今日もフラガルドは寒い。
 特に風が強く、窓の外で轟いているのに、シンビオスは雷かと勘違いして外を何度も見遣ったほどだ。窓の外は横殴りの猛吹雪である。
 こんな日はよほどのことがない限り外には出ず、暖炉の傍でぬくぬくと温かい紅茶でも飲んで、平日に読めずにいた本を片付けるといい。
 ーーーーで、隣にメディオン王子がいてくれたら言うことなしなんだけどな。
 2人がけのソファの隣が空いているとやはりすうすうする。ここはメディオンの指定席で、休日の昼間は並んで本を読むのだが。
 ーーーーこの雪と風じゃなぁ…。
 馬そりも、横風を受けて倒れる危険性があるので運休していた。アスピアに滞在しているメディオンは、フラガルドに来る手段がない。
 ーーーー仕方がない。天気が良くなるまで我慢だ。
 シンビオスは小さくため息をついた。

 窓から外を眺めて、メディオンは今日何度目か判らない大きなため息をついた。
 アスピアではさほど雪は降っていない。ただ風が強く、積もった雪を吹き上げて地吹雪が起こっている。
 馬そりの運行が運休しているので、メディオンはフラガルドに行くことができない。馬そり以外の交通手段はないし、だからといって自ら歩いていくなど自殺行為だ。
 ーーーー本当なら、今頃はシンビオスの隣で本を読んでいるはずなのに。
 面白い新刊を買ったので、持って行ってシンビオスにも貸そうと思っていたのだが。
 ーーーーこれでは一歩も外に出られないな…。
 メディオンは、手にした本に目を落とした。文字を追いながら温かい紅茶を口に含む。いつも隣に感じるシンビオスの体温がないと、冬の寒さが一層堪える。
 ーーーー早く天気が良くならないかな。
 メディオンはまたため息をついた。

 逢えない日には、メディオンは何をしているのだろう。
 シンビオスはといえば、何事もないように、普段と同じように過ごすことにしている。
 今週が駄目でも来週がある。来週も駄目だったら? ーーーーそんなことは考えない。『来週には』必ず逢える。
 『来週逢えたら』、何をしようか。そう考えるようにしている。
 ーーーー来週メディオン王子が来たら、まずはお昼だな。この前買った美味しい紅茶を淹れて、ホットサンドとサラダとベーコンエッグ、いや、オムレツとソーセージかな。一息ついたら少し剣の稽古に付き合って貰って…。あとは、また雪だるまを作りたがるだろうな。それとも雪合戦かな? となると、今日結構降ったのは有り難いかも。夕食前の時間にはこの新刊を薦めてみよう。王子が読んでないといいけど。今度は別の葉の紅茶と、お茶請けはクッキーがいいかな。それともベイクドケーキの方がいいかな。美味しいドライフルーツも手に入ったから、生地に混ぜ込こんで焼こう。夕食には彼の好きなメニューを出すようにシェフにお願いしなきゃーーーー
 と、この辺りまでは健全な思考だが、夜も更けてくると段々と思考が違う方向へ流れていく。シンビオスもやはり健康な男子だということだろう。
 温かい湯につかりながら、
 ーーーー一緒に風呂に入って、髪を洗ってあげたいな。王子もしてくれるけど、身体まで洗ってくれようとするのはちょっと…。
 シンビオスも(嫌なのではなく恥ずかしいから)必死に断るのだが、2回に1回は押し切られてしまう。
 そうなったときのメディオンの手つきといったら、『身体を洗う』というより『愛撫している』というが如きでーーーー
 ーーーーうわ、駄目だ、思い出しちゃった。
 のぼせそうになって、シンビオスは湯船から飛び出た。
 手早く髪と身体を拭いて、湯冷めしないうちにベッドに潜り込む。完全に寝入る前に、半分夢見心地で思考は進んでいく。
 ーーーー来週には、メディオン王子が隣にいて…、…風呂での続きをーーーー

