「もう! いい加減にしてよね!」 部屋に訪ねてきた相手がいきなり険しい口調でこう言い出して、ジュリアンは眉を寄せた。 「いい加減、ってなんだよ?」 椅子に腰掛けている彼は、自分の前に腕組みをして立っている小柄なエルフを見上げた。彼女はもともと幼い顔立ちをしているだけに、恐い顔をしてもあまり効果はない。特に、荒波に揉まれてきたジュリアンは、彼女にどこか可愛らしささえ感じた。年端の行かない少女が大人びた口を利いている、といった印象だった。 「貴男は、シンビオス様に雇われてるのよ? 軍の規律には従ってちょうだい。勝手に単独行動しないで」 マスキュリンは鋭い声で言葉を発する。 「シンビオス様にご心配かけて! これ以上、シンビオス様のご心労の素を増やさないでよ!」 ああ、結局はそこに落ち着くわけだ、とジュリアンは思った。彼が独りで行動したのは、私怨に対して他人を巻き込みたくなかったからだ。結局は皆に手を借りるはめになったものの、本当なら一人でやるつもりだった。そりゃあ、心配かけたのは悪いとは思っているが、そんなに怒られるほどのことでもないだろう。 しかも、『シンビオス様に心配をかけた』ことをマスキュリンは怒っている。じゃあ、マスキュリン自身は心配しなかったのか? ジュリアンは内心面白くなかった。----何故だろう? 今まで、誰に心配かけようと気にも留めたことがないのに、マスキュリンが心配してくれなかったといって腹が立つなんて。 「指揮官は、別に気にしてないみたいだったぜ?」 ジュリアンはむすっとした顔で反論した。それがますますマスキュリンの怒りを増幅したらしい。 「シンビオス様はお気を遣ってらっしゃるだけよ! あの方はお優しいもの」 と言ったマスキュリンは、思いがけず表情を緩めた。いつも、主人のことを話すときにはこんな顔をする。それがまた、ジュリアンの癪に障った。 「へえ、そうかい」 これ以上ないほど厭味ったらしくジュリアンは呟いた。 マスキュリンは一瞬むっとしてジュリアンを睨んだが、すぐにまた穏やかな顔に戻って、 「そうよ! 私は、シンビオス様が赤ん坊の頃からお傍にいるのよ。あの方が何をお考えになってるかぐらい、すぐに解るんだから」 ジュリアンはマスキュリンの顔をまじまじと眺めた。 「----おまえ、結構な歳なんだな」 こう言った次の瞬間、ジュリアンは強烈な平手打ちを喰らっていた。 「女性に歳のことを言うなんて、失礼よ!」 マスキュリンは、頭から湯気を出さんばかりの怒りっぷりで部屋を出ていった。ドアが壊れそうな勢いで閉められる。 ジュリアンは肩を竦めると、ひりひりと痛む頬をさすった。 それからの行軍中、ジュリアンはマスキュリンに小言を喰らってばかりいた。もっとも、ジュリアンはわざと怒られるような行動をとって、マスキュリンをからかっている節があった。それは他のメンバーも承知していて、ことあるごとに始まる二人の口喧嘩を、余興のような感じで楽しく見ていた。それがないと物足りない、なんて声も聞こえたりしたほどだ。 しかし、そんな呑気なことでは済まされない事態が起こる。 父の仇であるガルムを目の前にして、ジュリアンは頭に血が上った。最早誰にも、彼を止めることはできなかった。 ただ、河に落ちていく間、自分の名前を呼ぶマスキュリンの悲痛な叫び声が、ジュリアンの頭の中で響いていた。 数日後、アスピアで。 ジュリアンは無事な姿を見せたどころか、一触即発のシンビオス軍とメディオン軍を救いさえした。 「…よお、久しぶり」 ふざけた挨拶をしてくるジュリアンに、マスキュリンは食って掛かった。 「久しぶり、じゃないわよ! どれだけ心配したと思ってるの!」 「おまえの領主様が、か?」 マスキュリンがジュリアンを睨む。その目に涙が滲んでいるのを見て、ジュリアンは面喰らった。 「私が、よ! 本当に心配したんだからね! …もう、あんな無謀な真似はしないで」 と言って、マスキュリンはくるりと背を向けてしまった。頭を下げて肩を落としている。泣いているのだろうか。ジュリアンは今さらながら罪悪感を感じた。 「悪かった。…もうしねえよ」 恐る恐る声をかける。 「…本当に?」 「ああ。約束する」 マスキュリンは振り向いた。 「確かに聴いたわよ!」 顔には涙の跡などなく、とびっきりの笑みさえ向けてくる。ジュリアンは呆れた。 「おまえ、騙したな! 泣いたふりなんてしやがって」 「人聞きの悪いこと言わないでよ。あんたが勝手に勘違いしただけでしょ」 ジュリアンは反論しようと口を開いたが、言葉が見つからなかった。マスキュリンの言う通りだったからだ。同時に、腹の底から笑いが込み上げてくる。こんな手に引っ掛かった自分、マスキュリンらしい台詞、それから変わらない笑顔。何もかもが楽しい。 ジュリアンは、いつしか自分も極上の笑顔を見せていた。 |