ある冬の日、シンビオスからメディオンに一通の手紙が届いた。 遠く離れて暮らしている上、なかなか逢うことのできない恋人達にとって、手紙とは非常に重宝する伝達アイテムだ。 本人同様、質素でまったく浮ついたところのないシンビオスの文章だが、それでいていたる所にメディオンに対する誠実な想いを感じさせる。故に、メディオンは彼からの手紙を本当に楽しみにしていた。領主として忙しい時間を割いて書いてくれる、となれば尚更嬉しさと愛しさが増す。 今日も、幸せそうな笑みを刻みつつ、メディオンは手紙の封を切った。 主のために紅茶を淹れてきたキャンベルは、メディオンの表情を見て眉を寄せた。 手紙がシンビオスからのものだとは、メディオンに手渡したのがキャンベル自身であるから勿論知っている。手紙を読むときのメディオンの表情も、いつも見ている。その度に、キャンベルは主の幸せを我がことのように喜んでいるのだ。 だが、今日のメディオンの表情は----。どう見ても喜びや幸せといった感情からはほど遠いものであった。 「----メディオン様、どうかなさいましたか?」 メディオンの前にカップを置きながら、キャンベルは尋ねた。 「ああ。----この手紙なんだが」 メディオンは左手で手紙を軽く振ってみせた。右手はカップを口に運んでいる。 「シンビオス殿からのものですよね?」 分かり切っていることだが、キャンベルは確認せずにおられなかった。 紅茶を一口飲んだ後、メディオンは頷いた。 「何か、----いつもと違うようなことが書かれてあったのですか?」 言葉を選びつつ、キャンベルは続けて訊いた。 メディオンは、ちょっと情けない顔でキャンベルを見て、 「それがね、『スケートに行きませんか?』って言うんだよ」 「スケート? 宜しいじゃないですか」 最悪の事態まで想像を巡らしてしまっていたキャンベルは、思いっきり明るい声で、反射的にそう答えた。そのあと、気付いた。 「----メディオン様、スケートはお出来になりましたか?」 「できないよ。やったことがないもの」 メディオンはキャンベルを睨んだ。 「だから困ってるんじゃないか」 「あ、ああー、なるほど」 やっと、キャンベルは得心いった。 「なんて返事しようかな」 「…それはやはり、『滑れない』としか…」 「でも、せっかくシンビオスが誘ってくれたのに、それじゃあ興ざめじゃないか?」 メディオンは暗い顔をした。彼は見栄っ張りでは断じてない。できないことは「できない」、知らないことは「知らない」と告白できる。だから、自分が滑れないことをシンビオスに知られるのは構わない。ただ、せっかく誘ってくれたシンビオスの気持ちを踏みにじらないか、と気にしているのだ。 そんなメディオンの気持ちを、キャンベルはすぐに察した。 「それなら、シンビオス殿にコーチをお願いしてはどうでしょう? シンビオス殿のお人柄からして、喜んで引き受けてくれるのでは?」 「ああ、そうか!」 メディオンは手を打った。 「ありがとう、キャンベル、おまえはやはり頼りになるな」 「どういたしまして。----今頃お気づきになったのですか?」 キャンベルは笑いながら、顎髭を撫でた。 メディオンは、早速シンビオスに返事を書いた。 ”----シンビオス、お誘いありがとう。他でもない君だから告白するんだが、実は私はスケートをしたことがないんだ。ぜひ君にコーチして貰いたいんだけど、どうだろう? 君と並んで、手を繋いだまま滑れるようになりたいんだよ、シンビオス。きっと素敵な気分だろうね----” 歯の浮くような文句だが、メディオンはいつもこんな感じの手紙をシンビオスに送っているのだった。 シンビオスからの返事はすぐに来た。 ”----知らないこととはいえ、失礼しました。勿論、ぼくでよければお教えします。メディオン王子は勘もいいですし、きっとすぐに上手になりますよ。練習のときにも手を繋ぐことになりますけど、じゃあ上達しても手は離さないでいましょうね----” この可愛らしい返事に、メディオンは頬を緩めた。そして、更に読み進めていくうちに、シンビオスが愛おしくて堪らなくなった。追伸として、次のように書かれていたのである。 ”----メディオン王子、秘密を打ち明けてくださって、嬉しく思います。実はぼくにも、秘密にしていることがあるのです。----メディオン王子は泳ぎが大変得意だと伺っています。夏になったら、泳ぎを教えて頂けませんか? あなただから話しますが、まったく泳げないのです----” そして、いよいよその日が来た。 メディオンは朝早くアスピアを出発した。雪道を歩くのにも大分慣れたせいか、なんとか昼前にはフラガルドに到着した。 「メディオン王子、キャンベル殿、ようこそいらっしゃいませ」 シンビオスがにこやかに出迎えてくれる。久々に逢うシンビオスは、メディオンの目には一層素敵に映った。 