこに術をかければ…。シンビオス殿はあっという間に闇に堕ちますよ」
「楽しみだな。彼があの輝きを失うところを、早くこの目で見てみたいです」
 ブラーフが笑う。フィアールも頷いて、
「----さて、念のため、もう一押ししておきましょうか」
「もう一押し?」
「まあ、見ていなさい」
 と言って、フィアールは企み深い笑みを見せた。

 昨夜見た夢について、メディオンは自分の胸だけにしまっておくつもりだった。最終決戦を控えた今、余計なことを言ってシンビオスの気を乱してはいけない。それに、フィアールを倒してしまえば終わることだ。その後で告げた方がいい、と考えていたのだ。
 だが。
 今朝の食堂は、すでにその話で持ち切りだった。というのも、シンビオスと、彼に夜通し付き添っていたダンタレスを除いた全員の夢に、フィアールは現れたからだ。
 彼はそこで、シンビオスに呪術をかけたのは自分であること、最終決戦で勝利し、世界をブルザムの闇で覆うこと、そのときシンビオスだけは殺さずに、自分のものにすること、を宣言したという。
「----ふざけてる! コムラード様を手にかけておいて、今度はシンビオス様を狙うとは!」
 話を聴いたダンタレスは、憤慨の極みだった。
「フィアールめ、ただではおかん!」
 もしフィアールが目の前にいたら、地の果てまで蹴り飛ばさんばかりの勢いだ。
「フェニックスで黒焦げにしてやりたいところだけど…。私達は西壁を攻めるから、奴とは戦えないわね」
 マスキュリンが悔しげに言う。
「ここはジュリアン軍に任せるわ。もう二度とこんな馬鹿な企みを起こさないように、しっかり懲らしめてやってよ」
「ああ、任せとけ」
 ジュリアンが強く頷いた。
「…シンビオス様、大丈夫ですか?」
 蒼い顔をしてずっと黙り込んでいるシンビオスの肩に、グレイスがそっと手をかけた。
「ん…。ちょっとショックで…」
 シンビオスは大きく息を吐いて、
「でも、大丈夫だよ。私は絶対に奴の思い通りにはならないから」
「その意気だ、シンビオス。----みなも、戦闘の際には充分に注意しておいてくれ。何せ、ブルザムの膝元で戦うのだからな」
 ベネトレイムの言葉に、ダンタレスが胸を叩く。
「大丈夫です! このダンタレスがしっかりお護りしますから!」
「もう、ダンタレス様ってば、自分ばっかりアピールするんだから」
 マスキュリンが、わざと明るい声を出した。
「シンビオス軍のメンバー全員でお護りするんでしょう?」
「そ、そうだったな。すまん」
 ダンタレスがちょっと恥ずかしそうに言う。なんとなく、その場の空気が柔らかくなった。
 ただ一人メディオンだけは、沈んだ心を引きずったままだった。ゆうべ、フィアールに与えられたダメージがまだ残っている。これも敵の作戦だと、気にしたら相手の思うつぼだと自分に言い聞かせているにも関わらず、気が付くとあれこれ思い悩んでいる。なにしろ、自分ではどうともコントロールしようのない、心の奥深い所に受けたダメージだ。
「----じゃあ、早速準備してくれ。気合い入れてな」
 ジュリアンの言葉に、みな一斉に立ち上がった。軽い会話を交わしながら、食堂を出ていく。
「----メディオン王子」
 廊下に出たメディオンに、後ろから声がかかる。シンビオスだった。
 ゆうべの夢が残っているメディオンは、複雑な気分で彼と向かい合った。
「何かあったんですか? 元気がないように見受けられますが…」
 シンビオスは心配そうに訊いて来た。
「いや、大丈夫だよ、シンビオス」
 メディオンはぎこちないながら笑顔を作って、
「私のことは心配いらない。それより、自分のことを考えて。フィアールの企みに負けないようにね」
「はい。負けません、決して。----みながいてくれますし、それに…」
 シンビオスは恥ずかしそうにメディオンを見上げた。
「なにより、メディオン王子がいてくださったから、私も今まで無事でいられたんだと思ってます」
 彼の言葉が、メディオンの傷を癒してくれる。自分こそシンビオスに救われているのだ、とメディオンは痛感した。
「君の力になれて嬉しいよ」
 メディオンがそう言うと、シンビオスは嬉しそうに頬を上気させた。何度も目を瞬かせて、
「王子、これから先…、この戦いが終わった後も、私のことを助けてくださいますか?」
「いつでも君の傍にいるよ、シンビオス」
 メディオンは頷いた。もう迷いはなかった。自分が望み、彼も望んでくれるなら、何を悩むことがあるだろう。
「----よかった。結構緊張して言ったんです」
 シンビオスは悪戯っぽく笑った。
「これで勇気が出ました。王子、最後の戦い、頑張りましょうね」
「ああ。世界を救い、君を呪いから救う戦いだ。負けられはしないよ」
 優しくシンビオスの髪を撫でながら、メディオンは応えた。

