遠征軍の中でも南地方の出身者は、レモテストの天候に辟易していた。
 今日も朝から雪模様で、誰からともなく、
「今日の鍛錬は中止にしようよ」
 なんて声が出る。
「ちょっと雪が降ったぐらいで何言ってんだ」
 総大将のジュリアンは、しかめっ面で言った。今まで色々な地方を回ってきただけに、雪など慣れたものだ。
「ちょっとじゃないぞ、ジュリアン。吹雪いてる」
 窓から外を眺めていたダンタレスが言った。
「これじゃあ、全然前が見えないぞ」
「吹雪がなんだ。遺跡なんて目と鼻の先じゃねえか。1キロも離れた所に行くわけじゃあるまいし」
 ジュリアンはテーブルに立てかけてあったブレードを掴むと、立ち上がった。
「ほら、ジュリアン軍総員、集合!」
 これが他の軍の鍛錬のときならば、ジュリアンは休みだからそんなことが言える、と突っ込めるのだが、己に厳しいタイプは対処に困る。ジュリアン軍の他のメンバーも、
「まったく、うちのリーダーは」
「でもまあ、確かに遺跡の中までは雪も入ってこないしな」
「結構暖かいしね」
 と、リーダーに従っている。なんだかんだ言っても、ジュリアンは人望があるのだ。
「気を付けてね」
「頑張ってな」
 シンビオス軍、メディオン軍のメンバーからの声援を背に、ジュリアン軍は遺跡に向かった。
「雪もだけど、今日は気温も低いわよね」
 シンテシスが温かいミルクを飲みながら、
「ほんのちょっとの距離、っていっても大変そうだわ。うちのときには吹雪かないでほしいわね」
「でも、これから本格的な冬になるわけだろう? 却って、そういう日の方が多くなるんじゃないかな」
 のんびりと言うウリュドを、
「もう! ウリュドったら、嫌なこと言わないでよね!」
 シンテシスは怖い顔で睨んだ。
「でも、実際そうであろう。----なあ、ダンタレス」
 ずっと窓から外を眺めているダンタレスに、キャンベルが訊く。
「当然だ。特に、ここはずっと北の方だからな。かなり寒くなるだろう」
 ダンタレスが淡々と答える。キャンベルは首を振って、主を見た。
「シンテシスじゃないが、聴いただけでうんざりですな、メディオン様」
「そうだな。でも、我慢するしかないだろう」
 メディオンはいつも以上に冷静に、真剣に応じる。
 シンテシスは、ちょっと情けない顔をした。
「我慢----できるものでしょうか」
「できるできないじゃなく、するんだ。『心頭滅却すれば火もまた涼し』というだろう」
「はあ。でも、火が涼しかったら困りますよね。暖まれないし」
 シンテシスの呟きは小さすぎて、誰の耳にも入らなかったようだ。
 メディオンは、隣のテーブルに着いているシンビオスを見た。
 この遠征が終われば、メディオンはフラガルドに滞在する。そういう約束がシンビオスとの間に交わされていた。デストニアから見れば、フラガルドもかなり北に位置する。このくらいの寒さで音を上げていては駄目だ、とメディオンは自分に言い聞かせていた。彼もまた、己に厳しいタイプだった。
 朝食を採り終えてから時間が経つため、自室に引き上げる者が増えてきた。
 メディオンも戻ることにした。立ち上がって、そっとシンビオスの方に目を移す。シンビオスもメディオンを見ていて、目が合うと小さく頷いた。後で部屋に行く、という合図だ。
 部屋に戻ったメディオンがお茶の用意をしていると、程なくドアがノックされた。応えるのももどかしく、ドアを開ける。
「さあ、シンビオス、入って」
 肩を抱いて中に通す。
「お邪魔します」
 シンビオスは律儀に言って、後ろ手にドアを閉めた。
 まずは固く抱き合って、口付けを交わす。お湯が沸くまでだから、1〜2分だろうか。ずっと唇を重ねているわけではなく、見つめ合って、またキスして、の繰り返しだ。
 ケトルの沸騰音を合図に、ソファに並んで座る。ガラスのポットの中で紅茶葉が上下するのを眺めながら、また時々軽くキスしたりする。
 そうこうしている間にちょうどよくなった紅茶を、メディオンはカップに注いだ。
「----凄い雪ですね」
 窓の外を眺めながら、シンビオスは言った。舌を火傷しないように注意しながら、熱い紅茶を口に運ぶ。
「でも、フラガルドだってこのくらい降るだろう?」
 声の調子から、シンビオスはまったく驚いていないと、メディオンは感じた。自分も早く慣れなくては。フラガルドに住むためには、このぐらいの雪で驚いていてはいけないのだ。
「そうですね。いつもってわけじゃないですけど」
 シンビオスはカップを置いて、悪戯っぽく見上げてくる。メディオンが好きな表情だ。
「覚悟しておいてくださいね。吹雪なら外に出なきゃやり過ごせますけど、寒さはそういうわけにはいきませんから。ここと違って、古代文明の暖房施設もないですし」
「大丈夫だよ。君がいれば充分暖かいから」
 メディオンは思わず、シンビオスの体を抱き寄せていた。
「それに、寒いのにも大分慣れたよ」
 これは、ちょっとした見栄だった。寒さに慣れようと外出するたび、予想以上の気温の低さに身震いして、やっぱり(寒い所で暮らすのは)辛いかも、なんて思ったりしていた。
 だが、フラガルドでの新しい生活のためには、耐えなければならない。
 シンビオスは、甘えるようにメディオンに抱き付いてきた。
「メディオン王子は適応力があるんですね。----ぼくは未だに駄目です」
 予想外のことを言い出す。
「え? シンビオス、駄目って?」
 メディオンは耳を疑った。
「だって、まだ冬が始まったばかりなのに、もう真冬並みの気温でしょう? さっきウリュド殿も言ってましたけど、これで本格的な冬が来たらと思うと、考えただけで凍えそうです」
 シンビオスの明快な説明を聴いて、メディオンは自分の勘違いに気付いた。フラガルドは確かにデストニアより北にあるが、レモテストはそれよりも更に北なのだ。いかにフラガルドの気候に慣れたシンビオスといえど、もっと気温の低い地方では寒さを感じて当たり前だ。
 ならば、まったく慣れていないメディオンは----無理に我慢したり、見栄を張る必要はない、ということになる。
 自分の間抜けさ加減に、メディオンは笑いが込み上げてきた。
「----なにか、変なことを言いましたか?」
 シンビオスが不思議そうに聴いてくる。
「いや、違うんだ。違うんだよ、シンビオス」
 メディオンは笑いながら答えて、シンビオスに口付けた。
「----ん…っ」
 重ねた唇の間から、シンビオスが吐息混じりの声を漏らす。
 シンビオスの上気した頬をメディオンは撫でて、
「----ね、シンビオス。急に寒くなったから、暖めてくれるかい?」
 返事を待たずに、膝の上に抱き上げる。
 シンビオスはメディオンの首に腕を絡めた。
「いいですよ。ぼくも寒いです」
 耳元で囁いて、メディオンにキスする。
 やはり、寒さを我慢する必要は、この二人にはないようだった。


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