ジュリアンはグラシアを誘って、村の酒場に行った。
 まだ自分の力が完全なものではなく、真のイノベータになるには試練を受けなくてはならない、と聞かされてから、グラシアは前にもまして悲愴な表情を浮かべるようになった。それでジュリアンは気晴らしのために、外に連れ出したのだ。
 奥のテーブルに着いて、グラシアにはソフトドリンクを、自分はオーラル村の地酒を注文する。空いているためか、すぐに運ばれてきた。
 グラシアは心ここにあらず、といった様子で、グラスを手に取った。
「…ストロー」
「…え?」
「そこにあるだろ」
「あ、…そうでしたね」
 グラシアは少し顔を紅くして、ストローを袋から出し、グラスに刺した。一口飲む。
「…旨いか?」
 ジュリアンが訊くと、グラシアはぼんやりと顔を上げて、
「え?」
 目を見開いてジュリアンを見る。
 ジュリアンは苦笑した。
「そんなに不安か?」
 グラシアは、こくん、と頷いた。
「一体、どんな試練なのでしょう。----いえ、ブルザムを倒すためなら、私はたとえどんなものでも受けるつもりですが…」
 幼い頃から、厳しい修行を受けてきた。それなのに、まだ不完全だという。ならば、その試練とはどれほど厳しいものなのか。つい、色々と考えてしまうのだ。
「いや、実際受けてみなきゃ解んねえんだから、考えるだけ無駄じゃねえか?」
 ジュリアンは、尤もすぎることを言った。
「それは…そうですけど…。----性格なんでしょうね。どうも、私は神経質すぎるみたいです」
 この台詞自体、普通の子供の口からは出てこないだろう。つまり、グラシアは他の同年代の子供よりも、精神的に円熟しすぎている。ヘタをすれば、ジュリアンよりも大人かもしれない。
「うーん。まあ、大勢の人の上に立つって立場だから、そのくらい細かい方がいいかもしんねーけどよ」
 ジュリアンは、地酒を一口呑んで、
「ま、その試練とやらも、まさか死ぬほどのもんじゃねえだろ」
 グラシアは、まじまじとジュリアンを見つめた。
「あなたのその楽観的なところ、本当にうらやましいです」
「…おまえ、俺が全然悩みのない奴だと思ってねえか?」
 ジュリアンは笑いながら、大きな手でグラシアの前髪を乱す。
「い、いえ! 強くていいなって思ったんです」
 グラシアは、慌てて弁明した。
「----私も、あなたぐらい強くなれたらいいのに」
「いや、おまえは充分強いよ」
 ジュリアンの優しい言葉に、グラシアは戸惑って彼を見た。
「普通、お前ぐらいの歳のガキだったら、世界を救うなんて重荷を背負わされた時点で、絶対逃げ出すと思うぜ。だけどおまえは、泣き言も言わずに頑張ってる。ホント、大したもんだよ」
「……………」
 グラシアの瞳に、みるみる涙が溢れてきた。
「って、おい! 何泣いてんだよ」
 ジュリアンは焦りながら白いハンカチを出して、グラシアの目をやや乱雑に擦った。
「少し落ち着け。ジュースでも飲んで。----ほら」
「す、すいません」
 ジュリアンのハンカチを握りしめたまま、グラシアはジュースを飲んだ。
「…旨いか?」
「はい!」
 グラシアはにっこり微笑んだ。今度は、ちゃんと味がする。
「…ったく、おどかすなよ」
 ジュリアンは息を吐いて、酒の入ったグラスを呷った。
「ごめんなさい」
 ジュリアンのハンカチでもう一度目を拭い、グラシアは照れ笑いした。
 つい泣いてしまったのは、ジュリアンの言葉が嬉しかったからだ。
 今までしてきた努力を認めてもらえて、誉めてもらえて、嬉しかった。
 エルベセムの最高指導者として、グラシアはなんでもできて当然だと、自分も周りのものも思ってきた。
 厳しい修行に耐えるのも世界を救うのも当たり前のことであって、いちいち誉められることでもない。
 でも、やはりグラシアの心のどこかに、辛いという思いがあったのだろう。それで、ジュリアンの言葉につい泣いてしまった。総てが報われたような気持ちになったのだ。
「…落ち着いたか? もう飲み終わったし、そろそろ戻るぞ」
 ジュリアンが席を立つ。
 大股で歩くジュリアンの後ろを、グラシアも急ぎ足でついて歩きながら、
「ありがとうございました、色々と…。ハンカチ、洗って返しますから」
「いや、面倒だろ。返さなくていいよ。おまえが持ってろ」
 ジュリアンは、にやりとして、
「この先、いつまた必要になるかもしれねえからな」
「もう泣きませんよ!」
 グラシアは真っ赤になって言い返す。
「さて、どうだろうな」
 ジュリアンはくすくすと、意地悪く笑った。

 翌日から、前にもまして元気になったグラシアの勇姿を、軍の中に見出せるようになった。
 手にしたベセムの杖に、白いハンカチがお守りのように巻かれていた。


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