その頃、シンビオスはドルマントにいた。 あっさり捕まってしまった自分に、そして、思うように動かない体にシンビオスは憤慨し、またジュリアン軍と戦う羽目に陥ってしまったことを羞じていた。 それに、メディオン軍もジュリアン軍も冬の進軍を続けているのに、自分は温泉に浸かっている----リハビリのためだから仕方ないことなのだが、シンビオス自身にとっては許し難いことなのだ。 少しでも早く回復しようと、強張っている体を必死に動かす。湯の温かさは感じられるものの、体の中にまで浸透してこない。体の上に膜が一枚張っているような感覚だ。意識が戻った直後は、この湯の熱も感じられないほどだったのだから、やはり回復してはいるのだろう。だが、はやる心を抱えたシンビオスには苛立つほどもどかしい。 不意に、入り口の辺りが騒がしくなった。 シンビオスが顔を向けると同時に脱衣所に通じるドアが開けられ、人影が飛び込んできた。誰なのか確認する間もなく、いきなり抱き締められる。 「----!?」 冷えて固まっているのとは別の意味でシンビオスが動けないでいると、 「シンビオス、心配したよ」 耳元で、聞き慣れた声がした。 「----メディオン王子?」 視界に金色の髪と、紅いマントが入ってきた。----紅いマント? …ということは…。 「----なんですか、服を着たまま入ってきたりして!」 他に気にすることは沢山あるかもしれないが、あまりの異常事態に、シンビオスはある種パニック状態に陥っていたのだ。 「あ、ご、ごめん…」 メディオンは我に返った様子で、シンビオスへの戒めを解いた。 「取り敢えず上がって----もし改めて入るなら、服を脱いできてください」 その間に、ぼくも落ち着きますから、とシンビオスは心の中で付け加える。 「ああ、解った」 メディオンも、どうやらいつもの調子に戻りつつあるようだ。 「すぐに戻ってくるから」 湯から上がって、脱衣所の方に向かう。 脱衣所には、キャンベルと、ダンタレス、グレイス、マスキュリンが控えていた。 「ずぶ濡れですな」 キャンベルが苦笑しつつ、 「幾らシンビオス殿のことが心配だからといって、温泉なのですから服ぐらいお脱ぎください」 「おまけに、人の話を半分しか聴いてらっしゃらないんですから」 マスキュリンが悪戯っぽく笑う。 「…すまない」 メディオンは紅くなりながら、頭を下げた。 この街に着いたメディオンに、ダンタレスが暗い顔をして、 「実は、シンビオス様が氷漬けにされまして、今温泉で----」 一生懸命リハビリしているところだ、と続けようとしたのをぶっちぎって、メディオンは温泉にダッシュしたのである。仮死状態だとばかり思っていたのが、実際目にしたのは思いの外元気な姿で、安堵のあまり我を忘れて服のまま湯の中に飛び込んだ、というのがメディオンの行動原理であった。 「----宜しければ、お召し物を乾かしますから、その間温泉に入られては?」 グレイスが穏やかに言う。 「いや、グレイス殿。それは私がします」 キャンベルがちょっと頭を下げて、 「さあ、メディオン様、そういうわけですので」 マスキュリンとグレイスが、楽しげに笑いながら脱衣所をでていく。 「ああ、ありがとう」 メディオンは、素直に従った。 ダンタレスが、ごほん、と咳払いした。 「メディオン王子のことですからそのようなことはないと信じておりますが、くれぐれも、シンビオス様にご無理をさせないでくださいませ。まだ本調子ではごさいませんので…」 「ええ、解っています」 メディオンは微笑んだ。ダンタレスが自分を信じてくれているのは、その口調と表情から判る。同時に、シンビオスの従者としての立場から、そう言わざるを得なかった気持ちも、メディオンはちゃんと理解していた。 ダンタレスは深々と頭を下げると、外に出ていった。メディオンの服を持ったキャンベルも続く。 メディオンは深呼吸を一つして、湯殿へのドアを開けた。 シンビオスが湯の中で体を動かしている。 「----さっきはごめんね、シンビオス」 湯に入って近寄りながら、メディオンは声をかけた。 