周りが騒がしいときには、それに対抗して声を張り上げるより、近づいて耳元に囁く方がいい。 メディオンとシンビオスも、滝の音が響くこの場所で、それを実践していた。 会話の内容自体は他愛のないものだったのだが、接近して話すことで、親密さがずっと増したようだ。 主の後ろ姿を見守る従者にも、その雰囲気は伝わっていて、 「ああ、一体何を話しているのか…」 ダンタレスは気が気ではない様子だった。 「…お主、メディオン様のことを信用できないとでも言いたげだな?」 キャンベルがすかさず絡む。彼の方は、微笑ましげに目を細めて、メディオンとシンビオスを見守っていた。 「う、いや、そんなことはないぞ」 ダンタレスは慌てて言った。 「メディオン王子のことは、勿論信用しているさ。----ただ、お互いの立場を考えると、な…。----もし、シンビオス様がそういうお気持ちなら…、辛い思いをされるのではないかと…」 「何を、訳の判らないことをぶつぶつと言っているのだ?」 キャンベルが眉を寄せる。 「判らないのならいい。----俺は、シンビオス様が幸せでいてくだされば、それでいいのだ」 と溜め息をつくダンタレスを、キャンベルは盛んに首を傾げながら眺めた。 主の幸せを願うのはキャンベルも一緒だし、少なくとも、今のメディオンの後ろ姿は、キャンベルの目には充分幸せそうに映った。 要するに、ダンタレスは、シンビオスがメディオンのことを好きになったとして、それが報われるかどうか心配しているのであった。帝国王子と共和国領主の子息である。世間的にも、素直に祝福しにくい取り合わせであろう。 一方、キャンベルはといえば、メディオンが誰かを好きになって幸せでいる、ということだけで、既に喜んでいた。それ以外は、ほんの些細なことでしかなかった。相手が共和国民であろうと、男であろうと、である。 そんな従者達の胸の内など知らず、メディオンとシンビオスは、相変わらず近づきすぎるほど接近して、会話を続けていた。 「今は無理ですが、いつかきっと私もこの橋を渡って、君の所に行きたいです」 「ええ、ぜひ! ぜひいらしてください、メディオン王子」 静かな口調よりも、穏やかな会話よりも、お互いを見つめる視線が、心の中を雄弁に語っている。 「----シンビオス殿。目を閉じて頂けますか?」 少しはにかんだように、メディオンが囁く。その意味が判らないほど、シンビオスは子供ではなかった。 その瞬間、従者達が慌てて脇を向いたのだが、勿論二人が知る由もない。 名残を惜しむように二人は見つめ合い、す、と離れた。何事もなかった様子で、従者達の許へやってくる。 「キャンベル、待たせてすまなかった」 「ごめん、ダンタレス。皆はもう、橋を渡ったね?」 「ええ。とっくの昔に向こうに行ってますよ」 ちくり、とダンタレスは皮肉った。 「シンビオス殿。引き留めてしまって申し訳ありませんでした」 メディオンが頭を下げる。 まさか、王子に謝られるとは思っていなかったダンタレスは、 「い、いえ! メディオン王子を責めたわけじゃないんですよ、ええ」 焦って釈明する。 「…じゃあ、私達も行こうか、ダンタレス」 シンビオスは寂しげに微笑んで、メディオンに向き直った。 「メディオン王子、色々とありがとうございました」 「いえ。----これからも、充分に気を付けてくださいね」 メディオンも、まったく同じ表情を浮かべている。 「はい。王子も」 と応じたシンビオスの顔は、もういつもの引き締まったものに戻っていた。 「では、失礼します、メディオン王子。それにキャンベル殿」 くるりと踵を返して吊り橋を渡っていくシンビオスの背中を、メディオンは見えなくなるまで見送っていた。 「----さ、メディオン様。我々も皆の所に戻りましょう」 キャンベルが、主の背をそっと押した。 もう暫くは逢えまいと考えていた二人だったが、再会の機会は意外と早くやってきた。 決して望ましくない形での再会ではあったが、すんでの所で駆けつけたジュリアン軍のお陰で、最悪の事態は免れた。 そして今、夜の帷に包まれたアスピアのベンチに、メディオンとシンビオスは並んで腰掛けていた。しっかりと握られた手は、暗闇に紛れて見えない。 「シンビオス、すまなかったね」 あのときのように、メディオンが囁く。 シンビオスは静かにかぶりを振った。 「あなたと戦わずにすんでよかった」 「うん…」 握った手に力がこもる。 顔だけを横に向けて、二人は素早く口付けを交わした。ここではこれが限界だった。 メディオンとシンビオスは、二人きりになれる場所に身を移した。それは、またしばらく逢えなくなる焦燥感よりもむしろ、総てを終えた後、ずっと共にいる約定を結ぶためであった。 |