「お邪魔するよ、シンビオス」 昼食の時間まで、まずはシンビオスの部屋に通される。キャンベルは気を利かせて、ダンタレスと共に城の奥へと去っていった。 「----どうぞお座りください。まずはお茶を淹れますね」 メディオンのオーバーコートをハンガーに掛けながら、シンビオスは言った。 「いいよ。どうせすぐに昼食だし。そのときに頂くよ」 メディオンは後ろから、シンビオスを抱き締めた。 「駄目ですよ、王子。すぐに昼食の時間なんですから」 言葉とは裏腹に、シンビオスは嬉しそうに笑って、メディオンの束縛から逃げようともしない。 「じゃあ、せめて----」 メディオンはシンビオスの肩を優しく掴んで、その体を自分の方に向けさせた。しっかりと抱き付いてくるシンビオスの背中に腕を廻して、同時に顎を手で上向かせる。 シンビオスが静かに目を閉じた。 「----逢いたかったよ」 「…ぼくもです」 キスの余韻を残して見つめ合っているところに、ドアがノックされた。 「----シンビオス様、メディオン王子。お食事の用意が調いましたよ」 マスキュリンの元気な声が、ドアの向こうから聞こえてきた。 「今行くよ」 シンビオスが答えて、メディオンの腕を取る。二人は仲良く並んで、食堂に向かった。 食休みの後、メディオンとシンビオスはスケート靴を持って、城の裏にある小さな泉へと向かった。 今日は晴れている分気温も低めなため、氷のゆるむ心配はまったくなかった。しかも風がないためそう寒さは感じない。絶好のスケート日和といえる。 城の裏から抜けるため、領主専用のスケート場と化している。城下に住む人々は、アスピアに向かう途中にある池の方に行く。そちらの方が広いのでシンビオスもよく行くのだが、今回は事情が事情だけに、誰もいない方がいいだろう。 早速スケート靴に履き替える。 初めて履くスケート靴の細い歯の感覚に、メディオンは戸惑っている様子だった。 「雪の上を少し歩きましょうか」 シンビオスは言って、手袋を履いた手をメディオンに差し出した。 昨夜少し雪が降ったため、新雪が踏み固められぬまま柔らかく積もっている。その上を歩き回っているうちに、メディオンもバランスの取り方を飲み込んだ。 次はいよいよ、氷の上だ。 先に氷の上に立ったシンビオスに導かれて、メディオンは恐る恐る足を踏み出した。足元が覚束ない。 「やっぱり滑るね。----いや、当たり前だけど」 我知らずシンビオスの手を強く握りながら、必死にバランスを取る。 「でも、お上手ですよ。ぼくは初めてのとき、すぐに転びましたから」 シンビオスは優しく言った。 「もしバランスを立て直せなくなったら、自発的に転んだ方がいいですよ。尻餅をつく要領で。変な体勢で転んだら危ないですから」 「尻餅か。----こんな感じ?」 メディオンはシンビオスの手を離すと、すとんと転んでみせた。 「え、ええ。そうです」 まさかいきなり試してみるとは思わなかったシンビオスは、苦笑しつつ答える。 「なるほど。思ったほど痛くないな」 やはり笑いながら立ち上がろうとするメディオンに、 「大丈夫ですか?」 シンビオスは手を貸した。 「ありがとう。----転ぶのはいいが、起きるのが大変だな」 「生まれたばかりの子鹿みたいですね」 「それって、頼りないってことかい?」 「いいえ、可愛いって意味です」 シンビオスは笑って、メディオンの頬に素早くキスした。 まずは歩くことから、それに慣れたらシンビオスに手を引いてもらいながら、メディオンはゆっくりと滑る。やはり勘がいいのか、すぐにふらつかずに滑れるようになった。 「さすがメディオン王子ですね」 「君の教え方が上手だからだよ」 お互いを誉め合いながら、仲良く並んで滑る。勿論、手はしっかりと繋がれていた。それは想像していた以上に素敵な時間であった。 白い雪の上を長く伸びる自分たちの影を追いかけながら、メディオンとシンビオスは城に戻っていた。いまだに、手は繋いだままである。 「面白かったよ。次のときにもまたしようね」 「はい」 「それで、夏になったら泳ぎに来よう」 「教えてくださるんですね?」 「勿論。今日のお礼に、手取り足取りコーチさせて頂くよ」 メディオンは意味ありげに笑う。シンビオスはちょっと紅くなって、 「…なんか、違う意味が入ってませんか?」 「うん? 別にそんなつもりはなかったんだけど」 メディオンの笑みが深まった。 「君のご要望とあらば、喜んで」 「ち、違いますよ」 シンビオスもますます紅くなった。 「冗談だよ」 メディオンは悪戯っぽく言った。 「大体、機会はいつでもあるわけだし。----勿論、今夜だって、ね」 「……………」 シンビオスはメディオンを睨み付けた。からかわれて悔しかったのと、照れ隠しの意味も含んでいるようだ。紅潮した頬と燃える緑の瞳が美しい。 先ほど自分で「今夜」といったものの、絶対それまで待てない、とメディオンは楽しげに考えていた。 |