 シンビオスはどう過ごしているだろうか。
 フラガルドに行けなかったことを、メディオンはことさら嘆かないようにしていた。
 嘆いてばかりいては、どんどん悪い方に思考が進んで行ってしまう。たとえば、来週も逢えないんじゃないか、いや、来週だけじゃなく今後永遠に逢えないんじゃないか、とまで飛躍してしまうのだ。
 そんな縁起でもないことを考えるだけでもおぞましい。
 なので、『逢えなかった』事実には目を瞑って、『来週逢ったら』何をしようか、という方向に思考を持って行く。
 ーーーー丁度お昼に着くから、シンビオスの紅茶が飲めるな。メニューは何だろう。オムレツなんかがいいな。少し休んだら、いつものように剣の稽古をして、その後は雪だるまを作るか、皆を誘って雪合戦か…。かまくらに挑戦してみるのもいいか。いい具合に疲れたら、夕食まで本を読んで、また紅茶を淹れて貰って…。ああ、この本を持って行かなきゃ。シンビオスが買ってないといいけど。たまに被るからな。それから美味しい夕食を頂いてーーーー
 メディオンも健康な男子なので、思考がそちら方面へ広がっていく。
 自身で髪を洗いながら、
 ーーーーシンビオスの髪を洗ってあげたいな。太くて、コシとハリがあって密度が高いから洗いでがあるんだ。それから身体も…、…前回は断られたから、今回は久しぶりだし…ーーーー
 そのときのシンビオスの様子を思い出す。上気した顔に戸惑いと羞恥と、ほんの少しの喜びが浮かぶ。メディオンの手の動きと共に、徐々に息が上がっていって、タオル越しに感じる体温が高まってーーーー
 ーーーーああ、駄目だ。まだ早い。そのときまでは…。
 湯船に入る前にのぼせそうだ。メディオンは何とか妄想を押さえ込んだ。髪を洗い流し、身体を洗って、湯船につかる。充分温まってから、冷えないうちにベッドに入る。
 ーーーー来週には、シンビオスのベッドで一緒にーーーー

 お待ちかねの『来週』がやって来た。
 今日は風もなく、空には雲一つない。そのため、放射冷却現象が起きてとてつもなく寒い。
 馬そりに乗るため外に出たメディオンとお供のキャンベルは、かなりな重装備をしたにも関わらず、身体に染みこんでくる空気の冷たさに身震いした。
 馬そりの待合所は小屋になっていてストーブも付いているので暖かいはずだ。早く辿り着きたいが、いかんせん足下が慣れない雪道なので速く歩けない。
 ほんの5分ほどの距離なのだが、待合所に到着した頃にはすっかり身体が冷え切ってしまっていた。
「こんなに寒いのは初めてだ」
 メディオンがキャンベルに囁く。彼は知らなかったのだが、この日の冷え込みは正に『この冬一番の寒さ』だったのだ。
 他に誰もいないのを幸い、2人はストーブの前に張り付いて、冷えた身体を温めた。
「髭も凍り付きそうですな」
 厚手の手袋を履いた手で、キャンベルは自分の頬を挟み込んだ。空気が『痛い』なんて初めての体験だ。なるほど、以前ダンタレスが「フラガルドの冬は『寒い』を通り越して『痛い』んだ」と言っていたのは、このことだったか。
 3分ほどで馬そりが到着し、2人は乗り込んだ。ストーブを囲むように座席が配置されている。所々途切れているのは、ケンタウロス族の為のスペースだろう。
 メディオンは椅子の端に座り、キャンベルはその横に立った。傍らに立つポールに掴まる。雪道の走行はかなり揺れて危険だと、冬になってから何度かフラガルドに通ううちに学習したのだ。
 他に乗り込んでくる乗客もなく、馬そりは定時に出発した。
 街道はすっかり雪景色だ。葉を落とした木々の枝に雪が積もっている。メディオンはこれを見るのが好きだ。自然が作り出した美の一つだと思う。
 新雪に日の光が反射してきらきらと輝いている。細かい色とりどりの宝石のかけらが埋まっているかのようだ。
 程なく馬そりはフラガルドの停留所に着いた。すると、待合室からシンビオスが姿を見せたではないか。
 御者に礼を言って降りると、メディオンとキャンベルはシンビオスの方へ歩み寄った。
「いらっしゃいませ、メディオン王子、キャンベル殿」
「シンビオス。この寒いのに、わざわざ来てくれたのかい?」
「一刻も早くお逢いしたかったので」
 シンビオスはにっこりと微笑む。
「うん。私も逢いたかったよ」
 メディオンも微笑んだ。
「ーーーーあー、続きは暖かい場所でなさっては如何でしょう」
 キャンベルが声をかけた。このまま放っておいたら、どこまでも2人の世界に行ってしまう。この寒い中でそれもどうだろうか。
「そうですね。早く城に帰りましょう」
 歩き出すシンビオスに、2人も続いた。
「ーーーーやはりここの方が寒いな」
 メディオンが呟く。アスピアよりさほど北にあるわけでもないのに、やはり山に囲まれているからだろうか。
「今日はずっと寒いみたいですので、覚悟して下さいね」
 シンビオスが悪戯っぽく笑った。

