メディオンはシンビオス軍の本陣に顔を出した。ちょうど入り口の近くにいたダンタレスに、 「シンビオス殿はどちらでしょう?」 と声をかける。 ダンタレスは目を見開いて、 「あれ? シンビオス様なら、王子の所に向かいましたよ?」 「そうですか。…変だな」 メディオンは首を傾げながら言った。このシンビオス軍本陣からメディオンの部屋に行くのは一本道だ。となれば、途中ですれ違わないわけがない。 「変ですね」 ダンタレスも不思議な顔をしている。 「とにかく、戻ってみます。----お騒がせしました」 メディオンは丁寧に一礼して、シンビオス軍本陣を出た。 途中、色々な人達とすれ違ったが、肝心のシンビオスとは会えぬまま、メディオンは自室に着いてしまった。 親しい仲とはいえ、シンビオスはノックして返事がなければ、無断でメディオンの部屋に入り込んだりしない。ドアの前に佇む彼の姿を2・3度見つけて、メディオンはその度に申し訳ない気分に襲われていた。入って待っていていいんだよ、と言っても、シンビオスは決して従おうとしなかった。 今回は、ドアの前にシンビオスの姿はない。念のため部屋の中に入ってみたが、案の定いなかった。 ----どこかに寄り道しているんだろうか。 たとえば、厨房で何かをこしらえているとか。たまに、軽食やお菓子を持って訪ねてくることがある。 厨房までも一本道なので、やはりすれ違うことはないだろう。一刻も早くシンビオスに逢いたかったメディオンは、厨房に行ってみることにした。 さて、その頃シンビオスがどうしていたかというと。 メディオンの部屋に向かう途中、折悪くベネトレイムに呼び止められてしまっていたのだった。 彼の部屋にはパルシスもいて、今後の共和国のことなどについてあれこれ意見を交わしていた。 相変わらず、ベネトレイムもパルシスも話が長く、しかも回りくどいというか抽象的というか、ヒントだけ出すから自分で考えろと言わんばかりの話し方なので、普通なら10分で終わる話にもう30分も費やしていた。 シンビオスはいわゆる『よい子』であり、生真面目な性格だったから、二人の長話を真剣に拝聴し、積極的に発言もした(彼は若いので単刀直入な物言いだった)。 一通り話して満足したのか、ベネトレイムもパルシスもやっとシンビオスを解放してくれた。シンビオスは礼儀正しく部屋を出て、ドアを閉めたと思うやいなや廊下を走り出した。勿論、メディオンに逢うためだ。 恐らく新記録であろうタイムでメディオンの部屋の前に到着したシンビオスは、まだ乱れた息のまま、はやる気持ちを抑えてドアをノックした。 返事はない。 このときメディオンは食堂に着いたところで、更に奥の厨房を覗いていた。 「あら、メディオン王子、どうなさいました?」 グレイスが訊いた。彼女はクリームを泡立てているところだった。 「いや、シンビオス殿が来ませんでしたか?」 「いいえ。私達、30分ほどここにいますけど…」 マスキュリンは、クッキーを型抜きしていた。 「そうですか。失礼しました」 メディオンは食堂を出た。ここにいないとなると、後は図書室だ。 メディオンが廊下の角を曲がって暫く経ってから、シンビオスが食堂にやってきた。同じように厨房を覗くと、 「シンビオス様! ついさっき、メディオン王子がシンビオス様を捜していらっしゃいましたよ」 勢い込んでマスキュリンが言った。 「あ、そうなの? 行き違いになっちゃったんだ」 シンビオスは息を吐いて、 「どこに行くとか言ってた?」 「いいえ。でも恐らく、この建物中を探し回ってらっしゃると思いますわ」 グレイスは気遣わしげに言った。 「そうか。じゃあ、なんとしても巡り会わないとね」 シンビオスは礼を言って、食堂を出た。 図書室に着いたメディオンはシンビオスを捜したが、当然いるわけがなかった。 「参ったな…」 小さく呟く。 これだけ公共スペースを捜してもいないということは、自室に戻ったのか、あるいは----他の誰かの部屋にいるのだろうか。 取り敢えずシンビオスの自室に行ってみて、もしいなかったら諦めて自分の部屋に戻ろう、とメディオンは考えて、廊下を来た方向に戻りだした。 廊下の窓から、賢者の入り口のある中庭が見える。 昨夜降った新雪が、日の光を反射して眩しい。今日鍛錬しているジュリアン軍の、真っ直ぐに遺跡の入り口に向かう足跡が一つの道を作り、そこ以外はなんの跡もついていない。 真新しい雪の上を、メディオンは歩きたくなった。廊下から大聖堂に入って、中庭に出る。 途端に、冷気が全身を包んだ。よく考えたら、暖かい室内での服装で、よく晴れている分気温も低い戸外に出るのは無謀だった。雪の純白の美しさにそれを忘れていた。 急いで中に戻ろうとメディオンが踵を返したとき、遺跡の方ががやがやと賑やかになった。 「----あれ? 王子、なにやってんだ?」 鍛錬を終えたジュリアン軍が上がってきたのだった。メディオンを見て、ジュリアンが目を丸くしている。 