戦闘を終えたときには、秋の日は既に暮れかけていた。 ジュリアンは最寄りの小さな村に、一晩の宿を求めた。どちらかというと質素な村だったが、住人は皆優しくジュリアン軍を迎え入れてくれた。神子がいるから、というのもあるのだろうが、それだけではない暖かさが、村全体に漂っている。 こぢんまりした家屋ばかりなので、軍の全員が同じ家には泊まれない。数人が分散してお世話になることになった。 ジュリアンとグラシアは、村でも一番大きい家の一室に泊まった。一人暮らしの主の好意で、一つしかないベッドをグラシアに使わせてくれるという。 「私だけすいません」 グラシアは盛んに恐縮していた。念のために護衛として同室に泊まることになったジュリアンを始め、他の部屋でも、数人のメンバー、さらには家の主までもが、やはり寝具もないまま床に雑魚寝することになっている。自分ばかりが柔らかいベッドで寝るのは申し訳ない、と、子供の割に気を遣うタイプのグラシアは思っていた。 「気にすんな。ここの主人はどうか知らねえが、うちの軍のメンバーは野宿にも慣れてる。屋根があるだけましだ」 バッグから毛布を出しながら、ジュリアンは事も無げに言った。仕事によっては野宿もあり得る傭兵にとって、毛布の携帯は必須だ。 「それに、おまえはどうせ、固い床じゃ眠れねえだろ、グラシア。----おまえが疲れたら、この遠征だって成功しねえんだ。妙な遠慮なんてしなくていいんだぜ」 いつも通りの、労っているのかからかっているのか判らないジュリアンの言葉に、グラシアは力を抜いた。ぞんざいに聞こえるジュリアンの言い回しの真意を、グラシアはちゃんと読みとっていた。 それでも、出会ったばかりのときには、この人は何故こんなに乱暴というか、口が悪いんだろう、とグラシアは思ったものだった。彼の周りにいる人々は、大人も子供もみな丁寧に話し、振る舞う。だが、ジュリアンだけは、グラシアを普通の子供と同じように扱った。それについて、グラシアは不思議と腹は立たなかった。むしろ嬉しかった。ジュリアンの前では普通の子供でいられる。それが、グラシアの心を軽くしてくれる。 更に旅を続けていくうち、グラシアはジュリアンという人間のことをだんだん理解していった。彼が乱雑な言葉を口に出すのは、照れ隠しなのだ。ジュリアンはなかなか照れ屋なのである。 「----じゃあ、灯りを消すぞ。今日は疲れただろうから、ゆっくり休め」 「はい。お休みなさい、ジュリアン」 「お休み」 ふ、と明かりが消えた。 ジュリアンの言葉通り疲れていたグラシアは、5分と経たないうちに寝息をたてはじめた。それを確信したジュリアンも毛布にくるまると、すぐに眠りについた。 グラシアは高みから、大地を見下ろしていた。彼の足元に広がる風景は、地図で見たそのままだ。 海は青く輝き、大地は木々の緑に染まり、北の地は目に眩しいほど白い。点在する町は可愛い置物のようだ。 グラシアはうっとりと、眼下に見える景色に見とれていた。なんて綺麗な世界なんだろう。なんてのどかでのんびりした風景だろう。 ずっとこのままで、というグラシアの願いは、北の地にぽつんとできた染みによってうち砕かれた。 最初は目の錯覚かと思うほど、その染みは小さかった。グラシアが目を擦ってよく見ると、それは確かに大きくなっている。 真っ白な大地の上に広がっていく染み。それは真っ黒で、まさに闇そのものといえた。光さえも吸収してしまう暗黒。 闇の侵攻を止めようと、グラシアはそれに向かっていった。闇は既に北の地を覆い尽くし、長城を飲み込んで、共和国の町々を襲おうとしている。 グラシアは闇に飛び込んだ。 手が、足が、闇に捕らえられる。もう動けない。目の前も真っ暗----ただ闇が広がるのみだ。 「----シア! グラシア!」 耳元で名を呼ばれて、グラシアは目を開けた。心配そうなジュリアンの顔が、薄明かりの中で目に入ってきた。 「大丈夫か? 酷くうなされてたぜ」 汗ばんだ額に張り付いたグラシアの前髪を、ジュリアンは無骨な手で掻き上げる。 「すいません…。嫌な夢を…見て…」 グラシアは息を吐いた。心臓が、不快なほど高鳴っている。 「どんな夢だ?」 ジュリアンに問われて、グラシアは夢の内容を話した。 「----嫌な感じです。闇が湧いたのが北の地だ、というのが…」 俯くグラシアの顎をぐい、と掴んで、ジュリアンは自分の方を向かせた。 「まさか、予知夢だなんて思ってねえだろうな? グラシア」 「……………」 「それは予知夢なんかじゃねえ。おまえの心配が見させた、ただの夢だ。北の地から闇----つまり、ブルザムが来る、ってんだろうが、そうならねえようにするのが、俺達の役目だろ。くだらねえ夢をいちいち気に病むな」 ジュリアンの力強い声を聴いていると、あの悪夢がまさに取るに足らないことと思えてくるのが不思議だ。グラシアは、確かに「予知夢かも」と考えていた。しかし、ジュリアンの言葉に、そんな考えは吹き飛ばされてしまった。 「そうですね。ちょっと神経質になりすぎたようです。----枕が変わると眠れない質なので」 グラシアは、そんな冗談を言う余裕さえ出てきた。 「繊細すぎだ。傭兵にはなれねえな。いざとなりゃ野宿も辞さねえ、って覚悟でいなきゃ」 ジュリアンは笑って、グラシアの頭を撫でる。 「俺なんて、おまえぐらいのときから、野宿なんてざらだったんだぞ」 「そうなんですか? 傭兵って大変なんですね」 自分が野宿する場面など、グラシアは全然思い描けなかった。 「ああ、大変だよ。2週間も野宿してみろ、ベッドなんて快適すぎて、朝寝過ごすぜ。それで仕事に遅れて、大目玉食らったこともあったな」 思いがけないジュリアンの昔話(しかも失敗談)に、グラシアは笑い転げた。 ジュリアンはなおも、野宿の際の経験----モンスターに寝込みを襲われて食われそうになった、とか、追い剥ぎを返り討ちにした、なんて、グラシアにとってはもの珍しい話を、面白く脚色して話してくれた。 笑い疲れたグラシアは、悪夢の恐怖もすっかり消え失せて、安堵混じりの欠伸を漏らした。 「お、眠いか。じゃあ、もう寝ろ。明日からまた大変だからな」 グラシアの体に掛け布団を掛けてやりながら、ジュリアンは言った。 「はい、お休みなさい、ジュリアン」 目を閉じたグラシアの耳に、 「ああ、お休み」 ジュリアンの、男らしく優しい声が忍び込んでくる。 ----そうだ、ジュリアンの傍にいるんだもの、怖がる必要なんてないんだ。 グラシアは半分眠りながら、そんなことを考えた。そもそも、あんな悪夢をみてしまったこと自体、酷い間違いだった気がする。 ----ジュリアンと一緒だったら、野宿も楽しそう。一度経験してみたいかも… こう思ったのを最後に、グラシアは再び眠りの海を漂い始めた。今度は夢も見ないほど熟睡し、翌朝は、いつも誰よりも早く起きる彼にしては珍しく、ジュリアンに起こされるまで目を覚まさなかった。 |