 それからは、先週に予定を立てていたように、メディオンとシンビオスは時を過ごした。
 シンビオスはメディオンのために、チーズがとろけるホットサンドとサラダ、ソーセージを添えた熱々とろとろのオムレツ、身体を温めるジンジャーミルクティを昼食に出した。
 食休みしてから剣の稽古、皆を集めて雪合戦、更にかまくらを作ろうとしたが、雪合戦で汗ばんだ身体が冷えてきたので今回は諦めて、部屋に戻ることにした。
 シンビオスは、今度はアップルシナモンミルクティを淹れて、お茶請けにフルーツがたっぷり入ったケーキを出した。
「ーーーー王子、この本読みました?」
 先週自分が読んでいた本を差し出す。
 メディオンはタイトルを読んで、
「いや、まだ読んでないな」
 それから、持ってきた本をシンビオスに見せて、
「君は? この本は読んだ?」
「いえ、読んでません」
「ならよかった」
 2人は本を交換して、ソファに並んで腰掛け、ページを繰り始めた。
 隣に感じる相手の体温が心地良い。
 剣の稽古や雪合戦で身体を使い、暖かい部屋で温かい紅茶を飲んで美味しいケーキをお腹に入れて、とくれば、当然のごとく、メディオンもシンビオスも、うとうとと浅い眠りの海を漂い始めた。お互い寄りかかるような姿勢だ。
 どのくらい経ったか。外から夕食を知らせるダンタレスの声がして、2人は目を覚ました。
「ーーーーああ、気持ちよかった」
 シンビオスが腕を上に伸ばして伸びをする。
「あの、ふ、と気が遠くなる感覚って、どうしてあんなに心地良いんだろうね」
 メディオンも立ち上がって伸びると、
「さ、行こうか」
 シンビオスを促して部屋を出た。

 夕食は、メディオンとキャンベルの好きなものばかりだった。
 美味しく頂いて、お酒も少し飲んでほろ酔いの良い気分になり、気の合う仲間達と四方山話に興じていると、あっという間に2〜3時間は過ぎてしまう。
 まだ呑み足りなそうなダンタレスとキャンベルを残して、シンビオスはメディオンと共に自室に戻った。
「一緒にお風呂に入ろうか」
 メディオンが囁く。そう、夜はここからが本番だ。
「ーーーーええ」
 少し恥ずかしげに、シンビオスは頷いた。
 ‘予定通り’、お互い相手の髪を洗ってあげた。更にメディオンは、シンビオスの身体を優しく洗う。それは、シンビオスが考えるとおり、ほぼ『愛撫』と言ってよかった。何せ2週間ぶりなのだ。メディオンの手の動きに何かの意味がこもるのは当然だろう。そして、シンビオスが抵抗できずにされるがままなのも。

 風呂で思う存分戯れても、若い2人にはまだまだ不充分だった。
 ベッドに場所を移し、満足するまで2人は眠らなかった。


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