「い、いや、何ってほどのことは…」 自分がやけに子供じみている気がして、メディオンは曖昧に答えた。 「お兄様、そんな薄着では風邪をひきましてよ」 イザベラが心配そうに声をかける。 「上着も着ないで外に出てきたって、なんかよっぽどの理由でもあんのか?」 ジュリアンが痛いところをついてきた。 「いや、別に…」 誤魔化そうとしたメディオンの声に、 「あら、決まってるじゃないの」 妖艶な声が重なった。ゆっくりと進み出てきたのは、マーキィだった。微笑を浮かべてメディオンの前まで来ると、唖然としている彼の首に腕をかけて、 「私のことを待っていてくださったのよ。ねえ、王子?」 「おいおい、マーキィ。冗談はそのぐらいにしといてやれよ」 ジュリアンが苦笑しつつ、ドアの方に顔を向けた。 「----気の毒だろ」 嫌な予感がして、メディオンもドアの方を見た。----シンビオスが立っていた。 「あら、失礼」 笑いながら、マーキィがメディオンから離れる。 メディオンにはまったくやましい気持ちなどなかったのだが、誤解されても仕方ない状況だというのは理解していた。 「シンビオス、あのね…」 シンビオスはまったく表情を変えず、 「お邪魔だったようですね。失礼しました」 さっさと向きを変えて歩み去る。そのあまりにあっさりとした態度に、その場にいた者は----仕掛けたマーキィでさえ一瞬あっけにとられた。 「…追いかけた方がいいんじゃねえか?」 ジュリアンが静かにメディオンに声をかける。 メディオンは我に返って、慌てて駆けだしていく。 「----マーキィ、やりすぎよ」 ケイトが非難する。 「あなたはいつもの冗談のつもりなんでしょうけど…」 マーキィは軽く肩を竦めた。 「大丈夫よ。あのぐらいであの二人がどうこうなるわけないでしょ」 「そうそう。昔から『犬も喰わねえ』っていうだろ。放っといたって平気だよ」 ジュリアンも、笑いながら頷いた。 早足で歩くシンビオスの後を追いかけながら、 「シンビオス、私に二心はないよ」 メディオンは言った。 「……………」 シンビオスは返事をしない。 「君だって知ってるじゃないか。マーキィがああいう冗談をよくやるって」 「……………」 「だからね、全然焼き餅を妬く必要はないんだよ」 「……………」 「ねえ、…妬いてるんだよね? ね、シンビオス?」 シンビオスは突然足を止めた。追突しそうになって、メディオンも慌てて止まる。 シンビオスは挑むような目つきでメディオンを見上げて、 「妬いてますよ! 妬いちゃ駄目なんですか?!」 メディオンは微かに微笑んだ。 「ねえ、そういう話は誰もいない所でしない?」 ちょうど、目と鼻の先にシンビオスの部屋がある。そのドアをメディオンは指した。 「……………」 シンビオスは憮然とした表情のまま、部屋のドアを開ける。 メディオンも後に続いて中に入って、ドアを締めるが早いか、シンビオスをやにわに抱き締めた。 「----誤魔化されませんからね」 シンビオスは言ったが、逃げようともしない。 「そんなこと言わないで」 メディオンはシンビオスの顎を指で上向かせて、柔らかい唇に口付けた。 「----ん…。…ぼくは怒ってるんですから」 シンビオスはいたって素直にメディオンの唇を受けている。 「誤解なんだよ。君だって解ってるだろう? 私には君だけだ」 シンビオスに口付けながら、メディオンはシンビオスの服のボタンを外していった。 「…知りま…せん…」 吐息混じりに、シンビオスは呟いた。 メディオンの熱心な弁明が伝わってシンビオスが機嫌を直したのは一時間ほど経ってからで、その頃には二人はベッドで仲睦まじく寄り添っていたのだった。 「----王子を信用していないわけじゃないんです」 気怠げな声で、シンビオスが言った。 「でも、やっぱり面白くないんです」 「うん」 メディオンは優しくシンビオスの髪を梳いている。 「別に、普通に会話してるぐらいでは妬いたりしません」 「うん」 「ただあのときは、王子も嬉しそうだったし」 「うん…、い、いや、そんなことはないよ!」 惰性で答えてしまって、メディオンは慌てて打ち消した。 「いいですよ、無理に否定しなくても」 シンビオスがからかう。 「無理に、じゃなく、本心から否定してるんだ」 子供みたいに膨れるメディオンに、シンビオスは軽くキスして、 「もう一度証明してほしいところですけど、もう夕食の時間ですね。一旦起きましょう」 ベッドから出る。 「そうだね。続きは夜に」 メディオンも起きあがって、シンビオスの裸身に後ろからそっと腕を廻した。 「一度と言わず何度でも証明してみせるよ」 名残惜しげに、シンビオスの肩に唇を這わす。 「もう、だから…、今は駄目ですってば」 笑いながらメディオンの戒めを解くと、シンビオスは浴室へと小走りに向かった。 ----この程度の『すれ違い』は、二人にとってなんの影響も及ぼさなかったようである。 |