 ブルザム神殿の中で、フィアールはシンビオスに対して呪術をしむけていた。西壁を護る大司祭には、シンビオスだけは生かしておくように頼んである。大司祭は呆れ顔をしたが、『光の使徒』が闇にまみれる姿を見るのも一興だ、と考えたらしい。承知してくれた。
 そこで、フィアールは心置きなくシンビオスを洗脳しようと試みたのだが。
 呪文を詠唱していた口から、軽い舌打ちが漏れた。
「----どうしたの? フィアール」
 デスヘレンが尋ねる。なにせ、フィアールはいつも他人を小馬鹿にするような態度をとっている。こんなふうに苛立った姿を見せるのは初めてだ。
「メディオン王子は、結構立ち直りが早いんですねえ」
 フィアールは面白く無さそうに呟いた。
「あれだけダメージを与えたにも関わらず、シンビオス殿への『護り』が復活していますよ。----いや、もっと強くなっている」
「あの王子、結構打たれ強いところがあるからな」
 ゴリアテが笑う。単純明快を好む彼は、フィアールのシンビオスに対する、少々ひねくれた執着心が理解できなかった。そのため、少し厭味っぽい口調になっている。
 人を見下すのは得意なフィアールは、人に見下されるのが好きではない。むっとした顔でゴリアテに言い返そうとしたとき、
 ----ゴゴゴゴ…
 大地が激しく振動した。
「これは…、まさか、大司祭様とバサンダが倒されたのか!」
 ゴリアテが驚きの声をあげる。
「なんてこと! ----フィアール、ブルザム様はまだ目覚め切っていない! 我らでお護りするのよ!」
「承知しています」
 フィアールが答えて、三人の司祭達はジュリアン軍を迎え撃つべく、配置に付いた。
「----仕方がない。シンビオス殿のことは、彼らを倒してからゆっくりと手を付けましょう」
 フィアールは呟いた。もう、いつも通りの落ち着きを取り戻していた。自分達が負けるなどとは、万に一つも考えてはいなかった。
 ところが、ジュリアン軍は予想以上に強かった。
 デスヘレンを倒され、まずいことにジェーンの封印も解かれてしまった。正の力が増した彼女はブルザムを憎み、ジュリアン軍に加担してしまった。
 激しい攻撃に、とうとうフィアールも力つきようとしていた。
「----まさか、あなた方がここまで力をつけていたとはね。これは誤算でしたよ」
 それでも、フィアールはいつもの余裕ある態度を崩さなかった。
「心配すんな。おまえらの神様も、すぐに地獄に送ってやるよ」
 ジュリアンがブレードを構えながら笑う。
「それはどうでしょう? ブルザム様があなた方ごときに倒されるわけがない」
「ほざいてろ。----じゃあな。もう二度と会いたくねえ」
 ジュリアンは思いきりブレードを振るった。
 フィアールは邪悪な微笑みを浮かべ、消えた。

 シンビオス軍とメディオン軍は合流して、ジュリアン軍が死闘を繰り広げている邪神宮を見守っていた。
 両手を強く握りあわせて立っているシンビオスの許に、メディオンは歩み寄った。
「やはり、不安かい?」
「…大丈夫です。ジュリアン軍を信じていますから」
 シンビオスは静かに答えた。そうとはいえ、どうしても落ち着かないのだろう。メディオンの方に片手を差し出した。
「王子、手を…」
 メディオンは、シンビオスの手を強く握った。
「----見て! 邪神宮が!」
 誰かが叫ぶ。
 邪神宮は崩れ去ろうとしていた。周りの雪を巻き込み、激しい雪崩を起こす。遅れて凄まじい音が響く。そして、強い風雪がここまで襲い掛かって来た。
 メディオンは咄嗟にシンビオスをマントにくるみ込むと、風雪に背を向けた。結われた金の髪が吹き上げられる。むき出しの耳が痛い。
 メディオンの腕の中で、シンビオスはやっと安堵できた。
 もう、あの悪夢に悩まされることはない。今夜からは安心して眠れるのだ。フィアールの呪術から解放されたのだ。

 だが、最後の最後に、フィアールはシンビオスに呪いをかけていた。
 彼が自分のことを、一生憎み続けるように、と。
 忘れたいほど恨んでいる相手を、シンビオスは生きている限り覚えていなくてはいけない。
 そう気付いたときのシンビオスの反応を想像しながら、フィアールは息絶えたのだ。それが、あの最期に見せた笑みの意味だった。
 その呪いから、メディオンはシンビオスを救うことができるのか。----答は二人の心の中にのみ存在する。そう、総ては二人の『想い』次第だ。


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