夏の名残はいつの間にか消え去った。昼の時間がどんどん短くなり、空気は冷たく乾燥している。
「----喉、渇きましたね」
 シンビオスが少し掠れた声で呟く。
「そうだね。…夏の間にはこんなことなかったのに」
 メディオンは無意識に喉に触れていた。渇きすぎてくっついているような感覚がある。
「お茶を入れましょう。飲むでしょう?」
 メディオンの返事を待たずに、シンビオスはベッドから出た。椅子の背に無造作にかけられた二人分の服の、一番上になっている白いシャツに袖を通す。
「----あ、これ王子のだ」
 肩の線が合っていないため、指先まですっぽりと隠れてしまう。
「構わないから着ておいで」
 メディオンは笑いながら言った。まずシンビオスの服を脱がせたので、当然彼の服はメディオンの服の下敷きになっている。それに思い当たったのだ。
「じゃあ、お借りします」
 シンビオスは嬉しげに言って、袖をまくり上げた。軽い足取りで奥へ行き、お茶の支度を始める。
 白いシャツは前のボタンを留めず、はだけたままだ。裾も、屈んだら見える、という絶妙な長さでシンビオスの体を隠している。しかも薄い生地なので透けている。ある意味全裸よりも扇情的な姿だ。メディオンは、自分はズボンだけを身につけ、ベッドに俯せになったまま、シンビオスを目で追っていた。
 シンビオスの動きに無駄はない。お湯を沸かしている間に茶器と茶葉を用意する。カップをカウンターに置いた後手を擦り合わせるのを見て、
「冷たい?」
 メディオンは訊いた。
「え? あ、はい、凄く冷たくなってます。やっぱり空気が冷えてるんですね」
 シンビオスは何か考えている風情だったが、一度閉めた戸棚を開けてブランデーのボトルを取り出した。
「大丈夫かい? お酒なんて入れてさ」
 メディオンは言った。シンビオスは未成年ゆえあまり酒に強くなく、それどころか酒乱の気さえあるのだ。
「平気ですよ。ほんの少し入れるだけなんですから」
 シンビオスはちょっと頬を膨らませて反論した。
「酔っぱらっても知らないからね」
 メディオンはすっかり揶揄する口調だ。
「もう! 大丈夫ですってば!」
 シンビオスがむきになって言い募ると、メディオンは明るい声を上げて笑った。
 シンビオスは口元に不満そうな気配を残したまま、黙々と手を動かした。沸いた湯を一度カップとポットに注いで捨てる。その後ポットに茶葉をセットして、改めて湯を入れた。細かい葉なので待つほどもなくすぐに開く。カップに注いで、ブランデーを一匙加える。
 両の手にカップを一つづつ持って、シンビオスはメディオンの許に戻ってきた。
 メディオンはベッドの上で身を起こして、カップを受け取った。
「ありがとう」
 紅茶の熱さが喉を通って胃を温めるのが、はっきりと感じられる。
 シンビオスもベッドの端に腰掛けてちょっとづつ口に含んでいたが、
「暗いですね」
 問いかけるでもなく呟き、カップをテーブルに置いて立ち上がった。窓辺に行ってカーテンを開ける。
 傾きかけた日差しが中庭を照らし、木々の長い影を地面に落としている。シンビオスの自室は窓の傍に木が植えてあるので、よほど近づかない限り外から部屋の中は見えない。そして勿論、領主の部屋を窓の外から覗こうという不届き者は、この城にはいないのだった。それでもカーテンを引いていたのは、恥じらいの気持ちからであった。
 木々の葉は、縁から紅く染まり始めている。
「秋だねえ」
 メディオンはしみじみと呟いた。
「秋ですね」
 シンビオスも、どこかもの哀しげに応じる。
 会話だけ聴いていればのんびりとしているが、このときのメディオンの目は、熱くシンビオスを捕らえていた。部屋が明るくなったことによって、シャツにくるまれたシンビオスの、しなやかな体のラインが余すところなく浮き上がっている。メディオンはそれに見とれていたのだ。
 シンビオスは何気なく振り向いて、メディオンの目線に気付いた。
「メディオン王子、なんですか?」
 頬を染めて、それでも微かに笑みを浮かべて、メディオンの許に歩み寄る。ベッドの縁に片膝をかけて身を乗り出し、メディオンの首に腕を廻してきた。
「誘惑してるの?」
 メディオンも微笑んで、シンビオスの腰を抱き寄せた。胸元に口付ける。
「----応えたいけど、もう時間がない」
「せっかく、夜が長くなったのに」
 吐息混じりに呟いて、シンビオスはメディオンの頭を抱き締めた。指先で、メディオンの長い髪を梳いていく。
 メディオンもシンビオスの体を強く抱き竦めた。本当は一晩中傍にいたい。だが、夕食の時間までにはアスピアに戻るよう、ベネトレイムに言われている。領主として忙しいシンビオスにあまり負担をかけるな、と言外で告げているのだろう。
 僅かに空いた時間を使っての慌ただしい逢瀬に、若い二人が充分満足できるはずもない。それでも逢えないよりはずっとましだ。
 メディオンは断腸の思いで、シンビオスへの抱擁を解いた。
「休日には、宿泊許可を貰ってくるからね。一晩中一緒にいられるよ」
 むしろ自分に言い聞かせるように言って、ベッドから立ち上がる。
「----さ、もうシャワーを浴びよう」
「はい…」
 シンビオスは寂しそうに頷くと、シャツを脱いでメディオンに差し出した。

 夕闇迫る街道を、メディオンはアスピアへと急ぎ足で歩いていた。
 冷たい風が吹きつける。メディオンは上着の前をしっかりと合わせた。体の芯は温かいままだ。シンビオスが紅茶に入れてくれたブランデーのお陰である。
 それになにより、シャツにまだシンビオスの温もりが残っている気がして----、メディオンはそっと我が身を抱き締めた。


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