「いいえ。…びっくりしましたけどね」 シンビオスは笑ってそう答えた。 メディオンは、シンビオスの口から改めて今回の一件を聴いた。愛する人の身を襲った不幸に胸を痛め、ヤシャに対する怒りが胸を燃やす。 「レモテストに入るのが少し遅れてしまいます。それが申し訳なくて…」 頭をうなだれるシンビオスの腕を、メディオンはマッサージしながら、 「そんなことは気にしなくていい。今は、自分の体のことだけを考えてね」 「はい。----メディオン王子、先にレモテストで待っていてください。ぼくもすぐに追いつきますから」 「ああ、待っているよ」 このくらいはいいだろう、と、メディオンはシンビオスに軽く口付けた。 乾いた服を着込んだメディオンは、再び船での北上を続けた。その間に、先にドルマントを出発したジュリアン軍を追い越していたようだ。氷に阻まれて止む終えず下船し、陸地を進軍することになったが、ようやく到着したレモテストには、まだジュリアン軍の姿はなかった。 その代わり----敵が罠を張ってメディオン軍を待ち受けていたのだ。 これよりあとのことを、幸いメディオンは覚えていなかった。気が付くと目の前にジュリアンとイザベラ、グラシア、それにジュリアン軍の面々がいて、酷く心配そうな顔でこちらを見つめている。 それでも状況を一目見て、メディオンは総てを悟った。 「----君達と戦ったのだな」 ジュリアンは、辛そうに顔を歪めた。 「気にしなくていい。不可抗力だ」 「そうですわ、メディオン兄様。お兄様達は操られていたのですもの」 イザベラが、この娘らしくやさしく言った。 「あなた達を操っていたブルザムの司祭は倒しました。----悪いのは彼らです」 グラシアも強い口調で言い切る。 「いや、しかし、それは私に隙があったからだ。----迷惑をかけてすまなかった」 頭を下げるメディオンの肩を、ジュリアンは強く掴んで、 「それを言うなら、『心配』だ。迷惑だなんて思っちゃいねえぞ、俺達は」 「そうです! 皆さんがご無事で何よりでした」 グラシアが微笑む。 「ありがとう」 メディオンも、やっと笑顔を浮かべた。 「----あ、ねえ! あれ、何かしら?」 ブリジットが遠くを見やって、 「雪煙?」 皆がそちらを見る。城壁の上なので、遠くまで見渡せるのだ。 確かに、さらさらの雪が立ち上りながら、こちらに近づいてくる。 「----あれ、シンビオス軍じゃねえか?」 ジュリアンが、驚いたような声を上げた。 「あー、確かに」 「それにしても、凄い進軍スピードだな」 「何かあったのかしら」 皆が口々に言う。 シンビオスがこちらに気付いて、手を挙げてきた。 「メディオン王子! ジュリアン!」 「おー、お疲れ」 ジュリアンも手を挙げて応じる。 「シンビオス! どうしたんだ?」 メディオンが訊いた。 驚くべきスピードで、シンビオス軍は城壁までたどり着いてきた。 「どうしたもこうしたも…」 シンビオスは僅かに息を弾ませて、 「船が氷漬けになってたから、メディオン王子も一緒に凍っちゃったんじゃないかって思って…」 言うなり、その場に崩れ込む。 「シ、シンビオス!」 メディオンは慌てて駆け寄った。 「大丈夫かい? まだ本調子じゃないの? それなのに無理して…」 「違います」 放心したような笑みで、シンビオスはメディオンを見上げた。 「王子の無事な姿を見たら、安心して気が抜けました」 「凄かったんですよー、船を観たときのシンビオス様の動揺っぷりったら!」 マスキュリンがすかさず暴露する。 「真っ青になっちゃって、もう、王子の無事を確認するまでは居ても立ってもいられなかったんでしょうね」 「そうだったのか…。ごめん、シンビオス」 メディオンは腰を屈めて、シンビオスの方に腕を伸ばした。 その手に掴まって立ち上がりながら、 「いいえ。これでおあいこですね」 シンビオスは微笑んで、----そのまま抱き付く。 「----やれやれ。勝手にやってろ」 半ば呆れ、半ば楽しげにジュリアンは呟いて、街の中へと一足先に入っていった。 |